この章で学ぶこと
1890 年の第 1 回帝国議会から 1945 年の終戦までの 55 年間は、 日本が列強の一員に上昇しつつ、 同時に戦争への道を歩んだ時代です。
日清・日露という 2 つの戦争で大陸への影響力を拡大し、 第一次世界大戦で連合国側に立ち、 大正デモクラシーの高揚を経て、 世界恐慌後は満州事変・日中戦争・太平洋戦争という 15 年にわたる戦争に突入していきます。
この章では、 戦争へと至る複雑な過程を、 国際情勢・国内政治・経済・社会の各面から立体的に学びます。 過去の戦争を冷静に振り返ることは、 平和の大切さを次世代に伝えるための基本です。
- 日清戦争 (1894-95) と下関条約
- 日露戦争 (1904-05) とポーツマス条約
- 産業革命 と韓国併合 (1910)
- 第一次世界大戦 (1914-18) と国際連盟
- 大正デモクラシー と普通選挙法 (1925)
- 世界恐慌 と満州事変 (1931)
- 日中戦争 (1937) と太平洋戦争 (1941-45)
- 終戦 (1945 年 8 月 15 日)
大事: この時代を学ぶ意義は、 戦争がどのようにして起こり、 どのように人々が苦しんだかを知り、 平和を守る責任を考えることにあります。 戦勝・敗戦の単純な物語ではなく、 国際関係・国内政治・経済・社会の複雑な絡み合いを丁寧に追いましょう。
1. 日清戦争と東アジア秩序の変動
大日本帝国憲法 (1889 年公布) — 明治政府が作った日本初の近代憲法。 天皇主権、 国民は 「臣民」。 1947 年日本国憲法 に引き継がれた。
朝鮮をめぐる対立
明治政府は朝鮮半島を「日本の安全保障上の利益地域」とみなし、 1876 年の日朝修好条規 (江華条約) で開国させて以来、 影響力拡大を図っていました。 一方、 朝鮮を伝統的な宗主国とする清 (中国の王朝) も影響力維持を目指し、 両国は対立しました。
| 年 | 出来事 |
|---|
| 1876 | 日朝修好条規 (不平等条約) |
| 1882 | 壬午事変 (大院君クーデター) |
| 1884 | 甲申事変 (金玉均ら親日派クーデター失敗) |
| 1885 | 天津条約 (日清両軍の朝鮮撤兵を約束) |
| 1894 | 甲午農民戦争 (東学党の乱) → 日清両軍出兵 |
日清戦争 (1894-1895)
1894 年 7 月開戦。 戦場は主に朝鮮半島と黄海・遼東半島・山東半島。 装備・訓練に勝る日本軍が連勝し、 1895 年 4 月、 下関で講和。
下関条約 (1895 年 4 月)
日本側全権伊藤博文・陸奥宗光、 清側全権李鴻章。 主な内容は、
| 項目 | 内容 |
|---|
| 朝鮮の独立承認 | 清の宗主権を否定 |
| 領土割譲 | 遼東半島・台湾・澎湖諸島 |
| 賠償金 | 庫平銀2 億両 (約 3.6 億円、 当時の日本国家予算の約 4 倍) |
| 通商上の特権 | 沙市・重慶・蘇州・杭州の開港 |
三国干渉
下関条約調印直後、 ロシア・ドイツ・フランスの 3 国が、 遼東半島の清への返還を日本に勧告 (三国干渉)。 日本は受け入れざるを得ず、 賠償金 3000 万両を追加で得る形で遼東半島を返還しました。
国民の間に「臥薪嘗胆」 (将来の復讐に備えて苦難に耐える) の語が広がり、 対露強硬論が高まります。
ポイント: 日清戦争の勝利と賠償金は、 日本の産業革命・軍備拡張の財源となりました。 同時に、 台湾領有という形で植民地帝国への一歩を踏み出します。 台湾では後藤新平ら台湾総督府による統治が始まり、 抵抗運動と近代化政策が並行して進められました。
2. 日露戦争と韓国併合
義和団事件と日英同盟
1900 年、 中国で外国排斥運動 (義和団事件) が起き、 列強 8 カ国が連合軍を派遣 (日本も含む)。 ロシアは満州に大軍を駐留させ、 朝鮮への影響力も狙いました。
これに対抗するため、 1902 年日英同盟を締結。 イギリスのグレートゲーム (対露牽制) と日本の対露警戒が一致しました。
日露戦争 (1904-1905)
1904 年 2 月、 日露交渉決裂。 日本軍が旅順・仁川で開戦。
| 戦い | 内容 |
|---|
| 旅順攻囲戦 | 乃木希典、 多大な犠牲を払い 1905 年 1 月陥落 |
| 奉天会戦 | 1905 年 3 月、 史上空前の大陸戦 |
| 日本海海戦 | 1905 年 5 月、 東郷平八郎がロシアバルチック艦隊を破る |
両国とも国力の限界に達し、 アメリカ大統領の仲介で講和へ。
ポーツマス条約 (1905 年 9 月)
日本側全権小村寿太郎、 ロシア側全権。
| 項目 | 内容 |
|---|
| 韓国の指導・監督権 | 日本に承認 |
| 遼東半島南部 (旅順・大連) 租借権 | 日本に譲渡 |
| 南満州鉄道 (長春-旅順) | 日本に譲渡 |
| 南樺太 (北緯 50 度以南) | 日本に割譲 |
| 沿海州・カムチャッカの漁業権 | 日本に承認 |
| 賠償金 | なし |
国民は「賠償金なし」に不満を爆発させ、 1905 年 9 月 5 日、 日比谷焼き討ち事件を起こしました。 戒厳令が発令される事態となります。
大事: 日露戦争は、 アジアの非ヨーロッパ国がヨーロッパの大国に勝った史上初の例として、 トルコ・インド・ベトナムなど各地の独立運動を勇気づけました。 一方、 戦死約 8 万人、 戦病死を含めて約 10 万人の犠牲、 増税と国債で疲弊した国民生活など、 多大な代償もありました。
韓国併合 (1910)
日露戦争中の 1905 年、 第二次日韓協約で韓国を保護国化、 統監府設置 (初代統監伊藤博文)。 1907 年ハーグ密使事件を契機に韓国軍を解散。
1909 年、 伊藤博文がハルビンで安重根に暗殺されます。 翌 1910 年 8 月、 韓国併合条約を強要し、 韓国を朝鮮と改称、 朝鮮総督府を設置して 1945 年まで日本の植民地統治が続きました。
大事: 韓国併合は、 日本にとっては「東アジアの安全保障」という名目でしたが、 朝鮮側からみれば国家主権を失った植民地化であり、 35 年にわたる統治期間中に土地調査事業・皇民化政策・創氏改名・戦時動員など、 多くの問題が生じました。 戦後の日韓基本条約 (1965 年) や慰安婦・徴用工をめぐる問題は、 今もなお日韓関係の重要課題です。諸説あり、 各国の研究を多角的に学ぶことが大切です。
3. 産業革命と社会問題
日本の産業革命
日清戦争の賠償金を元手に、 1890 年代後半から急速に産業革命が進展しました。
| 産業 | 内容 |
|---|
| 軽工業 (紡績・製糸) | 明治 20-30 年代、 大阪紡績会社・岡谷の製糸業 |
| 重工業 (製鉄・造船) | 八幡製鉄所 (1901 年、 国営)、 長崎造船所・三菱神戸造船所 |
| 鉄道 | 1906 年鉄道国有法、 主要私鉄を国有化 |
| 電力 | 1907 年頃から水力発電が本格化 |
輸出では生糸が圧倒的な主力 (世界最大の輸出国に)。 輸入では綿花・機械類・鉄鋼が中心でした。
財閥の形成
明治期に成長した政商を母体に、 財閥が形成されました。
- 三井 — 江戸期からの呉服商・両替商を母体
- 三菱 — 岩崎弥太郎、 海運から多角化
- 住友 — 江戸期からの銅山経営
- 安田 — 金融業
これらは持株会社を頂点に、 銀行・商社・鉱山・重工業を傘下に持つ巨大複合企業へと成長していきます。
社会問題と労働運動
産業革命は深刻な社会問題も生みました。
- 公害 — 足尾銅山鉱毒事件 (田中正造の天皇直訴、 1901 年)
- 労働問題 — 女工の長時間労働 (女工哀史、 野麦峠)
- 社会主義の登場 — 片山潜、 幸徳秋水、 1901 年社会民主党 (即日禁止)
- 大逆事件 (1910 年) — 明治天皇暗殺計画 (冤罪説あり) で幸徳秋水ら 12 名処刑、 社会主義運動を弾圧
- 工場法 (1911 年制定、 1916 年施行) — 12 歳未満の就業禁止、 女子・年少者の労働時間制限 (実効性は限定的)
4. 第一次世界大戦と大正デモクラシー
第一次世界大戦 (1914-1918)
1914 年 7 月、 サラエヴォ事件をきっかけにヨーロッパで大戦勃発。 日本は日英同盟を理由にドイツに宣戦布告 (1914 年 8 月)。 山東半島の青島 (ドイツ租借地) や太平洋のドイツ領南洋諸島を占領しました。
大戦景気と二十一カ条要求
ヨーロッパ諸国がアジア市場から撤退する間隙を縫い、 日本の輸出は急増。 「大戦景気」「成金」という言葉が生まれます。 工業生産額が農業生産額を上回り、 名実ともに工業国へ。
1915 年、 大隈重信内閣は中国 (袁世凱政権) に対し二十一カ条要求を突きつけました。 山東の旧権益継承、 南満州・東部内蒙古の権益拡大などを要求し、 大部分を認めさせました。 中国民衆の反日感情は高揚し、 後の五・四運動 (1919 年) の伏線となります。
ロシア革命とシベリア出兵
1917 年ロシア革命でソビエト政権が成立。 ソ連の影響拡大を恐れた連合国はシベリアに出兵。 日本も 1918-22 年に最大 7 万人を派遣しましたが、 成果なく撤退。 多大な戦費と犠牲だけが残りました。
パリ講和会議とベルサイユ条約 (1919)
1919 年パリ講和会議に西園寺公望・牧野伸顕が全権として出席。 日本は山東権益と赤道以北のドイツ領南洋諸島委任統治を獲得。 戦勝国 5 大国 (米英仏伊日) の一員となりました。
国際連盟 (1920)
1920 年、 ウィルソン米大統領の提唱で国際連盟発足。 日本は常任理事国の 1 国に。 ただしアメリカは議会の反対で不参加、 ソ連も当初不参加と、 構造的な弱点を抱えました。
ワシントン会議 (1921-1922)
アメリカの主導で開かれた軍縮会議。 日本は加藤友三郎海相が全権。
| 条約 | 内容 |
|---|
| 四カ国条約 (米英日仏) | 太平洋地域の現状維持。 日英同盟廃棄 |
| 九カ国条約 | 中国の主権尊重・門戸開放。 山東権益を中国に返還 |
| 海軍軍縮条約 | 米英日の主力艦比率を 5:5:3 に |
これによりワシントン体制と呼ばれる東アジア国際秩序が成立しました。
大正デモクラシー
大正期 (1912-1926) に開花した民主主義運動を大正デモクラシーといいます。
| 動き | 内容 |
|---|
| 第一次護憲運動 (1912-13) | 桂太郎内閣を倒す、 尾崎行雄・犬養毅が活躍 |
| 民本主義 | 吉野作造、 主権の所在を問わず政治目的を「民衆の福利」に置く |
| 天皇機関説 | 美濃部達吉、 主権は国家にあり天皇は国家の機関 |
| 米騒動 (1918) | 富山の漁民妻女から始まり全国へ、 寺内正毅内閣総辞職 |
| 原敬内閣 (1918) | 初の本格的政党内閣、 「平民宰相」 |
| 第二次護憲運動 (1924) | 加藤高明内閣 → 護憲三派内閣 |
普通選挙法と治安維持法 (1925 年)
1925 年、 加藤高明内閣下で 2 つの重要法が同時成立しました。
- 普通選挙法 — 満 25 歳以上の男子に納税要件なしで選挙権 (女性参政権はなし)。 有権者は約 4 倍に
- 治安維持法 — 「国体の変革」「私有財産制否定」を目的とする結社を禁止 (社会主義・共産主義への弾圧法、 後に拡大解釈で言論統制の柱に)
大事: 大正デモクラシーは、 明治期の藩閥政治からの脱却を意味する重要な民主化運動でした。 しかし普通選挙と同時に治安維持法が成立したことが象徴するように、 自由化と弾圧が併存する不完全さを抱えていました。 これが昭和初期に逆行することになります。
大正期の文化と災害
- 文学 — 白樺派 (武者小路実篤・志賀直哉)、 新感覚派 (川端康成・横光利一)、 プロレタリア文学 (小林多喜二蟹工船)
- 大衆文化 — ラジオ放送 (1925 年開始)、 円本 (1 円均一の文学全集)、 モボ・モガ (モダンボーイ・モダンガール)
- 関東大震災 (1923 年 9 月 1 日) — マグニチュード 7.9、 東京・横浜壊滅、 死者・行方不明約 10 万 5 千人。 混乱の中で朝鮮人・中国人虐殺、 社会主義者大杉栄殺害事件などが発生
5. 世界恐慌と昭和初期の危機
昭和金融恐慌 (1927)
震災手形処理をめぐる不手際から、 1927 年 3 月片岡直温蔵相の失言を契機に銀行取付騒ぎが発生。 多くの中小銀行が休業に追い込まれ、 三井・三菱・住友・安田・第一の5 大銀行への資本集中が進みました。
世界恐慌の波及 (1929-)
1929 年 10 月、 ニューヨーク株式市場暴落から世界恐慌が発生。 日本にも 1930 年から深刻な不況 (昭和恐慌) が波及しました。
- 農業恐慌 — 生糸輸出が激減、 繭価暴落、 「豊作飢饉」 (米価下落で農家窮乏)、 東北の娘の身売り・欠食児童
- 失業 — 都市労働者の失業
- 金解禁の失敗 — 井上準之助蔵相が 1930 年金解禁、 旧平価で実施したため円高 → 輸出激減 → 不況拡大
軍部の台頭
経済危機と政党政治への不信が、 軍部・国家主義者の台頭を招きました。
| 年 | 事件 | 内容 |
|---|
| 1930 | 浜口雄幸首相狙撃 | ロンドン海軍軍縮条約調印に対する反発 |
| 1931 | 満州事変 | 関東軍が柳条湖事件を契機に満州全土を占領 |
| 1932 | 血盟団事件 | 井上日召ら、 井上準之助・団琢磨を暗殺 |
| 1932 | 五・一五事件 | 海軍青年将校らが犬養毅首相を暗殺、 政党内閣の終焉 |
| 1933 | 国際連盟脱退通告 | リットン報告書の満州国非承認に反発 |
| 1936 | 二・二六事件 | 陸軍青年将校 1483 名がクーデター。 高橋是清蔵相ら殺害、 統制派の主導権確立 |
満州国の建国
1931 年柳条湖事件 (関東軍による南満州鉄道爆破自作自演) を口実に、 関東軍は満州全土を占領。 1932 年 3 月、 清の最後の皇帝溥儀を執政 (後に皇帝) として満州国を建国。
国際連盟調査団 (リットン卿) は満州における日本の特殊権益を一定認めつつ、 満州事変を侵略・満州国建国を非合法と判定。 1933 年、 日本は国際連盟を脱退し、 国際的孤立への道を歩みました。
ポイント: 五・一五事件で犬養毅首相が殺害されたことで、 8 年間続いた政党内閣の慣行が終わり、 以後敗戦まで政党出身の首相は実質ほぼ出ませんでした (例外あり)。 軍部が政治を主導する時代に入ります。
6. 日中戦争と太平洋戦争
日中戦争 (1937-1945)
1937 年 7 月 7 日、 盧溝橋事件 (北京郊外での日中軍事衝突) を契機に日中戦争が始まりました。 近衛文麿内閣は当初「不拡大方針」をとりましたが、 戦線は急速に拡大。
| 年 | 出来事 |
|---|
| 1937.7 | 盧溝橋事件、 戦争開始 |
| 1937.8 | 第二次上海事変 |
| 1937.12 | 南京占領 |
| 1938 | 国家総動員法 |
| 1938 | 近衛声明 (「国民政府を相手にせず」、 後に東亜新秩序) |
| 1940 | 汪兆銘南京政府樹立 |
| 1940 | 大政翼賛会結成、 日独伊三国同盟 |
| 1941 | 日ソ中立条約 |
大事: 日中戦争中の 1937 年 12 月の南京占領後に多数の中国軍捕虜・民間人が殺害されたとされる「南京事件」 (南京虐殺) については、 犠牲者数等につき諸説あり、 日中双方の研究者の間で長年議論されてきました。 1941 年からの太平洋戦争中の「従軍慰安婦」 (慰安所制度に動員された女性たち)、 強制連行 (朝鮮半島・中国からの労務動員) についても、 制度の実態・規模・強制性の程度などに諸説があり、 戦後の日韓・日中関係の重要争点となっています。 村山談話 (1995 年)・河野談話 (1993 年) など、 政府の公式見解の変遷も含めて、 多面的・客観的に学ぶことが大切です。
太平洋戦争 (1941-1945)
アメリカ・イギリスは日中戦争への対応として在米日本資産凍結・対日石油全面禁輸などの経済制裁を強化。 1941 年 11 月のハル・ノートを最後通牒と受け取った日本は開戦を決断しました。
1941 年 12 月 8 日、 日本軍はハワイ真珠湾のアメリカ艦隊を奇襲攻撃、 同時にマレー半島上陸を開始。 太平洋戦争 (大東亜戦争) が始まりました。
戦況の推移
| 年 | 出来事 |
|---|
| 1941.12.8 | 真珠湾攻撃、 マレー作戦 |
| 1942.6 | ミッドウェー海戦 — 主力空母 4 隻喪失、 戦局の転機 |
| 1942.8-1943.2 | ガダルカナル攻防戦 — 多大な犠牲で撤退 |
| 1943.5 | アッツ島玉砕 |
| 1944.6 | マリアナ沖海戦敗北、 サイパン陥落、 東条英機内閣総辞職 |
| 1944.10 | レイテ沖海戦、 神風特攻隊の出現 |
| 1944.11 | 本土空襲本格化 ([B-29]) |
| 1945.3.10 | 東京大空襲 — 一晩で約 10 万人死亡 |
| 1945.4-6 | 沖縄戦 — 唯一の地上戦、 民間人含む約 20 万人犠牲 |
終戦
1945 年 7 月、 連合国 (米英中) はポツダム宣言で日本に無条件降伏を要求。 日本は当初黙殺。
| 日付 | 出来事 |
|---|
| 1945 年 8 月 6 日 | 広島に原子爆弾投下 (推定死者 14 万人、 1945 年末まで) |
| 1945 年 8 月 8 日 | ソ連対日参戦、 満州・南樺太・千島侵攻 |
| 1945 年 8 月 9 日 | 長崎に原子爆弾投下 (推定死者 7 万人) |
| 1945 年 8 月 14 日 | 御前会議でポツダム宣言受諾決定 |
| 1945 年 8 月 15 日 | 終戦の詔勅を玉音放送で発表 |
| 1945 年 9 月 2 日 | 東京湾のミズーリ号上で降伏文書調印 |
大事: 原子爆弾は人類史上初の核兵器使用例であり、 広島・長崎では多数の市民が一瞬にして殺害され、 生き残った人々も原爆症に長年苦しみました。 8 月 6 日・9 日・15 日は、 戦争の悲惨さと平和の尊さを学ぶ大切な日として、 毎年慰霊が行われています。 被爆者の証言を聞き、 戦争の実相と平和の意義を、 国境を超えて次世代に伝えていく責任があります。
戦争の犠牲
太平洋戦争だけで、 日本人の犠牲は
- 軍人・軍属戦没者約 230 万人
- 民間人犠牲者約 80 万人
- 合計約 310 万人
とされます。 さらに中国・朝鮮半島・東南アジア・太平洋諸島の人々の犠牲、 連合国兵士の犠牲を含めれば、 アジア・太平洋全体で 2000 万人を超える犠牲が出ました。
7. この時代の文化と社会
大正・昭和の文化
- 文学 — 夏目漱石・森鷗外 (明治後期)、 白樺派・新思潮派 (大正)、 プロレタリア文学 (昭和初期)、 新感覚派
- 音楽 — 山田耕筰、 瀧廉太郎 (明治末)、 流行歌の隆盛
- 映画 — 小津安二郎・溝口健二、 トーキーへ
- マスメディア — 新聞・雑誌・ラジオ・映画、 戦時中は統制対象
- 戦時統制 — 国民精神総動員運動、 大政翼賛会、 配給制、 学童疎開、 学徒出陣、 勤労動員、 女子挺身隊
戦時下の生活
- 食糧不足 — 米の配給制 (大人 1 日 2 合 3 勺)、 代用食、 闇市
- 空襲 — 本土都市の大半が焼け野原に
- 疎開 — 都市の子どもを地方に避難
- 言論統制 — 軍部に不都合な報道・出版は禁止、 横浜事件など治安維持法による弾圧
8. この章のまとめと安全配慮
時代の特色
- 対外 — 日清・日露・第一次大戦・満州事変・日中戦争・太平洋戦争、 戦争の世紀
- 国内政治 — 大正デモクラシー → 軍部台頭 → 翼賛体制
- 経済 — 産業革命 → 大戦景気 → 世界恐慌 → 戦時統制
- 国際関係 — 国際連盟加盟 → 脱退 → 国際的孤立
- 植民地 — 台湾・朝鮮・満州・南洋諸島を支配下に
重要年号
| 年 | 出来事 |
|---|
| 1894-95 | 日清戦争、 下関条約 |
| 1902 | 日英同盟 |
| 1904-05 | 日露戦争、 ポーツマス条約 |
| 1910 | 韓国併合 |
| 1914-18 | 第一次世界大戦 |
| 1915 | 二十一カ条要求 |
| 1918 | 米騒動、 原敬内閣 |
| 1923 | 関東大震災 |
| 1925 | 普通選挙法、 治安維持法 |
| 1929 | 世界恐慌 |
| 1931 | 満州事変 |
| 1932 | 五・一五事件 |
| 1933 | 国際連盟脱退 |
| 1936 | 二・二六事件 |
| 1937 | 日中戦争開始 |
| 1941.12.8 | 太平洋戦争開始 (真珠湾) |
| 1945.3.10 | 東京大空襲 |
| 1945.8.6 | 広島原爆 |
| 1945.8.9 | 長崎原爆 |
| 1945.8.15 | 終戦の詔勅 |
安全配慮 (戦争の教訓を受け継ぐ)
この時代の歴史を学ぶ意義は、 何よりも平和の大切さを理解し、 同じ過ちを繰り返さないことにあります。
- 戦争を「勝ち負け」だけで語らない — 戦争で苦しんだのは兵士・民間人を問わず、 日本も他国も同じです。 「敵国」「侵略」「英霊」など、 一面的な表現に注意し、 多角的に考えましょう
- 被害と加害の両面 — 日本は原爆・空襲・シベリア抑留の被害を受けた一方、 南京事件・従軍慰安婦・強制連行などの加害責任も問われています (諸説あり、 公式見解として村山談話・河野談話を参照)。 両面を学ぶことが、 国際社会で日本を語る基礎です
- 平和記念施設・戦争遺跡 — 広島平和記念資料館、 長崎原爆資料館、 沖縄県平和祈念資料館、 ひめゆり平和祈念資料館、 昭和館、 しょうけい館など、 全国に多くの平和学習施設があります。 修学旅行・家族旅行で訪れる際は、 静粛に、 真剣に学びましょう
- 被爆者・戦争体験者の証言を聴く機会を大切に — 被爆者の平均年齢は 80 歳を超え、 直接話を聞ける時間は限られています。 講演会・ドキュメンタリー・書籍を通じて、 経験を次世代に継承する責任があります
- 平和憲法の意義を考える — 戦後制定された日本国憲法の第 9 条 (戦争放棄) は、 この戦争の犠牲の上に生まれたものです。 改憲議論にも、 まず歴史的経緯を理解した上で参加しましょう
- 「中立」と「客観」を意識する — 戦争責任・歴史認識をめぐる議論では、 各国・各立場で見解が分かれます。 特定の主張を鵜呑みにせず、 一次史料・複数国の研究・国際的議論を踏まえて、 自分で考える姿勢が大切です
大事: 戦争の歴史は、 痛ましく、 学ぶことが重い分野です。 しかし、 戦争で命を落とした方々、 苦しんだ方々の経験を理解することが、 二度と戦争を起こさない社会を作る基盤になります。 「過去を直視し、 未来に責任を持つ」 — これが歴史を学ぶ人の役割です。 国境・立場を超えて、 平和を願う気持ちを育てましょう。
まとめ — 明治後期・大正・昭和前期を 3 行で
- 日清戦争 と 日露戦争 で国際的地位が高まり、 韓国併合 と 日英同盟 の中で帝国主義が進展した
- 大正デモクラシー で 普通選挙法 が成立したが同時に 治安維持法 が制定され、 財閥 と政党政治が並び立つ
- 満州事変 と 満州国建国以降、 日中戦争 と 太平洋戦争 へと拡大し 1945 年終戦を迎え 原子爆弾 の惨禍を残した