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第 5 章で学んだ平安時代の終わりごろ、 都では貴族 が力を 失い、 かわって 武士 が政治 の中心 になっていきます。 この章では、 およそ 400 年つづく 「武士 の時代」 のはじまり 〜 戦国 の終わりまでを学びます。
ポイント: 鎌倉・室町・戦国の 3 つの時代は、 どれも 武士 が主役 です。 でもそれぞれの時代で武士 の立場 やくらしはちがっていきます。 「武士 がどう力をつけ、 どう争ったか」 を流れでつかみましょう。
平安時代の終わりごろ、 都では 平氏 (平清盛 を中心 とする一族) が大きな力をにぎりました。 しかしやがて平氏 に反対 する武士 が各地 で立ち上がり、 源頼朝 らの 源氏 が平氏 を 倒します (1185 年ごろ、 壇ノ浦の戦い)。
源頼朝 は都 (京都) ではなく、 東国 の 鎌倉 (今の神奈川県) に政治 の中心 をおきました。
| 鎌倉をえらんだ理由 | くわしく |
|---|---|
| 三方を山にかこまれている | 攻めにくく、 守りやすい |
| 南が海 | 物を運ぶのが楽 |
| 都から遠い | 貴族 の影響 を受けにくい |
| 関東 の武士 が多い | 味方 が多い |
源頼朝 は 1192 年に 征夷大将軍 に任命されました。 これが 「いい国 (1192) つくろう鎌倉幕府」 の語呂 あわせで有名 です。
ただし最近 の研究 では、 「1185 年」 (頼朝が全国 に 守護・地頭 を置く権利 を得た年) を 鎌倉幕府 のはじまりとする考え方が主流 です。
大事: 教科書によって 「鎌倉幕府のせいりつは 1192 年」 と書かれているものと 「1185 年」 と書かれているものがあります。 どちらが正しいと一概 には言えません。 「諸説 あり」 を知っておきましょう。
| 役職 | 役割 |
|---|---|
| 征夷大将軍 | 幕府 のトップ (源頼朝 が最初) |
| 執権 | 将軍 を助ける役 (頼朝の死後は 北条氏 が世襲) |
| 守護 | 国ごとに置かれ、 警察 や軍事 を担当 |
| 地頭 | 荘園 や公領 に置かれ、 年貢 の取り立てを担当 |
鎌倉幕府 を支えたのは 御恩と奉公 という、 将軍 と武士 のあいだの約束 です。
| ことば | 意味 |
|---|---|
| 御恩 | 将軍 が武士 に 土地 を守る ことや 新しい土地 をあたえる こと |
| 奉公 | 武士 が将軍 のために 戦う ことや 京都・鎌倉を守る こと |
将軍 と 御恩と奉公 でつながった武士 を 「御家人」 と言いました。 御家人 は自分 の土地 を命がけで守る (= 「一所けんめい」 = 一生けんめいの語源) 武士 でした。
ポイント: 御恩と奉公 は、 平安時代までの 「貴族 が土地 を持つ」 しくみとはちがいます。 武士 は 戦うことの見返りに土地 をもらう という、 新しい 主従関係 を作りました。
13 世紀 (1200 年代) の後半、 中国大陸 で モンゴル が大きな国 (= 元) を作り、 ヨーロッパの入り口まで広範囲 を支配 しました。 元 の 5 代皇帝 フビライ・ハン は、 日本 にも服従 を求めてきました。
鎌倉幕府 の 執権 北条時宗 はこの求めを 拒んだため、 元 は 2 度にわたり日本 に 攻めて来ました。 この戦いを 元寇 と言います。
| 年 | 名前 | 主な戦場 |
|---|---|---|
| 1274 年 | 文永の役 | 北九州 (博多 わん) |
| 1281 年 | 弘安の役 | 北九州 (博多 わん) |
| 理由 | くわしく |
|---|---|
| 御家人 の必死 の戦い | 集団戦法 や 「てつはう」 (火薬の武器) に苦戦 しながらも戦った |
| 防塁 (石の壁) を作った | 1 度目の後、 北九州の海岸 に石垣 を 築いた |
| 暴風雨 | 2 度とも日本 に強い風が 吹き、 元 の船が大きな被害 を受けた (後に 「神風」 と 呼ばれた) |
御家人 たちは戦いに勝ったのに、 新しい土地 を得られませんでした (相手 が外国 なので取れる土地 がない)。 このため 御恩と奉公 の仕組みがくずれ、 鎌倉幕府 への不満 が広がり、 やがて 1333 年に幕府 はほろびました。
大事: 元寇 を 「神風 のおかげで勝った」 とだけ言うのは一面的 です。 御家人 たちの戦い、 防塁 の工夫、 そして暴風雨 が重なった結果 と見るのが 多面的 な見方です。
鎌倉幕府がほろんだあと、 足利尊氏 が 1338 年に 室町幕府 をひらきました。 政治 の中心 はふたたび 京都 にもどりました。
| 役職 | 役割 |
|---|---|
| 征夷大将軍 | 幕府 のトップ (足利氏 が世襲) |
| 管領 | 将軍 を助ける役 (鎌倉の 執権 にあたる) |
| 守護大名 | 各地 の 守護 が力をつけ、 大きな領主 になった |
室町時代 には、 将軍 が 建てた二つの有名 な建物 があります。
| 建物 | 建てた将軍 | 場所 | 文化 |
|---|---|---|---|
| 金閣 (鹿苑寺) | 3 代足利義満 | 京都北部 | 北山文化 (1390 年代、 貴族 と武士 の文化 がまじる) |
| 銀閣 (慈照寺) | 8 代足利義政 | 京都東部 | 東山文化 (1480 年代、 簡素 で落ち着いた美しさ) |
銀閣 のそばには、 たたみ・しょうじ・ふすま・床の間を持つ 書院造 という部屋 が作られました。 これは今の日本 の和室 の元になっています。
| 文化 | くわしく |
|---|---|
| 能 | 観阿弥・世阿弥父子 が大成。 仮面 をつけて舞う演劇 |
| 狂言 | 能 と一緒 に演じられる、 こっけいな 劇 |
| 茶の湯 | 茶を楽しむ作法。 後に 千利休 が大成 |
| 水墨画 | 墨だけでかく絵 (雪舟 が有名) |
| 生け花 | 花を美しくいける文化 |
ポイント: 室町文化 の多くは 今の日本 の 「和」 の原型 になっています。 和室・茶道・能・生け花 など、 私たちが 「日本 らしい」 と 感じるものの多くがこの時代に生まれました。
8 代将軍 足利義政 のあとつぎをめぐって、 1467 年に 応仁の乱 がおこりました。 京都 を主戦場 に 11 年つづいた戦いで、 京都 の多くの寺や町が 焼けました。
応仁の乱 のあと、 室町幕府 の力は大きく弱まり、 各地 で 「力が強いものが上に立つ」 という動きが広がりました。 これを 「下克上」 と言います。
下克上 で各地 に 現れた大きな領主 を 「戦国大名」 と 呼び、 戦国大名 たちが領地 をめぐって争った約 100 年間を 戦国時代 と言います。
| 地方 | 戦国大名 | 知られたこと |
|---|---|---|
| 関東 | 北条氏 | 小田原を中心 に関東 を支配 |
| 中部 | 武田氏 | 甲斐 (山梨) を中心 |
| 中部 | 上杉氏 | 越後 (新潟) を中心 |
| 中国 | 毛利氏 | 中国地方 を統一 |
| 東北 | 伊達氏 | 東北を中心 に力をつけた |
大事: 戦国大名 たちは、 領地 を守るために城を 築き、 家臣 を育て、 城下町 をつくりました。 今でも残る城や 城下町 の多くはこの時代のものです。
戦国時代 の中ごろ、 ヨーロッパから海をこえて大きな変化 がもたらされました。
1543 年、 中国 の船に乗っていた ポルトガル人 が種子島 (鹿児島県) に流れつき、 鉄砲 (火縄 銃) が日本 に伝わりました。
鉄砲 はすぐに国内 でも作られるようになり、 戦いのやり方が大きくかわりました。 鉄砲 を大量に使った 戦 として、 1575 年の 長篠の戦い (織田信長 が武田軍を 破る) が有名 です。
1549 年、 スペイン人の フランシスコ・ザビエル が鹿児島に来て、 日本 に キリスト教 を伝えました。 ザビエルは山口 や京都 でも 布教をしました。
| 伝来 | 年 | 場所 | 影響 |
|---|---|---|---|
| 鉄砲 | 1543 | 種子島 (鹿児島) | 戦いの方法 が変わった |
| キリスト教 | 1549 | 鹿児島 | 西日本 を中心 に信者 が広がった |
ポイント: 鉄砲 とキリスト教の伝来 で、 日本 はヨーロッパとつながり始めました。 この流れが、 次の章で学ぶ 織田信長 による全国統一 へとつながります。
この章で学んだことをふりかえりましょう。
歴史 を学ぶために、 城や古戦場 など歴史 の場所 を 訪ねることもあります。 そのときは次のことを守りましょう。
大事: 歴史 の出来事 は、 そこに生きた人たちがいたからこそあります。 「武士 = かっこいい」 だけでなく、 戦いで命を落とした人や家族 の気持ちも想像 することが、 多面的 な見方です。
次の章: 第 7 章では、 戦国 の世を終わらせた 織田信長・豊臣秀吉 と、 約 260 年つづく 江戸幕府 (徳川家康) の時代を学びます。