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世界史探究

中世ちゅうせい東ひがしアジア (隋ずい唐とう宋そう元明もとあき清きよし・モンゴル)

最終確認日:

この章しょうで学まなぶこと

中世ちゅうせいヨーロッパ・イスラムと同どう時期じき、 東ひがしアジアでは 隋ずい・唐とう・宋そう・元もと・明めい・清きよし と続つづく大だい王朝おうちょうが、 周辺しゅうへんの朝鮮ちょうせん・日本にほん・ベトナムを含ふくむ 東ひがしアジア世界せかい を形作かたちづくっていました。 この章しょうでは約やく 1000 年ねんの東ひがしアジア史しを学まなびます。

  • 隋ずい・唐とう — 律令りつりょう国家こっかと国際こくさい都市とし長安ちょうあん
  • 宋そう — 文治主義ぶんちしゅぎと経済けいざい・技術ぎじゅつ革命かくめい
  • モンゴル帝国もんごるていこく と 元げん — ユーラシアの大だい統合とうごう
  • 明みん・清しん — 漢かん民族みんぞく復興ふっこうと多た民族みんぞく帝国ていこく
  • 朝鮮王朝ちょうせんおうちょう・ベトナム・日本にほん との関係かんけい
  • 冊封体制さくほうたいせい と東ひがしアジア交易こうえき圏けん

大事だいじ: この時代じだいの 中国ちゅうごく・朝鮮ちょうせん・東ひがしアジア諸国しょこくは高度こうどな文明ぶんめいと経済けいざい力りょくを持もち、 18 世紀せいきまで 世界せかい経済けいざいの中心ちゅうしん でした。 「中国ちゅうごく = 専せん制せいで遅おくれた」 「朝鮮ちょうせん = 中国ちゅうごくの属国ぞっこく」 等とうの 19 〜 20 世紀せいきに作つくられた偏見へんけんを一度いちどリセットして、 当時とうじの実像じつぞうを学まなびましょう。

1. 隋ずいと唐とう — 律令りつりょう国家こっかの完成かんせい

山並みを走る万里の長城
万里の長城ばんりのちょうじょう (中国ちゅうごく) — 紀元前きげんぜん 7 世紀せいきから 16 世紀せいきまで増ぞう改築かいちく。 北方ほっぽう遊牧民ゆうぼくみんの侵入しんにゅうを防ふせぐ防衛ぼうえい施設しせつ。 全長ぜんちょう約やく 8800 km、 ユネスコ世界せかい遺産いさん。

隋ずいの統一とういつ

220 年ねんに漢かんが滅ほろんでから、 中国ちゅうごくは 魏晋南北朝ぎしんなんぼくちょう の約やく 360 年ねんの分裂ぶんれつ期きを経へました。 この間かん、 北方ほっぽう民族みんぞくが華北かほくを支配しはいし、 仏教ぶっきょうが広ひろがり多様たような文化ぶんかが育そだちました。

581 年ねん、 文帝ぶんてい (楊堅ようけん) が 隋ずい を建国けんこくし、 589 年ねんに中国ちゅうごくを再さい統一とういつしました。 隋ずいの主おもな業ぎょう績せき:

  • 科挙かきょ (かきょ) の創始そうし — 試験しけんで官吏かんりを採用さいよう、 貴族きぞく中心ちゅうしんの政治せいじを改革かいかく
  • 大運河だいうんが — 北きたの黄河こうがと南みなみの長江ちょうこうを結むすぶ、 物流ぶつりゅうの大動脈だいどうみゃく
  • 均田制きんでんせい・租庸調そようちょう・府兵制ふへいせい — 農民のうみんへの土地とち配分はいぶんと税ぜい・兵役へいえきの制度せいど

しかし第だい 2 代だい 煬帝ようだい (ようだい) の大だい規模きぼ工事こうじ・遠征えんせいで民衆みんしゅうが疲弊ひへいし、 隋ずいはわずか 38 年ねんで滅ほろびました。

唐とうの全盛ぜんせい

618 年ねん、 李淵りえん (高祖こうそ) が 唐とう を建国けんこく。 第だい 2 代だい 太宗たいそう (李世民りせいみん) の 貞観の治じょうがんのち、 第だい 6 代だい 玄宗げんそう の 開元の治かいげんのち で全盛ぜんせいを迎むかえました。

制度せいど内容ないよう
律令制りつりょうせい律りつ (刑法けいほう) と令りょう (行政ぎょうせい法ほう) を体系たいけい化か、 日本にほんの大宝たいほう律令りつりょうの模範もはん
三省六部さんしょうりくぶ中央ちゅうおう行政ぎょうせい機構きこう
科挙かきょ試験しけん制度せいどが整備せいび、 進士しんしが最さい上位じょうい
均田制きんでんせい農民のうみんに土地とちを配分はいぶん

国際こくさい都市とし長安ちょうあん

唐とうの都と 長安ちょうあん (現げん西安しーあん) は 人じん口約こうやく 100 万まんの国際こくさい都市とし で、 ペルシャ・アラブ・ソグド・新しん羅ら・日本にほん・チベットの商人しょうにん・使節しせつが行いき交かいました。 ゾロアスター教ぞろあすたーきょう・マニ教マニきょう・ネストリウス派キリスト教ネストリウスはキリストきょう (景教けいきょう) の寺院じいんも建たち、 多た宗教しゅうきょう共存きょうぞんの都とでした。

ポイント: シルクロードしるくろーどの終点しゅうてんであった長安ちょうあんは、 当時とうじの 世界せかいで最もっともコスモポリタンな都市とし の 1 つで、 コンスタンティノープルこんすたんてぃのーぷる・バグダードばぐだーどと並ならぶ中世ちゅうせい三さん大都市だいとしと呼よばれることもあります。 この開ひらかれた性格せいかくが唐とう文化ぶんかの豊ゆたかさを支ささえました。

周辺しゅうへんへの影響えいきょう

唐とうの制度せいど・文化ぶんかは 日本にほん (遣唐使けんとうし)・新羅しんら・渤海ぼっかい・ベトナム に伝つたわり、 「東アジア文化圏ひがしあじあぶんかけん」 の基盤きばんを作つくりました。 共通きょうつうの要素ようそ:

  • 漢字かんじ
  • 仏教ぶっきょう (大乗だいじょう仏教ぶっきょう)
  • 儒教じゅきょう
  • 律令制りつりょうせい

唐とうの衰退すいたい

755 年ねん、 安史の乱あんしのらん (安禄山あんろくざん・史思明ししめいの反乱はんらん) で唐とうは大おおきく動揺どうよう。 その後ごも各地かくちの 節度使せつどし (せつどし) が自立じりつ化かし、 907 年ねんに滅亡めつぼうしました。 短期たんきの 5 王朝おうちょうが入いれ替かわる 五代十国ごだいじゅうこく 時代じだいを経へて、 宋そうが統一とういつを取とり戻もどします。

2. 宋そう — 文治ぶんじと経済けいざい革命かくめい

文治ぶんじ主義しゅぎ

960 年ねん、 趙匡胤ちょうきょういん (ちょうきょういん、 太祖たいそ) が 宋そう (北宋きたそう) を建国けんこく。 武人ぶじんの横おう暴ぼうを防ふせぐため、 文治主義ぶんちしゅぎ をとり、 科挙かきょ出身しゅっしんの文人ぶんじん官僚かんりょう (士大夫したいふ) が政治せいじを担にないました。

政策せいさく内容ないよう
殿試でんし (でんし)皇帝こうてい自みずからが行おこなう科挙かきょ最終さいしゅう試験しけん
禁軍きんぐん中央ちゅうおう直属ちょくぞくの精鋭せいえい軍ぐん、 地方ちほう兵力へいりょくを削減さくげん
王安石おうあんせきの新法しんぽう11 世紀せいき後半こうはん、 経済けいざい・軍事ぐんじ改革かいかくを試こころみたが反対はんたい多おおく部分ぶぶん的てき成功せいこう

経済けいざいと技術ぎじゅつの革命かくめい

宋そう代だいは 「中世ちゅうせいの経済けいざい革命かくめい」 と呼よばれるほど経済けいざいと技術ぎじゅつが発展はってんしました。

分野ぶんや業ぎょう績せき
農業のうぎょう占城稲せんじょうとう導入どうにゅうで二期作にきさく、 人口じんこうが 1 億おく人にんを突破とっぱ
商業しょうぎょう交子こうし (こうし、 世界せかい初はつの紙幣しへい)、 各地かくちに鎮 (商業しょうぎょう都市とし)
技術ぎじゅつ羅針盤らしんばん・火薬かやく・活版印刷かっぱんいんさつ (三大発明さんだいはつめいのうち 3 つが宋そう代だい)
学問がくもん朱子学しゅしがく (宋学そうがく、 朱熹しゅきが大成たいせい)、 後ごの東ひがしアジア思想しそうの中心ちゅうしん

北方ほっぽう民族みんぞくの圧力あつりょく

宋そうは軍事ぐんじでは弱よわく、 北方ほっぽうの 契丹きったん (キタイ、 遼りょう) や 西夏せいか、 後ごに 金きん (女真族じょしんぞく) に圧迫あっぱくされました。 1127 年ねん、 金かねが首都しゅと開封かいふうを占領せんりょう (靖康の変せいこうのへん (せいこうのへん))、 宋そうは南みなみへ逃のがれ 南宋みなみそう (首都しゅと臨安りんあん = 現げん杭州こうしゅう) となりました。

大事だいじ: 宋そうが 「弱よわかった」 と評ひょうされることがありますが、 経済けいざい力りょく・人口じんこう・文化ぶんかでは当時とうじ 世界せかい最高さいこう水準すいじゅん でした。 そもそも当時とうじの軍事ぐんじ力りょくは 遊牧ゆうぼく騎馬きば民族みんぞくの北方ほっぽう民族みんぞくが圧倒的あっとうてき であり、 漢かん族ぞく政権せいけんが苦戦くせんしたのは自然しぜんとも言いえます。 「軍事ぐんじ弱よわい = 衰退すいたい」 という単純たんじゅん化かは避さけましょう。

3. モンゴル帝国ていこくと元もと

チンギス・カンの統一とういつ

13 世紀せいき初頭しょとう、 モンゴル高原こうげんの テムジン が諸しょ部族ぶぞくを統一とういつし、 1206 年ねんに チンギス・カンちんぎす・かん (ハン) と称しょうし、 モンゴル帝国もんごるていこく を開ひらきました。

チンギス・カンとその後継者こうけいしゃ (オゴデイ・モンケ・フビライ) は 、 西にしは東ひがしヨーロッパ、 南みなみはペルシャ・中国ちゅうごく、 まで征服せいふくし、 史上しじょう最大さいだいの陸上りくじょう帝国ていこく を築きずきました。

西にし征ただし結果けっか
第だい 1 次つぎ (1219 〜)ホラズム朝ホラズムちょう (中央アジアちゅうおうあじあ) を滅ほろぼす
第だい 2 次つぎ (バトゥ、 1236 〜)キエフ・ロシア諸公しょこう国こくを服属ふくぞく、 キプチャク・ハン国キプチャク・ハンこく成立せいりつ
第だい 3 次つぎ (フレグ、 1253 〜)アッバース朝あっばーすちょうを滅ほろぼしイル・ハン国イル・ハンこく成立せいりつ

東ひがしでは フビライふびらい が 1271 年ねんに 元げん を建国けんこくし、 1279 年ねんに南宋みなみそうを滅ほろぼして中国ちゅうごく全土ぜんどを支配しはいしました。

モンゴル帝国ていこくの構造こうぞう

帝国ていこくは 4 つのハン国ハンこくと元もとに分わかれつつ、 大だいハン (元もとの皇帝こうてい) を名目めいもく上じょうの頂点ちょうてんとしました。

  • 元げん (中国ちゅうごく・モンゴル)
  • キプチャク・ハン国キプチャク・ハンこく (ジョチ・ウルス、 ロシア・南みなみロシア)
  • チャガタイ・ハン国チャガタイ・ハンこく (中央アジアちゅうおうあじあ)
  • イル・ハン国イル・ハンこく (フレグ・ウルス、 イラン・イラク)

パクス・モンゴリカ

モンゴル統治とうち下かで、 ユーラシア全域ぜんいきで 平和へいわと自由じゆう通商つうしょう が実現じつげんしました。 これを パクス・モンゴリカ (モンゴルの平和モンゴルのへいわ) と呼よびます。

交流こうりゅう例れい
モノ中国ちゅうごくの紙かみ・印刷いんさつ・火薬かやく・羅針盤らしんばんが西方せいほうへ
人じんマルコ・ポーロまるこ・ぽーろがヴェネツィアから大だい都とへ、 「東方見聞録とうほうけんぶんろく」
疫やく病びょうペストぺすとがシルクロードを通つうじ 14 世紀せいきヨーロッパで大だい流行りゅうこう
宗教しゅうきょうローマ教皇ローマきょうこう使節しせつ (モンテ・コルヴィノ) が大だい都とで布教ふきょう

元もとの中国ちゅうごく統治とうち

元もとは中国ちゅうごくを 4 つの身分みぶんに分わけました。

身分みぶん内容ないよう
モンゴル人モンゴルじん支配しはい層そう
色目人しきもくじん中央ちゅうおうアジア・西にしアジア系けい、 財政ざいせい等とう担当たんとう
漢人かんじん旧きゅう金かね領りょう (華北かほく) の漢かん民族みんぞく
南人みなみじん旧きゅう南みなみ宋そう領りょう (江南こうなん) の漢かん民族みんぞく

科挙かきょが一時いちじ廃止はいしされ、 士大夫したいふ層そうが不満ふまんを抱いだきました。 14 世紀せいき半なかば、 各地かくちで反乱はんらん (紅巾の乱こうきんのらん) が起おこり、 元もとは北きたへ退しりぞきました (北元ほくげん)。

ポイント: 「モンゴルの残ざん虐ぎゃく」 は西洋せいようの史料しりょうで強調きょうちょうされますが、 実際じっさいには 抵抗ていこうしなかった都市としは寛大かんだいに扱あつかい、 抵抗ていこうした都市としだけを厳罰げんばつに処しょす という戦略せんりゃくでした。 またフビライふびらい等は各かく宗教しゅうきょうを保護ほごし、 多た民族みんぞく・多た宗教しゅうきょう共存きょうぞん を重視じゅうししました。 「野蛮やばんな征服せいふく者しゃ」 像ぞうは一いち面めん的てきです。

4. 明めい — 漢かん民族みんぞくの復興ふっこう

朱しゅ元もと璋あきらと明めいの建国けんこく

1368 年ねん、 紅べに巾はばの乱らんから出でた 朱元璋しゅげんしょう (しゅげんしょう、 洪武帝こうぶてい) が 明みん を建国けんこくし、 元もとを北きたへ追おい払はらいました。 都とははじめ 南京なんきん、 後ごに北京ぺきんへ移うつします。

洪武帝こうぶていは 皇帝独裁こうていどくさい を強化きょうか:

  • 中書ちゅうしょ省しょう (宰相さいしょうの役所やくしょ) 廃止はいし — 皇帝こうていが直接ちょくせつ六ろく部ぶを統括とうかつ
  • 里甲制りこうせい (りこうせい) — 110 戸とを 1 里さととし、 税ぜいと治安ちあんを担になわせる
  • 海禁かいきん政策せいさく — 民間みんかんの海外かいがい貿易ぼうえきを禁止きんし、 朝貢ちょうこう貿易ぼうえきのみ認みとめる

永楽えいらく帝みかどと鄭和ていわの大だい航海こうかい

第だい 3 代だい 永楽帝えいらくてい (位い 1402 〜 1424) は 南京なんきんから北京ぺきんへ遷都せんと し、 紫禁城しきんじょう (しきんじょう) を建設けんせつしました。 またイスラム教徒きょうとで宦かん官がんの 鄭和ていわ (ていわ) に 7 回かいの大だい航海こうかい (1405 〜 1433) を命めいじました。

航海こうかい概要がいよう内容ないよう
規模きぼ最大さいだいで船ふね 200 隻せき以上いじょう、 乗員じょういん 2 万まん 7000 人ひと
範囲はんい東南とうなんアジア・インド・ペルシア湾わん・東ひがしアフリカ
成果せいか30 余よ国こくが朝貢ちょうこう関係かんけいを結むすぶ、 中国ちゅうごくの国際こくさい的てき威信いしん高たかまる

大事だいじ: 鄭和ていわの大だい航海こうかいは コロンブスころんぶすの新大陸しんたいりく 「発見はっけん」 (1492 年ねん) より約やく 90 年ねん早はやく、 規模きぼもはるかに大おおきかった点てんで注目ちゅうもくされます。 「大航海時代だいこうかいじだい = ヨーロッパの偉業いぎょう」 という単純たんじゅん図式ずしきを修正しゅうせいする良よい例れいです。 ただし鄭和ていわの航海こうかいは 征服せいふく・植民しょくみん地ち化かを目指めざさず、 朝貢ちょうこう関係かんけいを結むすぶことが主しゅ目的もくてきであった点てんも特とく徴ちょうです。

明めいの衰退すいたい

16 世紀せいき以降いこう、 北方ほっぽうのモンゴル、 海上かいじょうの 倭寇わこう (わこう、 日本にほん・朝鮮ちょうせん・中国人ちゅうごくじんを含ふくむ海賊かいぞく・密みつ貿易ぼうえき集団しゅうだん) に苦くるしみ、 北虜南倭ほくりょなんわ (ほくりょなんわ) と呼よばれました。 国内こくないでも党争とうそうと重税じゅうぜいで民衆みんしゅうが疲弊ひへいし、 1644 年ねん、 反乱はんらん軍ぐん李自成りじせいに攻せめられ自じ殺さつした崇禎帝すうていていを最後さいごに滅ほろびました。

5. 清きよし — 多た民族みんぞく帝国ていこく

女おんな真しんから清きよしへ

満洲まんしゅう (まんしゅう) の 女真族じょしんぞく (ジュルチン) を統一とういつした ヌルハチぬるはち が 1616 年ねんに 後金こうきん を建たて、 子この ホンタイジ が 1636 年ねんに 清しん と改称かいしょう、 民族みんぞく名めいも 満洲族まんしゅうぞく (マンジュ) と改あらためました。

1644 年ねん、 明めい滅亡めつぼうの混乱こんらんに乗じょうじて山海関さんかいせきをこえ、 北京ぺきんを占領せんりょう、 中国ちゅうごく全土ぜんどを支配しはいしました。

全盛期ぜんせいき — 康かん熙・雍正せい・乾いぬい隆たかし

皇帝こうてい業ぎょう績せき
康熙帝こうきてい (こうきてい、 位くらい 1661 〜 1722)三藩の乱さんはんのらん平定へいてい、 ロシアとネルチンスク条約ネルチンスクじょうやく、 ジュンガル服属ふくぞく
雍正帝ようせいてい (ようせいてい、 位くらい 1722 〜 1735)軍機処ぐんきしょ設置せっち、 キリスト教きりすときょう禁止きんし
乾隆帝けんりゅうてい (けんりゅうてい、 位くらい 1735 〜 1795)領土りょうど最大さいだい (新疆しんきょう・チベット・モンゴルを含ふくむ)

多た民族みんぞく統治とうちの仕組しくみ

清きよしは 少数しょうすう派はの満まん洲しゅう族ぞくが多数たすう派はの漢かん民族みんぞくを統治とうちする ため、 巧たく妙みょうな仕組しくみを取とりました。

  • 科挙かきょ を維持いじし、 漢かん民族みんぞくの知識ちしき人じんを登用とうよう
  • 満洲文字まんしゅうもじ と漢字かんじを並なみ用よう
  • 辮髪べんぱつ (べんぱつ) を漢かん民族みんぞくに強制きょうせいして服従ふくじゅうを示しめさせる
  • 理藩院りはんいん でモンゴル・チベット・東ひがしトルキスタンを統治とうち
  • 漢かん民族みんぞくがモンゴル・東北とうほくへ移住いじゅうするのを制限せいげん (民族みんぞく分離ぶんり)

ポイント: 清しんは 「漢かん民族みんぞくの王朝おうちょう」 ではないことに注意ちゅういが必要ひつようです。 満洲族まんしゅうぞくが中心ちゅうしんとなり、 漢かん・モンゴル・チベット・ウイグルを含ふくむ 多た民族みんぞく帝国ていこく でした。 この多た民族みんぞく性せいが、 現代げんだいの中国ちゅうごくと周辺しゅうへん諸国しょこく・諸しょ民族みんぞくの関係かんけいを理解りかいする鍵かぎとなります。

6. 朝鮮ちょうせん・ベトナム・日本にほん

朝鮮半島ちょうせんはんとう

時期じき主おもな出来事できごと
7 世紀せいき新羅しんら (しらぎ) が半島はんとう統一とういつ (676 年ねん)、 唐とうと連合れんごう
10 世紀せいき高麗こうらい (こうらい) が半島はんとう統一とういつ (936 年ねん)、 仏教ぶっきょうと科挙かきょ
13 世紀せいきモンゴルに服属ふくぞく、 元もとの日本にほん遠征えんせい (元もと寇) に動員どういん
14 世紀せいき末まつ李成桂りせいけい が 朝鮮王朝ちょうせんおうちょう (李氏朝鮮りしちょうせん) を建国けんこく (1392 年ねん)
15 世紀せいき世宗せいそう (セジョン) が ハングルはんぐる (訓民正音くんみんせいおん) 制定せいてい (1446 年ねん)
16 世紀せいき末まつ壬辰倭乱じんしんわらん (じんしんわらん、 日本にほんでは文禄・慶長の役ぶんろくけいちょうのえき) — 豊臣とよとみ秀吉ひでよしの朝鮮ちょうせん侵攻しんこう
17 世紀せいき清きよしに服属ふくぞく

ハングルはんぐるは 「庶民しょみんが学まなびやすいように」 と王おう自みずからが制定せいていした表音ひょうおん文字もじで、 世界せかい史しでも珍めずらしい例れいです。

ベトナム

ベトナムは中国ちゅうごくの強つよい影響えいきょうを受うけながらも、 独立どくりつを守まもり続つづけました。

時期じき主おもな出来事できごと
紀元前きげんぜん 〜 10 世紀せいき中国ちゅうごくの直接ちょくせつ支配しはい
939 年ねん独立どくりつ、 李朝りちょう・陳朝ちんちょう・黎朝れいちょう等
13 世紀せいき陳朝ちんちょうがモンゴルの侵攻しんこうを撃退げきたい
19 世紀せいき阮朝げんちょう (げんちょう) 成立せいりつ、 後ごにフランス植民しょくみん地ち化か

日本にほんとの関係かんけい

中世ちゅうせい東ひがしアジアにおける日本にほんとの主おもな接点せってん:

  • 遣隋使けんずいし・遣唐使けんとうし (7 〜 9 世紀せいき) — 律令制りつりょうせい・仏教ぶっきょう・漢字かんじを受容じゅよう
  • 宋そうとの民間みんかん交易こうえき (12 世紀せいき平清盛たいらのきよもり等とう)
  • 元寇げんこう (文永の役ぶんえいのえき 1274、 弘安の役こうあんのえき 1281) — 元もと軍ぐんの日本にほん侵攻しんこう、 失敗しっぱい
  • 勘合貿易かんごうぼうえき (15 〜 16 世紀せいき) — 明めいとの朝貢ちょうこう貿易ぼうえき
  • 壬辰倭乱じんしんわらん (1592 〜 98) — 豊臣とよとみ秀吉ひでよしの朝鮮ちょうせん出兵しゅっぺい

7. 冊さつ封ふう体制たいせいと東ひがしアジア交易こうえき圏けん

冊さつ封ふうとは

中国ちゅうごく王朝おうちょうを中心ちゅうしんとする国際こくさい秩序ちつじょを 冊封体制さくほうたいせい (さくほうたいせい) と呼よびます。 周辺しゅうへん国こくの君主くんしゅが中国ちゅうごく皇帝こうていから 王おう・国王こくおう 等とうの称号しょうごうと印しるしを授さずかり (冊さつ封ふう)、 定期ていき的てきに 朝貢ちょうこう (ちょうこう、 貢物みつぎものを献上けんじょう) し、 その見返みかえりに中国ちゅうごく皇帝こうていから高価こうかな下賜かし品ひんを受うけ取とる、 という関係かんけいです。

利点りてん内容ないよう
周辺しゅうへん国こく側がわ中国ちゅうごくとの朝貢ちょうこう貿易ぼうえきで高価こうかな物産ぶっさんを得えられる、 国内こくないでの権威けんいが高たかまる
中国ちゅうごく側がわ「徳とくを慕したう諸国しょこく 」 という名目めいもくで皇帝こうていの威信いしんが高たかまる

大事だいじ: 冊封体制さくほうたいせいは 「中国ちゅうごくが周辺しゅうへん国こくを支配しはいした不平等ふびょうどう関係かんけい」 と古ふるく描えがかれましたが、 現在げんざいの研究けんきゅうでは 儀礼ぎれい的てき関係かんけいで実質じっしつ的てき政治せいじ干渉かんしょうは少すくなく、 周辺しゅうへん国こくは中国ちゅうごくとの関係かんけいを 戦略せんりゃく的てきに利用りようしていた 側面そくめんが強調きょうちょうされています。 一方いっぽう的てきな上下じょうげ関係かんけいではなかったことを押おさえましょう。

東ひがしアジア交易こうえき圏けん

中世ちゅうせい 〜 近世きんせいの東ひがしアジアでは、 中国ちゅうごくを中心ちゅうしんに朝鮮ちょうせん・日本にほん・琉球りゅうきゅう・ベトナム・東南とうなんアジア諸国しょこくが海上かいじょう交易こうえきで結むすばれていました。 主おもな交易こうえき品ひん:

  • 中国ちゅうごく — 絹きぬ・陶磁器とうじき・銅銭どうせん・茶ちゃ
  • 日本にほん — 銀ぎん・銅どう・刀かたな・硫い黄おう
  • 朝鮮ちょうせん — 木綿ゆう・人参にんじん
  • 琉球りゅうきゅう (沖縄おきなわ) — 中継ちゅうけい貿易ぼうえきで繁栄はんえい、 「万国ばんこく津しん梁りょう」
  • 東南とうなんアジア — 香辛料こうしんりょう・蘇そ木き・染料せんりょう

16 世紀せいき以降いこう、 ここに ヨーロッパ諸国しょこく (ポルトガル・スペイン・オランダ) が加くわわり、 世界せかいは海うみでつながります (Ch6 で詳しく)。

8. 安全あんぜん・倫理りんり配慮はいりょとまとめ

中国ちゅうごく・朝鮮ちょうせんへの偏見へんけんを避さける

  • 「中国ちゅうごく = 専制せんせいで遅おくれた」 「朝鮮ちょうせん = 中国ちゅうごくの属国ぞっこく」 等ひとし、 19 〜 20 世紀せいきの 西洋中心史観せいようちゅうしんしかん・植民地主義しょくみんちしゅぎ に基もとづく偏見へんけんは厳禁げんきんです
  • 18 世紀せいきまで 中国ちゅうごく経済けいざいの G D P は世界一せかいいち であり、 朝鮮ちょうせんも高度こうどな文化ぶんか (ハングル・科挙かきょ・性せい理学りがく) を持もっていました
  • 壬辰倭乱じんしんわらん (豊臣とよとみ秀吉ひでよしの朝鮮ちょうせん侵攻しんこう) は朝鮮ちょうせんでは今いまも 国民こくみん的てき記憶きおく であり、 日本にほん史しの教科書きょうかしょで軽かるく扱あつかうだけでは不十分ふじゅうぶんです
  • 現代げんだいの中国ちゅうごく・韓国かんこく・北朝鮮きたちょうせんとの関係かんけいを学まなぶときは、 歴史れきし的てき経緯けいいと複数ふくすうの立場たちば を押おさえること

「中華ちゅうか思想しそう」 の中立ちゅうりつ的てき理解りかい

冊封体制さくほうたいせいの背景はいけいには 「中華ちゅうか思想しそう」 (華夷かい思想しそう) があり、 中国ちゅうごくを文明ぶんめいの中心ちゅうしんとし周辺しゅうへんを 「夷い」 と呼よぶ世界せかい観かんがありました。 これを 「中国ちゅうごくの自大じだい主義しゅぎ」 と一方いっぽう的てきに批判ひはんするのではなく、 当時とうじの 国際こくさい秩序ちつじょを維持いじする装置そうち として理解りかいする視点してんも大切たいせつです (中世ちゅうせいヨーロッパでキリスト教きりすときょう世界せかいを中心ちゅうしんと見みたのと似にています)。

解釈かいしゃくが諸説しょせつあること

  • モンゴル帝国もんごるていこくの評価ひょうか — 「破壊はかい者しゃ」 説せつと 「ユーラシア統合とうごう者しゃ」 説せつ、 近年きんねんは後者こうしゃが強つよい
  • 宋そうの 「弱よわさ」 — 軍事ぐんじでは北方ほっぽう民族みんぞくに押おされたが、 経済けいざい・技術ぎじゅつ・文化ぶんかでは当時とうじ世界せかい最高さいこう
  • 清しんの性格せいかく — 「中国ちゅうごく王朝おうちょう」 か 「内陸ないりくアジア帝国ていこく」 かで大おおきな議論ぎろん
  • 冊封体制さくほうたいせいの実態じったい — 形式けいしき的てきだったか実質じっしつ的てきだったかで学者がくしゃにより評価ひょうかが異ことなる

この章しょうのポイント

  • 隋ずい唐とう — 律令りつりょう国家こっかと国際こくさい都市とし長安ちょうあん、 周辺しゅうへん国こくへの影響えいきょう
  • 宋そう — 文治ぶんじ主義しゅぎと経済けいざい・技術ぎじゅつの大だい革命かくめい、 朱子学しゅしがく
  • モンゴル — ユーラシアの統合とうごう、 パクス・モンゴリカ
  • 明めい — 漢かん民族みんぞく復興ふっこう、 鄭和ていわの大だい航海こうかい、 海うみ禁きん
  • 清きよし — 満まん洲しゅう族ぞくによる多た民族みんぞく帝国ていこく、 領土りょうど最大さいだい
  • 朝鮮ちょうせん・ベトナム・日本にほん — 各国かっこくの独自どくじ性せいと中国ちゅうごくとの関係かんけい
  • 冊さつ封ふう体制たいせい — 一方いっぽう的てき支配しはいではない儀礼ぎれい的てき国際こくさい秩序ちつじょ

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次じ章しょうでは視点してんをヨーロッパに戻もどし、 近世きんせいヨーロッパ を学まなびます。 ルネサンスるねさんす・宗教改革しゅうきょうかいかく・大航海時代だいこうかいじだい・絶対王政ぜったいおうせいが主おもなテーマです。 ここで見みてきた アジア三さん大帝たいてい国こく (清しん・ムガル帝国むがるていこく・オスマン帝国おすまんていこく) と並行へいこうして、 ヨーロッパがどのように海うみをこえ世界せかいとつながっていくか、 そしてやがて産業革命さんぎょうかくめいへの道みちを開ひらいていくかを見みていきましょう。

まとめ — 中世ちゅうせい東ひがしアジアを 3 行くだりで

  • 隋唐とうが律令りつりょう国家こっかと国際こくさい都市とし長安ちょうあんを築きずき、 宋そうは文治ぶんじ主義しゅぎと三大発明さんだいはつめいで経済けいざいと技術ぎじゅつの革命かくめいを起おこした
  • モンゴル帝国もんごるていこくがユーラシアを統合とうごうしモンゴルの平和モンゴルのへいわが東西とうざい交流こうりゅうを拡大かくだい、 元げんのあと明めいが漢かん民族みんぞく復興ふっこうと鄭和ていわの大だい航海こうかいを行おこなう
  • 清しんは満まん洲しゅう族ぞくによる多た民族みんぞく帝国ていこくとして領土りょうどを最大さいだい化か、 朝鮮ちょうせん・ベトナム・日本にほんと冊封体制さくほうたいせいの儀礼ぎれい的てき国際こくさい秩序ちつじょを形成けいせいした
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学がく習しゅうロードマップ(10件けん)
  1. 1世界せかい史しへの扉とびら (時代じだい区分くぶん・史料しりょう・諸しょ地域ちいき)
  2. 2古代こだいオリエント・ギリシャ・ローマ
  3. 3古代こだいインド・中国ちゅうごく・東南とうなんアジア
  4. 4中世ちゅうせいヨーロッパとイスラム世界せかい
  5. 5中世ちゅうせい東ひがしアジア (隋ずい唐とう宋そう元明もとあき清きよし・モンゴル)
  6. 6近世きんせいヨーロッパ (ルネサンス・宗教しゅうきょう改革かいかく・大だい航海こうかい・絶対ぜったい王政おうせい)
  7. 7産業革命さんぎょうかくめいと市民しみん革命かくめい (英えい・米べい・仏ふつとナポレオン)
  8. 8帝国ていこく主義しゅぎと第だい一いち次じ世界せかい大戦たいせん (列強れっきょうの拡大かくだいと大戦たいせん・ロシア革命かくめい)
  9. 9第だい二に次じ世界せかい大戦たいせんと冷戦れいせん (恐慌きょうこうから脱だつ植民しょくみん地ち化かまで)
  10. 10現代げんだい世界せかい (1990 年代ねんだい以降いこうのグローバル化かと地球ちきゅう的てき課題かだい)