この章で学ぶこと
1890 年の[[第|だい] 1 回帝国[議会|ぎかい]]から 1945 年の終戦までの 55 年間は、 日本が**列強の一員に上昇しつつ、 同時に戦争への道を歩んだ**時代です。
[[日|にち][清|しん]]・[[日|にち][露|ろ]]という 2 つの戦争で大陸への影響力を拡大し、 [[第|だい]一次世界[大戦|たいせん]]で連合国側に立ち、 [[大正|たいしょう]デモクラシー]の高揚を経て、 [[世界|せかい][恐慌|きょうこう]]後は[[満州|まんしゅう][事変|じへん]]・[[日|び]中[戦争|せんそう]]・太平洋戦争という 15 年にわたる戦争に突入していきます。
この章では、 戦争へと至る複雑な過程を、 国際情勢・国内政治・経済・社会の各面から立体的に学びます。 過去の戦争を冷静に振り返ることは、 平和の大切さを次世代に伝えるための基本です。
- 日清戦争 (1894-95) と下関条約
- 日露戦争 (1904-05) とポーツマス条約
- [[産業|さんぎょう][革命|かくめい]] と韓国併合 (1910)
- [[第|だい]一次世界[大戦|たいせん]] (1914-18) と[[国際|こくさい][連盟|れんめい]]
- 大正デモクラシー と普通選挙法 (1925)
- [[世界|せかい][恐慌|きょうこう]] と満州事変 (1931)
- 日中戦争 (1937) と**太平洋戦争** (1941-45)
- 終戦 (1945 年 8 月 15 日)
大事: この時代を学ぶ意義は、 戦争がどのようにして起こり、 どのように人々が苦しんだかを知り、 平和を守る責任を考えることにあります。 戦勝・敗戦の単純な物語ではなく、 国際関係・国内政治・経済・社会の複雑な絡み合いを丁寧に追いましょう。
1. 日清戦争と東アジア秩序の変動
**[[大日本帝国憲法|だいにっぽんていこくけんぽう]]** (1889 年公布) — 明治政府 が 作 っ た 日本初 の 近代憲法。 天皇主権、 国民 は 「臣民」。 1947 年[[日本国憲法|にっぽんこくけんぽう]] に 引 き 継 が れ た。
朝鮮をめぐる対立
[[明治|めいじ][政府|せいふ]]は朝鮮半島を「日本の安全保障上の利益地域」とみなし、 1876 年の[[日|び]朝修好[条規|じょうき]] (江華条約) で開国させて以来、 影響力拡大を図っていました。 一方、 朝鮮を伝統的な宗主国とする清 (中国の王朝) も影響力維持を目指し、 両国は対立しました。
| 年 | 出来事 |
|---|
| 1876 | [[日 |
| 1882 | 壬午事変 (大院君クーデター) |
| 1884 | 甲申事変 (金玉均ら親日派クーデター失敗) |
| 1885 | 天津条約 (日清両軍の朝鮮撤兵を約束) |
| 1894 | 甲午[[農民 |
日清戦争 (1894-1895)
1894 年 7 月開戦。 戦場は主に朝鮮半島と黄海・[[遼東|りゃおとん][半島|はんとう]]・[[山東|さんとう][半島|はんとう]]。 装備・訓練に勝る日本軍が連勝し、 1895 年 4 月、 下関で講和。
下関条約 (1895 年 4 月)
日本側全権[[伊藤|いとう][博文|ひろぶみ]]・陸奥宗光、 清側全権李鴻章。 主な内容は、
| 項目 | 内容 |
|---|
| 朝鮮の独立承認 | [[清 |
| 領土割譲 | 遼東半島・[[台湾 |
| 賠償金 | [[庫 |
| 通商上の特権 | [[沙 |
三国干渉
[[下関|しものせき][条約|じょうやく]]調印直後、 [ロシア]・[ドイツ]・[フランス]の 3 国が、 [[遼東|りゃおとん][半島|はんとう]]の清への返還を日本に勧告 (三国干渉)。 日本は受け入れざるを得ず、 賠償金 3000 万両を追加で得る形で[[遼東|りゃおとん][半島|はんとう]]を返還しました。
国民の間に「臥薪嘗胆」 (将来の復讐に備えて苦難に耐える) の語が広がり、 対露強硬論が高まります。
ポイント: [[日|にち]清[戦争|せんそう]]の勝利と賠償金は、 日本の[[産業|さんぎょう][革命|かくめい]]・軍備拡張の財源となりました。 同時に、 台湾領有という形で[[植民|しょくみん]地[帝国|ていこく]]への一歩を踏み出します。 台湾では後藤新平ら[[台湾|たいわん]総督[府|ふ]]による統治が始まり、 抵抗運動と近代化政策が並行して進められました。
2. 日露戦争と韓国併合
義和団事件と日英同盟
1900 年、 中国で外国排斥運動 ([[義和|よしかず][団|だん]]事件) が起き、 列強 8 カ国が連合軍を派遣 (日本も含む)。 [ロシア]は満州に大軍を駐留させ、 朝鮮への影響力も狙いました。
これに対抗するため、 1902 年**日英同盟**を締結。 [イギリス]の[グレートゲーム] (対露牽制) と日本の対露警戒が一致しました。
日露戦争 (1904-1905)
1904 年 2 月、 日露交渉決裂。 日本軍が旅順・仁川で開戦。
| 戦い | 内容 |
|---|
| [[旅順 | りょじゅん]攻囲[戦 |
| 奉天会戦 | 1905 年 3 月、 史上空前の大陸戦 |
| [[日本海 | にほんかい][海戦 |
両国とも国力の限界に達し、 [アメリカ]大統領の仲介で講和へ。
ポーツマス条約 (1905 年 9 月)
日本側全権小村寿太郎、 ロシア側全権。
| 項目 | 内容 |
|---|
| 韓国の指導・監督権 | 日本に承認 |
| 遼東半島南部 ([[旅順 | りょじゅん]]・大連) 租借権 |
| **南満州[鉄道 | てつどう]] (長春-旅順)** |
| 南樺太 (北緯 50 度以南) | 日本に割譲 |
| 沿海州・カムチャッカの漁業権 | 日本に承認 |
| 賠償金 | なし |
国民は「賠償金なし」に不満を爆発させ、 1905 年 9 月 5 日、 日比谷[[焼|や]き討ち[事件|じけん]]を起こしました。 [[戒厳|かいげん][令|れい]]が発令される事態となります。
大事: [[日|にち]露[戦争|せんそう]]は、 アジアの非ヨーロッパ国がヨーロッパの大国に勝った史上初の例として、 [トルコ]・[インド]・[ベトナム]など各地の独立運動を勇気づけました。 一方、 戦死約 8 万人、 戦病死を含めて約 10 万人の犠牲、 増税と国債で疲弊した国民生活など、 多大な代償もありました。
韓国併合 (1910)
[[日|にち]露[戦争|せんそう]]中の 1905 年、 第二次[[日|にち]韓[協約|きょうやく]]で韓国を保護国化、 [[統監|とうかん][府|ふ]]設置 (初代統監[[伊藤|いとう][博文|ひろぶみ]])。 1907 年[ハーグ密使[事件|じけん]]を契機に[[韓国|かんこく][軍|ぐん]]を解散。
1909 年、 [[伊藤|いとう][博文|ひろぶみ]]が[ハルビン]で安重根に暗殺されます。 翌 1910 年 8 月、 **韓国併合条約**を強要し、 韓国を朝鮮と改称、 [[朝鮮|ちょうせん]総督[府|ふ]]を設置して 1945 年まで日本の植民地統治が続きました。
大事: [[韓国|かんこく][併合|へいごう]]は、 日本にとっては「東アジアの安全保障」という名目でしたが、 朝鮮側からみれば**国家主権を失った植民地化であり、 35 年にわたる統治期間中に[[土地|とち]調査[事業|じぎょう]]・[[皇|すめらぎ]民化[政策|せいさく]]・[[創|はじめ]氏[改名|かいめい]]・[[戦時|せんじ][動員|どういん]]など、 多くの問題が生じました。 戦後の[[日|にち]韓基本[条約|じょうやく]] (1965 年) や慰安婦・徴用工をめぐる問題は、 今もなお日韓関係の重要課題です。諸説あり**、 各国の研究を多角的に学ぶことが大切です。
3. 産業革命と社会問題
日本の産業革命
[[日|にち]清[戦争|せんそう]]の賠償金を元手に、 1890 年代後半から急速に産業革命が進展しました。
| 産業 | 内容 |
|---|
| 軽工業 ([[紡績 | ぼうせき]]・[[製糸 |
| 重工業 ([[製鉄 | せいてつ]]・[[造船 |
| 鉄道 | 1906 年[[鉄道 |
| 電力 | 1907 年頃から水力発電が本格化 |
輸出では生糸が圧倒的な主力 (世界最大の輸出国に)。 輸入では綿花・[[機械|きかい][類|るい]]・鉄鋼が中心でした。
財閥の形成
明治期に成長した政商を母体に、 **財閥**が形成されました。
- 三井 — 江戸期からの呉服商・両替商を母体
- 三菱 — 岩崎弥太郎、 海運から多角化
- 住友 — 江戸期からの銅山経営
- 安田 — 金融業
これらは持株会社を頂点に、 銀行・商社・鉱山・重工業を傘下に持つ巨大複合企業へと成長していきます。
社会問題と労働運動
産業革命は深刻な社会問題も生みました。
- 公害 — 足尾銅山鉱毒事件 (田中正造の天皇直訴、 1901 年)
- [[労働|ろうどう][問題|もんだい]] — 女工の長時間労働 ([[女工|じょこう][哀史|あいし]]、 野麦峠)
- [[社会|しゃかい][主義|しゅぎ]]の登場 — 片山潜、 幸徳秋水、 1901 年社会民主党 (即日禁止)
- [[大逆|だいぎゃく][事件|じけん]] (1910 年) — 明治天皇暗殺計画 (冤罪説あり) で[[幸徳|こうとく][秋水|しゅうすい]]ら 12 名処刑、 社会主義運動を弾圧
- [[工場|こうじょう][法|ほう]] (1911 年制定、 1916 年施行) — 12 歳未満の就業禁止、 女子・年少者の労働時間制限 (実効性は限定的)
4. 第一次世界大戦と大正デモクラシー
第一次世界大戦 (1914-1918)
1914 年 7 月、 [サラエヴォ]事件をきっかけに[ヨーロッパ]で大戦勃発。 日本は[[日|にち]英[同盟|どうめい]]を理由に**[ドイツ]に宣戦布告** (1914 年 8 月)。 [[山東|さんとう][半島|はんとう]]の青島 (ドイツ租借地) や太平洋の[ドイツ領南洋[諸島|しょとう]]を占領しました。
大戦景気と二十一カ条要求
[ヨーロッパ]諸国がアジア市場から撤退する間隙を縫い、 日本の輸出は急増。 「[[大戦|たいせん][景気|けいき]]」「成金」という言葉が生まれます。 工業生産額が農業生産額を上回り、 名実ともに**工業国**へ。
1915 年、 [[大隈|おおくま][重信|しげのぶ]]内閣は中国 (袁世凱政権) に対し**二十一カ条要求**を突きつけました。 山東の旧権益継承、 [[南|みなみ][満州|まんしゅう]]・[[東部|とうぶ]内蒙[古|こ]]の権益拡大などを要求し、 大部分を認めさせました。 中国民衆の反日感情は高揚し、 後の[[五|ご]・四[運動|うんどう]] (1919 年) の伏線となります。
ロシア革命とシベリア出兵
1917 年[ロシア[革命|かくめい]]で[ソビエト[政権|せいけん]]が成立。 [ソ[連|それん]]の影響拡大を恐れた連合国は[シベリア]に出兵。 日本も 1918-22 年に最大 7 万人を派遣しましたが、 成果なく撤退。 多大な戦費と犠牲だけが残りました。
パリ講和会議とベルサイユ条約 (1919)
1919 年[パリ講和[会議|かいぎ]]に西園寺公望・牧野伸顕が全権として出席。 日本は山東権益と[[赤道|せきどう]以北のドイツ領南洋[諸島|しょとう]]委任統治を獲得。 戦勝国 5 大国 ([[米|べい]英仏伊[日|にち]]) の一員となりました。
国際連盟 (1920)
1920 年、 [ウィルソン]米大統領の提唱で**[[国際|こくさい][連盟|れんめい]]**発足。 日本は[[常任|じょうにん]理事[国|こく]]の 1 国に。 ただしアメリカは議会の反対で不参加、 ソ連も当初不参加と、 構造的な弱点を抱えました。
ワシントン会議 (1921-1922)
[アメリカ]の主導で開かれた軍縮会議。 日本は加藤友三郎海相が全権。
| 条約 | 内容 |
|---|
| **[[四 | よん]カ国[条約 |
| **[[九 | きゅう]カ国[条約 |
| **[[海軍 | かいぐん]軍縮[条約 |
これにより[ワシントン[体制|たいせい]]と呼ばれる東アジア国際秩序が成立しました。
大正デモクラシー
大正期 (1912-1926) に開花した民主主義運動を**大正デモクラシー**といいます。
| 動き | 内容 |
|---|
| **[[第 | だい]一次護憲[運動 |
| 民本主義 | 吉野作造、 主権の所在を問わず政治目的を「民衆の福利」に置く |
| **[[天皇 | てんのう]機関[説 |
| **[[米 | まい][騒動 |
| 原敬内閣 (1918) | 初の本格的政党内閣、 「平民宰相」 |
| **[[第 | だい]二次護憲[運動 |
普通選挙法と治安維持法 (1925 年)
1925 年、 [[加藤|かとう][高明|こうめい]]内閣下で 2 つの重要法が同時成立しました。
- 普通選挙法 — 満 25 歳以上の**男子**に納税要件なしで選挙権 (女性参政権はなし)。 有権者は約 4 倍に
- 治安維持法 — 「国体の変革」「[[私有|しゆう]財産[制|せい]]否定」を目的とする結社を禁止 (社会主義・共産主義への弾圧法、 後に拡大解釈で言論統制の柱に)
大事: [[大正|たいしょう]デモクラシー]は、 明治期の藩閥政治からの脱却を意味する重要な民主化運動でした。 しかし[[普通|ふつう][選挙|せんきょ]]と同時に[[治安|ちあん]維持[法|ほう]]が成立したことが象徴するように、 自由化と弾圧が併存する不完全さを抱えていました。 これが昭和初期に逆行することになります。
大正期の文化と災害
- 文学 — [[白樺|しらかんば][派|は]] ([[武者小路|むしゃのこうじ][実篤|さねあつ]]・[[志賀|しが][直哉|なおや]])、 [[新|しん]感覚[派|は]] ([[川端|かわばた][康成|やすなり]]・[[横光|よこみつ][利一|としかず]])、 [プロレタリア[文学|ぶんがく]] (小林多喜二 蟹工船)
- [[大衆|たいしゅう][文化|ぶんか]] — [ラジオ[放送|ほうそう]] (1925 年開始)、 円本 (1 円均一の文学全集)、 [モボ・モガ] (モダンボーイ・モダンガール)
- 関東大震災 (1923 年 9 月 1 日) — マグニチュード 7.9、 東京・横浜壊滅、 死者・行方不明約 10 万 5 千人。 混乱の中で[[朝鮮|ちょうせん][人|じん]]・中国人虐殺、 社会主義者[[大杉|おおすぎ][栄|さかえ]]殺害事件などが発生
5. 世界恐慌と昭和初期の危機
昭和金融恐慌 (1927)
[[震災|しんさい][手形|てがた]]処理をめぐる不手際から、 1927 年 3 月片岡直温蔵相の失言を契機に[[銀行|ぎんこう][取付|とりつけ]]騒ぎが発生。 多くの中小銀行が休業に追い込まれ、 三井・三菱・住友・安田・第一の[5 大[銀行|ぎんこう]]への資本集中が進みました。
世界恐慌の波及 (1929-)
1929 年 10 月、 [ニューヨーク]株式市場暴落から[[世界|せかい][恐慌|きょうこう]]が発生。 日本にも 1930 年から深刻な不況 ([[昭和|しょうわ][恐慌|きょうこう]]) が波及しました。
- [[農業|のうぎょう][恐慌|きょうこう]] — 生糸輸出が激減、 繭価暴落、 「豊作飢饉」 (米価下落で農家窮乏)、 東北の[[娘|むすめ]の身売り]・[[欠食|けっしょく][児童|じどう]]
- 失業 — 都市労働者の失業
- [[金|きん][解禁|かいきん]]の失敗 — 井上準之助蔵相が 1930 年[[金|きん][解禁|かいきん]]、 旧平価で実施したため円高 → 輸出激減 → 不況拡大
軍部の台頭
経済危機と政党政治への不信が、 軍部・国家主義者の台頭を招きました。
| 年 | 事件 | 内容 |
|---|
| 1930 | 浜口雄幸首相狙撃 | [ロンドン海軍軍縮[条約 |
| 1931 | **[[満州 | まんしゅう][事変 |
| 1932 | [[血盟 | けつめい]団[事件 |
| 1932 | **[[五 | ご]・一五[事件 |
| 1933 | [[国際 | こくさい]連盟[脱退 |
| 1936 | **[[二 | に]・二六[事件 |
満州国の建国
1931 年[[柳|やなぎ]条[湖|みずうみ]]事件 (関東軍による[[南|みなみ]満州[鉄道|てつどう]]爆破自作自演) を口実に、 関東軍は満州全土を占領。 1932 年 3 月、 清の最後の皇帝溥儀を執政 (後に皇帝) として**満州国**を建国。
[[国際|こくさい][連盟|れんめい]]調査団 ([リットン]卿) は満州における日本の特殊権益を一定認めつつ、 [[満州|まんしゅう][事変|じへん]]を侵略・[[満州|まんしゅう][国|こく]]建国を非合法と判定。 1933 年、 日本は[[国際|こくさい][連盟|れんめい]]を脱退し、 国際的孤立への道を歩みました。
ポイント: [[五|ご]・一五[事件|じけん]]で[[犬|けん]養[毅|あつし]]首相が殺害されたことで、 8 年間続いた**政党内閣の慣行が終わり**、 以後敗戦まで政党出身の首相は実質ほぼ出ませんでした (例外あり)。 軍部が政治を主導する時代に入ります。
6. 日中戦争と太平洋戦争
日中戦争 (1937-1945)
1937 年 7 月 7 日、 盧溝橋事件 (北京郊外での日中軍事衝突) を契機に**日中戦争**が始まりました。 近衛文麿内閣は当初「不拡大方針」をとりましたが、 戦線は急速に拡大。
| 年 | 出来事 |
|---|
| 1937.7 | [[盧溝橋 |
| 1937.8 | [[第 |
| 1937.12 | [[南京 |
| 1938 | [[国家 |
| 1938 | [[近衛 |
| 1940 | 汪兆銘[[南京 |
| 1940 | [[大政 |
| 1941 | [[日 |
大事: [[日|び]中[戦争|せんそう]]中の 1937 年 12 月の南京占領後に多数の中国軍捕虜・民間人が殺害されたとされる「[[南京|なんきん][事件|じけん]]」 (南京虐殺) については、 犠牲者数等につき**諸説あり**、 日中双方の研究者の間で長年議論されてきました。 1941 年からの太平洋戦争中の「[[従軍|じゅうぐん]慰安[婦|ふ]]」 (慰安所制度に動員された女性たち)、 [[強制|きょうせい][連行|れんこう]] (朝鮮半島・中国からの労務動員) についても、 制度の実態・規模・強制性の程度などに諸説があり、 戦後の日韓・日中関係の重要争点となっています。 [[村山|むらやま][談話|だんわ]] (1995 年)・[[河野|こうの][談話|だんわ]] (1993 年) など、 政府の公式見解の変遷も含めて、 多面的・客観的に学ぶことが大切です。
太平洋戦争 (1941-1945)
[アメリカ]・[イギリス]は[[日|び]中[戦争|せんそう]]への対応として[[在|ざい]米日本資産[凍結|とうけつ]]・[[対|たい]日石油全面[禁輸|きんゆ]]などの経済制裁を強化。 1941 年 11 月の[ハル・ノート]を最後通牒と受け取った日本は開戦を決断しました。
1941 年 12 月 8 日、 日本軍は[ハワイ]真珠湾の[アメリカ]艦隊を[[奇襲|きしゅう][攻撃|こうげき]]、 同時に[マレー[半島|まれーはんとう]]上陸を開始。 太平洋戦争 ([[大|だい]東亜[戦争|せんそう]]) が始まりました。
戦況の推移
| 年 | 出来事 |
|---|
| 1941.12.8 | [[真珠湾 |
| 1942.6 | **[ミッドウェー[海戦 |
| 1942.8-1943.2 | [ガダルカナル]攻防戦 — 多大な犠牲で撤退 |
| 1943.5 | [アッツ[島 |
| 1944.6 | [マリアナ]沖海戦敗北、 [サイパン]陥落、 東条英機内閣総辞職 |
| 1944.10 | [レイテ]沖海戦、 [[神風 |
| 1944.11 | [[本土 |
| 1945.3.10 | **[[東京 |
| 1945.4-6 | **[[沖縄 |
終戦
1945 年 7 月、 連合国 (米英中) は**[ポツダム[宣言|せんげん]]**で日本に無条件降伏を要求。 日本は当初黙殺。
| 日付 | 出来事 |
|---|
| 1945 年 8 月 6 日 | 広島に**[[原子爆弾 |
| 1945 年 8 月 8 日 | [ソ[連 |
| 1945 年 8 月 9 日 | 長崎に[[原子爆弾 |
| 1945 年 8 月 14 日 | [[御前 |
| 1945 年 8 月 15 日 | **終戦の詔勅**を玉音放送で発表 |
| 1945 年 9 月 2 日 | [[東京湾 |
大事: **[[原子|げんし][爆弾|ばくだん]]**は人類史上初の核兵器使用例であり、 広島・長崎では多数の市民が一瞬にして殺害され、 生き残った人々も原爆症に長年苦しみました。 8 月 6 日・9 日・15 日は、 戦争の悲惨さと平和の尊さを学ぶ大切な日として、 毎年慰霊が行われています。 [[被爆|ひばく][者|しゃ]]の証言を聞き、 戦争の実相と平和の意義を、 国境を超えて次世代に伝えていく責任があります。
戦争の犠牲
太平洋戦争だけで、 日本人の犠牲は
- 軍人・軍属戦没者約 230 万人
- 民間人犠牲者約 80 万人
- 合計約 310 万人
とされます。 さらに 中国・朝鮮半島・[[東南|とうなんあじあ]アジア]・[[太平洋|たいへいよう][諸島|しょとう]]の人々の犠牲、 [[連合|れんごう][国|こく]]兵士の犠牲を含めれば、 アジア・太平洋全体で 2000 万人を超える犠牲が出ました。
7. この時代の文化と社会
大正・昭和の文化
- 文学 — [[夏目|なつめ][漱石|そうせき]]・[[森|もり]鷗[外|がい]] (明治後期)、 [[白樺|しらかんば][派|は]]・[[新|しん]思潮[派|は]] (大正)、 [プロレタリア[文学|ぶんがく]] (昭和初期)、 [[新|しん]感覚[派|は]]
- 音楽 — 山田耕筰、 瀧廉太郎 (明治末)、 流行歌の隆盛
- 映画 — 小津安二郎・溝口健二、 トーキーへ
- [マスメディア] — 新聞・雑誌・[ラジオ]・映画、 戦時中は統制対象
- [[戦時|せんじ][統制|とうせい]] — [[国民|こくみん]精神総動員[運動|うんどう]]、 [[大政|たいせい]翼賛[会|かい]]、 配給制、 学童疎開、 [[学徒|がくと][出陣|しゅつじん]]、 [[勤労|きんろう][動員|どういん]]、 [[女子|じょし]挺身[隊|たい]]
戦時下の生活
- [[食糧|しょくりょう][不足|ふそく]] — 米の配給制 (大人 1 日 2 合 3 勺)、 代用食、 闇市
- 空襲 — 本土都市の大半が焼け野原に
- 疎開 — 都市の子どもを地方に避難
- [[言論|げんろん][統制|とうせい]] — 軍部に不都合な報道・出版は禁止、 [[横浜|よこはま][事件|じけん]]など[[治安|ちあん]維持[法|ほう]]による弾圧
8. この章のまとめと安全配慮
時代の特色
- 対外 — [[日|にち][清|しん]]・[[日|にち][露|ろ]]・[[第|だい]一次[大戦|たいせん]]・[[満州|まんしゅう][事変|じへん]]・[[日|び]中[戦争|せんそう]]・太平洋戦争、 戦争の世紀
- 国内政治 — [[大正|たいしょう]デモクラシー] → [[軍部|ぐんぶ][台頭|たいとう]] → [[翼賛|よくさん][体制|たいせい]]
- 経済 — [[産業|さんぎょう][革命|かくめい]] → [[大戦|たいせん][景気|けいき]] → [[世界|せかい][恐慌|きょうこう]] → [[戦時|せんじ][統制|とうせい]]
- 国際関係 — [[国際|こくさい][連盟|れんめい]]加盟 → 脱退 → [[国際|こくさい]的[孤立|こりつ]]
- 植民地 — 台湾・朝鮮・満州・[[南洋|なんよう][諸島|しょとう]]を支配下に
重要年号
| 年 | 出来事 |
|---|
| 1894-95 | [[日 |
| 1902 | [[日 |
| 1904-05 | [[日 |
| 1910 | [[韓国 |
| 1914-18 | [[第 |
| 1915 | [[二 |
| 1918 | [[米 |
| 1923 | [[関東大震災 |
| 1925 | [[普通 |
| 1929 | [[世界 |
| 1931 | [[満州 |
| 1932 | [[五 |
| 1933 | [[国際 |
| 1936 | [[二 |
| 1937 | [[日 |
| 1941.12.8 | [[太平洋戦争 |
| 1945.3.10 | [[東京 |
| 1945.8.6 | [[広島 |
| 1945.8.9 | [[長崎 |
| 1945.8.15 | [[終戦 |
安全配慮 (戦争の教訓を受け継ぐ)
この時代の歴史を学ぶ意義は、 何よりも**平和の大切さ**を理解し、 同じ過ちを繰り返さないことにあります。
- 戦争を「勝ち負け」だけで語らない — 戦争で苦しんだのは兵士・民間人を問わず、 日本も他国も同じです。 「敵国」「侵略」「英霊」など、 一面的な表現に注意し、 多角的に考えましょう
- 被害と加害の両面 — 日本は原爆・空襲・[シベリア[抑留|よくりゅう]]の被害を受けた一方、 [[南京|なんきん][事件|じけん]]・[[従軍|じゅうぐん]慰安[婦|ふ]]・[[強制|きょうせい][連行|れんこう]]などの加害責任も問われています ([[諸説|しょせつ]あり]、 公式見解として[[村山|むらやま][談話|だんわ]]・[[河野|こうの][談話|だんわ]]を参照)。 両面を学ぶことが、 国際社会で日本を語る基礎です
- 平和記念施設・戦争遺跡 — [[広島|ひろしま]平和記念資料[館|かん]]、 [[長崎|ながさき]原爆資料[館|かん]]、 [[沖縄|おきなわ]県平和祈念資料[館|かん]]、 [ひめゆり平和祈念資料[館|かん]]、 [[昭和|しょうわ][館|かん]]、 [しょうけい[館|かん]]など、 全国に多くの平和学習施設があります。 修学旅行・家族旅行で訪れる際は、 静粛に、 真剣に学びましょう
- 被爆者・戦争体験者の証言を聴く機会を大切に — [[被爆|ひばく][者|しゃ]]の平均年齢は 80 歳を超え、 直接話を聞ける時間は限られています。 講演会・ドキュメンタリー・書籍を通じて、 経験を次世代に継承する責任があります
- 平和憲法の意義を考える — 戦後制定された[[日本国|にっぽんこく][憲法|けんぽう]]の[[第|だい] 9 [条|じょう]] (戦争放棄) は、 この戦争の犠牲の上に生まれたものです。 改憲議論にも、 まず歴史的経緯を理解した上で参加しましょう
- 「中立」と「客観」を意識する — 戦争責任・歴史認識をめぐる議論では、 各国・各立場で見解が分かれます。 特定の主張を鵜呑みにせず、 一次史料・複数国の研究・国際的議論を踏まえて、 自分で考える姿勢が大切です
大事: 戦争の歴史は、 痛ましく、 学ぶことが重い分野です。 しかし、 戦争で命を落とした方々、 苦しんだ方々の経験を理解することが、 **二度と戦争を起こさない社会**を作る基盤になります。 「過去を直視し、 未来に責任を持つ」 — これが歴史を学ぶ人の役割です。 国境・立場を超えて、 平和を願う気持ちを育てましょう。
まとめ — 明治後期・大正・昭和前期 を 3 行 で
- 日清戦争 と 日露戦争 で 国際的地位 が 高 ま り、 韓国併合 と 日英同盟 の 中 で 帝国主義 が 進展 し た
- 大正デモクラシー で 普通選挙法 が 成立 し た が 同時 に 治安維持法 が 制定 さ れ、 財閥 と 政党政治 が 並 び 立 つ
- 満州事変 と 満州国建国以降、 日中戦争 と 太平洋戦争 へ と 拡大 し 1945 年終戦 を 迎 え 原子爆弾 の 惨禍 を 残 し た