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社会しゃかい 6年生ねんせい

縄文時代じょうもんじだい・弥生時代やよいじだい・古墳時代こふんじだい (日本にほん の あけ ぼ の)

最終さいしゅう確認かくにん日び:

この章しょうで学まなぶこと

第だい 4 章しょうから、 いよいよ 6 年生ねんせいの中心ちゅうしん = 歴史れきし の学がく習しゅう が始はじまります。 まずは 文字もじがまだなかった時代じだい の 3 つ — 縄文時代じょうもんじだい・弥生時代やよいじだい・古墳時代こふんじだい を学まなびます。

「文字もじがなかった」 とは、 「何なにが起おこったかを書かき残のこした史し料りょう がない」 ということです。 ではどうやって当時とうじのことを知しるのか。 答えこたえは 遺跡いせき や 土器どき などの 物ぶつの史し料りょう から推すい理り するのです。

  • 縄文時代じょうもんじだい — 約やく 1 万まん 5 千せん年ねん前まえから、 狩しゅ猟りょう採さい集しゅう のくらし、 縄文土器じょうもんどき
  • 三内丸山遺跡さんないまるやまいせき — 縄文じょうもん時代じだい の大規き模ぼなムラ
  • 弥生時代やよいじだい — 紀き元げん前 300 年ねんごろから、 稲作いなさく (米まいづくり) が伝つたわる
  • 弥生土器やよいどき と 卑弥呼ひみこ・邪馬台国やまたいこく
  • 古墳時代こふんじだい — 300 年ねんごろから、 大王おおきみ と 大和朝廷やまとちょうてい
  • 大仙古墳だいせんこふん (世界せかい最大さいだい級きゅうの墓はか)

大事だいじ: 古ふるい時代じだいほど、 「諸しょ説せつ ある」 が多おおくなります。 例れい: 縄文時代じょうもんじだい の始はじまり (約やく 1 万まん 5 千せん年ねん前まえ 〜 約やく 1 万まん 6 千せん年ねん前まえ)、 卑弥呼ひみこ がいた 邪馬台国やまたいこく の場所ばしょ (近畿きんき説せつと九きゅう州しゅう説せつ)、 大仙古墳だいせんこふん が本当ほんとうに仁にん徳とく 天皇てんのう の墓はかかどうかなど。 6 年ねん生せいでは 「いくつかの説せつがある」 と知しればじゅうぶんです。

1. 縄文じょうもん時代じだい (約やく 1 万まん 5 千せん年ねん前まえ 〜 紀元前きげんぜん 300 年ねんごろ)

縄文じょうもん時代じだい の特とく徴ちょう

項こう目もくくわしく
時じ期き約やく 1 万まん 5 千せん年ねん前まえ 〜 紀き元げん前約ぜんやく 300 年ねんごろ (約やく 1 万まん年ねん以上いじょう続つづいた)
暮くらし狩しゅ猟りょう採さい集しゅう (動どう物ぶつ を狩かり、 木この実みを集あつめる)
食しょく料りょう鹿しか・いのしし・魚さかな貝かい・木この実み (栗くり・どんぐり)
住すまい竪穴住居たてあなじゅうきょ (地じ面めん を掘ほって屋や根ね をかけた家いえ)
道どう具ぐ縄文土器じょうもんどき・石器せっき・骨ほね角かく器き

縄文じょうもん土器どき

縄文土器じょうもんどき は、 表ひょう面めん に 縄なわ (なわ) の模も様よう がつけられた土器どきです。 縄文時代じょうもんじだい の名前なまえの由来ゆらい です。

特とく徴ちょうくわしく
色いろ赤黒あかぐろい (低温ていおんで焼やく)
厚あつさ厚あつい (もろい)
形かたち深ふかい鉢形はちがた、 装そう飾しょく が多おおい
用よう途と食べ物たべものを煮にる・保ほ存ぞん する

縄文じょうもん人じんのくらし

縄文じょうもん人じんは 数すう十じゅう人にんぐらいのムラ で暮くらしていました。 食しょく料りょう が採とれた場所ばしょに集あつまり、 食しょく料りょう が減へると移い動どう しました。

くらしの工く夫ふうくわしく
貝塚かいづか食たべた貝かいのからを捨すてた場所ばしょ (ゴミ捨すて場じょう)。 食しょく生活せいかつ がわかる
土偶どぐう (どぐう)人形にんぎょうの土ど製品せいひん。 まじない・お守まもりの道どう具ぐ とされる
磨みがく製せい石器せっき (ませいせっき)石いしを磨みがいてつくった道どう具ぐ

ポイント: 縄文じょうもん人じんは 「自然しぜん と共ともに生いきる」 くらしでした。 自然しぜんから取とれるだけの食しょく料りょう で生活せいかつし、 大おおきな争あらそいは少すくなかったと考えかんがえられています。

2. 三さん内ない丸山まるやま遺跡いせきと縄文じょうもん人じんのくらし

三さん内ない丸山まるやま遺跡いせきとは

三内丸山遺跡さんないまるやまいせき は、 青あお森もり県けんで発はっ見けん された 日本にほん最大さいだい級きゅうの縄文じょうもん時代じだい の 遺跡いせき です。 約やく 5 千せん年ねん前まえ 〜 4 千せん年ねん前まえ (縄文じょうもん時代じだい中期ちゅうき) に、 約やく 1 千せん 5 百ひゃく年間ねんかん続つづいた大おおきなムラでした。

三さん内ない丸山まるやまでわかったこと

わかったことくわしく
大規き模ぼなムラ数すう百ひゃく人にんが暮くらしていたと推定すいてい
竪穴住居たてあなじゅうきょ が多数たすう500 棟むね以上いじょうの跡あと
大型おおがたの建物たてもの6 本ほんの柱はしらの跡あと (高たかさ 15m 以上いじょうの建物たてもの と推すい定てい、 用よう途と不明ふめい)
栗くり の栽培さいばい栗くりを計けい画かく的に育そだてていた可か能のう性せい
遠とおい土と地ち との交こう流りゅう黒曜よう石 (北海道ほっかいどう産さん)・ヒスイ (新潟にいがた産さん) が出土しゅつど

縄文じょうもん人じんのイメージが変かわった

三内丸山遺跡さんないまるやまいせき の発はっ見けん (1990 年代ねんだい) で、 縄文じょうもん人じんの暮くらしのイメージが大おおきく変かわりました。

古ふるいイメージ新あたらしいイメージ
移い動どう しながら暮くらす長ながい間ま同おなじ場所ばしょ に住すみ続つづけた
食しょく料りょう は取とれるだけ栗くりを育そだてる など工く夫ふう
小ちいさいムラ数すう百ひゃく人にん規模き のムラも
孤こ立りつ していた遠とおくとの交こう流りゅう があった

大事だいじ: 三内丸山遺跡さんないまるやまいせき は 2021 年ねん に 「北海道ほっかいどう・北ほく東とう北ほくの縄文じょうもん遺跡いせき群ぐん」 として 世界せかい文化ぶんか遺産いさん に登録とうろくされました。

3. 弥生やよい時代じだい (紀き元げん前 300 年ねん 〜 紀き元げん後 300 年ねんごろ)

弥生やよい時代じだい の特とく徴ちょう

項こう目もくくわしく
時じ期き紀き元げん前約ぜんやく 300 年ねん 〜 紀き元げん後ご約やく 300 年ねん (約やく 600 年間ねんかん)
暮くらし稲作いなさく (米まいづくり) が中心ちゅうしん
食しょく料りょう米まい・狩しゅ猟りょう採さい集しゅう の物もの
住すまい竪穴住居たてあなじゅうきょ + 高床倉庫たかゆかそうこ (米まいを保ほ存ぞん)
道どう具ぐ弥生土器やよいどき・鉄器てっき・青銅器せいどうき

稲作いなさくが伝つたわる

稲作いなさく (米まいづくり) は、 紀き元げん前 300 年ねんごろに 大陸たいりく (中国ちゅうごく・朝ちょう鮮せん半はん島とう) から北きた九きゅう州しゅう へ 伝つたわり、 だんだんと東ひがしへ広ひろがりました。

稲作いなさくがもたらした変化へんか

変化へんかくわしく
食しょく料りょう が安あん定てい米こめを保ほ存ぞん できる (= 飢うえにくい)
住すむ場所ばしょが固こ定てい田たんぼを作つくるために同おなじ場所ばしょに定住ていじゅう
ムラが大おおきくなる多おおくの人ひとが集あつまって田たを耕たがやす
貧富の差ひんぷのさ が生うまれる米こめを多おおく持もつ人ひととそうでない人ひと
争あらそいが起おこる田たんぼや水みずの取とり合あい (柵しがらみや堀ほりが作つくられる)

弥生やよい土器どき

弥生土器やよいどき は、 縄文土器じょうもんどき より 薄うすくて硬かたい 土器どきです。 高たかい温度おんどで焼やかれ、 装そう飾しょく は少すくなめ。 「弥生やよい」 の名前なまえは、 東京とうきょう都と文京ぶんきょう区く弥生やよい町まちで発見はっけんされたことからきています。

縄文じょうもん土器どきとのちがい弥生土器やよいどき
色いろ赤あか茶色ちゃいろ
厚あつさ薄うすい・硬かたい
形かたちシンプル (壺つぼ・甕う)
用よう途と米こめを煮にる・保ほ存ぞん する

4. 弥生やよい土器どきと卑弥呼ひみこ (邪馬台国やまたいこく)

卑弥呼ひみことは

卑弥呼ひみこ は、 弥生やよい時代じだい の終おわりごろ (3 世紀せいき) に 邪馬台国やまたいこく を治おさめたと言いわれる女王じょおうです。

わかっていることくわしく
出しゅっ典てん中国ちゅうごくの古ふるい歴史れきし書しょ 「魏志倭人伝ぎしわじんでん」 に書かかれている
治おさめた国くに邪馬台国やまたいこく (約やく 30 の国くにをまとめた連合れんごう国こく)
治おさめ方かたまじない (「鬼おに道どう」) で国くにを治おさめたと記しるされる
中国ちゅうごくとの関かん係けい239 年ねん、 中国ちゅうごくの魏ぎへ使つかいを送おくり、 「親魏倭王しんぎわおう」 の称号しょうごうと銅鏡どうきょうを受うけ取とった

邪馬台国やまたいこくはどこにあったのか

邪馬台国やまたいこく の場所ばしょ は、 今いまでも 諸しょ説せつ あり ます。

説せつくわしく
近畿きんき説せつ (奈良なら県けんを中心ちゅうしんとする地ち域いき)纏向まきむく遺い跡せき などの発見はっけんから
九きゅう州しゅう説せつ (北きた九きゅう州しゅう)中国ちゅうごくからの距きょ離り や出土しゅつど物ぶつから

大事だいじ: 邪馬台国やまたいこく がどこにあったかは、 100 年ねん以上いじょう議ぎ論ろん されていて、 まだ結論けつろん が出でていません。 「諸説しょせつあり」 と押おさえましょう。

弥生やよい時代じだい に中国ちゅうごくと関かかわりがあった証しょう拠こ

史し料りょうわかること
金印いん (「漢かん委い奴やっこ国王こくおう」)福ふく岡おか県けん志賀島しかのしまで発見はっけん。 1 世紀せいきに 倭やまと (わ。 当時とうじの日本にほん) の 奴国なこく が漢かんからもらったとされる
魏志倭人伝ぎしわじんでん卑弥呼ひみこ・邪馬台国やまたいこく の記述きじゅつがある

ポイント: 日本にほんに文字もじがなかった時代じだいのことは、 中国ちゅうごくの古ふるい史し料りょう から知しることができます。 つまり、 当時とうじの日本にほんは中国ちゅうごくと行いき来きがあったということです。

5. 古墳こふん時代じだい (300 〜 600 年ねんごろ、 大和朝廷やまとちょうてい)

古墳こふん時代じだい の特とく徴ちょう

項こう目もくくわしく
時じ期き約やく 300 年ねん 〜 約やく 600 年ねんごろ (約やく 300 年間ねんかん)
名前なまえの由ゆ来らい大おおきな 古墳こふん (王おうや豪ごう族ぞく の墓はか) が多おおく造つくられたから
政治せいじ大和朝廷やまとちょうてい が国くにをまとめ始はじめる

古墳こふんとは

古墳こふん は、 大王おおきみ (おおきみ。 天皇てんのうの古ふるい呼よび名な) や 豪族ごうぞく (ごうぞく。 地ち方ほう の有ゆう力りょく者) の墓はかです。

形かたちの種類しゅるいくわしく
前方後円墳ぜんぽうこうえんふん前まえが四角しかく + 後うしろが丸まるい (鍵かぎ穴あなの形かたち)。 大王おおきみ級
円えん墳ふん丸まるい形かたち
方墳ほうふん四角しかくい形かたち

古墳こふんが作つくられた理り由ゆう

理り由ゆうくわしく
① 権けん力りょく を示しめす大おおきい古墳こふんほど権けん力りょく が強つよい証しょう拠こ
② 死し後ごの世界せかいへの信しん仰こう死後しごも大切たいせつに葬ほうむられる
③ 副葬品ふくそうひん鏡かがみ・剣けん・玉たま・馬ば具ぐ などを一緒いっしょに埋葬まいそう
④ 埴輪はにわ古墳こふんのまわりに並ならべた焼やき物もの (人じん・動どう物ぶつ・家いえ)

大和やまと朝廷ちょうてい

大和朝廷やまとちょうてい は、 奈良なら盆地ぼんち (大和わ の国くに) を中心ちゅうしんに 大王おおきみ を中心ちゅうしんとした政治せいじ集団しゅうだん です。 4 世紀せいきごろから力ちからを強つよめ、 日本にほんの多おおくの地ち域いき をまとめていきました。

項こう目もくくわしく
中心ちゅうしん地ち大和やまと (今いまの 奈良なら県けん)
君くん主しゅ大王おおきみ (のちの 「天皇てんのう」)
仕つかえる人ひと豪族ごうぞく (蘇我そが氏し・物部ものべ氏しなど)
大陸たいりくとの関かん係けい朝ちょう鮮せん半はん島とう (百済くだら) や中国ちゅうごくと行いき来き
伝つたわったもの漢字かんじ・仏教ぶっきょう (6 世紀せいき)・須恵器すえき・鉄製てつせいの道どう具ぐ
前方後円墳の空撮
大仙古墳だいせんこふん (大阪おおさか府ふ堺さかい市し) — 5 世紀せいきごろの 前方後円墳ぜんぽうこうえんふん で、 全長ぜんちょう約やく 486 m と世界せかい最大さいだい級きゅう。 仁徳天皇にんとくてんのう の墓はかと伝つたえられるが諸説しょせつある。

6. 大仙だいせん古墳こふん (仁徳天皇陵にんとくてんのうりょう、 世界せかい最大さいだい級きゅう)

大仙だいせん古墳こふんとは

大仙古墳だいせんこふん は、 大阪おおさか府ふ堺さかい市しにある 日本にほん最大さいだいの 前方後円墳ぜんぽうこうえんふん です。 「仁徳天皇にんとくてんのう の墓はか」 と伝つたえられ、 「仁徳天皇陵にんとくてんのうりょう古墳こふん」 とも呼よばれます。

項こう目もくくわしく
全長ぜんちょう約やく 486 m (世界せかいでも最大さいだい級きゅうの墓はか)
形かたち前方後円墳ぜんぽうこうえんふん (鍵かぎ穴あなの形かたち)
高たかさ約やく 35 m (10 階かい建だてのビルと同おなじ)
周まわり3 重じゅうの堀ほり に囲かこまれる
造つくられた時期じき5 世紀せいきごろ

古墳こふんが大おおきいことの意味いみ

大仙古墳だいせんこふん は、 エジプトの クフ王おうのピラミッド や中国ちゅうごくの 秦しんの始皇帝しこうてい陵りょう と並ならんで 世界せかい三さん大だい墳墓ふんぼ とも呼よばれます。 この大おおきさは、 5 世紀せいきごろの 大和朝廷やまとちょうてい の力ちからがとても強つよかった ことを示しめしています。

比較ひかく大おおきさ
大仙古墳だいせんこふん (日本にほん)全長ぜんちょう 486 m
クフ王おうのピラミッド (エジプト)一いち辺へん 230 m
秦はたの始皇帝しこうてい陵りょう (中国ちゅうごく)一いち辺へん 350 m

諸説しょせつ — 本当ほんとうに仁徳天皇にんとくてんのうの墓はか?

「大仙古墳だいせんこふん = 仁徳天皇にんとくてんのう の墓はか」 と伝つたえられていますが、 正ただしくはまだ確認かくにんされていません。 宮内庁くないちょう が管かん理り していて 発はっ掘くつ調ちょう査さ ができない ためです。 教きょう科か 書しょ では 「大仙古墳だいせんこふん」 や 「大仙陵だいせんりょう古墳こふん」 と呼よぶことが増ふえています。

大事だいじ: 「仁徳天皇陵にんとくてんのうりょう」 の名前なまえが必かならず正ただしいとは限かぎらないことを知しっておきましょう。 古ふるい時代じだいの 「だれの墓はかか」 は 諸しょ説せつ ある ことが多おおいです。

百舌鳥もず・古市ふるいち古墳こふん群ぐん

大仙古墳だいせんこふん を含ふくむ大阪おおさか府ふの古墳こふん群ぐんは、 2019 年ねん に 「百舌鳥もず・古市ふるいち古墳こふん群ぐん」 として 世界せかい文化ぶんか遺産いさん に登録とうろくされました。

7. ふりかえり

この章しょうで学まなんだことをふりかえりましょう。

  • 縄文時代じょうもんじだい = 約やく 1 万まん 5 千せん年ねん前まえ 〜 紀き元げん前 300 年ねん、 狩しゅ猟りょう採さい集しゅう が言いえる
  • 縄文土器じょうもんどき は 縄なわの模も様よう・厚あつい・低温ていおん焼やき、 竪穴住居たてあなじゅうきょ に住すんだ
  • 三内丸山遺跡さんないまるやまいせき (青あお森もり) で縄文じょうもん人じんの大だいムラ・栗くり栽培さいばい・遠とお距きょ離り交こう流りゅう がわかった
  • 弥生時代やよいじだい = 紀き元げん前 300 年ねん 〜 紀き元げん後 300 年ねん、 稲作いなさく が大陸たいりくから伝つたわった
  • [ ]稲作いなさく が 食しょく料りょう安定あんてい・定てい住じゅう・貧富の差ひんぷのさ・争あらそい をもたらした
  • 弥生土器やよいどき は 薄うすい・硬かたい・高温こうおん焼やき、 高床倉庫たかゆかそうこ に米こめを保ほ存ぞん
  • 卑弥呼ひみこ は 邪馬台国やまたいこく の女王じょおう (3 世紀せいき)、 中国ちゅうごくの魏ぎへ使つかいを送おくった
  • [ ]邪馬台国やまたいこく の場所ばしょは 近畿きんき説せつと九きゅう州しゅう説せつ で諸しょ説せつ あり
  • 古墳時代こふんじだい = 300 〜 600 年ねん、 大王おおきみ と 大和朝廷やまとちょうてい が国くにをまとめ始はじめた
  • 前方後円墳ぜんぽうこうえんふん・埴輪はにわ・副葬品ふくそうひん が言いえる
  • 大仙古墳だいせんこふん は全長ぜんちょう 486 m、 世界せかい最大さいだい級きゅう。 「仁徳天皇陵にんとくてんのうりょう」 と伝つたわるが諸しょ説せつ あり

この章しょうの安全あんぜん配はい慮りょ (遺跡いせきでのマナー)

歴史れきし を学まなぶとき、 実際じっさいの 遺跡いせき や 古墳こふん を見学けんがくする機き会かい があります。 そのときのマナーです。

  • 遺跡いせき から物ものを持もち帰かえらない — 土器どきのかけら・石器せっき・貝殻かいがらなどは大切たいせつな史し料りょう。 持もち帰かえり禁止きんし
  • 柵しがらみ (さく) の内側うちがわに入はいらない — 古墳こふんや遺い跡せき の多おおくは立たち入いり禁止きんし区域くいきがある
  • 古墳こふんに登のぼらない — 宮内庁くないちょう が管かん理り する古墳こふんは神聖しんせいな場所ばしょ
  • 写真しゃしん撮影さつえいは決きめられた場所ばしょだけ — 撮影さつえい禁止きんし区域くいきを守まもる
  • 文化財ぶんかざい を傷きずつけない — 触さわらない・落書らくがきしない

大事だいじ: 「持もち帰かえりはダメでも、 道みちで拾ひろったものならいい?」 と思おもうかもしれません。 でも、 遺跡いせき周辺しゅうへんの物ものは 「文化財保護法ぶんかざいほごほう」 で保護ほごされていることがあります。 拾ひろった物ものは必かならず大人おとなや教育きょういく委員いいん会かいに連絡れんらくしましょう。

次じの章しょう: 第だい 5 章しょうでは、 文字もじが伝つたわり、 国くにのしくみが整ととのい始はじめる 飛鳥時代あすかじだい・奈良時代ならじだい・平安時代へいあんじだい を学まなびます。 聖徳太子しょうとくたいし の 十七条憲法じゅうしちじょうけんぽう、 平城京へいじょうきょう の大仏だいぶつ、 平安京へいあんきょう の 国風文化こくふうぶんか が主役しゅやくです。

この教材きょうざいは役やくに立たちましたか?