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社会しゃかい 6年生ねんせい

明治めいじ・大正たいしょう時代じだい

最終さいしゅう確認かくにん日び:

この章しょうで学まなぶこと

第だい 7 章しょうで学まなんだ 大政奉還たいせいほうかん (1867 年ねん) のあと、 日本ほん は約やく半はん世せい紀き (約やく 50 年ねん) の短みじかい間まに、 武ぶ士し の国くに から 近きん代だい国家こっか へと大おおきく変かわりました。 この章しょうでは、 その 変へん化か の流ながれを学まなびます。

  • 明治維新めいじいしん で行おこなわれた大改かい革かく (廃藩置県はいはんちけん・四民平等しみんびょうどう・徴兵令ちょうへいれい) を知しる
  • 文明開化ぶんめいかいか (鉄てつ道どう・電でん信しん・洋よう服ふく) で街まちがどう変かわったかを知しる
  • 大日本帝国憲法だいにっぽんていこくけんぽう (1889) と 帝国議会ていこくぎかい のせいりつを知しる
  • 日清戦争にっしんせんそう (1894) と 日露戦争にちろせんそう (1904) を知しる
  • 大正デモクラシーたいしょうでもくらしー (普通選挙ふつうせんきょ 運うん動どう) を知しる
  • 第一次世界大戦だいいちじせかいたいせん (1914-1918) と日本ほん の 関かかわりを知しる

ポイント: 明めい治じ時代じだい (1868-1912) と 大たい正しょう時代じだい (1912-1926) を合あわせて約やく 60 年ねん。 この短みじかい 期き間かん で日本ほん は 西せい洋よう に追おいつこうと 努ど力りょく しました。 「短みじかい 時じ間かん で急いそいだために起おきた良よいこと・悪わるいこと」 を 両りょう方ほう多面的ためんてき に見みましょう。

1. 明治維新めいじいしん — 国くにのしくみを一新いっしん

1868 年ねん、 京きょう都と で 「王政復古の大号令おうせいふっこのだいごうれい」 が出だされ、 天てん皇のう を 中心ちゅうしん とした新あたらしい 政せい府ふ (明めい治じ 政せい府ふ) ができました。 この大改かい革かく を 明治維新めいじいしん と言いいます。

五ご箇条かじょうの御ご誓文せいもん (1868 年ねん)

新しん 政せい府ふ の 方ほう針しん として、 五箇条の御誓文ごかじょうのごせいもん が出だされました。 「広ひろく 会かい議ぎ を開ひらいて物事ものごとを決きめる」 「身み分ぶん に 関かかわらずみんなが力ちからを合あわせる」 など、 新あたらしい国くにの 方ほう向こう を 示しめしました。

三みっつの大改かい革かく

改かい革かく年ねん内ない容よう
版籍奉還はんせきほうかん1869大だい名みょう が 領りょう地ち と 領りょう民みん を 朝ちょう廷てい (天てん皇のう) に返かえす
廃藩置県はいはんちけん1871全ぜん国こく の 藩はん をなくし、 県けんと府ふを置おく (今いまの都道府県とどうふけんの元もと)
徴兵令ちょうへいれい187320 才以い上じょう の男子だんしに 軍ぐん隊たい へ入はいる 義ぎ務む

四民しみん平等びょうどうと学制がくせい

改かい革かく内ない容よう
四民平等しみんびょうどう武ぶ士し・農のう民みん・町ちょう人にん といった 身み分ぶん の 区く別べつ をなくす (制せい度ど上じょう)
学制がくせい (1872)6 才以い上じょう の子こども 全ぜん員いん に 学がっ校こう へ通かようことを求もとめる
地租改正ちそかいせい (1873)土地とちの持もち主ぬしが お金かね で 税ぜい金きん を 払はらう (江え戸ど までは米べいで払はらっていた)

大事だいじ: 四民平等しみんびょうどう と言いっても、 すぐに 完かん全ぜん な 平びょう等どう が 実じつ現げん したわけではありません。 制せい度ど と 実じっ際さい の暮くらしには 差さ があったことも知しっておきましょう (諸しょ説せつ あり)。

2. 文明開化ぶんめいかいか — 街まちの風景ふうけいが変かわる

明めい治じ 政せい府ふ は 「殖産興業しょくさんこうぎょう」 (産さん業ぎょう を育そだてる) と 「富国強兵ふこくきょうへい」 (国こくを 富とませ 兵へい を強つよくする) を進すすめ、 西せい洋よう の物ものや 知ち識しき を急いそいで取とり入いれました。 この 文ぶん化か の大たい変へん化か を 文明開化ぶんめいかいか と言いいます。

街まちの新あたらしいもの

分ぶん野や新あたらしく入はいって来きたもの
交こう通つう鉄道てつどう (1872 年ねん新しん橋ばし — 横よこ浜はま)
通つう信しん電信でんしん・郵ゆう便びん (1871)
服ふく洋よう服ふく・帽ぼう子し・ブーツ
食しょく牛肉ぎゅうにく (すきやき)・パン・ビール
街まちレンガ造づくりの街まち・ガス灯とう
こよみ太陽暦たいようれき (1873、 それまでは 太陰暦たいいんれき)
教きょう育いく学がっ校こう・新しん聞ぶん

福沢諭吉ふくざわゆきちと学問がくもんのすゝめ

明めい治じ の 思し想そう家か 福沢諭吉ふくざわゆきち は 「学問のすゝめがくもんのすすめ」 を書かき、 「天てんは人ひとの上うえに人ひとを造つくらず」 と説といて、 学まなぶことの大切たいせつさを多おおくの人ひとに伝つたえました。 福ふく沢ざわ は後ごに 1 万まん円えん札さつの顔かおになりました (2024 年ねんまで)。

ポイント: 文明開化ぶんめいかいか は 都会とかい から始はじまり、 地ち方ほう へゆっくり広ひろがりました。 当とう時じ の人ひとにとって、 鉄てつ道どう や 洋よう服ふく は 「おどろきの 連れん続ぞく」 だったはずです。

大日本帝国憲法の文書
大日本帝国憲法だいにっぽんていこくけんぽう (1889 年ねん公布こうふ) — 明治めいじ政府せいふが作つくった日本にほん初はつの近代きんだい憲法けんぽう。 天皇てんのう が主権しゅけん者しゃで、 国民こくみんは 「臣民しんみん」。 1947 年ねんの現行げんこう日本国憲法にほんこくけんぽう に引ひき継つがれた。

3. 大日本帝国憲法だいにっぽんていこくけんぽうと帝国ていこく議会ぎかい (1889-1890)

明めい治じ 政せい府ふ ができたあと、 「国こく民みん の声こえを 政治せいじ に 反はん映えい させる」 動うごきが広ひろがりました。 これを 自由民権運動じゆうみんけんうんどう と言いい、 板垣退助いたがきたいすけ や大隈おおくま重信しげのぶが 中心ちゅうしん となりました。

大日本帝国憲法だいにっぽんていこくけんぽうのせいりつ (1889 年ねん)

伊藤博文いとうひろぶみ がヨーロッパで学まなび、 ドイツの 憲けん法ぽう を 参さん考こう に 大日本帝国憲法だいにっぽんていこくけんぽう が作つくられ、 1889 年ねん 2 月つき 11 日ひに 発はっ布ぷ されました。

大日本帝国憲法だいにっぽんていこくけんぽうの 特とく色しょく

特とく色しょく内ない容よう
天てん皇のう 中心ちゅうしん主しゅ権けん は 天てん皇のう、 軍ぐん隊たい や 外がい交こう も 天てん皇のう の名なで行おこなう
帝国議会ていこくぎかい衆しゅう議ぎ院いん と 貴き族ぞく院いん の二院にいん制せい
国こく民みん = 「臣しん民みん」自じ由ゆう や 権けん利り はあるが 「法ほう律りつ の 範はん囲い で」 と 制せい限げん あり
選せん挙きょ 権けん25 才以い上じょう の 男だん子し で、 一いっ定てい以い上じょう の 税ぜい金きん を払はらう人ひと (= 全ぜん人じん口こうの 1 % ぐらい)

今いまの 日本国憲法にほんこくけんぽう とのちがい

比ひ較かく大日本帝国憲法だいにっぽんていこくけんぽう (1889)日本国憲法にほんこくけんぽう (1947)
主しゅ権けん天てん皇のう国こく民みん
軍ぐん隊たいあり (天てん皇のう の 軍ぐん隊たい)なし (平和主義へいわしゅぎ)
国こく民みん の 権けん利り法ほう律りつ の 範はん囲い で基本的人権の尊重きほんてきじんけんのそんちょう

大事だいじ: 大日本帝国憲法だいにっぽんていこくけんぽう はアジアで初はじめての 近きん代だい 憲けん法ぽう として大おおきな 意い味み がありました。 一方いっぽうで 「天てん皇のう 中心ちゅうしん」 であり、 今いまの 国民主権こくみんしゅけん とはちがうこともおさえましょう。

4. 日清戦争にっしんせんそうと日にち露ろ戦争せんそう

明めい治じ の中なかごろ、 日本ほん は二ふたつの大おおきな 戦せん争そう を行おこないました。

日清戦争にっしんせんそう (1894-1895)

朝ちょう鮮せん 半はん島とう をめぐって、 日本ほん と 清しん (中ちゅう国ごく) が戦たたかった 戦せん争そう です。 日本ほん が勝かち、 下関条約しものせきじょうやく で 台たい湾わん などを受うけ取とりました。 しかしロシア・ドイツ・フランスから 「三国干渉さんごくかんしょう」 を受うけ、 一部いちぶの 領りょう土ど を 返へん還かん しました。

日にち露ろ戦争せんそう (1904-1905)

朝ちょう鮮せん 半はん島とう と 満まん州しゅう (中ちゅう国ごく北東ほくとう部ぶ) をめぐって、 日本ほん と ロシア が戦たたかった 戦せん争そう です。 多おおくの命いのちとお金かねが失うしなわれましたが、 日本ほん が勝かち、 ポーツマス条約ぽーつますじょうやく が結むすばれました。 この 戦せん争そう で日本ほん はアジアで大おおきな力ちからを持もつ国くにとみなされるようになりました。

戦せん争そう年ねん相あい手て結けっ果か
日清戦争にっしんせんそう1894-1895清しん (中ちゅう国ごく)日本ほん が勝かち、 下関条約しものせきじょうやく で 台たい湾わん など
日露戦争にちろせんそう1904-1905ロシア日本ほん が勝かち、 ポーツマス条約ぽーつますじょうやく で 樺から太ふと南みなみ半はん など

大事だいじ: 日清戦争にっしんせんそう と 日露戦争にちろせんそう は日本ほん が勝かったと 教きょう科か書しょ には書かかれますが、 戦せん争そう には 多おおくの命いのちが失うしなわれます。 戦たたかった 相あい手て の国くにでも、 日本ほん でも、 戦場せんじょうや街まちで人ひとが苦くるしみました。 「勝かった」 「負まけた」 だけで終おわらせず、 戦せん争そう そのものの重おもさを考かんがえることが大切たいせつです。

日にち清きよし・日にち露ろのあと

日露戦争にちろせんそう のあと、 1910 年ねんに日本ほん は 韓かん国こく 併へい合ごう を行おこない、 朝ちょう鮮せん 半はん島とう を 統とう治ち しました (1945 年ねんまで)。 このことは後ごの日本ほん と 朝ちょう鮮せん 半はん島とう の国々くにぐにとの 関かん係けい に大おおきな 影えい響きょう を残のこしました。

5. 大正たいしょうデモクラシーと第だい一いち次じ世界せかい大戦たいせん

明めい治じ が終おわり、 1912 年ねんから 大たい正しょう時代じだい が始はじまりました (1912-1926)。 短みじかい時代じだいですが、 国こく民みん の声こえが 政治せいじ に届とどく動うごきが広ひろがりました。

大正たいしょうデモクラシー

「大正デモクラシーたいしょうでもくらしー」 とは、 大たい正しょう時代じだいに広ひろがった 民みん主しゅ 主しゅ義ぎ の動うごき です。 中心ちゅうしん となった動うごきは次つぎのものです。

動うごき内ない容よう
普通選挙ふつうせんきょ 運うん動どう税ぜい金きん の 額がく にかかわらずみんなが 投とう票ひょう できるように
女じょ性せい の 地ち位い 向こう上じょう平ひら塚つか らいてうらが 「青鞜社せいとうしゃ」 を 結けっ成せい
米騒動こめそうどう (1918)米べいの 値ね段だん が急きゅうに上あがり、 全ぜん国こく で起おきた 暴ぼう動どう

1925 年ねん、 ようやく 普通選挙法ふつうせんきょほう が成立せいりつし、 25 才以い上じょう の 男だん子し 全ぜん員いん が 投とう票ひょう できるようになりました (女じょ性せい の 投とう票ひょう 権けん は 1945 年ねんまで待まつことになります)。

第だい一いち次じ世界せかい大戦たいせん (1914-1918)

ヨーロッパで 1914 年ねんに 第一次世界大戦だいいちじせかいたいせん が始はじまりました。 日本ほん はヨーロッパの 同どう盟めい (日にち英えい同どう盟めい) に 基もとづき 参さん戦せん しました。

戦せん争そう中、 ヨーロッパからの商品しょうひんが入はいって来こなくなったため、 日本ほん の 工こう業ぎょう が 急きゅう 成せい長ちょう し、 「大戦景気たいせんけいき」 と 呼よばれる 好こう景けい気き が起おきました。 一方いっぽう、 戦せん争そう が終おわると不ふ景けい気き となり、 米騒動こめそうどう などの 社しゃ会かい 問もん題だい が起おきました。

戦せん争そう のあと、 平和へいわを守まもるための 国こく際さい 機き関かん 国際連盟こくさいれんめい が 1920 年ねんにでき、 日本ほん も 加か盟めい しました (新渡戸稲造にとべいなぞう が 事じ務む 局きょく 次じ長ちょう)。

ポイント: 大たい正しょう時代じだいは 「短みじかい 民みん主しゅ 主しゅ義ぎ の春はる」 と言いわれます。 このあと第だい 9 章しょうで学まなぶ 昭しょう和わ の 戦せん争そう の時代じだいへと進すすむことになります。

6. ふりかえり

この章しょうで学まなんだことをふりかえりましょう。

  • 明治維新めいじいしん (廃藩置県はいはんちけん・四民平等しみんびょうどう・徴兵令ちょうへいれい) の 内ない容よう を言いえる
  • 文明開化ぶんめいかいか で街まちが変かわった (鉄てつ道どう・電でん信しん・洋よう服ふく) ことを言いえる
  • 大日本帝国憲法だいにっぽんていこくけんぽう (1889) と今いまの 日本国憲法にほんこくけんぽう のちがいを 説せつ明めい できる
  • 日清戦争にっしんせんそう (1894)・日露戦争にちろせんそう (1904) の流ながれを知しっている
  • 大正デモクラシーたいしょうでもくらしー・普通選挙法ふつうせんきょほう (1925) を言いえる
  • 第一次世界大戦だいいちじせかいたいせん (1914-1918) と日本ほん の 関かかわりを知しっている

この章しょうの安全あんぜん配はい慮りょ

明めい治じ の 建たて造ぞう物ぶつ (レンガ造づくりの駅えき・銀ぎん行こう・学がっ校こう・工こう場じょう) は 全ぜん国こく に残のこっています。 これらを大切たいせつにする心こころを持もちましょう。

  • 明めい治じ の 建たて造ぞう物ぶつ に 落らく書がきしない — 1 度どついた傷きずや文字もじはなかなか消きえない
  • 見学けんがく中ちゅうは走はしらない — 古ふるい床とこや 階かい段だん はすべりやすく、 こわれやすい
  • 写真しゃしんを 撮とる時ときはルールを守まもる — 三さん脚きゃく やフラッシュが 禁きん止し の 場ば所しょ がある
  • 戦争せんそう関かん連れん の 場ば所しょ は静しずかに見学けんがく — 日ろ露せん 戦そう の戦死せんし者しゃをまつる 神じん社じゃ、 朝ちょう鮮せん 半はん島とう との 関かん係けい を伝つたえる 場ば所しょ などは、 多おおくの国くにや人ひとの思おもいが重かさなる 場ば所しょ

大事だいじ: 明めい治じ・大たい正しょう の時代じだいは日本ほん が急いそいで 近きん代だい化かを進すすめた時代じだいです。 その中なかには 「良よいこと」 (学がっ校こう・鉄てつ道どう・憲けん法ぽう) も 「つらいこと」 (戦せん争そう・植しょく民みん 地ち 統とう治ち) もありました。 両りょう方ほうを見みつめることが、 多面的ためんてき な 歴し史し の学まなび方かたです。

次じの章しょう: 第だい 9 章しょうでは、 大たい正しょう から 昭しょう和わ へと移うつり、 日本ほん が第だい二に次じ世せ界かい 大たい戦せん と戦後せんごの復興ふっこうを経験けいけんし、 今いまの私わたしたちの暮くらしにつながる時代じだいを学まなびます。

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