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社会しゃかい 6年生ねんせい

安土あづち桃山ももやま・江戸えど時代じだい

最終さいしゅう確認かくにん日び:

この章しょうで学まなぶこと

第だい 6 章しょうで学まなんだ 戦国時代せんごくじだい のあと、 日本ほん は 織田信長おだのぶなが・豊臣秀吉とよとみひでよし の手てによって統とう一いつ へと進すすみ、 やがて 徳川家康とくがわいえやす がひらいた 江戸幕府えどばくふ によって約やく 260 年ねんの平和へいわな時代じだいをむかえます。

  • 織田信長おだのぶなが と 豊臣秀吉とよとみひでよし による統とう一いつ の流ながれを知しる
  • 太閤検地たいこうけんち と 刀狩かたながり の意い味み を知しる
  • 徳川家康とくがわいえやす の 江戸幕府えどばくふ (1603) のしくみを知しる
  • 参勤交代さんきんこうたい と 鎖国さこく が江え戸ど時代じだいに果はたした役やく割わり を知しる
  • 元禄文化げんろくぶんか・化政文化かせいぶんか (浮世絵うきよえ・歌舞伎かぶき・俳句はいく) を知しる
  • 蘭学らんがく (杉田玄白すぎたげんぱく・伊能忠敬いのうただたか) の発はっ展てん を知しる
  • 黒船来航くろふねらいこう (1853) と 大政奉還たいせいほうかん (1867) で江え戸ど が終おわる流ながれを知しる

ポイント: 江え戸ど時代じだいは 約やく 260 年ねん も戦たたかいの少すくない時代じだいがつづきました。 これは世せ界かい 史し の中なかでもめずらしいことです。 「なぜ 260 年ねんも平へい和わ がつづいたのか」 を考えかんがえながら学まなびましょう。

1. 織田おだ信長のぶなが — 統一とういつへの道みちすじ

戦国時代せんごくじだい のさなか、 尾お張わり (今いまの愛あい知ち県けん) の戦国せんごく大名だいみょう 織田信長おだのぶなが が力ちからをつけ、 全ぜん国こく統とう一いつ への第一歩だいいっぽを 踏ふみ出だしました。

信長のぶながの主おもな戦たたかいと政せい策さく

年ねん出来事できごと内ない容よう
1560桶狭間の戦いおけはざまのたたかい駿する河がの大だい大名だいみょう今川いまがわを破やぶる
1573室町幕府むろまちばくふ をほろぼす足利あしかが 義よし昭あき を京きょう都と から 追おう
1575長篠の戦いながしののたたかい鉄砲てっぽう 隊たい で武たけ田だ軍を破やぶる
1576安土城あづちじょう を 築きずく滋し賀が県に 5 階かい建だての城しろ
1582本能寺の変ほんのうじのへん家け来らい の 明あけ智ち 光みつ秀ひで に京きょう都と でたおされる

信長のぶながの新あたらしい政せい策さく

政せい策さく内ない容よう
楽市楽座らくいちらくざ城下町じょうかまちでの商しょう売ばい を自じ由ゆう にして経済けい を活発かっぱつ化か
関せき所しょの 廃はい止し物ものがスムーズに動うごくように
キリスト教きりすときょうの 保ほ護ご仏ぶっ教きょう勢せい力りょく (一いっ向こう宗など) をおさえるため

大事だいじ: 織田信長おだのぶなが は統とう一いつ の一いち歩ほ手前てまえでたおされました。 完かん全ぜん な統とう一いつ は、 信のぶ長なが のあとを 継ついだ 豊臣秀吉とよとみひでよし が 1590 年ねんに 達たっ成せい します。

2. 豊臣とよとみ秀吉ひでよし — 全国ぜんこく統一とういつと二ふたつの大政たいせい策さく

本能寺の変ほんのうじのへん で信のぶ長なが がたおれたあと、 その家け来らい だった 豊臣秀吉とよとみひでよし がすばやく動うごいて信のぶ長なが のあとを 継つぎ、 1590 年ねんに 全ぜん国こく統とう一いつ を 達たっ成せい しました。

秀吉ひでよしの二ふたつの大政たいせい策さく

政せい策さく内ない容ようねらい
太閤検地たいこうけんち全ぜん国こく の田畑たはたの面積めんせき・取とれ 高だか を調しらべ、 帳ちょう簿ぼ に 記しるす年ねん貢ぐ を 確かく実じつ に取とる
刀狩かたながり (1588)農のう民みん から刀かたなや 鉄てっ砲ぽう を取とり上あげる一いっ揆き を防ふせぐ・武ぶ士しと 農のう民みんをはっきり分わける

兵へい農のう分ぶん離り

太閤検地たいこうけんち と 刀狩かたながり によって、 「戦たたかうのは武ぶ士し、 田畑たはたを 耕たがやすのは 農のう民みん」 という 区く別べつがはっきりしました。 これを 兵農分離へいのうぶんり と言いい、 このあとの江え戸ど時代じだいの身み分ぶん 制せい度どの元もとになります。

ポイント: 太閤検地たいこうけんち と 刀狩かたながり は、 戦せん国ごく の世よを終おわらせ、 江え戸ど時代じだいの平和へいわを用意よういした 重じゅう要ような政せい策さく です。

3. 徳川とくがわ家康いえやすと江戸えど幕府ばくふの成立せいりつ

秀吉ひでよしが死しんだあと、 全ぜん国こく の 大だい名みょう が二ふたつに分わかれて戦たたかったのが 関ヶ原の戦いせきがはらのたたかい (1600 年ねん) です。 この戦たたかいに勝かった 徳川家康とくがわいえやす が、 1603 年ねんに 征夷大将軍せいいたいしょうぐん になり、 江戸幕府えどばくふ をひらきました。

江戸えど幕府ばくふのしくみ

役やく職しょく役やく割わり
征夷大将軍せいいたいしょうぐん幕ばく府ふ のトップ (徳川氏とくがわし が 15 代だいつづく)
老中ろうじゅう将しょう軍ぐん を助たすける 最さい高こう の 役やく
奉行ぶぎょう江え戸ど・京きょう都と・大おお坂さか の町まちや寺社じしゃの 管かん理り

大だい名みょう の 分わけ方

徳川家康とくがわいえやす は全ぜん国こく の 大だい名みょう を 3 つに分わけ、 信しん頼らい の度たびに応おうじて 領りょう地ち を 配はい置ち しました。

大だい名みょう の 種しゅ類るい内ない容よう
親藩しんぱん徳とく川かわ一いち族ぞく (御ご三さん家いえ = 尾お張わり・紀き伊い・水み戸と)
譜代大名ふだいだいみょう関せきヶが原の戦たたかい 以い前ぜんからの 家け来らい
外様大名とざまだいみょう関せきヶが原のあとから従したがった 大だい名みょう (江え戸ど から遠とおい 場ば所しょ に 配はい置ち)

4. 参勤交代さんきんこうたいと鎖国さこく — 平和へいわを保たもつしくみ

江戸えど幕府ばくふが 260 年ねんもつづいた大おおきな理り由ゆう が、 参勤交代さんきんこうたい と 鎖国さこく です。

参勤交代さんきんこうたい (1635 年ねんごろせいど化か)

3 代将だいしょう軍ぐん 徳川家光とくがわいえみつ のときにせいど化かされました。 全ぜん国こく の 大だい名みょう は 1 年ねんごと に自じ分ぶん の 領りょう地ち と江え戸ど を行いき来きし、 妻つまと子こは江え戸ど にすまわせました。

ねらい効こう果か
大だい名みょう にお金かねを使つかわせる反はん乱らんをおこす力ちからを弱よわめる
妻子さいしを江え戸ど におく大だい名みょう が 反はん乱みだしにくい
行列ぎょうれつで道みちが 整ととのう五街かい道どう の 整せい備び が進すすむ

鎖国さこく (1639 年ねん完成かんせい)

3 代徳川家光とくがわいえみつ のときに完成かんせいしました。 「鎖国さこく」 とは、 外がい国こく とのつきあいを大おおきく 制せい限げん した政せい策さく です。

鎖さ国こく中なかでもつきあった国くに場しょ
オランダ長なが崎さき の 出で島じま
中ちゅう国ごく (清しん)長なが崎さき
朝ちょう鮮せん対つ馬しま (朝ちょう鮮せん 通つう信しん使し)
琉りゅう球きゅう (今いまの 沖おき縄なわ)薩さつ摩ま (鹿児ご島) を通つうじて
アイヌ松まつ前まえ (北ほっ海かい道どう)

大事だいじ: 「鎖国さこく」 と言いっても、 完全かんぜんに外がい国こく と切きれていたわけではありません。 オランダと中ちゅう国ごく からは 学がく問もん や物ものが入はいって来きており、 「選えらんだ国くにとだけつきあう」 政せい策さく と見みる方ほうが 正せい確かく です。 最さい近きん は 「鎖国さこく」 ではなく 「海禁かいきん政せい策さく」 と 呼よぶ 学がく者しゃ も多おおい (諸しょ説せつ あり)。

5. 江戸えどの町人ちょうにん文化ぶんか — 元禄げんろくと化か政せい

江え戸ど時代じだい中ちゅうごろには、 戦たたかいのない平和へいわがつづき、 商しょう人にん や 職しょく人にん (= 町人ちょうにん) が力ちからをつけました。 町人ちょうにんが 主しゅ役やくの文ぶん化か が二ふたつの 時じ期きに花開はなひらきました。

江戸時代の歌舞伎座を描いた浮世絵
浮世絵うきよえ — 江戸えど時代じだいに流行りゅうこうした多色たしょく刷ずりの木版もくはん画が。 庶民しょみんのくらし・歌舞伎かぶき・風景ふうけいを描えがき、 後ごにヨーロッパの印象派いんしょうはにも影響えいきょうを与あたえた。

元禄げんろく文化ぶんか (17 世せい紀き末のまつ、 大おお坂さか・京きょう都と)

分ぶん野や主おもな 人じん物ぶつ・作さく品ひん
俳句はいく松尾芭蕉まつお ばしょう ( 「奥おく の 細ほそ道みち」 )
人にん形ぎょう浄じょう瑠る璃り近松門左衛門ちかまつもんざえもん
浮世絵うきよえ (始はじまり)菱ひし川かわ 師も宣ろのぶ (見返みかえり美人びじん図ず)

化か政せい文化ぶんか (19 世せい紀き 初はじめ、 江え戸ど)

分ぶん野や主おもな 人じん物ぶつ・作さく品ひん
浮世絵うきよえ (風ふう景けい画が)葛飾北斎かつしかほくさい ( 「富ふ嶽がく 三さん十じゅう六ろっ景けい」 )、 歌川広重うたがわひろしげ ( 「東とう海かい道どう 五ご十じゅう三さん次つぎ」 )
川せん柳りゅう庶しょ民みん の笑わらい

ポイント: 浮世絵うきよえ はやがてヨーロッパにわたり、 ゴッホやモネなど 西せい洋よう の 画が家か に大おおきな 影えい響きょう をあたえました。 日本ほん の文ぶん化か が世せ界かい に 影えい響きょう した早はやい 例れい です。

6. 蘭学らんがくと黒船くろふね — 江戸えどの終おわり

鎖国さこく中なかでも、 オランダを通つうじてヨーロッパの 学がく問もん が入はいって来きており、 これを 蘭学らんがく と言いいました。

蘭学らんがくと 国こく学がく

学がく問もん主おもな 人じん物ぶつ・業ぎょう績せき
蘭学らんがく ( 西せい洋よう の 医い学がく・科か学がく )杉田玄白すぎたげんぱく らの 「解体新書かいたいしんしょ」 (1774)
蘭学らんがく ( 地ち図ず )伊能忠敬いのうただたか が全ぜん国こく を歩あるいて 正せい確かくな日本ほん 地ち図ず を作つくる
国学こくがく ( 日本ほん の 古こ典てん )本もと居おり 宣のり長なが ( 「古事記伝こじきでん」 )

黒船くろふね来航らいこう (1853 年ねん)

1853 年ねん、 アメリカ の ペリーぺりー が 4 せきの 黒船くろふね ( 蒸じょう気き船せん ) をひきいて 浦うら賀が (神か奈な川がわ県) に来きて、 開かい国こく を求もとめました。

翌よく年ねん (1854 年ねん)、 幕ばく府ふ は 日米和親条約にちべいわしんじょうやく を結むすんで 開かい国こく、 さらに 1858 年ねんには 日米修好通商条約にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく を結むすびました。 この 条じょう約やく は日本ほん にとって 不ふ平びょう等どう な 内ない容よう を含ふくんでおり、 後ごの 明めい治じ時代じだいで 改かい正せい に努つとめることになります。

大政奉還たいせいほうかん (1867 年ねん)

開かい国こく後、 国こく内ない では 「幕ばく府ふ をたおす」 「天てん皇のう を 中心ちゅうしん に新あたらしい国くにをつくる」 という動うごきが強つよまりました。 とくに 薩さつ摩ま (鹿児ご島)・長ちょう州しゅう (山やま口ぐち) を 中心ちゅうしん とした 倒とう幕ばく の動うごきが進すすみました。

1867 年ねん、 15 代将だいしょう軍ぐん 徳川慶喜とくがわよしのぶ が京きょう都と で 大政奉還たいせいほうかん ( 政せい権けん を 朝ちょう廷てい に返かえす ) を行おこない、 約やく 260 年ねんつづいた江え戸ど 幕ばく府ふ は終おわりました。

二条城の門の外観
二条城にじょうじょう (京都きょうと) — 1867 年ねん、 第だい 15 代将だいしょう軍ぐん徳川慶喜とくがわよしのぶ がここで 大政奉還たいせいほうかん を表明ひょうめい、 江戸えど幕府ばくふが終おわった場所ばしょ。

大事だいじ: 江え戸ど時代じだいが終おわった流ながれは、 「黒くろ船ふね の力ちからだけ」 ではありません。 「外がいからの 圧あつ力りょく (黒くろ船ふね)」 と 「内ないからの動うごき (倒とう幕ばく 運うん動どう)」 が重かさなった 結けっ果か です。 一ひとつの出来事できごとを 多面的ためんてき に見みる大切たいせつさが表あらわれた例れいです。

7. ふりかえり

この章しょうで学まなんだことをふりかえりましょう。

  • 織田信長おだのぶなが (長篠の戦いながしののたたかい・本能寺の変ほんのうじのへん) と 豊臣秀吉とよとみひでよし (太閤検地たいこうけんち・刀狩かたながり) の流ながれを言いえる
  • 徳川家康とくがわいえやす が 関ヶ原の戦いせきがはらのたたかい (1600) に勝かち、 江戸幕府えどばくふ (1603) をひらいたことを知しっている
  • 参勤交代さんきんこうたい と 鎖国さこく が江え戸ど の平和へいわを支ささえたことを説せつ明めい できる
  • 元禄文化げんろくぶんか・化政文化かせいぶんか (浮世絵うきよえ・歌舞伎かぶき・俳句はいく) を知しっている
  • 蘭学らんがく (杉田玄白すぎたげんぱく・伊能忠敬いのうただたか) と 黒船くろふね (ペリーぺりー・1853)・大政奉還たいせいほうかん (1867) の流ながれを言いえる

この章しょうの安全あんぜん配はい慮りょ

浮世絵うきよえ や 文化財ぶんかざい など、 江え戸ど時代じだいから残のこる大切たいせつな物ものを見学けんがくするときは、 次つぎのことを守まもりましょう。

  • 文化財ぶんかざい に 触さわらない — 古ふるい絵えや物ものは、 手ての油あぶらやあせでいたむことがある。 「見みるだけ」 で楽たのしむ
  • 写しゃ真しん はルールを守まもる — 多おおくの 美び術じゅつ館かん や 寺じ社しゃ でフラッシュ 撮さつ影えい は 禁きん止し。 浮世絵うきよえ は光ひかりで色いろがあせやすい
  • 城しろ や 城下町じょうかまち の 町まち並なみを大切たいせつに — 江え戸ど時代じだいの 町まち並なみが残のこる 場ば所しょ (高たか山やま・川かわ越ごえ など) では 、 観かん光こう 客きゃく のマナーが大切たいせつ
  • 文化財ぶんかざい の 修しゅう復ふく にはお金かねがかかる — 入にゅう場じょう料や 寄き付ふ が、 次つぎの 世せ代だい へ残のこす力ちからになる

大事だいじ: 私わたしたちの身みの周まわりに残のこる 浮世絵うきよえ・お寺てら・城しろ・町まち並なみは、 何なん百びゃく年も大切たいせつに守まもられてきた 結けっ果か、 今いま見みられる物ものです。 こわしてしまうと、 二度にどと元もとにはもどりません。

次じの章しょう: 第だい 8 章しょうでは、 大政奉還たいせいほうかん のあと、 日本ほん が 「明治維新めいじいしん」 と 呼よばれる大改かい革かく を行おこない、 近きん代だい国家こっか に生うまれ変かわる流ながれを学まなびます。

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