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漢文

史伝しでん史記しき十八史略じゅうはっしりゃくめい場面ばめん

最終確認日:

はじめに

中国ちゅうごく歴史れきししょ紀伝きでんたい帝王ていおう本紀ほんぎ個人こじん列伝れつでん構成こうせい) と 編年体へんねんたい年代ねんだいじゅん出来事できごとならべる) に大別たいべつされます。 高校こうこう漢文かんぶんあつか史伝しでん中心ちゅうしん司馬しば遷 『史記しき と、 中国ちゅうごく入門にゅうもんしょとしての さき十八史略じゅうはっしりゃく です。

このしょうでできるようになること:

  • 史記しき』 と 『十八史略じゅうはっしりゃく』 の成立せいりつ体裁ていさい説明せつめいできる
  • 紀伝きでんたい構成こうせい理解りかいする
  • おおとりもんかい」「四面楚歌しめんそか」「刎頸のまじわり」「臥薪嘗胆がしんしょうたん」 のめい場面ばめんける

1. 史記しき十八史略じゅうはっしりゃく

書名しょめい著者ちょしゃ成立せいりつ体裁ていさい
史記しき司馬遷しばせん前漢ぜんかんまえ 91 年頃としごろ紀伝きでんたい 130 まき
十八史略じゅうはっしりゃく曾先之そうせんしもと(13 世紀せいきまつ編年体へんねんたい入門にゅうもんしょ

史記しき』 は中国ちゅうごく最初さいしょ紀伝きでんたい通史つうしで、 「本紀ほんぎ帝王ていおう)・ひょう年表ねんぴょう)・しょ制度せいど)・せい諸侯しょこう)・列伝れつでん個人こじん)」 の 5 からなる。 正史せいし 24 模範もはんとなった。

十八史略じゅうはっしりゃく』 はもとだい学者がくしゃさきこれが 18 の正史せいし簡略かんりゃくしてんだ史書ししょ入門にゅうもんしょ日本にほんでも江戸えど時代じだいから漢文かんぶん教科書きょうかしょとしてひろもちいられた。

2. おおとりもんかい史記しき項羽こうう本紀ほんぎ

しん滅亡めつぼう項羽こうう劉邦りゅうほう天下てんかあらそった時期じきめい場面ばめん項羽こううの陣鴻門こうもん劉邦りゅうほうころされそうになる緊迫きんぱく宴会えんかいえがく。

だん内容ないよう
白文はくぶん抜粋ばっすいおおやけだんひゃく来見くるみこうおういたりおおとりもんしゃ曰、しんあずか将軍しょうぐんりょくおさむしん
書き下し文かきくだしぶんおおやけだんひゃくを従へたりてこうおうえ、おおとりもんいたり、しゃして曰はく、しん将軍しょうぐんちからを戮はせてはたおさむむ。
現代げんだいやくおおやけ劉邦りゅうほう) は翌朝よくあさひゃくしたがえてこうおういにき、 おおとりもん到着とうちゃくし、 びてった。 「わたし将軍しょうぐんちからわせてはためました」。

出典しゅってん: 史記しき項羽こうう本紀ほんぎ。 こののち范増はんぞう剣舞けんぶもちいて劉邦りゅうほう暗殺あんさつくわだてるが、 樊噲はんかい項伯こうはく機転きてん劉邦りゅうほう危機ききだっする。

3. 四面楚歌しめんそか史記しき項羽こうう本紀ほんぎ

だん内容ないよう
白文はくぶんこうおうぐんかべへいしょう食尽しょくじんかんぐん諸侯しょこうへいすうじゅうよるかんぐんよんめんみな楚歌そかこうおうだいおどろき曰、かんみなとくすわえ乎。なんすわえじん也。
書き下し文かきくだしぶんこうおうぐんかべす。へいすくなくしょくき、かんぐんおよ諸侯しょこうへいこれかこむことすうじゅうよるかんぐん四面しめんかい楚歌そかするをく。こうおうすなわおおいにおどろきて曰はく、かんみなすですわえたるか。すわえじんおおきや、と。
現代げんだいやくこうおうぐん垓下がいかてこもった。 へいすくなく食料しょくりょうき、 かんぐん諸侯しょこうへいなんじゅうにも包囲ほういした。 よるかんぐん四方しほうすわえうたうたうのがこえた。 こうおうおおいにおどろいてった。 「かんはすでにすわえ平定へいていしたのか。 なぜこんなにすわえひとおおいのか」。

出典しゅってん: 史記しき項羽こうう本紀ほんぎ。 「四面楚歌しめんそか」 の成語せいご出典しゅってん項羽こううはこののち愛妾あいしょう虞美人ぐびじんわかれのんだとされる。

4. 刎頸のまじわり — 史記しきれんしょう列伝れつでん

だん内容ないよう
書き下し文かきくだしぶん要旨ようしれんしょう如と歓をあわし、刎頸の交はりをす。
現代げんだいやく廉頗れんぱ藺相如りんしょうじょしたしくまじわり、 たがいにくびを刎ねられてもいないほどの友情ゆうじょうむすんだ。

出典しゅってん: 史記しき廉頗しょう列伝れつでんちょう将軍しょうぐんれん頗は文官ぶんかんしょう如が自分じぶんより上位じょういてられたことをねたんだが、 しょう如が 「わたしかど頗とあらそえばくにあやうくなる」 とつづけたのをり、 れん頗はみずか上半身じょうはんしんいでいばら背負せおい、 謝罪しゃざいして親友しんゆうとなった故事こじ荊請ざい)。 「刎頸の交わりふんけいのまじわり」 = いのちあづ友情ゆうじょう出典しゅってん

5. 臥薪嘗胆がしんしょうたん十八史略じゅうはっしりゃく

えつ抗争こうそうえがいた有名ゆうめい故事こじ

だん内容ないよう
書き下し文かきくだしぶん要旨ようし 1)おっとくれつかまつへ、たきぎしてきもあおぎてこれを嘗む。
現代げんだいやく 1の王夫差ふさ は父闔閭こうりょあだわすれないため、 たきぎうえ復讐ふくしゅうしんやし、 にがきもめた。
書き下し文かきくだしぶん要旨ようし 2)えつかえり、きも坐臥ざがつねあおぎ嘗む。
現代げんだいやく 2えつの王句践こうせん一度いちど屈服くっぷくしたのち帰国きこくし、 きも寝起ねおきごとにめ、 復讐ふくしゅうちかつづけた。

出典しゅってん: 十八史略じゅうはっしりゃく春秋しゅんじゅう戦国せんごくえつなが苦労くろうかさ目的もくてきたっしようとする故事こじが 「臥薪嘗胆がしんしょうたん」。

6. 漁夫ぎょふ戦国せんごくさく十八史略じゅうはっしりゃくにも

だい 7 しょうれた 「漁夫ぎょふ」 は、 ちょうつばめめようとしたさい蘇代そだいちょうおうに 「はた漁夫ぎょふとして我々われわれあさる」 と警告けいこくした文脈ぶんみゃく引用いんようされる。

7. 紀伝きでんたいかた

紀伝きでんたいさい注目ちゅうもくてん:

観点かんてんれい
登場とうじょう人物じんぶつ立場たちば心情しんじょう項羽こうう自尊じそん劉邦りゅうほう機略きりゃく
直接ちょくせつ引用いんようぶん区別くべつ「曰」「たい曰」 で引用いんようはじまる
史家しかひょう列伝れつでん末尾まつびの 「ふとしおおやけ曰」
時代じだい背景はいけい春秋しゅんじゅう戦国せんごくはたまつ前漢ぜんかんとう

注意ちゅうい:司馬しば遷はかん武帝ぶていき、 李陵りりょう弁護べんご宮刑きゅうけいけた苦難くなん史記しき完成かんせいさせた。 巻末かんまつの 「ふとしおおやけ曰」 には司馬しば遷の史観しかんあらわれ、 史伝しでん重要じゅうようしょです。

前漢の歴史家司馬遷の古典肖像画
司馬遷しばせん (前漢ぜんかん BC145ごろ〜BC86ごろ)。 かん武帝ぶていつかえたふとしれいで、 ちち司馬談しばだん遺志いしいで 130 まきやく 52 万字まんじ史記しき完成かんせい させた。 李陵りりょう弁護べんご宮刑きゅうけいけながらも著述ちょじゅつつらぬいた姿勢しせいは、 後世こうせい発憤はっぷん著書ちょしょ」 とばれ史伝しでん文学ぶんがく原点げんてんとされている。

8. しょうまつまとめ

  • 史記しき = 司馬しば遷の紀伝きでんたい通史つうし正史せいし模範もはん
  • 十八史略じゅうはっしりゃく = 曾さきこれへん簡略かんりゃく中国ちゅうごく通史つうし
  • おおとりもんかい四面楚歌しめんそか = 項羽こうう vs 劉邦りゅうほう
  • 刎頸のまじわり = れん頗としょう如の友情ゆうじょう
  • 臥薪嘗胆がしんしょうたん = くれおうおっとえつおう践の復讐ふくしゅうたん

しょうでは漢詩かんしまなびます。

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がくしゅうロードマップ(10けん
  1. 1漢文かんぶん入門にゅうもん訓読くんどくかえてんおく仮名かなのしくみ
  2. 2おく仮名かな書き下し文かきくだしぶん表記ひょうき作法さほう
  3. 3再読さいどく文字もじ体系たいけい
  4. 4いな定形ていけい・莫・・勿の使つか
  5. 5疑問ぎもんけいはん語形ごけいなにだれやす・乎・哉
  6. 6受身うけみ使役しえき比較ひかく構文こうぶん三本みもとはしら
  7. 7故事こじ成語せいご漢文かんぶんからまれたことわざ
  8. 8思想しそう諸子百家しょしひゃっか論語ろんご孟子もうし荘子そうし老子ろうし韓非子かんぴし
  9. 9史伝しでん史記しき十八史略じゅうはっしりゃくめい場面ばめん
  10. 10漢詩かんし絶句ぜっく律詩りっし唐詩とうし名作めいさく