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社会しゃかい 6年生ねんせい

昭和しょうわ・平成へいせい・令和れいわ時代じだい

最終さいしゅう確認かくにん日び:

この章しょうで学まなぶこと

第だい 8 章しょうで学まなんだ 大正デモクラシーたいしょうでもくらしー のあと、 日本ほん は 昭和しょうわ時代じだい (1926-1989) を迎むかえました。 昭しょう和わ は日本ほん の 歴れき史し の中なかで最もっとも長ながい時代じだいの 1 つで、 「大おおきな 戦せん争そう」 と 「戦後せんごの 復ふっ興こう」 という、 全ぜん然ぜん ちがう 2 つの時じ期き を 含ふくみます。

そのあとの 平成へいせい時代じだい (1989-2019) と 令和れいわ時代じだい (2019- ) を 含ふくめて、 この章しょうで学まなびます。

  • 満州事変まんしゅうじへん (1931) と 日中戦争にっちゅうせんそう (1937) を知しる
  • 太平洋戦争たいへいようせんそう (1941-1945) と 広島ひろしま・長崎ながさき の 原爆げんばく を知しる
  • 日本国憲法にほんこくけんぽう の 公こう布ふ (1946) と 施し行こう (1947) と戦後せんごの 改かい革かく を知しる
  • 高度経済成長こうどけいざいせいちょう (1955-1973) で暮くらしがどう変かわったかを知しる
  • 平成へいせい の出来事できごと (阪神淡路大震災はんしんあわじだいしんさい・東日本大震災ひがしにほんだいしんさい) を知しる
  • 戦せん争そう の 教きょう訓くん を受うけ 継つぐことの大切たいせつさを考かんがえる

ポイント: この章しょうで 扱あつかう 戦せん争そう は、 日本ほん と多おおくの国くにの人々ひとびとに大おおきな苦くるしみをもたらしました。 「勝かち負まけ」 ではなく、 「なぜそうなったのか」 「どうしたら同おなじことを起おこさずにすむのか」 を考かんがえることが大切たいせつです。

1. 昭和しょうわのはじまりと満州まんしゅう事変じへん・日中戦争にっちゅうせんそう

1926 年ねん、 大たい正しょう 天てん皇のう が 亡なくなり、 昭和しょうわ時代じだいが始はじまりました。 第一次世界大戦だいいちじせかいたいせん のあとの 不ふ 景けい気き や、 1929 年ねんに 世せ界かい で起おきた 世界恐慌せかいきょうこう の 影えい響きょう で、 日本ほん の 経けい済ざい は苦くるしみました。 こうした中なかで 軍ぐん部ぶ (軍ぐん隊たい の力ちから) が大おおきくなってきました。

満州まんしゅう事変じへん (1931 年ねん)

1931 年ねん、 日本ほん の 軍ぐん隊たい が 中ちゅう国ごく北東ほくとう部ぶ (満まん州しゅう) で 鉄てつ道どう の 線せん路ろ を 爆ばく破は し、 それをきっかけに 満まん州しゅう を 占せん領りょう しました。 これが 満州事変まんしゅうじへん です。 翌よく 1932 年ねん、 「満まん州しゅう国こく」 という国くにを作つくりましたが、 国こく際さい 社しゃ会かい は 認みとめませんでした。

国際こくさい連盟れんめいからの 脱だっ退たい (1933 年ねん)

1933 年ねん、 国際連盟こくさいれんめい が 「満まん州しゅう国こくを認みとめない」 と決きめたため、 日本ほん は 国際連盟こくさいれんめい から 脱だっ退たい しました。 国こく際さい 社しゃ会かい から 孤こ立りつ する道みちを選えらんでしまいました。

日中戦争にっちゅうせんそう (1937 年ねん〜)

1937 年ねん、 中ちゅう国ごく と日本ほん の 軍ぐん隊たい がぶつかり、 日中戦争にっちゅうせんそう が始はじまりました。 戦せん争そう は 中ちゅう国ごく 全ぜん土ど に広ひろがり、 8 年間ねんかん続つづきました。 多おおくの 中ちゅう国ごく の人ひとと日本ほん の 兵へい士し が命いのちを失うしないました。

年ねん出来事できごと
1929世せ界かい 恐きょう慌こう
1931満州事変まんしゅうじへん
1932「満まん州しゅう国こく」 樹じゅ立りつ、 五・一五事件ごいちごじけん (首しゅ相しょう が 暗あん殺さつ)
1933国際連盟こくさいれんめい から 脱だっ退たい
1936二・二六事件ににろくじけん (軍ぐん部ぶ のクーデター 未み遂すい)
1937日中戦争にっちゅうせんそう 開かい始し

大事だいじ: この時じ期き、 日本ほん では 軍ぐん部ぶ がせいじを動うごかす力ちからを強つよめました。 二・二六事件ににろくじけん などの 事じ件けん で 政せい党とう せいじが弱よわまり、 戦せん争そう への道みちを止とめられなくなってしまいました。 「なぜ止とめられなかったのか」 を考かんがえることが、 現げん在ざい の私わたしたちの役目やくめです。

2. 太平洋戦争たいへいようせんそうと終戦しゅうせん (1941-1945)

日中戦争にっちゅうせんそう が続つづく中なか、 1939 年ねんにヨーロッパで 第二次世界大戦だいにじせかいたいせん が始はじまりました。

太平洋戦争たいへいようせんそうの始はじまり (1941 年ねん 12 月つき 8 日にち)

1941 年ねん 12 月つき 8 日にち、 日本ほん がハワイの 真しん珠じゅ 湾わん にいたアメリカの 軍ぐん隊たい を 攻こう撃げき し、 同日どうじつにマレー 半はん島とう へも進攻しんこうしました。 こうして日本ほん とアメリカ・イギリスなどとの間まで 太平洋戦争たいへいようせんそう が始はじまりました。

戦せん 局きょく の 変へん 化か

最さい初しょ は日本ほん が 優ゆう勢せい でしたが、 1942 年ねん 6 月つきの ミッドウェー 海かい戦せん のあとは 不ふ 利り な戦たたかいが続つづきました。 1944 年ねんからアメリカ軍ぐんが日本ほん本土ほんどを空そらから 攻こう撃げき する 「空襲くうしゅう」 が続つづき、 多おおくの 街まち が焼やけ、 多おおくの人ひとが命いのちを失うしないました。 1945 年ねん 4 月つきからは 沖縄戦おきなわせん が起おき、 沖おき縄なわ県けんの多おおくの 住じゅう民みん が 犠ぎ牲せい になりました。

広島ひろしまと長崎ながさきの原爆げんばく

日付ひづけ出来事できごと
1945 年ねん 8 月つき 6 日にち広島ひろしま に 原子爆弾げんしばくだん (原げん爆ばく) が落おとされる
1945 年ねん 8 月つき 9 日にち長崎ながさき に 原子爆弾げんしばくだん が落おとされる

広島ひろしま と 長崎ながさき では、 多おおくの人ひとが 一しゅん瞬で命いのちを失うしない、 その後ごも 放ほう射しゃ能のう の 影えい響きょう で多おおくの人ひとが苦くるしみました。 広島ひろしま では約やく 14 万まん人にん、 長崎ながさき では約やく 7 万まん人にんが 1945 年末ねんまつまでに 亡なくなったとされています (諸説しょせつ あり)。

被爆した建物の遺構
原爆ドームげんばくドーム (広島ひろしま県けん) — 1945 年ねん 8 月つき 6 日にち、 原子爆弾げんしばくだん で被爆ひばくした旧きゅう広島ひろしま県けん産業さんぎょう奨励しょうれい館かん。 戦争せんそうの悲惨ひさんさと平和へいわの大切たいせつさを伝つたえるため保存ほぞんされ、 1996 年ねんに 世界遺産せかいいさん登録とうろく。

終戦しゅうせん (1945 年ねん 8 月つき 15 日にち)

1945 年ねん 8 月つき 15 日にち、 昭和しょうわ 天てん皇のう がラジオで 「ポツダム宣言ぽつだむせんげん」 を 受うけ入いれることを 国こく民みん に伝つたえました (玉ぎょく音おん放送ほうそう)。 こうして 太平洋戦争たいへいようせんそう と 第二次世界大戦だいにじせかいたいせん が終おわりました。 この日ひを 終戦記念日しゅうせんきねんび と言いいます。

戦せん争そう の 犠ぎ牲せい

太たい平へい洋よう 戦せん争そう で 亡なくなった人ひとの数かず (推すい定てい) は、 日本ほん の 軍ぐん人じん・民みん間かん人で約やく 310 万まん人にん、 戦たたかった 相あい手て の国くにやアジアの国々くにぐにではさらに多おおくの人ひと (合ごう計けい数すう千せん万まん人にん) が 亡なくなったとされています。

大事だいじ: 戦せん争そう は日本ほん だけではなく、 戦たたかった 相あい手て の国くにでも、 アジアや 太たい平へい洋よう の多おおくの国くにでも同おなじように多おおくの命いのちを 奪うばいました。 戦せん争そう で苦くるしむのは 兵へい士し だけではなく、 子こどもやおとしより、 街まちで暮くらしていた人々ひとびとです。 これを心こころに留とめましょう。

3. 戦後せんご改革かいかくと日本国にっぽんこく憲法けんぽう

1945 年ねんから 1952 年ねんまで、 日本ほん はアメリカを 中心ちゅうしん とする 連れん合ごう国こく軍ぐん (G H Q、 連れん合ごう国軍こくぐん最高さいこう司し令れい 官かん 総そう 司し令れい部) に 占せん領りょう され、 大おおきな 改かい革かく が行おこなわれました。

戦後せんごの主おもな 改かい革かく

改かい革かく内ない容よう
男だん女じょ 平びょう等どう の 選せん挙きょ 権けん1945 年ねん、 20 才以い上じょう の 男だん女じょ すべてに 選せん挙きょ 権けん (1946 年ねん 4 月つき初はつの 選せん挙きょ)
財閥解体ざいばつかいたい三み井い・三みつ菱びし などの大おおきな 会かい社しゃ のグループを分わける
農地改革のうちかいかく大おおきな 地じ主ぬし から 土と地ち を安やすく買かい取とり、 小こ作さく 農のう に売うる
教育基本法きょういくきほんほう (1947)学がっ校こう 教きょう育いく を 「6・3・3・4」 制せい に、 9 年間ねんかんを 義ぎ務む 教きょう育いく に
労働組合法ろうどうくみあいほう働はたらく人ひとが 組くみ合あい を作つくる 権けん利り を認みとめる

日本国にっぽんこく憲法けんぽうの 公こう布ふ と 施し行こう

日付ひづけ出来事できごと
1946 年ねん 11 月つき 3 日にち日本国憲法にほんこくけんぽう 公こう布ふ (今いまの 文ぶん化か の日ひ)
1947 年ねん 5 月つき 3 日にち日本国憲法にほんこくけんぽう 施し行こう (今いまの 憲けん法ぽう 記き念ねん日び)

日本国憲法にほんこくけんぽう の 3 つの大原げん則そく は、 第だい 2 章しょうで学まなんだ通とおり 国民主権こくみんしゅけん・基本的人権の尊重きほんてきじんけんのそんちょう・平和主義へいわしゅぎ です。 大日本帝国憲法だいにっぽんていこくけんぽう (1889) と比くらべて 「主しゅ権けん は 天てん皇のう から 国こく民みん へ」 「軍ぐん隊たい を持もたない」 と大おおきく変かわりました。

国際こくさい社会しゃかいへの 復ふっ帰き

年ねん出来事できごと
1951サンフランシスコ平和条約さんふらんしすこへいわじょうやく (48 か国こくと結むすぶ)
1952日本ほん が 独どく立りつ を取とりもどす
1956日にっソ 共きょう同どう 宣せん言げん、 国際連合こくさいれんごう へ 加か盟めい
1972沖おき縄なわ が日本ほん に 復ふっ帰き

ポイント: 日本国憲法にほんこくけんぽう の 「平和主義へいわしゅぎ」 (第だい 9 条じょう) は、 戦せん争そう の大おおきな 反はん省せい から生うまれました。 「二に 度ど と 戦せん争そう をしない」 という 国こく民みん の強つよい願ねがいがこもっています。

4. 高度こうど経済けいざい成長せいちょう (1955-1973)

戦せん争そう で焼やけ 野の 原はら となった日本ほん は、 1950 年代ねんだい後半こうはんから 1973 年ねんの約やく 20 年間ねんかん、 経けい済ざい が急速きゅうそくに 成せい長ちょう する時じ期き を迎むかえました。 これを 高度経済成長こうどけいざいせいちょう と言いいます。

暮くらしが大おおきく変かわる

「三種の神器さんしゅのじんぎ」 (1950 年代ねんだい後半こうはん)内ない容よう
白しろ黒くろ テレビ1953 年ねんに放送ほうそう開始かいし
冷れい蔵ぞう 庫こ食しょく 品ひん を 長なが持もちさせる
洗せん濯たく 機き家か事じ の大おおきな助たすけ
「3 C」 (1960 年代ねんだい)内ない容よう
カー (車しゃ)自じ家か用よう車しゃが 一いっ般ぱん 家か庭てい に
クーラー夏なつを 涼すずしく
カラーテレビ1960 年ねんから放送ほうそう、 1964 年ねんオリンピックで 普ふ及きゅう

大おおきな出来事できごと

年ねん出来事できごと
1964東京オリンピックとうきょうおりんぴっく (アジア初はつ)、 東とう海かい道どう 新しん幹かん線せん 開かい業ぎょう
1970大阪万博おおさかばんぱく (日本ほん万国ばんこく博はく覧らん 会かい)
1972沖おき縄なわ が日本ほん に 復ふっ帰き、 札さっ幌ぽろ 冬ふゆ 季き五ご輪わ

影えい響きょう と課題かだい

高度経済成長こうどけいざいせいちょう で暮くらしは 豊ゆたかになりましたが、 一方いっぽうで 公害こうがい (四大公害病よんだいこうがいびょう: 水俣病みなまたびょう・新しん潟がた 水みな俣また 病びょう・四日市ぜんそくよっかいちぜんそく・イタイイタイ病いたいいたいびょう) が 各かく地ち で 発生はっせい し、 多おおくの人ひとが苦くるしみました。 1971 年ねんに 環境かんきょう 庁ちょう (今いまの 環境かんきょう 省しょう) ができ、 公こう害がい 対たい策さく が 本ほん格かく 化か しました。

1973 年ねん、 中ちゅう東とう での 戦せん争そう をきっかけに 石油危機せきゆきき (オイルショックおいるしょっく) が起おき、 高度経済成長こうどけいざいせいちょう は終おわりました。

大事だいじ: 「経けい済ざい が 成せい長ちょう する」 ことは暮くらしを楽らくにしますが、 同時どうじに 公害こうがい や 自し然ぜん破壊はかいという問題もんだいを生うんだことを 忘わすれてはいけません。 「便べん利り さと 自し然ぜん を 両りょう立りつ させる」 ことが今いまの私わたしたちの課題かだいです。

5. 平成へいせい時代じだい (1989-2019)

1989 年ねん 1 月つき 7 日にち、 昭和しょうわ 天てん皇のう が 亡なくなり、 翌日よくじつから 平成へいせい時代じだい が始はじまりました。 平へい成せい は約やく 30 年間ねんかん続つづきました。

バブル 経けい済ざい とその 崩ほう壊かい

平へい成せい の始はじめ (1989-1991 年ねんごろ)、 土と地ち や 株かぶ の 値ね段だん が急きゅうに上あがり、 「バブル経済ばぶるけいざい」 と 呼よばれる 好こう 景けい気き が起おきました。 しかし 1991 年ねんごろから 値ね段だん が急きゅうに下さがり (バブル 崩ほう壊かい)、 そのあと 「失うしなわれた 30 年ねん」 と 呼よばれる長ながい 不ふ 景けい気き に入はいりました。

大おおきな 災さい害がい

年月日ねんがっぴ出来事できごと
1995 年ねん 1 月つき 17 日にち阪神淡路大震災はんしんあわじだいしんさい (兵ひょう庫ご県けん南部なんぶを 中心ちゅうしん に M 7.3、 約やく 6400 人ひとが 亡なくなる)
2011 年ねん 3 月つき 11 日にち東日本大震災ひがしにほんだいしんさい (東北とうほく地ち方ほう 太たい平へい洋よう 沖おき M 9.0、 巨きょ大だい 津つ波なみ と 福ふく島しま 第だい 一いち原発げんぱつ事じ故こ、 約やく 1 万まん 9 千せん人にんが 亡なくなる)

平成へいせいの主おもな出来事できごと

年ねん出来事できごと
1995阪神淡路大震災はんしんあわじだいしんさい、 地下ちか鉄てつ サリン事件じけん
1998長野ながの冬季とうきオリンピック
2001アメリカ同時どうじ多発たはつテロ
2002サッカー日にち韓かんワールドカップ
2011東日本大震災ひがしにほんだいしんさい
2014消しょう費ひ 税ぜい 8 % へ
2016熊くま本もと地震じしん

ポイント: 平成へいせい は 「災さい害がい と 復ふっ興こう」 が大おおきなテーマの時代じだいでした。 阪神淡路大震災はんしんあわじだいしんさい と 東日本大震災ひがしにほんだいしんさい から、 私わたしたちは 「ふだんからの 備そなえ」 と 「助たすけ合あい」 の大切たいせつさを学まなびました。

6. 令和れいわ時代じだいとこれから

2019 年ねん 5 月つき 1 日にち、 平成へいせい 天てん皇のう (今いまの上じょう皇こう) が 退たい位い され、 新あたらしい 天てん皇のう が 即そく位い して 令和れいわ時代じだい が始はじまりました。 「令和れいわ」 という 名な 前まえ は、 万葉集まんようしゅう (奈良なら時代じだいの 和わ 歌か 集しゅう) から取とられた、 初はじめての 日本ほん の古こ典てん から取とった 元げん号ごう です。

令和れいわの出来事できごと

年ねん出来事できごと
2019令和れいわ 改かい元げん、 ラグビーワールドカップ日本ほん大会たいかい
2020新型しんがたコロナウイルス 感かん染せん 拡かく大だい (世せ界かい的に)
2021東京オリンピックとうきょうおりんぴっく・パラリンピック (1 年延えん期き されて開催かいさい)
2022ロシアのウクライナ 侵しん攻こう (戦せん争そう の 影えい響きょう が 世せ界かい 経けい済ざい に)
2024能のと 半はん島とう地震じしん (1 月つき)、 新あたらしい紙幣しへい発行はっこう

現在げんざいの日本ほん の課題かだい

課題かだい内ない容よう
少子高齢化しょうしこうれいか子こどもが減へり、 高こう齢れい 者しゃ が増ふえる (5 年ねん生せいで学まなんだ通とおり)
人口減少じんこうげんしょう2008 年ねんをピークに日本ほん の 総そう人口じんこうは減少げんしょう傾けい向こう
災さい害がい への 備そなえ巨きょ大だい地じ震しん や気き候こう 変へん動どう への 対たい応おう
デジタル化かA I・スマートフォン・キャッシュレスの 普ふ 及きゅう
国際こくさい的てきなつながり第だい 10 章しょうで学まなぶ「グローバル化か」 と SDGs

大事だいじ: 私わたしたちが生いきている 「今いま」 も、 いつかは 「歴れき史し」 になります。 この章しょうで学まなんだ 戦せん争そう と戦後せんごの経験けいけんを受うけ継ついで、 「これからの日本ほん と世界せかい」 を作つくるのは私わたしたち一人ひとりひとりです。

7. ふりかえり

この章しょうで学まなんだことをふりかえりましょう。

  • 満州事変まんしゅうじへん (1931)・日中戦争にっちゅうせんそう (1937) の流ながれを知しっている
  • 太平洋戦争たいへいようせんそう (1941-1945) と 広島ひろしま (8/6)・長崎ながさき (8/9) の 原爆げんばく、 終戦記念日しゅうせんきねんび (8/15) を言いえる
  • 日本国憲法にほんこくけんぽう の 公こう布ふ (1946/11/3) と 施し行こう (1947/5/3) を 説せつ明めい できる
  • 高度経済成長こうどけいざいせいちょう (1955-1973) の暮くらしの 変へん化か (3 種たねの 神じん 器き・3 C) を言いえる
  • 阪神淡路大震災はんしんあわじだいしんさい (1995) と 東日本大震災ひがしにほんだいしんさい (2011) を知しっている
  • 令和れいわ が 万葉集まんようしゅう から取とられた 元げん号ごう であることを言いえる
  • [ ]戦せん争そう の 教きょう訓くん を受うけ 継つぐことの大切たいせつさを自分じぶんの言葉ことばで 説せつ明めい できる

この章しょうの安全あんぜん配はい慮りょ — 平和へいわの大切たいせつさを受うけ継つぐ

戦せん争そう や 災さい害がい は、 多おおくの命いのちを 奪うばい、 多おおくの人ひとの心こころを 傷きず つけました。 この章しょうを学まなんだ人ひととして、 大切たいせつにしたいことをまとめます。

心こころがけ内ない容よう
広島ひろしま・長崎ながさき の 平へい和わ 記き念ねん 公こう園えん を 訪たずねる機き会かい があれば静しずかに学まなぶ。 「2 度どと起おこさない」 と心こころに 誓ちかう
戦せん争そう 体たい験けん 者しゃ の話はなしを聞きく祖そ父ふ母ぼ・地ち域いき の高こう齢れい 者しゃ から、 当とう時じ の暮くらしを直ちょく接せつ聞きくことは 何なに よりの学まなび
戦せん争そう を 「相あい手て が悪わるい」 で終おわらせないなぜ 戦せん争そう が起おきたかを多た角かく的てきに考かんがえる。 戦たたかった国同ど士し それぞれに事情じじょうがあった
災さい害がい への 備そなえをする家いえで 防ぼう災さい バッグを用意よういし、 避ひ難なん 場ば所しょ を家族かぞくで 確かく認にん
平へい和わ と助たすけ合あいを大切たいせつに学校がっこうでの友達ともだちとの 関かかわり、 街まちでの高こう齢れい 者しゃ への思おもいやりも 「平へい和わ」 の第一歩だいいっぽ

大事だいじ: 太平洋戦争たいへいようせんそう が終おわってから 80 年ねんほどが経たち、 戦せん争そう を 体たい験けん した人ひとが少すくなくなっています。 その 体たい験けん と 教きょう訓くん を 「伝つたえ続つづける」 ことが、 これから大人おとなになるみなさんの大切たいせつな役目やくめです。 「戦せん争そう を知しらない世代せだい」 が 戦せん争そう を起おこさないためには、 「知しろうとする 努ど力りょく」 が何なにより大切たいせつです。

次じの章しょう: 第だい 10 章しょうでは、 戦せん争そう のあとにできた 国際連合こくさいれんごう のしくみや、 日本ほん の 国際協力こくさいきょうりょく (ODA・PKO)、 SDGs など、 日本ほん と世界せかいのつながりを学まなびます。

この教材きょうざいは役やくに立たちましたか?