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日本史探究

原始時代げんしじだい (旧きゅう石器せっき・縄文じょうもん・弥生やよい)

最終確認日:

この章しょうで学まなぶこと

日本にほん列島れっとうに人類じんるいが暮くらし始はじめたのは、 今いまから約やく 3 〜 4 万まん年ねん前まえの 後期旧石器時代こうききゅうせっきじだい にさかのぼります。 そこから 縄文時代じょうもんじだい・弥生時代やよいじだい を経へて、 古墳時代こふんじだいの直前ちょくぜんまでを 原始げんし時代じだい と呼よびます。

中学ちゅうがくで学まなんだ 「縄文土器じょうもんどき」 「弥生土器やよいどき」 「卑弥呼ひみこ」 といったキーワードを、 高校こうこうでは 考古学こうこがくの方法論ほうほうろん と 東アジアひがしあじあとの国際関係こくさいかんけい、 そして 諸説しょせつ を含ふくめて深ふかく学まなびます。

  • 後期旧石器時代こうききゅうせっきじだい (約やく 3-4 万まん年ねん前まえ 〜 約やく 1.5 万まん年ねん前まえ) — ナウマンゾウと打だ製せい石器せっき
  • 縄文時代じょうもんじだい (約やく 1.5 万まん年ねん前まえ 〜 前まえ 10 世紀せいきごろ) — 竪穴住居たてあなじゅうきょ・三内丸山さんないまるやま・アニミズムあにみずむ
  • 弥生時代やよいじだい (前まえ 10 世紀せいきごろ 〜 後ご 3 世紀せいき中なか頃ごろ) — 水稲耕作すいとうこうさく・金属器きんぞくき・国家こっか形成けいせいの始はじまり
  • 邪馬台国やまたいこく と東アジアひがしあじあ — 「魏ぎ志こころざし倭人わじん伝でん」 と諸説しょせつ
  • 考古学こうこがく方法論ほうほうろん — 層位学そういがく・型式学けいしきがく・放射性炭素ほうしゃせいたんそ年代ねんだい測定そくてい

大事だいじ: 原始げんし時代じだいは文字もじ史料しりょうがほぼない時代じだいです。 私わたしたちがこの時代じだいを知しるのは、 ほとんどすべて 考古資料こうこしりょう (遺跡いせき・遺物いぶつ) を通とおしてです。 そのため考古学こうこがくの新発見しんはっけんがあるたびに、 時代じだい像ぞうが大おおきく更新こうしんされます (1986 年吉野ヶ里遺跡よしのがりいせき発掘はっくつ、 1992 年ねん三内丸山さんないまるやま発掘はっくつ等)。

1. 後期こうき旧石器時代きゅうせっきじだい

日本にほん列島れっとうと人類じんるいの渡来とらい

約やく 3 〜 4 万まん年ねん前まえ、 後期旧石器時代こうききゅうせっきじだい の現生人類げんせいじんるい (ホモ・サピエンス) が日本にほん列島れっとうに到とう達たつしたと考えかんがえられています。 当とう時じは 最終氷期さいしゅうこおりき の寒かん冷れい期で、 海面かいめんが今いまより 100 メートル以上いじょう低ひくく、 日本にほん列島れっとうは大陸たいりくと 陸橋りっきょう で繋つながっていた部分ぶぶんがありました。

  • 北方ルートほっぽうルート: シベリア → サハリン → 北海道ほっかいどう
  • 朝鮮半島ちょうせんはんとうルート: 朝鮮ちょうせん → 対馬つしま → 九州きゅうしゅう
  • 南方ルートなんぽうルート: 中国ちゅうごく南部なんぶ → 沖縄おきなわ → 九州きゅうしゅう

諸説しょせつ注意ちゅうい: 日本にほん列島れっとうの最さい古この人類じんるい痕跡こんせきは、 かつて 1949 年岩宿遺跡いわじゅくいせき (群馬ぐんま) で相沢忠洋あいざわただひろが発見はっけんした打製石器だせいせっきが 「日本にほんでも旧石器時代きゅうせっきじだいがあった」 ことを示しめしました。 それ以い前ぜんは 「日本にほんには縄文じょうもんより前まえはなかった」 と考えかんがえられていました。 考古学こうこがくの新発見しんはっけんで歴史れきし像ぞうが一変いっぺんした代だい表ひょう例です。

打製石器だせいせっきと大型おおがた動物どうぶつの狩しゅ猟りょう

後期旧石器時代こうききゅうせっきじだいの人々ひとびとは、 石いしを打うち欠かいて作つくった 打製石器だせいせっき を使つかって、 ナウマンゾウ・オオツノジカなどの 大型おおがた動物どうぶつ を狩かり、 ドングリや木の実このみを採さい集しゅうして暮くらしていました。

石器せっき用よう途と
ナイフ形石器ナイフがたせっき切きる・削けずる
尖頭器せんとうき (ポイント)槍やりの先さき
細石刃さいせきじん後期こうき旧きゅう石器せっき末期まっきの小型こがた石器せっき、 槍やりや銛もりに装そう着ちゃく

大事だいじ: この時代じだいはまだ 土器どきが作つくられていない ことが重要じゅうようです。 土器どきの出現しゅつげんが、 次つぎの 縄文時代じょうもんじだい への大おおきな転てん換かん点とされます。

主おもな遺跡いせき

  • 岩宿遺跡いわじゅくいせき (群馬ぐんま県けん、 相沢忠洋あいざわただひろ 1949 年発見はっけん) — 日本にほん旧石器時代きゅうせっきじだい研究けんきゅうの出発しゅっぱつ点てん
  • 野尻湖のじりこ (長野ながの県けん) — ナウマンゾウの化石かせきと石器せっきが同おなじ地ち層そうから出土しゅつど

注意ちゅうい: 2000 年ねんには 旧石器きゅうせっき捏造ねつぞう事件じけん が発覚はっかくし、 それまで 「日本にほんにも前期ぜんき・中期ちゅうき旧きゅう石器せっきが存そん在ざい」 とされていた研究けんきゅうの一部いちぶが 捏造ねつぞう であったことが判はん明めいしました。 このため現在げんざいは 後期旧石器時代こうききゅうせっきじだい (約やく 3-4 万まん年ねん前まえ 〜) を確かく実じつな出発点しゅっぱつてんとしています。 歴史学れきしがくが 実証じっしょう を重ちょう視する理由りゆうを示しめす事件じけんとして、 高校こうこうでも学まなびます。

2. 縄文じょうもん時代じだい

縄文時代じょうもんじだいの時期区分じきくぶんと地球環境ちきゅうかんきょう

約 1 万まん 5000 〜 1 万まん 6000 年ねん前まえ (この年代ねんだいは放射性炭素ほうしゃせいたんそ年代ねんだい測定そくていの較正こうせいで上うわ書がきされました) から、 縄文時代じょうもんじだいが始はじまります。 最終氷期さいしゅうこおりきが終おわり、 気候きこうが 温暖おんだん化か して、 海面かいめん上しょう昇しょう (縄文海進じょうもんかいしん) で日本にほん列島れっとうが今いまの形かたちに近ちかづきます。

期き大だい体たいの年代ねんだい特色とくしょく
草創期そうそうき約やく 1.6 万まん 〜 1.1 万まん年ねん前まえ土器どき出現しゅつげん、 隆起線文土器りゅうきせんぶんどき
早期そうき約やく 1.1 万まん 〜 7000 年ねん前まえ尖底土器せんていどき
前期ぜんき約やく 7000 〜 5500 年ねん前まえ海うみ進しんが最さい大だい
中期ちゅうき約やく 5500 〜 4500 年ねん前まえ三内丸山さんないまるやま最盛期さいせいき
後期こうき約やく 4500 〜 3300 年ねん前まえ気候きこう寒冷かんれい化か
晩期ばんき約やく 3300 〜 2800 年ねん前まえ亀ヶ岡かめがおか文化ぶんか

ポイント: 縄文時代じょうもんじだいの開かい始し年代ねんだいは、 放射性炭素ほうしゃせいたんそ年代ねんだい測定そくていの精度せいど向上こうじょうと較正こうせい (年輪ねんりん年代ねんだいとの突つき合あわせ) により、 1990 年代ねんだい以い降こうに 「約やく 1 万まん年ねん前まえ」 から 「約やく 1.5 万まん年ねん前まえ」 へとさかのぼりました。 このような更新こうしんがあることを知しっておきましょう。

縄文土器じょうもんどきと食生活しょくせいかつ

縄文土器じょうもんどき は、 表面ひょうめんに縄目なわめの文様もんようがあることから、 エドワード・モースが 1877 年ねんに大森貝塚おおもりかいづかから発掘はっくつして 「Cord-marked pottery」 と命名めいめいしたことに由ゆ来らいします。

炎のような装飾の縄文土器(火焔型土器)
縄文土器じょうもんどき (火焔かえん型がた土器どき) — 表面ひょうめんに縄目なわめの文様もんよう。煮炊にたきや保存ほぞんに使つかわれ、定住ていじゅう生活せいかつを支ささえた。
  • 煮炊きにたき ができるようになり、 食生活しょくせいかつが大おおきく変かわった
  • アク抜きアクぬき ができるようになり、 ドングリなどの 堅果類けんはてるい が食たべられるようになった
  • 竪穴住居たてあなじゅうきょ に定住ていじゅうし、 ムラ (集落しゅうらく) を形成けいせい

縄文じょうもん人の食生活しょくせいかつは 狩猟しゅりょう・採集さいしゅう・漁労ぎょろう が中心ちゅうしんで、 一いち部ぶで クリ林クリりんの管理かんり栽培さいばい や マメ類マメるい の栽培さいばいが行おこなわれた可能かのう性せいも考古学こうこがく的に確かく認にんされています (三内丸山さんないまるやまなど)。

三内丸山遺跡さんないまるやまいせき

青森あおもり県けんの 三内丸山遺跡さんないまるやまいせき (約やく 5500 〜 4000 年ねん前ぜん) は、 1992 年ねんからの発掘はっくつで注ちゅう目もくを集あつめた縄文じょうもん中期ちゅうきの 大だい集落しゅうらく 遺跡いせきです。

  • 大型おおがた掘立柱建物ほりつはしらたてもの (6本柱6ほんはしら)、 大型住居おおがたじゅうきょ、 墓地ぼち、 貯蔵穴ちょぞうあな
  • クリ林クリりんの管理かんり の痕跡こんせき (花粉かふん分析ぶんせきから)
  • 黒曜石こくようせき (北海道ほっかいどう産さん)・ヒスイ (新潟にいがた糸魚川いといがわ産さん) との広域こういき交易こうえき

大事だいじ: 三内丸山さんないまるやまの発見はっけんは、 「縄文時代じょうもんじだい = 原始げんし的てきで貧まずしい」 という従来じゅうらいのイメージを 大おおきく覆くつがえし ました。 縄文じょうもん人は 広域こういき交易こうえき を行おこない、 計画けいかく的てきなムラづくり をしていたことが分わかりました。

縄文じょうもん文化ぶんかと精神世界せいしんせかい

  • アニミズムあにみずむ (精霊せいれい信仰しんこう) — 自然しぜん物ぶつに霊れいが宿やどると考かんがえる
  • 土偶どぐう — 女性じょせいや妊婦にんぷの像ぞう、 豊穣ほうじょう祈願きがんか。 国宝こくほう縄文のビーナスじょうもんのビーナス (長野ながの・棚畑たなはたけ遺跡いせき) 等ひとし
  • 抜歯ばっし・屈葬くっそう — 成人せいじん儀礼ぎれいや死者ししゃの再生さいせい祈願きがん
  • 貝塚かいづか (大森貝塚おおもりかいづか等とう) — 貝殻かいがらや骨ほねの捨て場すてじょう、 当とう時じの食生活しょくせいかつを知しる一次資料いちじしりょう

3. 弥生やよい時代じだい

弥生時代やよいじだいの開始年代かいしねんだいと諸説しょせつ

弥生時代やよいじだい は、 水稲耕作すいとうこうさく (お米作べいさくり) と金属器きんぞくきが大陸たいりくから伝わつたり、 ムラが クニ へと大おおきくなった時代じだいです。 時代じだい名めいは、 1884 年ねんに東京とうきょう本郷ほんごう弥生町やよいまちから出土しゅつどした土器どきに由ゆ来らいします。

区分くぶん従来じゅうらいの説せつ新あたらしい説せつ
開始かいし前まえ 4 〜 3 世紀せいき前まえ 10 世紀せいきごろ (国立歴史民俗博物館こくりつれきしみんぞくはくぶつかん年代ねんだい)
終了しゅうりょう後ご 3 世紀せいき中なか頃ごろ(おおむね同おなじ)

諸説しょせつ注意ちゅうい: 弥生時代やよいじだいの 開始年代かいしねんだい は、 国立歴史民俗博物館こくりつれきしみんぞくはくぶつかんが放射性炭素ほうしゃせいたんそ年代ねんだい測定そくていを用もちいて 「前まえ 10 世紀せいき」 にさかのぼると 2003 年ねんに発表はっぴょうしました。 しかしこれには 異論いろんもあり、 一部いちぶの研究者けんきゅうしゃは 「前まえ 5 〜 6 世紀せいきごろ」 と主しゅ張ちょうしています。 高校こうこうでは 「おおむね前まえ 10 世紀せいき 〜 前まえ 4 世紀せいきごろに北部九州ほくぶきゅうしゅうから始はじまった」 と押おさえておきましょう。

水稲耕作すいとうこうさくの伝来でんらい

水稲耕作すいとうこうさくは、 朝鮮半島ちょうせんはんとう から北部ほくぶ九州きゅうしゅうに伝わつたり、 やがて列島れっとう各地かくちに広ひろがりました。

  • 菜畑遺跡なばたけいせき (佐賀さが県けん、 縄文じょうもん末 〜 弥生やよい早期そうき) — 最古さいこ級きゅうの水田すいでん跡あと
  • 板付遺跡いたづけいせき (福岡ふくおか県けん) — 弥生やよい早期そうきの環濠集落かんごうしゅうらく・水田すいでん跡あと
  • 登呂遺跡とろいせき (静岡しずおか県けん) — 弥生やよい後期こうきの大水田すいでん跡あと、 木製もくせい農具のうぐが多数たすう出土しゅつど

大事だいじ: 水稲耕作すいとうこうさくは 食料しょくりょう生産せいさん革命かくめい で、 人口じんこう増加ぞうかと 貧富ひんぷの差さ の出発点しゅっぱつてんとなりました。 食料しょくりょうが余あまれば備蓄びちくができ、 備蓄びちくが多おおい者ものが ムラの有力者ゆうりょくしゃ になり、 クニ (小しょう国家こっか) が形成けいせいされました。

金属器きんぞくき — 青銅器せいどうきと鉄器てっき

弥生時代やよいじだいには 青銅器せいどうき と 鉄器てっき が同どう時期じきに伝来でんらいしました。

種類しゅるい主おもな用途ようと
銅鏡どうきょう祭祀さいし・副葬品ふくそうひん (実用じつようではなく権威けんいの象徴しょうちょう)
銅鐸どうたく祭祀さいし器具きぐ (主ぬしに近畿きんき・東海とうかい地域ちいき)
銅剣どうけん・銅矛どうほこ・銅戈どうか祭祀さいし (主ぬしに北部九州ほくぶきゅうしゅう・瀬戸内せとうち)
鉄器てっき実用じつよう (農具のうぐ・武器ぶき)

ポイント: 青銅器せいどうきは 祭祀さいし と 権威けんい の道具どうぐ、 鉄器てっきは 実用じつよう の道具どうぐ、 と使つかい分わけられました。 また 銅鐸どうたく文化圏ぶんかけん (近畿きんき) と 銅矛どうほこ文化圏ぶんかけん (北部九州ほくぶきゅうしゅう) の違ちがいは、 後ごのヤマトやまと政権せいけんと九州きゅうしゅう勢力せいりょくの関係かんけいを考かんがえる上うえで重要じゅうような手がかりてがかりとなります。

ムラからクニへ — 国家こっか形成けいせいの始はじまり

水稲耕作すいとうこうさくが広ひろがると、 ムラ同士どうしで 水みずや土地とちをめぐる争いあらそい が起おこり、 ムラが 環濠集落かんごうしゅうらく (堀ほりや柵しがらみで防御ぼうぎょした集落しゅうらく) になりました。

  • 吉野ヶ里遺跡よしのがりいせき (佐賀さが県けん、 1986 年発掘はっくつ開始かいし) — 弥生やよい後期こうきの大環濠集落かんごうしゅうらく、 物見櫓ものみやぐら・墳丘墓ふんきゅうぼ
  • 唐古・鍵遺跡からこ・かぎいせき (奈良なら県けん) — 近畿きんきの大環濠集落かんごうしゅうらく

ムラが統とう合ごうされて クニ になり、 クニの上うえに 王おう が現あらわれました。

4. 邪馬台国やまたいこくと東ひがしアジア

弥生やよい末期まっきの日本にほん — 中国ちゅうごく史書ししょが伝つたえる倭やまと

弥生やよい末期まっきの日本にほんについて、 中国ちゅうごくの正史せいしが重要じゅうような一次史料いちじしりょう (中国ちゅうごく側がわから見みれば) を残のこしています。

史書ししょ編へん纂さん伝えつたる内ない容よう
「漢書かんじょ地理志ちりし」班固はんこ (1 世紀せいき)「倭人わじん分わかれて百ひゃく余よ国こく」 (前まえ 1 世紀せいきごろ)
「後漢書こうかんしょ東夷伝とういでん」范曄はんよう (5 世紀せいき)57 年奴国なこく王おうが後漢こうかん光武帝こうぶていから 金印きんいん を授さずかる (「漢委奴国王かんのわのなのこくおう」 金印きんいん)
「魏志ぎし倭人伝わじんでん」陳寿ちんじゅ (3 世紀せいき末まつ)邪馬台国やまたいこく・卑弥呼ひみこ・親魏倭王しんぎわおう

「漢委奴国王かんのわのなのこくおう」 金印きんいん

1784 年ねん、 福岡ふくおか県けん志賀島しかのしまから 金印きんいん が偶然ぐうぜん発見はっけんされました。 印いん面めんには 「漢委奴国王かんのわのなのこくおう」 (かんのわのなのこくおう) とあり、 「後漢書こうかんしょ」 の記録きろく (57 年光武帝こうぶていから授さずかる) と一致いっちする一次史料いちじしりょうとされます。

大事だいじ: この金印きんいんは、 当とう時じの北部九州ほくぶきゅうしゅうのクニが 後漢こうかん と外交がいこう関係かんけいを持もち、 中華ちゅうか帝国ていこくの 冊封さつふう体制たいせい に加くわわっていたことを示しめす第一級だいいちきゅうの考古資料こうこしりょうです。

邪馬台国やまたいこくと卑弥呼ひみこ

「魏志ぎし倭人伝わじんでん」 (3 世紀せいき末まつに陳寿ちんじゅが編へん纂さん) は、 3 世紀せいき前半ぜんはんの日本にほんを詳くわしく伝つたえます。

  • 「倭やまと」 には 「邪馬台国やまたいこく」 を中心ちゅうしんとする 連合れんごう国家こっか があった
  • 女王じょおう 卑弥呼ひみこ は 「鬼道おにどう」 (呪術じゅじゅつ) で国くにを治おさめた
  • 239 年ねん、 卑弥呼ひみこは魏ぎに使者ししゃを送おくり、 「親魏倭王しんぎわおう」 の称号しょうごうと銅鏡どうきょう 100 枚まいを授さずかった

邪馬台国やまたいこく論争ろんそう

「魏志ぎし倭人伝わじんでん」 に記しるされた邪馬台国やまたいこくへの行程こうていが 不ふ明めい瞭りょう であるため、 場所ばしょについて諸説しょせつがあり、 江戸えど期きから論争ろんそうが続つづいています。

説せつ主しゅ張ちょう根拠こんきょ
近畿きんき説せつ奈良なら県けん纏向まきむく遺跡いせき周辺しゅうへんが邪馬台国やまたいこく纏向まきむくの大型おおがた建物たてもの、 箸墓古墳はしはかこふんが卑弥呼ひみこの墓はかか
九州きゅうしゅう説せつ北部九州ほくぶきゅうしゅう (例れい: 吉野ヶ里よしのがり周辺しゅうへん) が邪馬台国やまたいこく行程こうていの里程りていや出土しゅつど銅鏡どうきょうの分布ぶんぷ

諸説しょせつ注意ちゅうい: 近年きんねんは纏向遺跡まきむくいせきの発掘はっくつ成果せいかから 近畿きんき説せつ が有力ゆうりょくとなりつつありますが、 決着けっちゃくはしていません。 高校こうこうでは 「諸説しょせつがあり、 現在げんざいも研究けんきゅう継続けいぞく中ちゅう」 と押おさえておくことが重要じゅうようです。

東アジアひがしあじあとの関係かんけい

弥生時代やよいじだいのクニは、 中国ちゅうごくの 後漢こうかん や 魏ぎ、 朝鮮半島ちょうせんはんとうの 楽浪郡らくろうぐん 等ひとしと外交がいこう関係かんけいを持もちました。

  • 当とう時じの中華ちゅうか帝国ていこくは 冊封さつふう体制たいせい (周辺しゅうへん国こくが朝貢ちょうこうして称号しょうごうを授さずかる仕組しくみ) を形けい成せいしていた
  • 日本にほんのクニが金印きんいんや称号しょうごうを求もとめたのは、 国内こくないでの権威けんい確立かくりつ のためでもあった

5. 考古学こうこがくの方法ほうほうと新発見しんはっけん

考古学こうこがくの基本きほん方法ほうほう

文字もじ史料しりょうがない原始げんし時代じだいを知しるため、 考古学こうこがくはつぎの方法ほうほうを使つかいます。

方法ほうほう内容ないよう
層位学そういがく地層ちそうの上下じょうげから 「上うえが新あたらしく下したが古ふるい」 と判断はんだん
型式学けいしきがく土器どきや石器せっきの形かたちの変へん遷せんを並ならべて年代ねんだいを推定すいてい
放射性炭素ほうしゃせいたんそ年代ねんだい測定そくてい有機物ゆうきぶつの ^14^C が半減はんげんする性質せいしつを利り用よう
年輪ねんりん年代ねんだい測定そくてい木材もくざいの年輪ねんりん幅はばパターンから西暦せいれきを特定とくてい
花粉かふん分析ぶんせき地層ちそう中の花粉かふんから古ふる環境かんきょうを復元ふくげん

考古学こうこがくの法ほう整備せいび

  • 文化財保護法ぶんかざいほごほう (1950 年ねん制定せいてい) — 文化財ぶんかざいと埋蔵文化財まいぞうぶんかざいの保護ほごを国くにの責務せきむとする
  • 開発かいはつに先立さきだつ 緊急きんきゅう発掘はっくつ が法律ほうりつで義務付ぎむづけられている

新発見しんはっけんが歴史像れきしぞうを変かえた例れい

発見はっけん年ねん影響えいきょう
岩宿遺跡いわじゅくいせき1949日本にほん旧石器時代きゅうせっきじだいの存在そんざい証明しょうめい
吉野ヶ里遺跡よしのがりいせき1986弥生やよい後期こうきのクニ像ぞうを更新こうしん
三内丸山遺跡さんないまるやまいせき1992縄文じょうもん像ぞうを 「貧まずしい」 から 「広域こういき交易こうえきを行おこなう」 に更新こうしん
纏向遺跡まきむくいせき大型おおがた建物たてもの2009邪馬台国やまたいこく近畿きんき説せつを補強ほきょう

大事だいじ: 考古学こうこがくは現在げんざい進行しんこう形けいの学問がくもんです。 教科書きょうかしょの記述きじゅつが数すう年ねんで更新こうしんされることも珍めずらしくありません。

6. ふりかえり

この章しょうで学まなんだことを確かく認にんしましょう。

  • [ ]後期旧石器時代こうききゅうせっきじだい (約やく 3-4 万まん年ねん前まえ 〜)・縄文時代じょうもんじだい (約やく 1.5 万まん年ねん前まえ 〜)・弥生時代やよいじだい (前まえ 10 世紀せいきごろ 〜) の大だい体たいの時期じきを言いえる
  • [ ]縄文土器じょうもんどき・竪穴住居たてあなじゅうきょ・アニミズムあにみずむ・土偶どぐうと縄文じょうもん文化ぶんかの特色とくしょくを説せつ明めいできる
  • [ ]三内丸山遺跡さんないまるやまいせきが縄文じょうもん像ぞうを変かえた意義いぎを言いえる
  • [ ]水稲耕作すいとうこうさくが 朝鮮半島ちょうせんはんとう経けい由ゆ で北部九州ほくぶきゅうしゅうに伝つたわったこと、 菜畑なばたけ・板付いたづけ・登呂とろの遺跡いせきを知しっている
  • [ ]青銅器せいどうき (銅鏡どうきょう・銅鐸どうたく・銅矛どうほこ) と鉄器てっきの用途ようと区別くべつを言いえる
  • 「漢委奴国王かんのわのなのこくおう」 金印きんいん、 「魏志ぎし倭人伝わじんでん」、 卑弥呼ひみこ、 親魏倭王しんぎわおうを説せつ明めいできる
  • [ ]邪馬台国やまたいこくの場所ばしょに近畿きんき説せつと九州きゅうしゅう説せつの 諸説しょせつ があることを知しっている
  • [ ]弥生時代やよいじだい開始年代かいしねんだいが 放射性炭素ほうしゃせいたんそ年代ねんだい測定そくてい で更新こうしんされたことを知しっている
  • [ ]層位学そういがく・型式学けいしきがくなど考古学こうこがくの方法論ほうほうろんを理り解かいしている

この章しょうの安全あんぜん配慮はいりょ (遺跡いせきマナーと考古学こうこがく倫理りんり)

原始げんし時代じだいの学習がくしゅうでは、 つぎのことを必かならず守まもりましょう。

  • 遺跡いせき見学けんがく では、 指定していされた見学けんがくルートを守まもる。 ロープや柵しがらみの内側うちがわに入はいらない
  • 遺跡いせきや復元ふくげん建物たてものに落書らくがきやいたずらを絶対ぜったいにしない (文化財保護法ぶんかざいほごほう違反いはんとなり、 罰則ばっそくがある)
  • 自分じぶんの家いえの近ちかくで土器どき片かけらや石器せっきらしきものを拾ひろった場合ばあいは、 まず市町村しちょうそんの教育委員会きょういくいいんかいに届け出とどけでる (黙だまって持もち帰かえると文化財ぶんかざいを失うしなう原因げんいんに)
  • 考古資料こうこしりょうの展示てんじがある博物館はくぶつかん (例れい: 国立歴史民俗博物館こくりつれきしみんぞくはくぶつかん・東京国立博物館とうきょうこくりつはくぶつかん) では、 展示てんじケースを叩たたかない、 フラッシュ撮影さつえい禁止きんしの表示ひょうじを守まもる
  • インターネットいんたーねっとやテレビで 「超古代ちょうこだい文明ぶんめい」 「古代こだい宇宙人うちゅうじん飛来ひらい」 といったセンセーショナルな情報じょうほうが出でることがあるが、 これらは実証じっしょう的な考古学こうこがくとは 別物べつもの である。 一次資料いちじしりょうと実証じっしょうに基もとづく研究けんきゅうを尊重そんちょうする
  • 2000 年ねんの 旧石器きゅうせっき捏造ねつぞう事件じけん のように、 考古学こうこがくにも偽物にせものを混まぜる人間にんげんがいたことを忘わすれず、 「一次史料いちじしりょうの再さい検証けんしょう」 が歴史学れきしがくの基本きほんであることを知しる

次じの章しょう: 第だい 3 章しょうでは、 古墳時代こふんじだい と 飛鳥時代あすかじだい を学まなびます。 ヤマトやまと王権おうけんの成立せいりつ、 聖徳太子しょうとくたいし、 大化の改新たいかのかいしん、 白村江はくすきのえの戦たたかいまで、 古代こだい国家こっかが形成けいせいされる過程かていを追おいます。

まとめ — 原始時代げんしじだいを 3 行くだりで

  • 旧石器時代きゅうせっきじだいは岩宿遺跡いわじゅくいせきの発見はっけんで日本にほん列島れっとうでの人類じんるい活動かつどうが確認かくにんされ、 後期旧石器時代こうききゅうせっきじだいは打だ製せい石器せっきと狩猟しゅりょう採集さいしゅうを中心ちゅうしんとした
  • 縄文時代じょうもんじだいは三内丸山遺跡さんないまるやまいせきなど定住ていじゅう土器どき文化ぶんかが発達はったつ、 弥生時代やよいじだいに弥生土器やよいどきと稲作いなさく・金属きんぞく器きが伝つたわり社会しゃかいが大おおきく変化へんか
  • 吉野ヶ里遺跡よしのがりいせきなどに環かん濠ほり集落しゅうらくが発達はったつし、 卑弥呼ひみこの邪馬台国やまたいこくが中国ちゅうごく王朝おうちょうと交流こうりゅうする古代こだい国家こっか形成けいせいの前ぜん段階だんかいに入はいる
この教材きょうざいは役やくに立たちましたか?
学がく習しゅうロードマップ(10件けん)
  1. 1日本にほん史し探究たんきゅう入門にゅうもん (歴史れきし的てき思考しこうと史料しりょう)
  2. 2原始時代げんしじだい (旧きゅう石器せっき・縄文じょうもん・弥生やよい)
  3. 3古墳こふん・飛鳥あすか時代じだい (古代こだい国家こっかの成立せいりつ)
  4. 4奈良なら・平安へいあん時代じだい (律令りつりょう国家こっかの発展はってんと変容へんよう)
  5. 5鎌倉かまくら・室町むろまち時代じだい (中世ちゅうせい武家ぶけ政権せいけん)
  6. 6戦国せんごく・安土あづち桃山ももやま時代じだい (中世ちゅうせい末まつから近世きんせいへ)
  7. 7江戸えど時代じだい (近世きんせい社会しゃかいの確立かくりつ)
  8. 8幕末ばくまつ・明治維新めいじいしん (近代きんだい化かの出発しゅっぱつ、 1853-1889)
  9. 9明治めいじ後期こうき・大正たいしょう・昭和しょうわ前期ぜんき (帝国ていこく主義しゅぎと戦争せんそう、 1890-1945)
  10. 10戦後せんご日本にほん (現代げんだい、 1945- )