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世界史探究

中世ちゅうせいひがしアジア (ずいとうそう元明もとあききよし・モンゴル)

最終確認日:

このしょうまなぶこと

中世ちゅうせいヨーロッパ・イスラムとどう時期じきひがしアジアでは ずいとうそうもとめいきよしつづだい王朝おうちょうが、 周辺しゅうへん朝鮮ちょうせん日本にほん・ベトナムをふくひがしアジア世界せかい形作かたちづくっていました。 このしょうではやく 1000 ねんひがしアジアまなびます。

  • ずいとう律令りつりょう国家こっか国際こくさい都市とし長安ちょうあん
  • そう文治主義ぶんちしゅぎ経済けいざい技術ぎじゅつ革命かくめい
  • モンゴル帝国もんごるていこくげん — ユーラシアのだい統合とうごう
  • みんしんかん民族みんぞく復興ふっこう民族みんぞく帝国ていこく
  • 朝鮮王朝ちょうせんおうちょう・ベトナム・日本にほん との関係かんけい
  • 冊封体制さくほうたいせいひがしアジア交易こうえきけん

大事だいじ: この時代じだい中国ちゅうごく朝鮮ちょうせんひがしアジア諸国しょこく高度こうど文明ぶんめい経済けいざいりょく、 18 世紀せいきまで 世界せかい経済けいざい中心ちゅうしん でした。 「中国ちゅうごく = せんせいおくれた」 「朝鮮ちょうせん = 中国ちゅうごく属国ぞっこくとうの 19 〜 20 世紀せいきつくられた偏見へんけん一度いちどリセットして、 当時とうじ実像じつぞうまなびましょう。

1. ずいとう律令りつりょう国家こっか完成かんせい

山並みを走る万里の長城
万里の長城ばんりのちょうじょう (中国ちゅうごく) — 紀元前きげんぜん 7 世紀せいきから 16 世紀せいきまでぞう改築かいちく北方ほっぽう遊牧民ゆうぼくみん侵入しんにゅうふせ防衛ぼうえい施設しせつ全長ぜんちょうやく 8800 km、 ユネスコ世界せかい遺産いさん

ずい統一とういつ

220 ねんかんほろんでから、 中国ちゅうごく魏晋南北朝ぎしんなんぼくちょうやく 360 ねん分裂ぶんれつました。 このかん北方ほっぽう民族みんぞく華北かほく支配しはいし、 仏教ぶっきょうひろがり多様たよう文化ぶんかそだちました。

581 ねん文帝ぶんてい (楊堅ようけん) が ずい建国けんこくし、 589 ねん中国ちゅうごくさい統一とういつしました。 ずいおもぎょうせき:

  • 科挙かきょ (かきょ) の創始そうし試験しけん官吏かんり採用さいよう貴族きぞく中心ちゅうしん政治せいじ改革かいかく
  • 大運河だいうんがきた黄河こうがみなみ長江ちょうこうむすぶ、 物流ぶつりゅう大動脈だいどうみゃく
  • 均田制きんでんせい租庸調そようちょう府兵制ふへいせい農民のうみんへの土地とち配分はいぶんぜい兵役へいえき制度せいど

しかしだい 2 だい 煬帝ようだい (ようだい) のだい規模きぼ工事こうじ遠征えんせい民衆みんしゅう疲弊ひへいし、 ずいはわずか 38 ねんほろびました。

とう全盛ぜんせい

618 ねん李淵りえん (高祖こうそ) が とう建国けんこくだい 2 だい 太宗たいそう (李世民りせいみん) の 貞観の治じょうがんのちだい 6 だい 玄宗げんそう開元の治かいげんのち全盛ぜんせいむかえました。

制度せいど内容ないよう
律令制りつりょうせいりつ (刑法けいほう) とりょう (行政ぎょうせいほう) を体系たいけい日本にほん大宝たいほう律令りつりょう模範もはん
三省六部さんしょうりくぶ中央ちゅうおう行政ぎょうせい機構きこう
科挙かきょ試験しけん制度せいど整備せいび進士しんしさい上位じょうい
均田制きんでんせい農民のうみん土地とち配分はいぶん

国際こくさい都市とし長安ちょうあん

とう 長安ちょうあん (げん西安しーあん) は じん口約こうやく 100 まん国際こくさい都市とし で、 ペルシャ・アラブ・ソグド・しん日本にほん・チベットの商人しょうにん使節しせついました。 ゾロアスター教ぞろあすたーきょうマニ教マニきょうネストリウス派キリスト教ネストリウスはキリストきょう (景教けいきょう) の寺院じいんち、 宗教しゅうきょう共存きょうぞんでした。

ポイント: シルクロードしるくろーど終点しゅうてんであった長安ちょうあんは、 当時とうじ世界せかいもっともコスモポリタンな都市とし の 1 つで、 コンスタンティノープルこんすたんてぃのーぷるバグダードばぐだーどなら中世ちゅうせいさん大都市だいとしばれることもあります。 このひらかれた性格せいかくとう文化ぶんかゆたかさをささえました。

周辺しゅうへんへの影響えいきょう

とう制度せいど文化ぶんか日本にほん (遣唐使けんとうし)・新羅しんら渤海ぼっかい・ベトナムつたわり、 「東アジア文化圏ひがしあじあぶんかけん」 の基盤きばんつくりました。 共通きょうつう要素ようそ:

  • 漢字かんじ
  • 仏教ぶっきょう (大乗だいじょう仏教ぶっきょう)
  • 儒教じゅきょう
  • 律令制りつりょうせい

とう衰退すいたい

755 ねん安史の乱あんしのらん (安禄山あんろくざん史思明ししめい反乱はんらん) でとうおおきく動揺どうよう。 その各地かくち節度使せつどし (せつどし) が自立じりつし、 907 ねん滅亡めつぼうしました。 短期たんきの 5 王朝おうちょうわる 五代十国ごだいじゅうこく 時代じだいて、 そう統一とういつもどします。

2. そう文治ぶんじ経済けいざい革命かくめい

文治ぶんじ主義しゅぎ

960 ねん趙匡胤ちょうきょういん (ちょうきょういん、 太祖たいそ) が そう (北宋きたそう) を建国けんこく武人ぶじんおうぼうふせぐため、 文治主義ぶんちしゅぎ をとり、 科挙かきょ出身しゅっしん文人ぶんじん官僚かんりょう (士大夫したいふ) が政治せいじにないました。

政策せいさく内容ないよう
殿試でんし (でんし)皇帝こうていみずからがおこな科挙かきょ最終さいしゅう試験しけん
禁軍きんぐん中央ちゅうおう直属ちょくぞく精鋭せいえいぐん地方ちほう兵力へいりょく削減さくげん
王安石おうあんせき新法しんぽう11 世紀せいき後半こうはん経済けいざい軍事ぐんじ改革かいかくこころみたが反対はんたいおお部分ぶぶんてき成功せいこう

経済けいざい技術ぎじゅつ革命かくめい

そうだい中世ちゅうせい経済けいざい革命かくめいばれるほど経済けいざい技術ぎじゅつ発展はってんしました。

分野ぶんやぎょうせき
農業のうぎょう占城稲せんじょうとう導入どうにゅう二期作にきさく人口じんこうが 1 おくにん突破とっぱ
商業しょうぎょう交子こうし (こうし、 世界せかいはつ紙幣しへい)、 各地かくちに鎮 (商業しょうぎょう都市とし)
技術ぎじゅつ羅針盤らしんばん火薬かやく活版印刷かっぱんいんさつ (三大発明さんだいはつめいのうち 3 つがそうだい)
学問がくもん朱子学しゅしがく (宋学そうがく朱熹しゅき大成たいせい)、 ひがしアジア思想しそう中心ちゅうしん

北方ほっぽう民族みんぞく圧力あつりょく

そう軍事ぐんじではよわく、 北方ほっぽう契丹きったん (キタイ、 りょう) や 西夏せいかきん (女真族じょしんぞく) に圧迫あっぱくされました。 1127 ねんかね首都しゅと開封かいふう占領せんりょう (靖康の変せいこうのへん (せいこうのへん))、 そうみなみのが南宋みなみそう (首都しゅと臨安りんあん = げん杭州こうしゅう) となりました。

大事だいじ: そうが 「よわかった」 とひょうされることがありますが、 経済けいざいりょく人口じんこう文化ぶんかでは当時とうじ 世界せかい最高さいこう水準すいじゅん でした。 そもそも当時とうじ軍事ぐんじりょく遊牧ゆうぼく騎馬きば民族みんぞく北方ほっぽう民族みんぞく圧倒的あっとうてき であり、 かんぞく政権せいけん苦戦くせんしたのは自然しぜんともえます。 「軍事ぐんじよわい = 衰退すいたい」 という単純たんじゅんけましょう。

3. モンゴル帝国ていこくもと

チンギス・カンの統一とういつ

13 世紀せいき初頭しょとう、 モンゴル高原こうげんテムジンしょ部族ぶぞく統一とういつし、 1206 ねんチンギス・カンちんぎす・かん (ハン) としょうし、 モンゴル帝国もんごるていこくひらきました。

チンギス・カンとその後継者こうけいしゃ (オゴデイ・モンケ・フビライ) は 、 西にしひがしヨーロッパ、 みなみはペルシャ・中国ちゅうごく、 まで征服せいふくし、 史上しじょう最大さいだい陸上りくじょう帝国ていこくきずきました。

西にしただし結果けっか
だい 1 つぎ (1219 〜)ホラズム朝ホラズムちょう (中央アジアちゅうおうあじあ) をほろぼす
だい 2 つぎ (バトゥ、 1236 〜)キエフ・ロシア諸公しょこうこく服属ふくぞくキプチャク・ハン国キプチャク・ハンこく成立せいりつ
だい 3 つぎ (フレグ、 1253 〜)アッバース朝あっばーすちょうほろぼしイル・ハン国イル・ハンこく成立せいりつ

ひがしでは フビライふびらい が 1271 ねんげん建国けんこくし、 1279 ねん南宋みなみそうほろぼして中国ちゅうごく全土ぜんど支配しはいしました。

モンゴル帝国ていこく構造こうぞう

帝国ていこくは 4 つのハン国ハンこくもとかれつつ、 だいハン (もと皇帝こうてい) を名目めいもくじょう頂点ちょうてんとしました。

  • げん (中国ちゅうごく・モンゴル)
  • キプチャク・ハン国キプチャク・ハンこく (ジョチ・ウルス、 ロシア・みなみロシア)
  • チャガタイ・ハン国チャガタイ・ハンこく (中央アジアちゅうおうあじあ)
  • イル・ハン国イル・ハンこく (フレグ・ウルス、 イラン・イラク)

パクス・モンゴリカ

モンゴル統治とうちで、 ユーラシア全域ぜんいき平和へいわ自由じゆう通商つうしょう実現じつげんしました。 これを パクス・モンゴリカ (モンゴルの平和モンゴルのへいわ) とびます。

交流こうりゅうれい
モノ中国ちゅうごくかみ印刷いんさつ火薬かやく羅針盤らしんばん西方せいほう
じんマルコ・ポーロまるこ・ぽーろがヴェネツィアからだいへ、 「東方見聞録とうほうけんぶんろく
やくびょうペストぺすとがシルクロードをつうじ 14 世紀せいきヨーロッパでだい流行りゅうこう
宗教しゅうきょうローマ教皇ローマきょうこう使節しせつ (モンテ・コルヴィノ) がだい布教ふきょう

もと中国ちゅうごく統治とうち

もと中国ちゅうごくを 4 つの身分みぶんけました。

身分みぶん内容ないよう
モンゴル人モンゴルじん支配しはいそう
色目人しきもくじん中央ちゅうおうアジア・西にしアジアけい財政ざいせいとう担当たんとう
漢人かんじんきゅうかねりょう (華北かほく) のかん民族みんぞく
南人みなみじんきゅうみなみそうりょう (江南こうなん) のかん民族みんぞく

科挙かきょ一時いちじ廃止はいしされ、 士大夫したいふそう不満ふまんいだきました。 14 世紀せいきなかば、 各地かくち反乱はんらん (紅巾の乱こうきんのらん) がこり、 もときた退しりぞきました (北元ほくげん)。

ポイント: 「モンゴルのざんぎゃく」 は西洋せいよう史料しりょう強調きょうちょうされますが、 実際じっさいには 抵抗ていこうしなかった都市とし寛大かんだいあつかい、 抵抗ていこうした都市としだけを厳罰げんばつしょ という戦略せんりゃくでした。 またフビライふびらい等はかく宗教しゅうきょう保護ほごし、 民族みんぞく宗教しゅうきょう共存きょうぞん重視じゅうししました。 「野蛮やばん征服せいふくしゃぞういちめんてきです。

4. めいかん民族みんぞく復興ふっこう

しゅもとあきらめい建国けんこく

1368 ねんべにはばらんから朱元璋しゅげんしょう (しゅげんしょう、 洪武帝こうぶてい) が みん建国けんこくし、 もときたはらいました。 ははじめ 南京なんきん北京ぺきんうつします。

洪武帝こうぶてい皇帝独裁こうていどくさい強化きょうか:

  • 中書ちゅうしょしょう (宰相さいしょう役所やくしょ) 廃止はいし皇帝こうてい直接ちょくせつろく統括とうかつ
  • 里甲制りこうせい (りこうせい) — 110 を 1 さととし、 ぜい治安ちあんになわせる
  • 海禁かいきん政策せいさく民間みんかん海外かいがい貿易ぼうえき禁止きんし朝貢ちょうこう貿易ぼうえきのみみとめる

永楽えいらくみかど鄭和ていわだい航海こうかい

だい 3 だい 永楽帝えいらくてい ( 1402 〜 1424) は 南京なんきんから北京ぺきん遷都せんと し、 紫禁城しきんじょう (しきんじょう) を建設けんせつしました。 またイスラム教徒きょうとかんがん鄭和ていわ (ていわ) に 7 かいだい航海こうかい (1405 〜 1433) をめいじました。

航海こうかい概要がいよう内容ないよう
規模きぼ最大さいだいふね 200 せき以上いじょう乗員じょういん 2 まん 7000 ひと
範囲はんい東南とうなんアジア・インド・ペルシアわんひがしアフリカ
成果せいか30 こく朝貢ちょうこう関係かんけいむすぶ、 中国ちゅうごく国際こくさいてき威信いしんたかまる

大事だいじ: 鄭和ていわだい航海こうかいコロンブスころんぶす新大陸しんたいりく発見はっけん」 (1492 ねん) よりやく 90 ねんはや規模きぼもはるかにおおきかったてん注目ちゅうもくされます。 「大航海時代だいこうかいじだい = ヨーロッパの偉業いぎょう」 という単純たんじゅん図式ずしき修正しゅうせいするれいです。 ただし鄭和ていわ航海こうかい征服せいふく植民しょくみん目指めざさず朝貢ちょうこう関係かんけいむすぶことがしゅ目的もくてきであったてんとくちょうです。

めい衰退すいたい

16 世紀せいき以降いこう北方ほっぽうのモンゴル、 海上かいじょう倭寇わこう (わこう、 日本にほん朝鮮ちょうせん中国人ちゅうごくじんふく海賊かいぞくみつ貿易ぼうえき集団しゅうだん) にくるしみ、 北虜南倭ほくりょなんわ (ほくりょなんわ) とばれました。 国内こくないでも党争とうそう重税じゅうぜい民衆みんしゅう疲弊ひへいし、 1644 ねん反乱はんらんぐん李自成りじせいめられさつした崇禎帝すうていてい最後さいごほろびました。

5. きよし民族みんぞく帝国ていこく

おんなしんからきよし

満洲まんしゅう (まんしゅう) の 女真族じょしんぞく (ジュルチン) を統一とういつした ヌルハチぬるはち が 1616 ねん後金こうきんて、 ホンタイジ が 1636 ねんしん改称かいしょう民族みんぞくめい満洲族まんしゅうぞく (マンジュ) とあらためました。

1644 ねんめい滅亡めつぼう混乱こんらんじょうじて山海関さんかいせきをこえ、 北京ぺきん占領せんりょう中国ちゅうごく全土ぜんど支配しはいしました。

全盛期ぜんせいきかん熙・雍せいいぬいたかし

皇帝こうていぎょうせき
康熙帝こうきてい (こうきてい、 くらい 1661 〜 1722)三藩の乱さんはんのらん平定へいてい、 ロシアとネルチンスク条約ネルチンスクじょうやく、 ジュンガル服属ふくぞく
雍正帝ようせいてい (ようせいてい、 くらい 1722 〜 1735)軍機処ぐんきしょ設置せっちキリスト教きりすときょう禁止きんし
乾隆帝けんりゅうてい (けんりゅうてい、 くらい 1735 〜 1795)領土りょうど最大さいだい (新疆しんきょう・チベット・モンゴルをふくむ)

民族みんぞく統治とうち仕組しく

きよし少数しょうすうまんしゅうぞく多数たすうかん民族みんぞく統治とうちする ため、 たくみょう仕組しくみをりました。

  • 科挙かきょ維持いじし、 かん民族みんぞく知識ちしきじん登用とうよう
  • 満洲文字まんしゅうもじ漢字かんじなみよう
  • 辮髪べんぱつ (べんぱつ) をかん民族みんぞく強制きょうせいして服従ふくじゅうしめさせる
  • 理藩院りはんいん でモンゴル・チベット・ひがしトルキスタンを統治とうち
  • かん民族みんぞくがモンゴル・東北とうほく移住いじゅうするのを制限せいげん (民族みんぞく分離ぶんり)

ポイント: しんは 「かん民族みんぞく王朝おうちょう」 ではないことに注意ちゅうい必要ひつようです。 満洲族まんしゅうぞく中心ちゅうしんとなり、 かん・モンゴル・チベット・ウイグルをふく民族みんぞく帝国ていこく でした。 この民族みんぞくせいが、 現代げんだい中国ちゅうごく周辺しゅうへん諸国しょこくしょ民族みんぞく関係かんけい理解りかいするかぎとなります。

6. 朝鮮ちょうせん・ベトナム・日本にほん

朝鮮半島ちょうせんはんとう

時期じきおも出来事できごと
7 世紀せいき新羅しんら (しらぎ) が半島はんとう統一とういつ (676 ねん)、 とう連合れんごう
10 世紀せいき高麗こうらい (こうらい) が半島はんとう統一とういつ (936 ねん)、 仏教ぶっきょう科挙かきょ
13 世紀せいきモンゴルに服属ふくぞくもと日本にほん遠征えんせい (もと寇) に動員どういん
14 世紀せいきまつ李成桂りせいけい朝鮮王朝ちょうせんおうちょう (李氏朝鮮りしちょうせん) を建国けんこく (1392 ねん)
15 世紀せいき世宗せいそう (セジョン) が ハングルはんぐる (訓民正音くんみんせいおん) 制定せいてい (1446 ねん)
16 世紀せいきまつ壬辰倭乱じんしんわらん (じんしんわらん、 日本にほんでは文禄・慶長の役ぶんろくけいちょうのえき) — 豊臣とよとみ秀吉ひでよし朝鮮ちょうせん侵攻しんこう
17 世紀せいききよし服属ふくぞく

ハングルはんぐるは 「庶民しょみんまなびやすいように」 とおうみずからが制定せいていした表音ひょうおん文字もじで、 世界せかいでもめずらしいれいです。

ベトナム

ベトナムは中国ちゅうごくつよ影響えいきょうけながらも、 独立どくりつまもつづけました。

時期じきおも出来事できごと
紀元前きげんぜん 〜 10 世紀せいき中国ちゅうごく直接ちょくせつ支配しはい
939 ねん独立どくりつ李朝りちょう陳朝ちんちょう黎朝れいちょう
13 世紀せいき陳朝ちんちょうがモンゴルの侵攻しんこう撃退げきたい
19 世紀せいき阮朝げんちょう (げんちょう) 成立せいりつにフランス植民しょくみん

日本にほんとの関係かんけい

中世ちゅうせいひがしアジアにおける日本にほんとのおも接点せってん:

  • 遣隋使けんずいし遣唐使けんとうし (7 〜 9 世紀せいき) — 律令制りつりょうせい仏教ぶっきょう漢字かんじ受容じゅよう
  • そうとの民間みんかん交易こうえき (12 世紀せいき平清盛たいらのきよもりとう)
  • 元寇げんこう (文永の役ぶんえいのえき 1274、 弘安の役こうあんのえき 1281) — もとぐん日本にほん侵攻しんこう失敗しっぱい
  • 勘合貿易かんごうぼうえき (15 〜 16 世紀せいき) — めいとの朝貢ちょうこう貿易ぼうえき
  • 壬辰倭乱じんしんわらん (1592 〜 98) — 豊臣とよとみ秀吉ひでよし朝鮮ちょうせん出兵しゅっぺい

7. さつふう体制たいせいひがしアジア交易こうえきけん

さつふうとは

中国ちゅうごく王朝おうちょう中心ちゅうしんとする国際こくさい秩序ちつじょ冊封体制さくほうたいせい (さくほうたいせい) とびます。 周辺しゅうへんこく君主くんしゅ中国ちゅうごく皇帝こうていから おう国王こくおう とう称号しょうごうしるしさずかり (さつふう)、 定期ていきてき朝貢ちょうこう (ちょうこう、 貢物みつぎもの献上けんじょう) し、 その見返みかえりに中国ちゅうごく皇帝こうていから高価こうか下賜かしひんる、 という関係かんけいです。

利点りてん内容ないよう
周辺しゅうへんこくがわ中国ちゅうごくとの朝貢ちょうこう貿易ぼうえき高価こうか物産ぶっさんられる、 国内こくないでの権威けんいたかまる
中国ちゅうごくがわとくした諸国しょこく 」 という名目めいもく皇帝こうてい威信いしんたかまる

大事だいじ: 冊封体制さくほうたいせいは 「中国ちゅうごく周辺しゅうへんこく支配しはいした不平等ふびょうどう関係かんけい」 とふるえがかれましたが、 現在げんざい研究けんきゅうでは 儀礼ぎれいてき関係かんけい実質じっしつてき政治せいじ干渉かんしょうすくなく周辺しゅうへんこく中国ちゅうごくとの関係かんけい戦略せんりゃくてき利用りようしていた 側面そくめん強調きょうちょうされています。 一方いっぽうてき上下じょうげ関係かんけいではなかったことをさえましょう。

ひがしアジア交易こうえきけん

中世ちゅうせい近世きんせいひがしアジアでは、 中国ちゅうごく中心ちゅうしん朝鮮ちょうせん日本にほん琉球りゅうきゅう・ベトナム・東南とうなんアジア諸国しょこく海上かいじょう交易こうえきむすばれていました。 おも交易こうえきひん:

  • 中国ちゅうごくきぬ陶磁器とうじき銅銭どうせんちゃ
  • 日本にほんぎんどうかたなおう
  • 朝鮮ちょうせん木綿ゆう人参にんじん
  • 琉球りゅうきゅう (沖縄おきなわ) — 中継ちゅうけい貿易ぼうえき繁栄はんえい、 「万国ばんこくしんりょう
  • 東南とうなんアジア香辛料こうしんりょう染料せんりょう

16 世紀せいき以降いこう、 ここに ヨーロッパ諸国しょこく (ポルトガル・スペイン・オランダ) がくわわり、 世界せかいうみでつながります (Ch6 でしく)。

8. 安全あんぜん倫理りんり配慮はいりょとまとめ

中国ちゅうごく朝鮮ちょうせんへの偏見へんけんける

  • 中国ちゅうごく = 専制せんせいおくれた」 「朝鮮ちょうせん = 中国ちゅうごく属国ぞっこくひとし、 19 〜 20 世紀せいき西洋中心史観せいようちゅうしんしかん植民地主義しょくみんちしゅぎもとづく偏見へんけん厳禁げんきんです
  • 18 世紀せいきまで 中国ちゅうごく経済けいざいの G D P は世界一せかいいち であり、 朝鮮ちょうせん高度こうど文化ぶんか (ハングル・科挙かきょせい理学りがく) をっていました
  • 壬辰倭乱じんしんわらん (豊臣とよとみ秀吉ひでよし朝鮮ちょうせん侵攻しんこう) は朝鮮ちょうせんではいま国民こくみんてき記憶きおく であり、 日本にほん教科書きょうかしょかるあつかうだけでは不十分ふじゅうぶんです
  • 現代げんだい中国ちゅうごく韓国かんこく北朝鮮きたちょうせんとの関係かんけいまなぶときは、 歴史れきしてき経緯けいい複数ふくすう立場たちばさえること

中華ちゅうか思想しそう」 の中立ちゅうりつてき理解りかい

冊封体制さくほうたいせい背景はいけいには 中華ちゅうか思想しそう (華夷かい思想しそう) があり、 中国ちゅうごく文明ぶんめい中心ちゅうしんとし周辺しゅうへんを 「」 と世界せかいかんがありました。 これを 「中国ちゅうごく自大じだい主義しゅぎ」 と一方いっぽうてき批判ひはんするのではなく、 当時とうじ国際こくさい秩序ちつじょ維持いじする装置そうち として理解りかいする視点してん大切たいせつです (中世ちゅうせいヨーロッパでキリスト教きりすときょう世界せかい中心ちゅうしんたのとています)。

解釈かいしゃく諸説しょせつあること

  • モンゴル帝国もんごるていこく評価ひょうか — 「破壊はかいしゃせつと 「ユーラシア統合とうごうしゃせつ近年きんねん後者こうしゃつよ
  • そうの 「よわさ」軍事ぐんじでは北方ほっぽう民族みんぞくされたが、 経済けいざい技術ぎじゅつ文化ぶんかでは当時とうじ世界せかい最高さいこう
  • しん性格せいかく — 「中国ちゅうごく王朝おうちょう」 か 「内陸ないりくアジア帝国ていこく」 かでおおきな議論ぎろん
  • 冊封体制さくほうたいせい実態じったい形式けいしきてきだったか実質じっしつてきだったかで学者がくしゃにより評価ひょうかことなる

このしょうのポイント

  • ずいとう律令りつりょう国家こっか国際こくさい都市とし長安ちょうあん周辺しゅうへんこくへの影響えいきょう
  • そう文治ぶんじ主義しゅぎ経済けいざい技術ぎじゅつだい革命かくめい朱子学しゅしがく
  • モンゴル — ユーラシアの統合とうごう、 パクス・モンゴリカ
  • めいかん民族みんぞく復興ふっこう鄭和ていわだい航海こうかいうみきん
  • きよしまんしゅうぞくによる民族みんぞく帝国ていこく領土りょうど最大さいだい
  • 朝鮮ちょうせん・ベトナム・日本にほん各国かっこく独自どくじせい中国ちゅうごくとの関係かんけい
  • さつふう体制たいせい一方いっぽうてき支配しはいではない儀礼ぎれいてき国際こくさい秩序ちつじょ

つぎしょう (Ch6) へ

しょうでは視点してんをヨーロッパにもどし、 近世きんせいヨーロッパまなびます。 ルネサンスるねさんす宗教改革しゅうきょうかいかく大航海時代だいこうかいじだい絶対王政ぜったいおうせいおもなテーマです。 ここでてきた アジアさん大帝たいていこく (しんムガル帝国むがるていこくオスマン帝国おすまんていこく)並行へいこうして、 ヨーロッパがどのようにうみをこえ世界せかいとつながっていくか、 そしてやがて産業革命さんぎょうかくめいへのみちひらいていくかをていきましょう。

まとめ — 中世ちゅうせいひがしアジアを 3 くだり

  • とう律令りつりょう国家こっか国際こくさい都市とし長安ちょうあんきずき、 そう文治ぶんじ主義しゅぎ三大発明さんだいはつめい経済けいざい技術ぎじゅつ革命かくめいこした
  • モンゴル帝国もんごるていこくがユーラシアを統合とうごうモンゴルの平和モンゴルのへいわ東西とうざい交流こうりゅう拡大かくだいげんのあとめいかん民族みんぞく復興ふっこう鄭和ていわだい航海こうかいおこな
  • しんまんしゅうぞくによる民族みんぞく帝国ていこくとして領土りょうど最大さいだい朝鮮ちょうせん・ベトナム・日本にほん冊封体制さくほうたいせい儀礼ぎれいてき国際こくさい秩序ちつじょ形成けいせいした
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がくしゅうロードマップ(10けん
  1. 1世界せかいへのとびら (時代じだい区分くぶん史料しりょうしょ地域ちいき)
  2. 2古代こだいオリエント・ギリシャ・ローマ
  3. 3古代こだいインド・中国ちゅうごく東南とうなんアジア
  4. 4中世ちゅうせいヨーロッパとイスラム世界せかい
  5. 5中世ちゅうせいひがしアジア (ずいとうそう元明もとあききよし・モンゴル)
  6. 6近世きんせいヨーロッパ (ルネサンス・宗教しゅうきょう改革かいかくだい航海こうかい絶対ぜったい王政おうせい)
  7. 7産業革命さんぎょうかくめい市民しみん革命かくめい (えいべいふつとナポレオン)
  8. 8帝国ていこく主義しゅぎだいいち世界せかい大戦たいせん (列強れっきょう拡大かくだい大戦たいせん・ロシア革命かくめい)
  9. 9だい世界せかい大戦たいせん冷戦れいせん (恐慌きょうこうからだつ植民しょくみんまで)
  10. 10現代げんだい世界せかい (1990 年代ねんだい以降いこうのグローバル地球ちきゅうてき課題かだい)