この章で学ぶこと
701 年大宝律令で 律令国家 が形式的に完成し、 710 年に 平城京 へ遷都されました。 ここから 794 年平安京遷都、 そして摂関政治・国風文化・院政を経て、 1185 年平氏滅亡で平安時代が終わるまでの約 5 世紀を学びます。
中学で学んだ 「聖武天皇と大仏」 「藤原道長」 「平清盛」 を、 高校では 律令国家の変容 と 東アジア国際秩序の変動 のなかで立体的に学びます。
- 奈良時代 (710-794) — 平城京・聖武天皇・大仏・天平文化・墾田永年私財法
- 平安時代前期 (794-9 世紀末) — 平安京・桓武天皇・弘仁貞観文化・最澄・空海
- 摂関政治 (10-11 世紀) — 藤原氏・藤原道長・摂政・関白
- 国風文化 — かな文字・源氏物語・浄土信仰
- 院政 (1086-1185) と武士の登場
- 平氏政権 と平清盛
大事: この時代の キー概念 は 「公地公民から荘園公領制へ」 です。 律令が規定した 公地公民 は、 8 世紀後半から崩れ始め、 私有荘園が拡大し、 やがて摂関政治・院政・武家政権へと支配構造が変わっていきます。
1. 奈良時代 — 平城京と律令国家
東大寺大仏殿 (奈良) — 752 年聖武天皇が建立した大仏を納める建物。 天平文化の代表。
平等院鳳凰堂 (京都府宇治市、 1053 年) — 藤原頼通建立。 国風文化・浄土信仰の代表作。
平城京遷都 (710 年)
710 年、 元明天皇 が 藤原京 から 平城京 (奈良市) に遷都しました。 平城京は唐の 長安 を模した都城で、 条坊制の街路、 羅城門から朱雀大路・朱雀門を経て大内裏に至る構造を持ちました。
- 面積約 25 平方キロメートル、 人口約 10 万人 (推定)
- 左京・右京 に分かれ、 東に外京が張り出す
- 東大寺・興福寺・法華寺 など大寺院が林立
班田収授と公民の負担
律令国家は 6 歳以上の公民に 口分田 を与える 班田収授制 を行いました。 公民は国から土地を借りる代わりに税を負担しました。
| 税 | 内容 |
|---|
| 租 | 口分田からの収穫の約 3% |
| 庸 | 都での労役 10 日、 または布 |
| 調 | 特産品 (絹・糸・海産物) |
| 雑徭 | 地方での年 60 日以内の労役 |
| 兵役 | 軍団・防人 (3 年) |
大事: 律令制の公民負担は重く、 とくに 防人 (北部九州防衛) と 雑徭 が過酷でした。 「万葉集」 には 防人の歌 が多く残され、 当時の庶民感情を知る一次資料となっています。
政争の時代
奈良時代は 政争 が続いた時代でもありました。
| 年 | 事件 |
|---|
| 729 年 | 長屋王の変 — 藤原 4 兄弟が長屋王を陥れる |
| 740 年 | 藤原広嗣の乱 — 九州で反乱 |
| 757 年 | 橘奈良麻呂の変 |
| 764 年 | 恵美押勝 (藤原仲麻呂) の乱 |
聖武天皇と大仏造立
聖武天皇 (在位 724-749) は、 天然痘流行・長屋王の変・藤原広嗣の乱など不安な時代に、 仏教による国家安寧 (鎮護国家) を願いました。
- 741 年: 国分寺・国分尼寺建立の詔 — 各国に国分寺を建てる
- 743 年: 大仏造立の詔 — 紫香楽宮で発願
- 752 年: 東大寺大仏開眼供養 (インド僧菩提僊那導師、 孝謙天皇時代)
墾田永年私財法 (743 年)
班田収授が行き詰まり、 政府は新田開発を奨励しました。
- 723 年: 三世一身法 — 新田を 3 世代まで私有可
- 743 年: 墾田永年私財法 — 新田を 永年私有 可
大事: 墾田永年私財法は 公地公民原則の実質的な転換 を意味します。 これ以降、 貴族・寺社・豪族が私有地 (= 荘園 の原型) を拡大し、 やがて摂関政治の経済基盤となります。
天平文化
聖武天皇期 (天平年間) を中心とする文化を 天平文化 と呼び、 国際色が豊かです。
| 分野 | 代表 |
|---|
| 彫刻 | 東大寺盧舎那仏、 興福寺阿修羅像、 唐招提寺鑑真像 |
| 建築 | 東大寺正倉院校倉造、 唐招提寺金堂 |
| 文芸 | 古事記 (712)・日本書紀 (720)・風土記・万葉集 (8 世紀後半) |
| 絵画 | 正倉院宝物 (ペルシア・インド由来の品多数) |
ポイント: 正倉院 は聖武天皇・光明皇后ゆかりの品を収める宝物殿で、 シルクロードを経由したペルシア・インド由来の宝物が多く残り、 「シルクロードの終着駅」 とも呼ばれます。
2. 平安京と平安前期
桓武天皇と平安京遷都
奈良時代末期、 僧 道鏡 が孝謙 (称徳) 天皇に寵愛されて政治に関与したことから、 寺院勢力から離れる ために遷都が図られました。
- 784 年: 長岡京 遷都 (失敗、 藤原種継暗殺事件など)
- 794 年: 平安京遷都 (京都) — 桓武天皇 による
桓武天皇の二大事業
桓武天皇は 平安京造営 と 蝦夷征討 を進め、 国家財政を圧迫しました。
- 802 年: 坂上田村麻呂 が 征夷大将軍 として蝦夷を平定、 アテルイ降伏
- 805 年: 徳政相論 — 藤原緒嗣が 「軍事・造作が民を苦しめる」 と進言、 二大事業中止
嵯峨天皇と弘仁・貞観文化
嵯峨天皇 (在位 809-823) は 蔵人所 や 検非違使 など令外官を設置し、 律令制の補完を行いました。
平安初期の文化を 弘仁・貞観文化 と呼び、 唐文化の影響が強く、 密教が中心です。
最澄と空海
| 僧 | 宗 | 寺 | 主著 |
|---|
| 最澄 | 天台宗 | 比叡山延暦寺 | 「山家学生式」 |
| 空海 | 真言宗 | 高野山金剛峯寺、 東寺 | 「三教指帰」 |
両僧とも 804 年遣唐使で唐に留学し、 密教を持ち帰りました。
3. 摂関政治
藤原氏の他氏排斥
9 世紀から 11 世紀にかけて、 藤原氏 (北家) が 他氏 を排斥して摂政・関白を独占しました。
| 年 | 事件 |
|---|
| 866 年 | 応天門の変 — 伴善男失脚 |
| 887 年 | 阿衡事件 — 藤原基経の関白初任 |
| 901 年 | 菅原道真左遷 — 藤原時平が菅原道真を太宰府へ |
| 969 年 | 安和の変 — 源高明失脚 |
摂政と関白
- 摂政 — 天皇が幼少のとき、 政務を代行
- 関白 — 天皇成人後も政務を補佐
藤原良房 (858 年摂政) が皇族以外で初の摂政、 藤原基経 (884 年関白) が初の関白です。
藤原道長と摂関政治の全盛
藤原道長 (966-1028) は、 4 人の娘を天皇皇后として、 祖父として政治を掌握しました (= 外戚政治)。
「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることも無しと思へば」
この歌は寛仁 2 年 (1018 年)、 道長が 3 人目の娘威子 を後一条天皇中宮に立てた祝宴で詠んだもので、 「小右記」 (藤原実資日記) に記されます。
摂関政治の経済基盤
- 寄進地系荘園 — 地方豪族が国司の税を逃れるために中央貴族へ寄進
- 不輸・不入の権 — 税免除と国司立入拒否
- 藤原氏は全国に広大な荘園を集め、 その収益が摂関政治を支えた
4. 国風文化
遣唐使停止 (894 年)
菅原道真 が 遣唐使停止 を建議し、 宇多天皇がこれを採用しました。 唐の衰退と渡航の危険が理由とされますが、 諸説あります。
諸説注意: 菅原道真の建議が 遣唐使廃止 を意味したのか、 それとも 当年の派遣延期 を意味したのかは諸説あります。 結果として正式な遣唐使はこれ以降派遣されず、 907 年唐滅亡で消滅しました。
国風文化の特色
遣唐使停止以降、 唐文化の直接流入が減り、 日本独自の 国風文化 が育ちました。
- かな文字 (平仮名・片仮名) の発達 — 漢字の草書体から
- 寝殿造 — 貴族住宅様式
- 大和絵 — 屏風絵・絵巻物
- 束帯・十二単 — 貴族の正装
文学作品
| 作品 | 作者 | 内容 |
|---|
| 古今和歌集 (905) | 紀貫之ら | 初の勅撰和歌集 |
| 土佐日記 (935 ごろ) | 紀貫之 | かな文字日記 |
| 枕草子 (1000 ごろ) | 清少納言 | 随筆、 一条天皇皇后定子サロン |
| 源氏物語 (1008 ごろ) | 紫式部 | 長編物語、 一条天皇中宮彰子サロン |
大事: 源氏物語は 世界最古の長編小説 と言われ、 2008 年に源氏物語千年紀が祝われました。 世界各国語に翻訳され、 日本文化発信の象徴となっています。
浄土信仰
10 世紀後半から 末法思想 (1052 年から末法に入るとされた) が広まり、 阿弥陀如来に極楽往生を願う 浄土信仰 が流行しました。
- 空也 (10 世紀中) — 市井で念仏を広めた市の聖
- 源信 (恵心僧都、 「往生要集」 985) — 浄土思想を体系化
- 平等院鳳凰堂 (1053、 藤原頼通) — 阿弥陀如来像安置、 10 円硬貨の図案
5. 院政と武士の登場
院政の開始 (1086 年)
11 世紀末、 摂関家の影響から離れた 白河天皇 が、 1086 年に幼帝堀河天皇に譲位して 上皇 となり、 院庁 で政治を主導する 院政 を始めました。
- 白河上皇 (院政 1086-1129) — 「賀茂川の水、 双六の賽、 山法師、 これぞ我が心にかなわぬもの」
- 鳥羽上皇 (院政 1129-1156)
- 後白河上皇 (院政 1158-1192) — 平氏・源氏との政争
院政の特色
- 摂関を超えて実権を握る
- 院近臣 (院に仕える側近) を登用
- 北面の武士 (白河創設) — 院警護の武士
- 寺社勢力 (興福寺・延暦寺の 僧兵) との軋轢
武士の起源
武士の起源には諸説あります。
- 在地領主 論 — 地方豪族が自衛して武士化
- 国衙軍制 論 — 国司配下の軍事組織
- 職能論 — 戦を職能とする家の出現
10 世紀前半の 平将門の乱 (935-940) と 藤原純友の乱 (939-941) (= 承平・天慶の乱) で、 源氏・平氏などの武士団が国家から認められました。
源氏と平氏
| 氏 | 出自 | 主な拠点 |
|---|
| 清和源氏 | 清和天皇孫経基王 | 東国 |
| 桓武平氏 | 桓武天皇曾孫高望王 | 東国・西国 |
保元・平治の乱
| 年 | 戦 | 内容 |
|---|
| 1156 | 保元の乱 | 後白河天皇 vs 崇徳上皇、 平清盛・源義朝が後白河側で勝利 |
| 1159 | 平治の乱 | 平清盛 vs 源義朝、 清盛勝利、 源頼朝流罪 |
6. 平氏政権
平清盛と平氏政権
平治の乱後、 平清盛 (1118-1181) は 後白河上皇 と結びつつ、 政界を制しました。
- 1167 年: 太政大臣 に就任 — 武士初
- 娘徳子を高倉天皇皇后に → 子が安徳天皇 = 外戚政治
- 日宋貿易 — 大輪田泊 (現神戸) 整備、 宋銭輸入
平氏の滅亡
平氏の専制に反発が高まり、 1180 年源頼朝が 挙兵 (治承・寿永の内乱)。 1185 年 壇ノ浦の戦い で平氏滅亡、 安徳天皇入水。
諸説注意: 「鎌倉幕府成立年」 を ① 1185 年 (守護・地頭設置)、 ② 1192 年 (源頼朝征夷大将軍任命) のどちらにするかは諸説あります。 現在の教科書は 1185 年 を重視する傾向にありますが、 諸説があることを知っておきましょう。
7. ふりかえり
この章で学んだことを確認しましょう。
- [ ]平城京遷都 (710)・班田収授・租・庸・調・防人を説明できる
- [ ]聖武天皇・国分寺・大仏 (752)・天平文化・正倉院を説明できる
- [ ]墾田永年私財法 (743) が 公地公民の転換点 であることを言える
- [ ]平安京遷都 (794)・桓武天皇・坂上田村麻呂・嵯峨天皇・最澄・空海を説明できる
- [ ]摂関政治・藤原道長・寄進地系荘園・不輸不入の権を説明できる
- [ ]遣唐使停止 (894)・国風文化・かな文字・源氏物語・枕草子・古今和歌集を知っている
- [ ]浄土信仰・末法思想・源信往生要集・平等院鳳凰堂を知っている
- [ ]白河上皇院政 (1086)・北面の武士・僧兵を説明できる
- [ ]武士の起源諸説・平将門の乱・藤原純友の乱を知っている
- [ ]保元の乱 (1156)・平治の乱 (1159)・平清盛・日宋貿易・壇ノ浦の戦い (1185) を説明できる
- [ ]鎌倉幕府成立年 (1185 / 1192) の諸説を知っている
この章の安全配慮 (文化財を大切に・古典学習の心得)
奈良・平安時代の学習では、 つぎのことを必ず守りましょう。
- 寺院・神社見学 では、 本堂・仏像の前では静かに。 フラッシュ撮影禁止や撮影禁止エリアの表示を必ず守る
- 正倉院宝物 や 国宝仏像 には直接触れない (皮脂や湿気が文化財を傷める)
- 博物館・美術館での ガラスケース を叩かない、 展示に寄りかからない
- 古典作品 (「源氏物語」 「枕草子」 「万葉集」 等) を読むときは、 現代語訳と原文の両方 に触れる。 現代の感覚で古い作品を安易に批判せず、 当時の時代背景を尊重する
- 摂関政治や院政の評価については、 戦前の 皇国史観 が 「摂関・院政は天皇の本来姿ではない」 と批判的に描いてきた歴史がある。 現在は 実証的な政治史 として中立に学ぶ
次の章: 第 5 章では、 鎌倉時代 と 室町時代 を学びます。 源頼朝から応仁の乱までの 中世武家政権 の約 4 世紀を通して、 公家と武家の力関係、 元寇、 北山・東山文化を学びます。
まとめ — 奈良・平安時代を 3 行で
- 奈良時代は平城京を中心に聖武天皇の大仏造立と天平文化が栄え、 墾田永年私財法が公地公民を揺らがせた
- 平安時代初期は平安京遷都と律令再編、 中期に藤原氏の摂関政治と国風文化が全盛となり寄進地系荘園が拡大
- 後期に院政と北面の武士で院が力を持ち、 武士が政治の表舞台に登場する中世への転換期となった