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日本史探究

古墳こふん飛鳥あすか時代じだい (古代こだい国家こっか成立せいりつ)

最終確認日:

このしょうまなぶこと

3 世紀せいき後半こうはん奈良なら盆地ぼんち中心ちゅうしんヤマトやまと王権おうけん形成けいせいされ、 きょだい古墳こふん各地かくちきずかれました。 やがて 6 世紀せいきまつ聖徳太子しょうとくたいし (うまやおう) が政治せいじ改革かいかくはじめ、 大化の改新たいかのかいしんて、 7 世紀せいきまつ律令国家りつりょうこっか出来上できあがります。

中学ちゅうがくまなんだ 「聖徳太子しょうとくたいし」 「大化の改新たいかのかいしん」 を、 高校こうこうでは ヤマトやまと王権おうけん形成けいせい過程かてい東アジアひがしあじあ国際こくさい関係かんけい、 そして 諸説しょせつふくめてふかまなびます。

  • 古墳時代こふんじだい (3-7 世紀せいき) — 前方後円墳ぜんぽうこうえんふんヤマト王権やまとおうけん氏姓制度しせいせいど
  • 飛鳥時代あすかじだい (6 世紀せいきまつ -710 ねん) — 聖徳太子しょうとくたいし冠位十二階かんいじゅうにかい十七条憲法じゅうしちじょうけんぽう遣隋使けんずいし
  • 大化の改新たいかのかいしん (645 ねん) と公地公民こうちこうみん
  • 白村江の戦いはくすきのえのたたかい (663 ねん) と国家こっか再編さいへん
  • 壬申の乱じんしんのらん (672 ねん) と天武天皇てんむてんのう律令りつりょう整備せいび
  • 飛鳥あすか文化ぶんか白鳳文化はくほうぶんか

大事だいじ: この時代じだい文字もじ史料しりょうはじめる 時期じきです。 「古事記こじき」 「日本書紀にほんしょき」 「風土記ふどき」 がへんさんされ、 木簡もっかん金石文かねいしぶん出土しゅつどします。 また中国ちゅうごく史書ししょ (「宋書そうしょ」 「隋書ずいしょ」) が やまと動向どうこうつたえます。 つまり 考古資料こうこしりょう文字もじ史料しりょう両方りょうほう から立体りったいてきえがける時代じだいです。

1. 古墳こふん時代じだいとヤマト王権おうけん

前方後円墳の空撮
大仙古墳だいせんこふん (大阪おおさかさかい、 5 世紀せいき) — 全長ぜんちょうやく 486 m の前方後円墳ぜんぽうこうえんふん仁徳天皇陵にんとくてんのうりょうつたえられるが諸説しょせつあり。
現存する世界最古の木造建築
法隆寺ほうりゅうじ (奈良ならけん斑鳩いかるがまち、 607 ねん創建そうけんつたわる) — 現存げんそんする世界せかい最古さいこ木造もくぞう建築けんちく聖徳太子しょうとくたいし建立こんりゅうつたわるが諸説しょせつあり。

古墳こふん出現しゅつげん

3 世紀せいき後半こうはん奈良なら盆地ぼんち中心ちゅうしん前方後円墳ぜんぽうこうえんふんばれるきょだい墳墓ふんぼきずかれはじめます。 このころから 7 世紀せいきまつまでを 古墳時代こふんじだいびます。

だいたい年代ねんだいおも古墳こふん
前期ぜんき3 世紀せいき後半こうはん - 4 世紀せいき箸墓古墳はしはかこふん (奈良なら纏向まきむく)
中期ちゅうき5 世紀せいき大仙古墳だいせんこふん (大阪おおさか仁徳天皇にんとくてんのうりょう古墳こふん)
後期こうき6 世紀せいき - 7 世紀せいき群集墳ぐんしゅうふん横穴式石室よこあなしきいしむろ

大仙古墳だいせんこふんと 「世界せかいさんだい墳墓ふんぼ

大阪おおさかさかい大仙古墳だいせんこふん (仁徳天皇にんとくてんのうりょう古墳こふんとされる) は、 全長ぜんちょうやく 486 メートルの日本にほん最大さいだい前方後円墳ぜんぽうこうえんふんで、 エジプトのクフ王くふおうピラミッドぴらみっど中国ちゅうごく始皇帝しこうていりょうならんで 「世界せかいさんだい墳墓ふんぼ」 とばれます (面積めんせき比較ひかくで)。 2019 ねん百舌鳥もず古市ふるいち古墳こふんぐん としてユネスコゆねすこ世界遺産せかいいさん登録とうろくされました。

諸説しょせつ注意ちゅうい:仁徳天皇にんとくてんのうりょう」 とされていますが、 実際じっさい仁徳天皇にんとくてんのう埋葬まいそうされているかは確証かくしょうがない ため、 考古学こうこがくでは 大仙古墳だいせんこふん または 大山古墳おおやまこふんぶことが一般いっぱんてきです。 宮内庁くないちょうりょうとして管理かんりしており、 発掘はっくつ調査ちょうさきびしく制限せいげんされています。

ヤマトやまと王権おうけん形成けいせい

古墳こふん分布ぶんぷ形式けいしきから、 奈良なら盆地ぼんち中心ちゅうしんとする ヤマトやまと王権おうけん列島れっとう各地かくち豪族ごうぞく統合とうごうしていったことがかります。

  • ヤマトやまと王権おうけん首長しゅちょう = 大王おおきみ (おおきみ、 天皇てんのう原型げんけい)
  • 各地かくち豪族ごうぞくヤマトやまとおな形式けいしき古墳こふんつくる = 政治せいじ統合とうごうのしるし
  • ヤマトやまとから豪族ごうぞく銅鏡どうきょうたま配布はいふされた (副葬品ふくそうひんからかる)

氏姓制度しせいせいど

ヤマトやまと王権おうけんは、 豪族ごうぞくうじ (血縁けつえん集団しゅうだん) と かばね (政治せいじてき地位ちいあらわ称号しょうごう) で編成へんせいしました。 これを 氏姓制度しせいせいどいます。

かばね内容ないよう
おみ有力ゆうりょく豪族ごうぞく葛城かつらぎ平群へぐり蘇我そがなど
むらじヤマトやまとつかえる職能しょくのう豪族ごうぞく大伴おおとも物部ものべなど
きみ地方ちほう有力ゆうりょく豪族ごうぞく
あたい国造くにのみやつこなど
おびと渡来人とらいじんけいなど

ヤマトやまと王権おうけん政治せいじ中心ちゅうしん大臣おおおみ (おみから) と 大連おおむらじ (むらじから) で、 蘇我氏そがし物部氏もののべし対立たいりつが 6 世紀せいき後半こうはん政治せいじ焦点しょうてんになります。

渡来人とらいじん文化ぶんか伝来でんらい

古墳時代こふんじだいには、 朝鮮半島ちょうせんはんとうからおおくの 渡来人とらいじんて、 技術ぎじゅつ文化ぶんかつたえました。

伝来でんらい時期じき内容ないよう
漢字かんじ5 世紀せいきごろ王仁わにが 「論語ろんご」 「千字文せんじぶん」 をつたえる (でんしょう)
儒教じゅきょう6 世紀せいき百済くだらから
仏教ぶっきょう538 ねんまたは 552 ねん百済くだら聖明王せいめいおうから (公伝こうでん)
須恵器すえき5 世紀せいき朝鮮半島ちょうせんはんとうしきかた土器どき

諸説しょせつ注意ちゅうい: 仏教ぶっきょう公伝こうでんねんは 「日本書紀にほんしょき」 の 552 ねん せつと 「上宮聖徳法王帝説じょうぐうしょうとくほうおうていせつ」 の 538 ねん せつがあり、 高校こうこうでは 538 ねん せつ有力ゆうりょくとされますが、 両方りょうほうっておく必要ひつようがあります。

倭の五王わのごおう

5 世紀せいきに 「宋書そうしょ倭国伝わのくにでん」 に登場とうじょうする 倭の五王わのごおう (さんちんせいこう) は、 中国ちゅうごく南朝なんちょう朝貢ちょうこうして称号しょうごうもとめました。 とく (= 雄略天皇ゆうりゃくてんのうとされる) が 478 ねんそう順帝じゅんていおくった上表じょうひょうぶんられています。

大事だいじ: 稲荷山古墳いなりやまこふん (埼玉さいたま) 出土しゅつど鉄剣てつけん に 「獲加多支鹵わかたける大王おおきみ」 (= 雄略天皇ゆうりゃくてんのう) の金象嵌きんぞうがんされており、 5 世紀せいき後半こうはんヤマトやまと王権おうけん支配しはい関東かんとう までおよんでいたことをしめ一級いちきゅう資料しりょう です。

2. 飛鳥あすか時代じだい聖徳太子しょうとくたいしと推あさ

蘇我氏そがし物部氏もののべし対立たいりつ

6 世紀せいき後半こうはん渡来人とらいじんむすびついた 蘇我氏そがし (仏教ぶっきょう受容じゅよう) と、 古来こらい神祇じんぎちょう視する 物部氏もののべし (反対はんたい) が対立たいりつしました。

  • 587 ねん: 蘇我馬子そがのうまこ物部守屋もののべのもりやほろぼし、 政権せいけん掌握しょうあく
  • 592 ねん: 蘇我馬子そがのうまこ崇峻天皇すしゅんてんのう暗殺あんさつ推古天皇すいこてんのう (女帝にょてい) を擁立ようりつ

聖徳太子しょうとくたいし (うまやおう) の政治せいじ

推古天皇すいこてんのう摂政せっしょうとして、 聖徳太子しょうとくたいし (うまやおう、 うまやどのおう、 574-622) が蘇我馬子そがのうまこ協力きょうりょくして政治せいじ改革かいかくすすめました。

改革かいかくねん内容ないよう
冠位十二階かんいじゅうにかい603 ねん家柄いえがらではなく個人こじん才能さいのう冠位かんむりいあたえる
十七条憲法じゅうしちじょうけんぽう604 ねん役人やくにん心得こころえ、 「もっとうとしとなす」
遣隋使けんずいし607 ねん小野妹子おののいもこずい派遣はけん煬帝ようだいへの国書こくしょ

諸説しょせつ注意ちゅうい: 聖徳太子しょうとくたいし実在じつざい業績ぎょうせきには学説がくせつうえ議論ぎろんがあります。 「うまやおう (うまやどのおう) は実在じつざいしたが、 聖徳太子しょうとくたいしとしてのぞうこうせいとく奈良なら時代じだい整理せいりされた」 とするせつがあります。 高校こうこうでは うまやおう = 聖徳太子しょうとくたいし」 としてまなびつつ、 諸説しょせつがあることを のがのぞましいです。 2017 ねん学習がくしゅう指導要領しどうようりょう改訂かいてい一時いちじうまやおう (聖徳太子しょうとくたいし)」 表記ひょうきていあんされ、 議論ぎろんびました。

遣隋使けんずいし国書こくしょ

607 ねん小野妹子おののいもこずい煬帝ようだい持参じさんした国書こくしょには 「日出ずる処の天子ひいずるところのてんししょ日没する処の天子ひぼっするところのてんしいた」 とあり、 煬帝ようだい機嫌きげんになったとつたえられます。 これはやまとずい対等たいとう外交がいこうもとめたあらわれです。

大事だいじ: 遣隋使けんずいし冊封さつふう体制たいせいからの離脱りだつ意味いみします。 やまとはもはや中国ちゅうごく皇帝こうていの 「冊封さつふう」 をけず、 対等たいとう立場たちば文化ぶんか摂取せっしゅおこな姿勢しせいしめしました。

飛鳥あすか文化ぶんか

聖徳太子しょうとくたいし蘇我そが時期じき開花かいかした 飛鳥あすか文化ぶんか は、 仏教ぶっきょう中心ちゅうしんとし、 百済くだら高句麗こうくり西アジアにしアジア (シルクロード経由けいゆ) の影響えいきょうけました。

  • 法隆寺ほうりゅうじ (607 ねんそうけんげん西院さいいん伽藍がらんは 7 世紀せいき後半こうはん再建さいけん) — 世界せかい最古さいこ木造もくぞう建築けんちく、 1993 年ユネスコゆねすこ世界遺産せかいいさん登録とうろく
  • 飛鳥寺あすかでら (596 ねんそうけん) — 蘇我馬子そがのうまこ発願ほつがん
  • 法隆寺ほうりゅうじ釈迦三尊像しゃかさんぞんぞう (鞍作鳥くらつくりのとり作)
  • 広隆寺こうりゅうじ弥勒菩薩みろくぼさつ半跏思惟像はんかしいぞう (国宝こくほう)
  • 玉虫厨子たまむしのずし

3. 大化たいか改新かいしん

645 ねん乙巳いっしへん

645 ねん中大兄皇子なかのおおえのおうじ (天智天皇てんじてんのう) と 中臣鎌足なかとみのかまたり (藤原鎌足ふじわらのかまたり) が、 蘇我入鹿そがのいるか飛鳥あすか宮殿きゅうでん (板蓋宮いたぶきのみや) で暗殺あんさつしました。 これを 乙巳いっしへん (いっしのへん) とび、 蘇我そが本宗ほんそういえほろびます。 翌皇極天皇こうぎょくてんのう退位たいいし、 孝徳天皇こうとくてんのう即位そくいして、 年号ねんごう大化たいかさだめました (日本にほん最初さいしょ年号ねんごう)。

改新の詔みことのり (646 ねん)

646 ねん孝徳天皇こうとくてんのうは 「改新の詔みことのり」 をし、 4 つの原則げんそくしめしました。

原則げんそく内容ないよう
公地公民こうちこうみん豪族ごうぞく私地しち私民しみんはいし、 すべてを国家こっか (= 天皇てんのう) のものとする
班田収授はんでんしゅうじゅ6 とし以上いじょう公民こうみん口分田くぶんでんはんきゅうする
戸籍こせき計帳けいちょう公民こうみん管理かんり基礎きそ
新税制しんぜいせいよう調ちょうせい

諸説しょせつ注意ちゅうい:日本書紀にほんしょき」 がつたえる改新の詔みことのり文章ぶんしょうそのもの は、 大宝律令たいほうりつりょう (701 ねん) の影響えいきょう潤色じゅんしょくされた 部分ぶぶんがあるとされます。 つまり 「645-646 ねん改革かいかく方向ほうこうさだまった」 ことは事実じじつでも、 「改新の詔みことのりがそのままのぶんで 645-646 ねんされた」 かは諸説しょせつあります。

大化の改新たいかのかいしん評価ひょうか

戦後せんご歴史学れきしがくでは 「大化の改新たいかのかいしん = 一気いっき律令国家りつりょうこっか」 という従来じゅうらいぞう修正しゅうせいされ、 「645 ねんから 701 年大宝律令たいほうりつりょうまでの半世紀はんせいきあまりをかけた漸進ぜんしん改革かいかく」 とられるようになっています。

  • 改新の詔みことのり」 がすぐに全国ぜんこく実施じっしされたわけではない
  • 公地公民こうちこうみん実現じつげん壬申の乱じんしんのらん後の 天武天皇てんむてんのう こう
  • 完成かんせい大宝律令たいほうりつりょう (701 ねん) と 養老律令ようろうりつりょう (757 ねん施行しこう)

4. 白村はくそんこうたたかいと天智てんじちょう

白村江の戦いはくすきのえのたたかい (663 ねん)

7 世紀せいきなかごろ、 朝鮮半島ちょうせんはんとうでは 新羅しんらとうむすんで半島はんとう統一とういつすすめました。 百済くだらが 660 ねん滅亡めつぼうし、 百済くだら復興ふっこうたすけるためやまと (= 斉明天皇さいめいてんのう中大兄皇子なかのおおえのおうじ) が大軍たいぐん派遣はけんしましたが、 663 ねん朝鮮半島ちょうせんはんとう西岸せいがん白村江はくすきのえ (「はくすきのえ」、 「はくそんこう」 とも) でとう新羅しんら連合れんごうぐん大敗たいはい しました。

白村江はくすきのえ敗戦はいせん影響えいきょう

白村江はくすきのえ敗戦はいせんは、 日本にほん国家こっか体制たいせい再編さいへんいそがせました。

  • 防衛ぼうえい体制たいせい整備せいび: 北部九州ほくぶきゅうしゅう水城みずき (太宰府だざいふ) と山城やましろ壱岐いき対馬つしま防人さきもりとぶひせっ
  • 移転いてん: 飛鳥あすかから 近江おうみ大津宮おおつみや へ (667 ねん)
  • 庚午年籍こうごねんじゃく: 670 ねん日本にほん最初さいしょ全国ぜんこく戸籍こせき
  • 668 ねん中大兄皇子なかのおおえのおうじ即位そくいして 天智天皇てんじてんのう

天智天皇てんじてんのう近江おうみりょう

天智天皇てんじてんのう (ざい 668-672) は、 白村江はくすきのえ教訓きょうくんから国家こっか体制たいせいととのえました。 「近江おうみりょう」 が編纂へんさんされたとつたえられますが、 現存げんそんせず、 諸説しょせつあります。

5. みずのえさるらん天武てんむちょう

壬申の乱じんしんのらん (672 ねん)

天智天皇てんじてんのう皇位こうい継承けいしょうをめぐって、 天智天皇てんじてんのうおとうと大海人皇子おおあまのおうじ (天武天皇てんむてんのう) と、 天智天皇てんじてんのう大友皇子おおとものみこたたかい、 大海人皇子おおあまのおうじ勝利しょうりしました。 これが 壬申の乱じんしんのらん です。 古代こだい最大さいだい内戦ないせんとされます。

天武天皇てんむてんのう改革かいかく

壬申の乱じんしんのらんった大海人皇子おおあまのおうじ天武天皇てんむてんのう (ざい 673-686) として即位そくいし、 強力きょうりょく改革かいかくすすめました。

改革かいかく内容ないよう
皇親政治こうしんせいじ豪族ごうぞくおさ皇族こうぞく中心ちゅうしん政治せいじ
八色の姓やくさのかばね (684 ねん)氏姓制度しせいせいど再編さいへん
飛鳥浄御原令あすかきよみはらりょう編纂へんさん着手ちゃくしゅ (689 ねん施行しこう)
国史こくし編纂へんさん 着手ちゃくしゅの 「古事記こじき」 「日本書紀にほんしょき」 へ
富本銭ふほんせん日本にほん最古さいこ流通りゅうつう貨幣かへいとされる

持統天皇じとうてんのう藤原京ふじわらきょう

天武天皇てんむてんのう皇后こうごうである持統天皇じとうてんのう (ざい 690-697) が、 694 ねん藤原京ふじわらきょう遷都せんとしました。 藤原京ふじわらきょう日本にほん最初さいしょ条坊じょうぼうせいもとづく本格ほんかく都城みやこのじょうで、 とう長安ちょうあんしました。

6. 律令りつりょう国家こっか完成かんせい白鳳はくほう文化ぶんか

大宝律令たいほうりつりょう (701 ねん)

701 ねん文武天皇ぶんぶてんのう時代じだい大宝律令たいほうりつりょうかんせいしました。 刑部親王おさかべしんのう藤原不比等ふじわらのふひと らが編纂へんさんし、 これにより 律令国家りつりょうこっかけいしきてきかんせいしました。

項目こうもく内容ないよう
りつ刑罰けいばつほう
りょう行政ぎょうせい組織そしき民事みんじほうぜいせい

官制かんせいかんはちしょう

律令りつりょうによる中央ちゅうおう官制かんせい二官八省にかんはちしょう です。

  • 二官にかん: 神祇官じんぎかん太政官だじょうかん ([だじょうかん])
  • 八省はちしょう: 中務省なかつかさしょう式部省しきぶしょう治部省じぶしょう民部省みんぶしょう兵部省ひょうぶしょう刑部省おさかべしょう大蔵省おおくらしょう宮内省くないしょう

白鳳文化はくほうぶんか

天武てんむ持統じとう文化ぶんか白鳳文化はくほうぶんかび、 初唐はつとう文化ぶんか影響えいきょうつよけました。

  • 薬師寺やくしじ 東塔ひがしとう薬師三尊像くすしさんそんぞう
  • 法隆寺ほうりゅうじ 金堂こんどう壁画へきが (1949 ねん焼損しょうそん文化財保護法ぶんかざいほごほう制定せいてい契機けいき)
  • 高松塚古墳たかまつつかこふん 壁画へきが (飛鳥あすか後期こうき極彩色ごくさいしょく人物じんぶつぞう)
  • 万葉集まんようしゅう 初期しょきうた (額田王ぬかたのおおきみ柿本人麻呂かきのもとのひとまろ) — 漢字かんじ日本語にほんご表記ひょうきもちいた万葉仮名まんようがな

7. ふりかえり

このしょうまなんだことをかくにんしましょう。

  • [ ]古墳時代こふんじだい (3-7 世紀せいき) の前方後円墳ぜんぽうこうえんふん大仙古墳だいせんこふんヤマト王権やまとおうけん氏姓制度しせいせいどせつめいできる
  • [ ]倭の五王わのごおう稲荷山古墳いなりやまこふん鉄剣てつけんから 5 世紀せいきヤマトやまと広域こういき支配しはいえる
  • [ ]聖徳太子しょうとくたいし (うまやおう) の冠位十二階かんいじゅうにかい (603)・十七条憲法じゅうしちじょうけんぽう (604)・遣隋使けんずいし (607) をせつめいでき、 実在じつざい諸説しょせつがあることをっている
  • [ ]飛鳥あすか文化ぶんか法隆寺ほうりゅうじ飛鳥寺あすかでら釈迦三尊像しゃかさんぞんぞうっている
  • [ ]乙巳の変いっしのへん (645) と大化の改新たいかのかいしん公地公民こうちこうみん班田収授はんでんしゅうじゅせつめいできる
  • [ ]改新の詔みことのり潤色じゅんしょくされた 可能かのうせいがあるなど諸説しょせつっている
  • [ ]白村江はくすきのえ敗戦はいせん (663)・水城みずき防人さきもり大津宮おおつみや遷都せんとせつめいできる
  • [ ]壬申の乱じんしんのらん (672) と天武天皇てんむてんのう皇親政治こうしんせいじ八色の姓やくさのかばね富本銭ふほんせんっている
  • [ ]藤原京ふじわらきょう (694) と大宝律令たいほうりつりょう (701) で律令国家りつりょうこっかかんせいしたこと
  • [ ]白鳳文化はくほうぶんか薬師寺やくしじ東塔ひがしとう高松塚たかまつつか壁画へきが万葉集まんようしゅうっている

このしょう安全あんぜん配慮はいりょ (寺社じしゃマナーと古墳こふん立入たていり禁止きんし)

古墳こふん飛鳥時代あすかじだい学習がくしゅうでは、 つぎのことをかならまもりましょう。

  • 古墳こふん (とくりょう)宮内庁くないちょう管理かんりしており、 立入たていり禁止きんし場所ばしょがほとんど。 ロープやしがらみ内側うちがわ絶対ぜったいはいらない (文化財保護法ぶんかざいほごほう違反いはん罰則ばっそくあり)
  • 寺社じしゃ見学けんがく では、 本堂ほんどう仏像ぶつぞうまえさわがない、 フラッシュ撮影さつえい禁止きんしまもる、 参道さんどう中央ちゅうおう (神様かみさまとおみち) をけてあるくなどのマナーをまも
  • 法隆寺ほうりゅうじ 金堂こんどう壁画へきがは 1949 ねん焼損しょうそんし、 これが文化財保護法ぶんかざいほごほう (1950) 制定せいてい契機けいきとなったことをわすれず、 文化財ぶんかざい次世代じせだいのこ責任せきにん
  • 聖徳太子しょうとくたいし実在じつざい論争ろんそう邪馬台国やまたいこく論争ろんそうなど 歴史れきし論争ろんそうかんしては、 1 つのせつ絶対ぜったいせず、 一次史料いちじしりょう考古資料こうこしりょうもとづく実証じっしょう尊重そんちょうする
  • 古代こだいふみかんする書籍しょせきやウェブサイトのなかには、 「皇国史観こうこくしかん」 や 超古代ちょうこだい文明ぶんめい ろんなど実証じっしょう的なものもある。 著者ちょしゃ出版しゅっぱんもとかくにんし、 大学だいがく研究けんきゅう機関きかんくに公式こうしき資料しりょう基本きほんとする

しょう: だい 4 しょうでは、 奈良時代ならじだい平安時代へいあんじだいまなびます。 平城京へいじょうきょう聖武天皇しょうむてんのう大仏だいぶつ天平文化てんぴょうぶんかから、 平安京へいあんきょう摂関政治せっかんせいじ国風文化こくふうぶんか院政いんせい武士ぶし登場とうじょうまで、 律令国家りつりょうこっか発展はってん変容へんよう の 4 世紀せいきいます。

まとめ — 古墳こふん飛鳥あすか時代じだいを 3 くだり

  • 古墳時代こふんじだいヤマト王権やまとおうけん成立せいりつし、 大仙古墳だいせんこふんなど巨大きょだい古墳こふん各地かくちきずかれ王権おうけんちからしめした
  • 飛鳥時代あすかじだいには蘇我そが物部氏もののべし対立たいりつのあと、 聖徳太子しょうとくたいし政治せいじ大化の改新たいかのかいしん (645) で中央ちゅうおう集権しゅうけんすすんだ
  • 白村江はくすきのえ敗戦はいせん壬申の乱じんしんのらん天武天皇てんむてんのう権力けんりょく強化きょうか大宝律令たいほうりつりょう (701) で律令国家りつりょうこっか完成かんせいする
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がくしゅうロードマップ(10けん
  1. 1日本にほん探究たんきゅう入門にゅうもん (歴史れきしてき思考しこう史料しりょう)
  2. 2原始時代げんしじだい (きゅう石器せっき縄文じょうもん弥生やよい)
  3. 3古墳こふん飛鳥あすか時代じだい (古代こだい国家こっか成立せいりつ)
  4. 4奈良なら平安へいあん時代じだい (律令りつりょう国家こっか発展はってん変容へんよう)
  5. 5鎌倉かまくら室町むろまち時代じだい (中世ちゅうせい武家ぶけ政権せいけん)
  6. 6戦国せんごく安土あづち桃山ももやま時代じだい (中世ちゅうせいまつから近世きんせいへ)
  7. 7江戸えど時代じだい (近世きんせい社会しゃかい確立かくりつ)
  8. 8幕末ばくまつ明治維新めいじいしん (近代きんだい出発しゅっぱつ、 1853-1889)
  9. 9明治めいじ後期こうき大正たいしょう昭和しょうわ前期ぜんき (帝国ていこく主義しゅぎ戦争せんそう、 1890-1945)
  10. 10戦後せんご日本にほん (現代げんだい、 1945- )