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日本史探究

戦国せんごく・安土あづち桃山ももやま時代じだい (中世ちゅうせい末まつから近世きんせいへ)

最終確認日:

この章しょうで学まなぶこと

応仁の乱おうにんのらん (1467-1477) の後のち、 約やく 100 年ねんにわたり戦国時代せんごくじだいがつづきました。 この混乱こんらんの中なかから、 織田信長おだのぶなが・豊臣秀吉とよとみひでよしという新あたらしいタイプの権力けんりょく者しゃが現あらわれ、 全国ぜんこく統一とういつが実現じつげんしていきます。

ヨーロッパとの出会であい (1543 年ねん鉄砲てっぽう伝来でんらい、 1549 年ねんキリスト教きりすときょう伝来でんらい) は、 日本にほん社会しゃかいを根本こんぽんから変かえました。 軍事ぐんじ・経済けいざい・文化ぶんかのすべてに「南蛮なんばん (なんばん)」の影響えいきょうが広ひろがります。

この章しょうでは、 中世ちゅうせいから近世きんせいへの大おおきな転換てんかんを、 政治せいじ・軍事ぐんじ・経済けいざい・文化ぶんか・国際こくさいの各面かくめんから立体りったい的てきにとらえます。

  • 戦国大名せんごくだいみょう の誕生たんじょうと分国法ぶんこくほう
  • 鉄砲伝来てっぽうでんらい とキリスト教伝来きりすときょうでんらい、 南蛮貿易なんばんぼうえき
  • 織田信長おだのぶなが の天下てんか統一とういつ事業じぎょうと本能寺ほんのうじの変へん
  • 豊臣秀吉とよとみひでよし の全国ぜんこく統一とういつ、 太閤検地たいこうけんち・刀狩かたながり
  • 文禄ぶんろく・慶長けいちょうの役やく (朝鮮出兵ちょうせんしゅっぺい)
  • 桃山文化ももやまぶんか と南蛮文化なんばんぶんか

大事だいじ: 戦国せんごく・安土あづち桃山ももやまは約やく 130 年ねんと短みじかいものの、 「中世ちゅうせい社会しゃかいの終おわり」と「近世きんせい社会しゃかいの始はじまり」が同時どうじ進行しんこうする転換期てんかんきです。 兵農分離へいのうぶんり・石高制こくだかせい・鎖国さこくへの助走じょそうなど、 江戸えど 260 年ねんの枠組わくぐみがこの時期じきに作つくられました。

1. 戦国せんごく時代じだいの幕開まくあけ

応仁おうにんの乱らんの影響えいきょう

1467 年ねんに始はじまった応仁の乱おうにんのらんは、 11 年ねんにわたる京都きょうとでの戦乱せんらんを経へて、 室町幕府むろまちばくふの権威けんいを決定的けっていてきに失墜しっついさせました。 戦国せんごく時代じだいの本質ほんしつは、 中央ちゅうおう権力けんりょく (室町幕府むろまちばくふ・守護大名しゅごだいみょう) の没落ぼつらくと、 地域ちいき権力けんりょく (戦国大名せんごくだいみょう) の自立じりつです。

項目こうもく室町むろまち期きの守護大名しゅごだいみょう戦国せんごく期きの戦国大名せんごくだいみょう
任命にんめい将軍しょうぐんからの任命にんめい実力じつりょくで領国りょうごくを支配しはい
根拠こんきょ幕府ばくふの権威けんい自前じまえの軍事ぐんじ力りょく・経済けいざい力りょく
領地りょうち国くに単位たんい (一いち国こく守護しゅご)地域ちいき単位たんい (郡ぐん・国くにを超こえる)
家臣かしん団だん国人くにびと (こくじん) との緩ゆるい結むすびつき家臣団かしんだんを直接ちょくせつ統制とうせい

下克上げこくじょうの社会しゃかい

下克上げこくじょう とは、 下したの身分みぶんの者ものが上うえの身分みぶんの者ものをしのぐ風潮ふうちょうです。 守護しゅご代だいから大名だいみょうへ (朝倉あさくら氏し)、 国人くにびとから大名だいみょうへ (毛利もうり氏し)、 さらには農民のうみん出身しゅっしんの豊臣秀吉とよとみひでよしが関白かんぱくになるなど、 身分みぶんの流動りゅうどう性せいは中世ちゅうせい日本にほん史し最大さいだい級きゅうでした。

ポイント: 下克上げこくじょうは単たんなる「裏切うらぎり」ではなく、 中世ちゅうせい的てきな身分みぶん秩序ちつじょの崩壊ほうかいと、 実力じつりょく主義しゅぎへの移行いこうを示しめします。 これが近世きんせい幕まく藩はん体制たいせい (固定こてい的てき身分みぶん制せい) によって再ふたたび封ふうじられるまで、 約やく 1 世紀せいきにわたり続つづきました。

主要しゅような戦国せんごく大名だいみょう (地域ちいき別べつ)

地域ちいき大名だいみょう拠点きょてん
東北とうほく伊達だて氏し米沢よねざわ
関東かんとう後北条ごほうじょう氏小田原おだわら
甲信こうしん武田たけだ氏し・上杉うえすぎ氏し甲府こうふ・春日山かすがやま
東海とうかい今川いまがわ氏し・織田おだ氏し・徳川とくがわ氏し駿府すんぷ・尾張おわり・岡崎おかざき
中国ちゅうごく毛利もうり氏し吉田郡山よしだこおりやま
四国しこく長宗我部ちょうそかべ氏し岡豊おこう
九州きゅうしゅう島津しまづ氏・大友おおとも氏し鹿児島かごしま・豊後ぶんご

2. 分ぶん国法こくほうと領国りょうごく経営けいえい

分ぶん国法こくほうとは

戦国せんごく大名だいみょうが領国りょうごく (分ぶん国こく) を支配しはいするために定さだめた独自どくじの法ほうを分国法ぶんこくほうといいます。 室町むろまち期きの御成敗式目ごせいばいしきもくを補おぎない、 領国りょうごくの実情じつじょうに合あわせた条文じょうぶんをもっています。

代表だいひょう的てきな分ぶん国法こくほう

分ぶん国法こくほう大名だいみょう特色とくしょく
塵芥集じんかいしゅう伊達稙宗だてたねむね全ぜん 171 条じょう、 民事みんじ・刑事けいじ・行政ぎょうせいまで広範こうはん
甲州法度之次第こうしゅうはっとのしだい武田信玄たけだしんげん喧嘩両成敗けんかりょうせいばい法ほうを明記めいき
今川仮名目録いまがわかなもくろく今川氏親いまがわうじちか守護しゅご使し不入ふにゅう (しゅごしふにゅう) の特権とっけんを否定ひてい
塵芥集じんかいしゅう・結城氏新法度ゆうきしんはっと結城氏ゆうきし家臣かしん統制とうせいを厳格げんかく化か

喧嘩けんか両成敗りょうせいばい法ほう

家臣かしん同士どうしの私闘しとうを禁きんじ、 喧嘩けんかを起おこした双方そうほうを処罰しょばつする喧嘩両成敗けんかりょうせいばい法ほうは、 大名だいみょうによる紛争ふんそう解決かいけつの独占どくせんを意味いみします。 「自力じりき救済きゅうさい」を否定ひていし、 大名だいみょう権力けんりょくの下したに秩序ちつじょを一元化いちげんかする画期的かっきてきな法ほうでした。

大事だいじ: 分ぶん国法こくほうは、 中世ちゅうせいの「自力じりき救済きゅうさい」社会しゃかいから、 近世きんせいの「公権力こうけんりょくによる紛争ふんそう解決かいけつ」社会しゃかいへの過渡かと期きを象徴しょうちょうします。 これは江戸えど幕府ばくふの武家諸法度ぶけしょはっとへと発展はってんしていきます。

戦国せんごく大名だいみょうの経済けいざい政策せいさく

  • 楽市楽座らくいちらくざ — 市場しじょうでの座ざ (同どう業者ぎょうしゃ組合くみあい) の特権とっけんを廃止はいしし、 自由じゆうな商しょう取引とりひきを認みとめる。 織田信長おだのぶながが安土あづち・岐阜ぎふで実施じっししたのが有名ゆうめい
  • 検地けんち — 領内りょうないの田畑たはたの面積めんせき・収量しゅうりょうを測量そくりょうし、 年貢ねんぐを確実かくじつに取とる
  • 鉱山こうざん開発かいはつ — 武田たけだ氏しの甲州こうしゅう金かね、 石見いわみ銀山ぎんざんなど
  • 城下町じょうかまち建設けんせつ — 家臣かしんを城下じょうかに集しゅう住じゅうさせ、 商工しょうこう業者ぎょうしゃを呼よび寄よせる

3. 鉄砲てっぽうとキリスト教きょうの伝来でんらい

鉄砲てっぽう伝来でんらい (1543 年ねん)

1543 年ねん、 種子島たねがしま (鹿児島かごしま県けん) に漂着ひょうちゃくしたポルトガル人じんによって鉄砲てっぽうがもたらされました。 領主りょうしゅの種子島時尭たねがしまときたかはこれを購入こうにゅうし、 国産こくさん化かに成功せいこうします。

その後ご、 紀伊きいの根来ねごろ・雑賀さいが、 近江おうみの国友くにとも、 和泉いずみの堺さかいなど各地かくちで大量たいりょう生産せいさんが始はじまり、 戦国せんごくの戦術せんじゅつは大おおきく変化へんかしました。

鉄砲てっぽうがもたらした変化へんか

変化へんか内容ないよう
戦術せんじゅつ騎馬きば武者むしゃ中心ちゅうしん → 足軽あしがる鉄砲てっぽう隊たい中心ちゅうしんへ (長篠ながしのの戦たたかい 1575 年ねんが画が期き)
築城ちくじょう山城やましろから平城ひらじろ・平山ひらやま城しろへ (石垣いしがき・堀ほり・天守てんしゅ閣かく)
戦争せんそう規模きぼ大量たいりょうの足軽あしがる動員どういん → 大だい規模きぼ合戦かっせんの常態じょうたい化か
大名だいみょうの経済けいざい力りょく差さ鉄砲てっぽう・火薬かやくを買かえる経済けいざい力りょくが勝敗しょうはいを左右さゆう

キリスト教きょう伝来でんらい (1549 年ねん)

1549 年ねん、 イエズス会かい(カトリックの修道しゅうどう会かい) の宣教師せんきょうしフランシスコ・ザビエルふらんしすこ・ざびえるが鹿児島かごしまに上陸じょうりくし、 日本にほんにキリスト教きりすときょうが伝つたえられました。

その後ご山口やまぐち・豊後ぶんご (大分おおいた) を中心ちゅうしんに布教ふきょうが進すすみ、 大友おおとも宗麟そうりん・大村純忠おおむらすみただ・有馬晴信ありまはるのぶらキリシタン大名キリシタンだいみょうが誕生たんじょうします。 1582 年ねんには天正遣欧使節てんしょうけんおうしせつがローマ教皇きょうこうのもとに派遣はけんされました。

ポイント: 当時とうじの日本人にっぽんじんはキリスト教きりすときょうを「南蛮なんばんの宗教しゅうきょう」と呼よびました。 「南蛮なんばん」とはもともと中国ちゅうごくで南方なんぽうの異い民族みんぞくを指さす語かたりですが、 日本にほんではポルトガル・スペイン人じんを指さすようになります。 後ごにオランダ・イギリス人じんは「紅毛こうもう」と呼よんで区別くべつしました。

南蛮なんばん貿易ぼうえき

ポルトガル船せんとの貿易ぼうえきを南蛮貿易なんばんぼうえきといいます。

  • 日本にほんからの輸出ゆしゅつ — 銀ぎん (主力しゅりょく)、 刀剣とうけん、 漆器しっき、 海産物かいさんぶつ
  • 日本にほんへの輸入ゆにゅう — 中国ちゅうごく産さん生糸きいと、 絹織物きぬおりもの、 鉄砲てっぽう、 火薬かやく、 ガラス製品せいひん、 時計とけい

石見いわみ銀山ぎんざんなどで産出さんしゅつした銀ぎんが大量たいりょうに世界せかいに流出りゅうしゅつし、 16 世紀せいき後半こうはんの世界せかい経済けいざい (大西洋たいせいようからアジアまでの「銀ぎんの循環じゅんかん」) に日本にほんも組くみ込こまれました。

4. 織田おだ信長のぶながの天下てんか統一とういつ事業じぎょう

信長のぶながの登場とうじょう

尾張おわり (愛知あいち県けん西部せいぶ) の小しょう大名だいみょうだった織田信長おだのぶなが (1534-1582) は、 1560 年ねんの桶狭間の戦いおけはざまのたたかいで東海とうかいの大だい大名だいみょう今川義元いまがわよしもとを破やぶり、 一躍いちやく歴史れきしの表おもて舞台ぶたいに登場とうじょうします。

信長のぶながの主要しゅような戦たたかい

年ねん戦たたかい内容ないよう
1560桶狭間の戦いおけはざまのたたかい今川いまがわ義元よしもとを奇襲きしゅうで討うつ
1568足利義昭あしかがよしあきを奉ほうじて上洛じょうらく室町むろまち幕府ばくふ 15 代将だいしょう軍ぐんを擁立ようりつ
1570姉川あねがわの戦たたかい浅井あざい・朝倉あさくら連合れんごう軍ぐんを破やぶる
1571比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ焼やき討うち仏教ぶっきょう勢力せいりょく (僧兵そうへい) を屈服くっぷく
1573室町むろまち幕府ばくふを滅ほろぼす義昭よしあきを追放ついほう、 約やく 235 年ねん続つづいた幕府ばくふの終焉しゅうえん
1575長篠の戦いながしののたたかい鉄砲てっぽう三さん段だん撃うちで武田たけだ騎馬きば軍団ぐんだんを破やぶる
1580石山本願寺いしやまほんがんじ降伏ごうぶく11 年ねんにわたる一向一揆いっこういっきとの戦たたかいに決着けっちゃく

信長のぶながの革新かくしん的てき政策せいさく

  • 楽市楽座らくいちらくざ — 安土城あづちじょう下かや岐阜ぎふで座ざを廃止はいし、 商人しょうにんを集あつめる
  • 関所せきしょの撤廃てっぱい — 流通りゅうつうを自由じゆう化か
  • 安土城あづちじょう築城ちくじょう — 1576 年ねん着工ちゃっこう。 5 層そう 7 階かいの天守てんしゅ閣かくをもつ革新かくしん的てき城郭じょうかく。 信長のぶながの権威けんいを可視かし化か
  • キリスト教きりすときょう保護ほご — 仏教ぶっきょう勢力せいりょく対策たいさくと西洋せいよう技術ぎじゅつ導入どうにゅうのため
  • 兵農分離へいのうぶんり — 家臣かしんを城下じょうかに集しゅう住じゅうさせる動うごきを推進すいしん

本能寺ほんのうじの変へん (1582 年ねん)

1582 年ねん 6 月つき 2 日にち、 中国ちゅうごく地方ちほうの毛利もうり攻せめの援軍えんぐんに向むかう途中とちゅう、 信長のぶながは京都きょうとの本能寺ほんのうじで家臣かしん明智光秀あけちみつひでの謀反むほん (むほん) により自刃じじんします。 享年きょうねん 49。 全国ぜんこく統一とういつを目前もくぜんにしての突然とつぜんの死しでした。

大事だいじ: 本能寺ほんのうじの変へんの動機どうきについては、 怨恨えんこん説せつ、 野望やぼう説せつ、 朝廷ちょうてい黒幕くろまく説せつ、 豊臣秀吉とよとみひでよし関与かんよ説せつなど諸説しょせつあり、 現在げんざいも論争ろんそうが続つづいています。 史料しりょうに基もとづき複数ふくすうの解釈かいしゃくを比較ひかく検討けんとうする姿勢しせいが大切たいせつです。

5. 豊臣とよとみ秀吉ひでよしの全国ぜんこく統一とういつ

秀吉ひでよしの登場とうじょう

農民のうみんの子こから信長のぶながに仕つかえ、 数々かずかずの武功ぶこうを立たてた豊臣秀吉とよとみひでよし (1537-1598) は、 本能寺ほんのうじの変へんの知しらせを受うけると中国大返しちゅうごくおおがえしという驚異きょうい的てきな強行きょうこう軍ぐんで京都きょうとに戻もどり、 山崎やまざきの戦たたかいで明智あけち光秀みつひでを討うちました。

秀吉ひでよしの統一とういつ過程かてい

年ねん出来事できごと
1582山崎やまざきの戦たたかいで光秀みつひでを討うつ
1583賤ヶ岳しずがたけの戦たたかいで柴田勝家しばたかついえを破やぶる、 大坂城おおさかじょう築城ちくじょう
1584小牧こまき・長久手ながくての戦たたかいで徳川家康とくがわいえやすと和睦わぼく
1585関白かんぱくに就任しゅうにん、 四国しこく平定へいてい (長宗我部ちょうそかべ降伏ごうぶく)
1586太政大臣だじょうだいじんに就任しゅうにん、 豊臣とよとみ姓せいを賜たまわる
1587九州きゅうしゅう平定へいてい (島津しまづ降伏ごうぶく)、 バテレン追放ついほう令れい
1588刀狩令かたながりれい
1590小田原おだわらの後北条ごほうじょう氏を倒たおし、 全国ぜんこく統一とういつ達成たっせい

太閤たいこう検地けんち

太閤検地たいこうけんち (1582 年ねんから全国ぜんこくで実施じっし) は、 秀吉ひでよしの支配しはい体制たいせいの基礎きそをなす土地とち制度せいどです。

  • 統一とういつ基準きじゅん — 京きょう枡ます (きょうます、 容積ようせきを全国ぜんこく統一とういつ) で米べいの収量しゅうりょうを測定そくてい
  • 石高制こくだかせい — 田畑たはたの収量しゅうりょうを米べいの量りょう (石こく) で表示ひょうじ。 1 石いし = 大人おとな 1 人ひとの年間ねんかん消費しょうひ量りょうにほぼ相当そうとう
  • 一地一作人いっちいっさくにんの原則げんそく — 1 つの土地とちにつき 1 人ひとの耕作こうさく者しゃを登録とうろく (検地帳けんちちょう)。 中世ちゅうせいの荘園しょうえんに見みられた重層じゅうそう的てき所有しょゆう関係かんけいを解体かいたい
  • 大名だいみょうの格付かくづけ — 大名だいみょうの力ちからは石高こくだかで表示ひょうじ (例れい: 加賀かが百万石ひゃくまんごく)

ポイント: 太閤たいこう検地けんちは単たんなる測量そくりょうではなく、 土地とちと人ひとの関係かんけいを再さい編成へんせいする大改革だいかいかくです。 中世ちゅうせいの荘園公領制しょうえんおおやけりょうせいを最終さいしゅう的てきに解体かいたいし、 近世きんせいの幕藩体制ばくはんたいせいの経済けいざい的てき基盤きばんを作つくりました。

刀狩かたながり

1588 年ねん、 秀吉ひでよしは刀狩令かたながりれいを出だし、 農民のうみんから武器ぶき (刀がたな・弓ゆみ・槍やり・鉄砲てっぽう) を取とり上あげました。 名目めいもくは京都きょうとの方広寺ほうこうじ大仏だいぶつ建立こんりゅうのための釘くぎ・鎹 (かすがい) としての利用りようでしたが、 実質じっしつ的てき目的もくてきは農民のうみんの武装ぶそう解除かいじょです。

太閤たいこう検地けんちと刀狩かたながりを合あわせて兵農分離へいのうぶんりといいます。 これにより、

  • 武士ぶし — 城下町じょうかまちに集しゅう住じゅうし、 戦闘せんとう・行政ぎょうせいを担になう
  • 農民のうみん — 村むらに定住ていじゅうし、 年貢ねんぐを納おさめる
  • 町人ちょうにん — 城下町じょうかまち・港町みなとちょうで商しょう工業こうぎょうを営いとなむ

という近世きんせいの身分制度みぶんせいどの基礎きそが確立かくりつしました。

バテレン追放ついほう令れい

1587 年ねん、 九州きゅうしゅう平定へいてい後ごに秀吉ひでよしはバテレン追放令バテレンついほうれいを出だし、 宣教師せんきょうしの国外こくがい追放ついほうを命めいじました。 ただし南蛮なんばん貿易ぼうえきは継続けいぞくを認みとめたため、 中途半端ちゅうとはんぱな政策せいさくに終おわります。 1596 年ねんのサン・フェリペ号ごう事件じけんを契機けいきに弾圧だんあつは強化きょうかされ、 翌よく 1597 年ねんには二十六聖人殉教にじゅうろくせいじんじゅんきょう事件じけん (長崎ながさきで 26 人ひとのキリシタンが処刑しょけい) が起おきました。

6. 朝鮮ちょうせん出兵しゅっぺい (文禄・慶長の役ぶんろくけいちょうのえき)

出兵しゅっぺいの経緯けいい

国内こくない統一とういつを達成たっせいした秀吉ひでよしは、 明みん (中国ちゅうごくの王朝おうちょう) 征服せいふくを構想こうそうし、 その通路つうろとして朝鮮ちょうせんに協力きょうりょくを要求ようきゅうしました。 朝鮮ちょうせん側がわが拒絶きょぜつすると、 1592 年ねんと 1597 年ねんの 2 度どにわたり大軍たいぐんを派遣はけんします。

年ねん名称めいしょう結果けっか
1592-1593文禄ぶんろくの役やく (朝鮮ちょうせんでは壬辰じんしん倭やまと乱らん)緒戦しょせんで漢城ハンソン (ソウル) 占領せんりょうも、 明めいの援軍えんぐんと李舜臣りしゅんしんの水軍すいぐんに苦戦くせん、 講和こうわ交渉こうしょうへ
1597-1598慶長けいちょうの役やく (朝鮮ちょうせんでは丁酉ていゆう倭やまと乱らん)講和こうわ決裂けつれつ後ごの再さい侵攻しんこう、 苦戦くせんの中なかで秀吉ひでよし死去しきょ、 全ぜん軍ぐん撤退てったい

出兵しゅっぺいの影響えいきょう

  • 朝鮮ちょうせん側がわの被害ひがい — 国土こくど荒廃こうはい、 多数たすうの陶工とうこう・学者がくしゃが連行れんこうされた (一方いっぽうで帰化きかして有田焼ありたやき・薩摩焼さつまやきの創始そうし者しゃとなった例れいも)
  • 明めいの衰退すいたい — 援軍えんぐん派遣はけんの負担ふたんで明めいの財政ざいせい・軍事ぐんじは弱体じゃくたい化か、 後ごの清しん (満州まんしゅう族ぞく) 台頭たいとうの遠因えんいん
  • 豊臣とよとみ政権せいけんの弱体じゃくたい化か — 諸しょ大名だいみょうは莫大ばくだいな戦費せんぴ・兵力へいりょくを消耗しょうもう、 政権せいけんの求心力きゅうしんりょくを失うしなう
  • 東ひがしアジア国際こくさい関係かんけいの変化へんか — 朝鮮ちょうせんとの国交こっこうは一時いちじ断絶だんぜつ、 江戸えど時代じだいに対馬つしまの宗そう氏しを介かいして朝鮮通信使ちょうせんつうしんしとして回復かいふく

大事だいじ: 朝鮮ちょうせん出兵しゅっぺいは、 東ひがしアジアの国際こくさい秩序ちつじょを大おおきく揺ゆさぶった出来事できごととして、 日にち中ちゅう韓かんの歴史れきし認識にんしき上じょうも重要じゅうようなテーマです。 各国かっこくの史料しりょうを比較ひかくし、 多角たかく的てきに学まなぶことが求もとめられます。

7. 桃山ももやま文化ぶんかと南蛮なんばん文化ぶんか

桃山ももやま文化ぶんかの特色とくしょく

安土あづち・桃山ももやま (京都きょうとの伏見ふしみ城じょうがあった地ち) 時代じだいの文化ぶんかを桃山文化ももやまぶんかといいます。 特色とくしょくは、

  1. 豪華ごうか絢爛けんらん ([きらびやか]) — 大名だいみょう・豪商ごうしょうの経済けいざい力りょくを反映はんえい
  2. 大だい画面がめん・大だい規模きぼ — 城郭じょうかくの障壁画しょうへきがや屏風絵びょうぶえ
  3. 新興しんこう武士ぶし・町人ちょうにんの活力かつりょく — 仏教ぶっきょう色しょくが薄うすれ、 現世げんせい肯定こうてい的てき
  4. 南蛮なんばん文化ぶんかの融合ゆうごう — 西洋せいようの影響えいきょう

城郭じょうかく建築けんちく

白壁の天守がそびえる姫路城
姫路城ひめじじょう(兵庫ひょうご県けん)。安土あづち桃山ももやま〜江戸えど初期しょきに発達はったつした壮大そうだいな天守てんしゅ建築けんちくの代表だいひょう例れいで、現存げんそん天守てんしゅの最高さいこう傑作けっさくとされる(世界せかい遺産いさん)。
城しろ大名だいみょう特色とくしょく
安土城あづちじょう織田おだ信長のぶなが5 層そう 7 階かいの天守てんしゅ、 革新かくしん的てきだが本能寺ほんのうじの変へん後ごに焼失しょうしつ
大坂城おおさかじょう豊臣とよとみ秀吉ひでよし全国ぜんこく統一とういつの象徴しょうちょう、 大だい規模きぼな石垣いしがき
伏見城ふしみじょう秀吉ひでよし晩年ばんねんの居城きょじょう、 「桃山ももやま」の地名ちめいの由来ゆらい
姫路城ひめじじょう(江戸えど初期しょき完成かんせい)世界せかい遺産いさん、 白鷺城しらさぎじょうの異名いみょう、 現存げんそん天守てんしゅ

障壁しょうへき画がと絵画かいが

  • 狩野永徳かのうえいとく — 狩野派かのうはの代表だいひょう、 唐獅子図屏風からじしずびょうぶ、 洛中洛外図屏風らくちゅうらくがいずびょうぶ
  • 長谷川等伯はせがわとうはく — 松林図屏風しょうりんずびょうぶ (水墨すいぼく画がの最高さいこう傑作けっさくの一ひとつ)
  • 海北友松かいほうゆうしょう — 禅宗ぜんしゅう寺院じいんの障壁しょうへき画が

茶の湯ちゃのゆと千利休せんのりきゅう

千利休せんのりきゅう (1522-1591) は堺さかいの商人しょうにん出身しゅっしんの茶人ちゃじんで、 信長のぶなが・秀吉ひでよしに仕つかえました。 簡素かんそを尊とうとぶわび茶わびちゃを大成たいせいし、 二畳にじょうの待庵たいあんに代表だいひょうされる茶室ちゃしつを生うみ出だします。

しかし秀吉ひでよしの不興ふきょうを買かい、 1591 年ねんに切腹せっぷくを命めいじられました。 利休りきゅうの弟子でしからは古田織部ふるたおりべ・小堀遠州こぼりえんしゅうら茶の湯ちゃのゆの流派りゅうはが広ひろがります。

芸能げいのう・文学ぶんがく

  • 出雲阿国いずものおくに — かぶき踊おどりを始はじめ、 後ごの歌舞伎かぶきの起源きげん
  • 人形浄瑠璃にんぎょうじょうるり — 三味線しゃみせんの伴奏ばんそうで人形にんぎょうを操あやつる芸能げいのうの発展はってん
  • 連歌れんが — 紹巴じょうはら、 後ごの俳諧はいかいへつながる

南蛮なんばん文化ぶんか

宣教師せんきょうしがもたらした西洋せいよう文化ぶんかを南蛮文化なんばんぶんかといいます。

  • 学術がくじゅつ — 天文学てんもんがく、 医学いがく、 地理ちり学がく (地球儀ちきゅうぎ、 世界地図せかいちず)
  • 印刷いんさつ — 活版印刷かっぱんいんさつ術じゅつ (キリシタン版きりしたんばん)
  • 言語げんご — パン・カステラ・カルタ・タバコ・テンプラなど語彙ごいの流入りゅうにゅう
  • 服装ふくそう — 南蛮マント、 襟巻えりまき (ラッフ)
  • 絵画かいが — 南蛮屏風なんばんびょうぶ (南蛮なんばん人じんの風俗ふうぞくを描えがいた屏風びょうぶ絵え)

ポイント: 桃山ももやま文化ぶんかは、 日本にほん史上しじょう初はじめて西洋せいよう文化ぶんかと本格ほんかく的てきに融合ゆうごうした文化ぶんかです。 後ごの江戸えど時代じだいの鎖国さこくにより直接ちょくせつの交流こうりゅうは途絶とだえますが、 文化ぶんか的てき影響えいきょうは蘭学らんがくとして形かたちを変かえて続つづきます。

8. この章しょうのまとめと安全あんぜん配慮はいりょ

時代じだいの特色とくしょく

  • 政治せいじ — 戦国せんごく大名だいみょうの自立じりつ → 信長のぶなが・秀吉ひでよしによる天下てんか統一とういつ
  • 経済けいざい — 楽市らくいち楽座らくざ、 石高こくだか制せい、 南蛮なんばん貿易ぼうえき、 銀ぎんの世界せかい流通りゅうつう
  • 社会しゃかい — 兵へい農のう分離ぶんり、 身分みぶん制せいの確立かくりつ
  • 文化ぶんか — 豪華ごうか絢爛けんらんな桃山ももやま文化ぶんか + 南蛮なんばん文化ぶんかの融合ゆうごう
  • 国際こくさい — 南蛮なんばん貿易ぼうえき (西洋せいようとの出会であい)、 朝鮮ちょうせん出兵しゅっぺい (東ひがしアジア秩序ちつじょの動揺どうよう)

重要じゅうよう年号ねんごう (再さい確認かくにん)

年ねん出来事できごと
1543鉄砲てっぽう伝来でんらい (種子島たねがしま)
1549キリスト教きょう伝来でんらい (ザビエル)
1573室町むろまち幕府ばくふ滅亡めつぼう
1575長篠ながしのの戦たたかい
1582本能寺ほんのうじの変へん、 太閤たいこう検地けんち開始かいし
1588刀狩かたながり令れい
1590全国ぜんこく統一とういつ (小田原おだわら平定へいてい)
1592-1598朝鮮ちょうせん出兵しゅっぺい (文禄・慶長の役ぶんろくけいちょうのえき)

安全あんぜん配慮はいりょ (城じょう・古戦場こせんじょうのマナー)

城跡じょうせき・古戦場こせんじょう・城下町じょうかまちを訪おとずれるときは、 次つぎのマナーを守まもりましょう。

  • 石垣いしがき・土ど塁るい・堀ほりには登のぼらない・触さわらない — 文化財ぶんかざいであり、 崩くずれる危険きけんもあります
  • 発掘はっくつ調査ちょうさ区くには立たち入いらない — 立入禁止たちいりきんしのロープを越こえない
  • 石せき・瓦かわら・陶すえ片へんを持もち帰かえらない — 小ちいさな破片はへんでも貴重きちょうな遺物いぶつです
  • 古戦場こせんじょうは静粛せいしゅくに — 多おおくの命いのちが失うしなわれた場所ばしょへの敬意けいいを持もつ
  • 山城やましろ跡あとは装備そうびを整ととのえて — 急きゅうな傾斜けいしゃ・崖がけ、 蜂はち・マムシに注意ちゅうい。 単独たんどく行動こうどうを避さける
  • 地元じもと住民じゅうみんの生活せいかつに配慮はいりょ — 大声おおごえ・無断むだん撮影さつえい (個人こじん宅たく) を避さける

城しろや古戦場こせんじょうは、 戦国せんごくの人々ひとびとが生いきた証あかし (あかし) です。 「自分じぶんが死しんでも、 石垣いしがきが後世こうせいに残のこるように」という思おもいで石いしを積つんだ職人しょくにんもいました。 その思おもいを受うけ継つぎ、 次世代じせだいにも伝つたえていきましょう。

大事だいじ: 城跡じょうせきや戦国せんごく大名だいみょうの墓所はかしょには、 今いまも信仰しんこうや追悼ついとうの気持きもちで訪おとずれる人々ひとびとがいます。 観光かんこうと祈いのりの場ばが重かさなることを意識いしきし、 静しずかで敬意けいいある行動こうどうを心こころがけましょう。

まとめ — 戦国せんごく・安土あづち桃山ももやま時代じだいを 3 行くだりで

  • 応仁の乱おうにんのらん後の下克上げこくじょうで戦国大名せんごくだいみょうが各地かくちに興おこり、 守護大名しゅごだいみょうの体制たいせいが崩くずれ分国法ぶんこくほうが整ととのえられた
  • フランシスコ・ザビエルふらんしすこ・ざびえるのキリスト教伝来きりすときょうでんらいと南蛮貿易なんばんぼうえきが始はじまり、 信長のぶながが桶狭間の戦いおけはざまのたたかいで頭角とうかくを現あらわし楽市楽座らくいちらくざで商業しょうぎょうを振興しんこうした
  • 秀吉ひでよしが太閤検地たいこうけんちと刀狩かたながりで兵農分離へいのうぶんりを進すすめ朝鮮出兵ちょうせんしゅっぺいを行おこない、 千利休せんのりきゅうのわび茶わびちゃなど桃山文化ももやまぶんかが開花かいか
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学がく習しゅうロードマップ(10件けん)
  1. 1日本にほん史し探究たんきゅう入門にゅうもん (歴史れきし的てき思考しこうと史料しりょう)
  2. 2原始時代げんしじだい (旧きゅう石器せっき・縄文じょうもん・弥生やよい)
  3. 3古墳こふん・飛鳥あすか時代じだい (古代こだい国家こっかの成立せいりつ)
  4. 4奈良なら・平安へいあん時代じだい (律令りつりょう国家こっかの発展はってんと変容へんよう)
  5. 5鎌倉かまくら・室町むろまち時代じだい (中世ちゅうせい武家ぶけ政権せいけん)
  6. 6戦国せんごく・安土あづち桃山ももやま時代じだい (中世ちゅうせい末まつから近世きんせいへ)
  7. 7江戸えど時代じだい (近世きんせい社会しゃかいの確立かくりつ)
  8. 8幕末ばくまつ・明治維新めいじいしん (近代きんだい化かの出発しゅっぱつ、 1853-1889)
  9. 9明治めいじ後期こうき・大正たいしょう・昭和しょうわ前期ぜんき (帝国ていこく主義しゅぎと戦争せんそう、 1890-1945)
  10. 10戦後せんご日本にほん (現代げんだい、 1945- )