用語集
弘安の役こうあんのえき
1281 年、 元寇 の 2 回目。 ふたたび せめて きた 元軍 を 暴風雨 など で しりぞけた。
1281 年、 元寇 の 2 回目。 ふたたび せめて きた 元軍 を 暴風雨 など で しりぞけた。
「弘安の役」 は 1281 年、 元寇 (元 の 襲来) の 2 回目 と して、 元 (モンゴル) の 大軍 が ふたたび 北九州 に せめて きた できごと です。 1 回目 の 文永の役 の あと に 起こり ました。
| 元寇 の 二度 の 襲来 | 年 |
|---|---|
| 文永の役 (1 回目) | 1274 年 |
| 弘安の役 (2 回目) | 1281 年 |
このとき 日本側 は 海岸 に 防塁 (石 の [かべ]) を きずいて 備え、 さらに 暴風雨 (大きな 台風) も あって、 元軍 は しりぞき ました。
テストでは 「1281 年・元寇 の 2 回目」、 防塁 や 暴風雨 で 元軍 を しりぞけた点がねらわ れ ます。
弘安の役は、1281年に起こった元寇の二度目の戦いで、元(中国)が再び大軍で北部九州に攻め寄せましたが、退けられました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 年 | 1281年 |
| 日本側の備え | 博多湾沿いの石塁(防壁)・御家人の奮戦 |
| 元軍の最期 | 暴風雨で多くの船が沈み撤退 |
文永の役の後に築かれた石塁が元軍の上陸をはばみ、御家人がねばり強く戦いました。さらに暴風雨におそわれて元軍の船は大きな損害を受け、撤退しました。この暴風は後に「神風」と呼ばれました。一方、外国を撃退しただけで新しい領地は得られず、御恩と奉公が不十分で御家人の不満が高まり、幕府が衰える一因となりました。
試験では 「弘安の役(1281)」で石塁と暴風雨が元軍を退けた点、恩賞不足で御家人が不満を持った点が頻出。