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日本史探究

江戸えど時代じだい (近世きんせい社会しゃかいの確立かくりつ)

最終確認日:

この章しょうで学まなぶこと

徳川家康とくがわいえやすが江戸えど幕府ばくふを開ひらいた 1603 年ねんから、 大政奉還たいせいほうかんの 1867 年ねんまで、 約やく 260 年間ねんかん続つづいた江戸時代えどじだいは、 日本にほん史上しじょうもっとも長ながく安定あんていした時代じだいの一ひとつです。

戦乱せんらんのない「泰平の世たいへいのよ」のもとで、 商品しょうひん経済けいざいが発展はってんし、 都市とし文化ぶんかが花開はなひらき、 識字しきじ率りつは同どう時代じだいのヨーロッパを上回うわまわる水準すいじゅんに達たっしました。 同時どうじに、 厳格げんかくな身分制度みぶんせいどと鎖国さこく体制たいせいのもと、 矛盾むじゅんも蓄積ちくせきしていきます。

この章しょうでは、 江戸えど時代じだいを前期ぜんき・中期ちゅうき・後期こうきの三さん段階だんかいに分わけ、 政治せいじ・経済けいざい・文化ぶんか・対外たいがい関係かんけいを立体りったい的てきにとらえます。

  • 徳川とくがわ家康いえやすの幕府ばくふ開設かいせつと幕藩体制ばくはんたいせい
  • 参勤交代さんきんこうたい と諸しょ大名だいみょう統制とうせい
  • 鎖国さこく 体制たいせいと四口よんくち (長崎ながさき・対馬つしま・薩摩さつま・松前まつまえ)
  • 元禄文化げんろくぶんか (上方かみがた中心ちゅうしん) と 化政文化かせいぶんか (江戸えど中心ちゅうしん)
  • 三さん大改革だいかいかく (享保の改革きょうほうのかいかく・寛政の改革かんせいのかいかく・天保の改革てんぽうのかいかく)
  • 蘭学らんがく・国学こくがくの発展はってん

大事だいじ: 江戸えど時代じだいの評価ひょうかは時代じだいにより変化へんかしてきました。 戦前せんぜんは「鎖国さこくによる停滞ていたい」、 戦後せんごは「平和へいわと文化ぶんかの達成たっせい」、 近年きんねんは「勤勉革命きんべんかくめい」「エコ社会しゃかい」など多角たかく的てきな評価ひょうかがされます。 一いち面めん的てきでなく、 光ひかりと影かげの両面りょうめんで学まなびましょう。

1. 徳川とくがわ家康いえやすと江戸えど幕府ばくふの成立せいりつ

白い城天守閣の外観
姫路城ひめじじょう (兵庫ひょうご県けん、 17 世紀せいき初頭しょとう) — 「白鷺城しらさぎじょう」 ともよばれる。 1993 年ねんユネスコ世界せかい遺産いさん (日本にほん初はつ)。
江戸時代の歌舞伎座を描いた浮世絵
浮世絵うきよえ — 江戸えど時代じだいに流行りゅうこうした多色たしょく刷ずりの木版もくはん画が。 元禄文化げんろくぶんか・化政文化かせいぶんかの代表だいひょう。 ヨーロッパ印象派いんしょうはにも影響えいきょう。

関ヶ原せきがはらの戦たたかい (1600 年ねん)

豊臣とよとみ秀吉ひでよしの死後しご (1598 年ねん)、 政権せいけんの主導しゅどう権けんをめぐる対立たいりつが表面ひょうめん化かします。 1600 年ねん 9 月つき、 徳川とくがわ家康いえやす率ひきいる東ひがし軍ぐんと石田三成いしだみつなり率ひきいる西にし軍ぐんが美濃みのの関ヶ原せきがはらで激突げきとつ。 わずか半日はんにちで東ひがし軍ぐんが勝利しょうりし、 家康いえやすが天下てんか人じんとなりました。

江戸えど幕府ばくふの開設かいせつ (1603 年ねん)

1603 年ねん、 徳川とくがわ家康いえやすは征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任にんじられ、 江戸えど (東京とうきょう) に幕府ばくふを開ひらきました。 1605 年ねんには早はやくも子この徳川秀忠とくがわひでただに将軍しょうぐん職しょくを譲ゆずり、 徳川とくがわ家かによる世襲せしゅうを内外ないがいに示しめします。

大坂おおさかの陣じん (1614-1615)

豊臣とよとみ家かの残存ざんそん勢力せいりょくに対たいし、 家康いえやすは 2 度どの戦たたかいで決着けっちゃくをつけました。

年ねん戦たたかい結果けっか
1614大坂おおさか冬ふゆの陣じん大坂城おおさかじょうを包囲ほうい、 一旦いったん講和こうわ
1615大坂おおさか夏なつの陣じん豊臣秀頼とよとみひでより・淀殿よどどの自害じがい、 豊臣とよとみ家か滅亡めつぼう

武家ぶけ諸しょ法度はっと

1615 年ねん、 幕府ばくふは武家諸法度ぶけしょはっと (元和令げんなれい) を制定せいていし、 大名だいみょう統制とうせいの基本きほん方針ほうしんを定さだめました。 主おもな内容ないようは、

  • 城しろの新築しんちく禁止きんし、 修築しゅうちくは届とどけ出で制せい
  • 大名だいみょう間かんの私わたし婚こん禁止きんし
  • 文武両道ぶんぶりょうどう、 倹約けんやくの励行れいこう

3 代将だいしょう軍ぐん徳川家光とくがわいえみつの寛永令かんえいれい (1635 年ねん) では、 後述こうじゅつの参勤交代さんきんこうたいが制度せいど化かされます。 違反いはんした大名だいみょうは改易かいえき (領地りょうち没収ぼっしゅう)・減封げんぽう・転封てんぽうの処分しょぶんを受うけました。

2. 幕まく藩はん体制たいせい

幕まく藩はん体制たいせいとは

幕藩体制ばくはんたいせい とは、 江戸えど幕府ばくふを中心ちゅうしんとし、 全国ぜんこくに約やく 270 の藩はんを配置はいちした支配しはいの仕組しくみです。

種別しゅべつ内容ないよう
幕府ばくふ直接ちょくせつ支配しはい地ち (天領てんりょう、 約やく 400 万まん石せき)、 重要じゅうよう都市とし (江戸えど・京都きょうと・大坂おおさか・長崎ながさき・堺さかいなど)、 主要しゅよう鉱山こうざん (佐渡さど・石見いわみ・生野いくのなど)
藩はん大名だいみょうが領地りょうち・領民りょうみんを支配しはい (将軍しょうぐんから与あたえられた領知りょうち)

大名だいみょうの三さん分類ぶんるい

種別しゅべつ説明せつめい主おもな大名だいみょう
親藩しんぱん徳川とくがわ一門いちもん尾張おわり・紀伊きい・水戸みと (御三家ごさんけ)、 松平まつだいら諸家しょか
譜代ふだい関ヶ原せきがはら以前いぜんからの徳川とくがわ家臣かしん井伊いい・酒井さかい・本多ほんだ・榊原さかきばら
外様とざま関ヶ原せきがはら以後いごに従したがった大名だいみょう前田まえだ (加賀かが)・島津しまづ (薩摩さつま)・毛利もうり (長州ちょうしゅう)・伊達だて (仙台せんだい)

親藩しんぱん・譜代ふだいは要地ようちに配置はいちされ、 幕府ばくふの役職やくしょくにも就つきました。 外様とざまは江戸えどから遠とおい辺地へんちに配置はいちされ、 幕府ばくふ要職ようしょくには基本きほん的てきに就つけません。 この地理ちり的てき・政治せいじ的てき差別さべつが、 幕末ばくまつに薩長さっちょうが倒幕とうばくに動うごく伏線ふくせんとなります。

幕府ばくふの機構きこう

役職やくしょく役割やくわり
老中ろうじゅう政治せいじの最高さいこう責任せきにん者しゃ (常時じょうじ 4-5 名めい)、 譜代ふだい大名だいみょうから
若年寄わかどしより旗本はたもと・御家人ごけにんを管轄かんかつ
大目付おおめつけ大名だいみょうの監察かんさつ
町奉行まちぶぎょう江戸えど・大坂おおさか・京都きょうとの都市とし行政ぎょうせい
勘定奉行かんじょうぶぎょう財政ざいせい・天領てんりょう支配しはい
寺社奉行じしゃぶぎょう寺社じしゃ行政ぎょうせい
京都所司代きょうとしょしだい朝廷ちょうてい・西国さいごく大名だいみょうの監察かんさつ

3. 参勤交代さんきんこうたいと身分みぶん制度せいど

参勤交代さんきんこうたい

1635 年ねん、 徳川とくがわ家光いえみつの武家ぶけ諸法しょほう度どにより参勤交代さんきんこうたいが制度せいど化かされました。

  • 内容ないよう — 大名だいみょうは 1 年ねんごとに領地りょうちと江戸えどを往復おうふくし、 妻子さいしは江戸えどに常住じょうじゅう
  • 目的もくてき — (1) 大名だいみょうの経済けいざい力りょくを消耗しょうもうさせる、 (2) 将軍しょうぐんへの忠誠ちゅうせいを可視かし化か、 (3) 妻子さいしを人質ひとじちに取とる
  • 影響えいきょう — 街道かいどう整備せいび、 宿場しゅくば町まちの繁栄はんえい、 全国ぜんこく的てきな物資ぶっし・情報じょうほうの流通りゅうつう促進そくしん

ポイント: 参勤交代さんきんこうたいは、 大名だいみょう統制とうせい策さくであると同時どうじに、 結果けっか的てきに全国ぜんこく市場しじょうの形成けいせいと都市とし文化ぶんかの発展はってんを促うながしました。 江戸えどの人口じんこうは 18 世紀せいきには 100 万まん人にんを超こえ、 当時とうじ世界せかい最大さいだい級きゅうの都市としとなります。

身分みぶん制度せいど

幕府ばくふは士農工商しのうこうしょうの身分みぶん秩序ちつじょを制度せいど化かしました。 ただし「士農工商しのうこうしょう」という固定こてい的てきな四よん階かい級きゅうだったわけではなく、 実際じっさいは次つぎのように構成こうせいされました。

身分みぶん概要がいよう比率ひりつ (推定すいてい)
武士ぶし帯刀たいとう・苗字みょうじ・御家人ごけにん。 行政ぎょうせいと軍事ぐんじを担になう7 %
百姓ひゃくしょう農村のうそんに住すみ、 年貢ねんぐを納おさめる80 %
町人ちょうにん都市としに住すみ、 商しょう工業こうぎょうを営いとなむ5-10 %
公家くげ・僧侶そうりょ・神官しんかん朝廷ちょうてい・寺社じしゃ関係かんけい者しゃ数かず %

その下したに、 制度せいど的てきに差別さべつされたえた・ひにん身分みぶんが置おかれました。 これは明治めいじ時代じだいの解放かいほう令れい (1871 年ねん) で制度せいど的てきに廃止はいしされますが、 社会しゃかい的てきな差別さべつはその後ごも続つづき、 現代げんだいでも同和問題どうわもんだいとして残のこっています。

大事だいじ: 江戸えど時代じだいの身分みぶん制せいを学まなぶ際さいは、 当時とうじの制度せいどを理解りかいするとともに、 その差別さべつがどのように受うけ継つがれ、 現代げんだいでも人権じんけん課題かだいとなっているかを考えかんがえましょう。 人権じんけんを尊重そんちょうする姿勢しせいが学習がくしゅうの目的もくてきです。

五ご人組にんぐみ

農村のうそんでは五人組ごにんぐみ制度せいどが敷しかれ、 5 軒のき程度ていどの家いえを 1 組くみとし、 年貢ねんぐの連帯れんたい責任せきにん、 犯罪はんざいの相互そうご監視かんし、 キリシタン取締とりしまりを担になわせました。 これは中世ちゅうせいの惣そうの伝統でんとうを幕府ばくふが再編さいへんしたものです。

4. 鎖国さこく体制たいせい

鎖国さこくの成立せいりつ過程かてい

「鎖国さこく」という語かたりは、 江戸えど末期まっきの志筑忠雄しづきただおがケンペルの日本にほん誌しを翻訳ほんやくした際さいに造語ぞうごしたものです。 「鎖国さこく」と呼よばれる体制たいせいは、 一気いっきにできあがったのではなく、 約やく 30 年ねんかけて段階だんかい的てきに強化きょうかされました。

年ねん出来事できごと
1612天領てんりょうに禁教令きんきょうれい (キリスト教きりすときょう禁止きんし)
1613全国ぜんこくに禁教きんきょう令れい拡大かくだい
1616中国ちゅうごく船せん以外いがいの来航らいこうを平戸ひらど・長崎ながさきに制限せいげん
1624スペイン船せんの来航らいこう禁止きんし
1633海外かいがい渡航とこうの制限せいげん (奉書ほうしょ船せん以外いがい禁止きんし)
1635日本人にっぽんじんの海外かいがい渡航とこう・帰国きこくを全面ぜんめん禁止きんし
1637-1638島原・天草一揆しまばらあまくさいっき (島原しまばらの乱らん)
1639ポルトガル船せんの来航らいこう禁止きんし
1641オランダ商館しょうかんを平戸ひらどから長崎ながさきの出島でじまに移転いてん、 鎖国さこく体制たいせい完成かんせい

島原しまばらの乱らん (1637-1638)

島原しまばら (長崎ながさき県けん) と天草あまくさ (熊本くまもと県けん) で、 重おもい年貢ねんぐとキリシタン弾圧だんあつに反発はんぱつした農民のうみん約やく 3 万まん 7 千せん人にんが天草四郎あまくさしろうを首領しゅりょうに蜂起ほうきしました。 幕府ばくふは約やく 12 万まんの大軍たいぐんを派遣はけんしてようやく鎮圧ちんあつ。 これを契機けいきに鎖国さこくとキリスト教きょう禁制きんせいがより徹底てっていされます。

「鎖国さこく」下したの四よん口くち

「鎖国さこく」とはいえ、 日本にほんは完全かんぜんに閉とざされていたわけではありません。 4 つの窓口まどぐち (四口よんくち) を通つうじて対外たいがい関係かんけいは維持いじされました。

窓口まどぐち相手あいて内容ないよう
長崎ながさきオランダ・中国ちゅうごく (清きよし)出島でじまのオランダ商館しょうかん、 唐人屋敷とうじんやしき。 風説書ふうせつがきで海外かいがい情報じょうほうを収集しゅうしゅう
対馬つしま朝鮮ちょうせん (李り氏し朝鮮ちょうせん)宗そう氏しが仲介ちゅうかい、 朝鮮ちょうせん通信使つうしんしの派遣はけん (12 回かい、 1607-1811)
薩摩さつま琉球りゅうきゅう王国おうこく島津しまづ氏しが 1609 年ねんに侵攻しんこうし服属ふくぞく化か、 中国ちゅうごくとの貿易ぼうえきは継続けいぞく
松前まつまえ蝦夷地えぞちのアイヌ松前まつまえ氏しが交易こうえきを独占どくせん、 1669 年ねんシャクシャインの戦たたかい

大事だいじ: 鎖国さこくという語かたりは便利べんりですが、 「日本にほんが完全かんぜんに閉鎖へいさされた」という誤解ごかいを生うみやすいので注意ちゅうい。 実際じっさいは「対外たいがい関係かんけいの幕府ばくふ独占どくせん」と理解りかいする方ほうが正確せいかくです。 近年きんねんの歴史れきし学がくでは「四口よんくち体制たいせい」「海うみ禁きん政策せいさく」という呼よび方かたも使つかわれます。

5. 三さん大改革だいかいかく

江戸えど時代じだい中期ちゅうき以降いこう、 幕府ばくふは財政難ざいせいなん・農村のうそん疲弊ひへいに直面ちょくめんし、 3 度どの大だい規模きぼ改革かいかくを行おこないました。

享保きょうほうの改革かいかく (1716-1745)

8 代将だいしょう軍ぐん徳川吉宗とくがわよしむねが主導しゅどうした改革かいかく。 「米べい将軍しょうぐん」「暴あばれん坊ぼう将軍しょうぐん」のモデル。

  • 上米あげまいの制せい — 大名だいみょうから石高こくだか 1 万まん石せきにつき 100 石いしを上納じょうのうさせる代かわり、 参勤交代さんきんこうたいの在府ざいふ期間きかんを半減はんげん
  • 足高たしだかの制せい — 役職やくしょくに応おうじて石高こくだかを補填ほてん、 人材じんざい登用とうようを促進そくしん
  • 新田しんでん開発かいはつ — 商人しょうにん資本しほんも活用かつよう
  • 公事方御定書くじかたおさだめがき — 幕府ばくふ裁判さいばんの基準きじゅんを法典ほうてん化か
  • 目安箱めやすばこ — 庶民しょみんの意見いけんを直接ちょくせつ吸すい上あげる仕組しくみ
  • 甘藷かんしょ (さつまいも) の普及ふきゅう — 青木昆陽あおきこんよう
  • 洋書ようしょ輸入ゆにゅうの緩和かんわ — 後ごの蘭学らんがく興隆こうりゅうの素地そじ

寛政かんせいの改革かいかく (1787-1793)

老中ろうじゅう松平定信まつだいらさだのぶが主導しゅどう。 田沼意次たぬまおきつぐの重じゅう商しょう主義しゅぎ政策せいさくの反動はんどう。

  • 囲米かこいまい — 飢饉ききんに備そなえた米べい備蓄びちく
  • 棄捐令きえんれい — 旗本はたもと・御家人ごけにんの借金しゃっきんを帳消ちょうけし
  • 人足寄場にんそくよせば — 無宿むしゅく人じんを石川いしかわ島とうで職業しょくぎょう訓練くんれん
  • 寛政異学の禁かんせいいがくのきん — 朱子学しゅしがく以外いがいの儒学じゅがくを異こと学がくとして禁止きんし (昌平坂学問所しょうへいざかがくもんじょ)
  • 出版しゅっぱん統制とうせい — 洒落本しゃれぼん・黄表紙きびょうしを取締とりしまり (山東京伝さんとうきょうでん処罰しょばつ)

「白河しらかわの清きよき魚さかなも住すみかねて元もとのにごりの田沼たぬま恋こいしき」という当時とうじの狂歌きょうかは、 厳格げんかくな引ひき締しめへの庶民しょみんの不満ふまんを表あらわしています。

天保てんぽうの改革かいかく (1841-1843)

老中ろうじゅう水野忠邦みずのただくにが主導しゅどう。 天保てんぽうの飢饉ききん (1833-1839) と大塩平八郎おおしおへいはちろうの乱らん (1837 年ねん) の社会しゃかい不安ふあんを背景はいけいに強行きょうこう。

  • 株かぶ仲間なかまの解散かいさん — 物価ぶっか高騰こうとうの原因げんいんとみなした商人しょうにん組合くみあいを解散かいさん
  • 人じん返がえしの法ほう — 江戸えどに流入りゅうにゅうした農民のうみんを強制きょうせい帰き村むら
  • 上知令あげちれい — 江戸えど・大坂おおさか周辺しゅうへんを直轄ちょっかつ領りょう化か、 大名だいみょう・旗本はたもとの反対はんたいで頓挫とんざ
  • 出版しゅっぱん統制とうせい — 人情本にんじょうぼんの為永春水ためながしゅんすい処罰しょばつ

上うえ知ち令れいの失敗しっぱいで水野みずの忠邦ただくには失脚しっきゃく、 改革かいかくは短命たんめいに終おわりました。

ポイント: 三さん大改革だいかいかくの共通きょうつう点てんは「倹約けんやく・統制とうせい・農本主義のうほんしゅぎ」です。 しかし時代じだいは商業しょうぎょう経済けいざいの発展はってん期きにあり、 復古ふっこ的てきな政策せいさくでは根本こんぽん解決かいけつできませんでした。 これが幕末ばくまつの体制たいせい動揺どうようの伏線ふくせんとなります。

田沼たぬま時代じだい (1772-1786)

三さん大改革だいかいかくの間まに位置いちする田沼意次たぬまおきつぐの時代じだいは、 重じゅう商しょう主義しゅぎ (商業しょうぎょう重視じゅうし) 政策せいさくで知しられます。

  • 株かぶ仲間なかま奨励しょうれい (営業えいぎょう税ぜいを徴収ちょうしゅう)
  • 長崎ながさき貿易ぼうえき拡大かくだい (俵物たわらもの輸出ゆしゅつを奨励しょうれい)
  • 印旛沼いんばぬま・手賀沼てがぬま干拓かんたく
  • 蝦夷地えぞち開発かいはつ調査ちょうさ (最上徳内もがみとくない、 林子平はやししへい)

賄賂わいろ政治せいじと批判ひはんされる一方いっぽう、 近年きんねんは革新かくしん性せいが再さい評価ひょうかされています。 天明てんめいの大だい飢饉ききん (1782-1788) と将軍しょうぐん交代こうたいで失脚しっきゃくしました。

6. 元禄げんろく文化ぶんかと化か政せい文化ぶんか

元禄げんろく文化ぶんか (17 世紀せいき末まつ-18 世紀せいき初頭しょとう)

5 代将だいしょう軍ぐん徳川綱吉とくがわつなよしの治世ちせい (元禄げんろく年間ねんかん 1688-1704) を中心ちゅうしんとする文化ぶんかを元禄文化げんろくぶんかといいます。

  • 担にない手て — 上方かみがた (京都きょうと・大坂おおさか) の町人ちょうにん
  • 特色とくしょく — 経済けいざい的てき繁栄はんえいを背景はいけいにした、 現世げんせい肯定こうてい的てき・写実しゃじつ的てきな文化ぶんか
分野ぶんや代表だいひょう的てき人物じんぶつ・作品さくひん
小説しょうせつ井原西鶴いはらさいかく (好色こうしょく一いち代だい男おとこ、 日本にほん永代えいたい蔵ぞう、 世間せけん胸算用むなざんよう)
俳諧はいかい松尾芭蕉まつお ばしょう (奥おくの細道ほそみち、 蕉風しょうふう俳諧はいかい)
浄瑠璃じょうるり近松門左衛門ちかまつもんざえもん (曽根崎そねざき心中しんじゅう、 国性爺合戦こくせんやかっせん)
歌舞伎かぶき市川団十郎いちかわだんじゅうろう (荒事あらごと)、 坂田藤十郎さかたとうじゅうろう (和わ事ごと)
絵画かいが尾形光琳おがたこうりん (紅白こうはく梅うめ図ず屏風びょうぶ)、 菱川師宣ひしかわもろのぶ (見返みかえり美人びじん図ず、 浮世絵うきよえの祖そ)
学問がくもん貝原益軒かいばらえきけん (本草学ほんぞうがく)、 新井白石あらいはくせき (政治せいじ・歴史れきし)

化か政せい文化ぶんか (19 世紀せいき前半ぜんはん)

11 代将だいしょう軍ぐん徳川家斉とくがわいえなりの治世ちせい (文化ぶんか・文政ぶんせい年間ねんかん 1804-1830) を中心ちゅうしんとする文化ぶんかを化政文化かせいぶんかといいます。

  • 担にない手て — 江戸えどの町人ちょうにん
  • 特色とくしょく — 退廃たいはい的てき・享楽きょうらく的てき、 庶民しょみん層そうへの文化ぶんかの広ひろがり、 諷刺ふうし・滑稽こっけいの精神せいしん
分野ぶんや代表だいひょう的てき人物じんぶつ・作品さくひん
滑稽本こっけいぼん十返舎一九じっぺんしゃいっく (東海道とうかいどう中ちゅう膝栗毛ひざくりげ)、 式亭三馬しきていさんば (浮世うきよ風呂ふろ)
読本どくほん曲亭馬琴きょくていばきん (南総里見八犬伝なんそうさとみはっけんでん、 椿つばき説せつ弓張月ゆみはりづき)
俳諧はいかい与謝蕪村よさ ぶそん、 小林一茶こばやし いっさ
浮世絵うきよえ喜多川歌麿きたがわうたまろ (美人びじん画が)、 東洲斎写楽とうしゅうさいしゃらく (役者やくしゃ絵え)、 葛飾北斎かつしかほくさい (富嶽ふがく三さん十じゅう六ろく景けい)、 歌川広重うたがわひろしげ (東海道とうかいどう五ご十じゅう三さん次じ)
狂歌きょうか・川柳せんりゅう大田南畝おおたなんぽ、 柄井川柳からいせんりゅう

大事だいじ: 化か政せい文化ぶんか、 特とくに葛飾かつしか北斎ほくさい・歌川うたがわ広重ひろしげの浮世絵うきよえは、 明治めいじ期きにヨーロッパに伝つたわり、 モネ・ゴッホら印象派いんしょうは画家がかに大おおきな影響えいきょうを与あたえました (ジャポニスム)。 江戸えどの町人ちょうにん文化ぶんかが世界せかいの美術びじゅつ史しを変かえた事例じれいです。

7. 学問がくもんの発達はったつ — 蘭学らんがく・国学こくがく

蘭学らんがく

出島でじまのオランダを通つうじて入はいってきた西洋せいよう学術がくじゅつを蘭学らんがくといいます。

分野ぶんや人物じんぶつ業績ぎょうせき
医学いがく杉田玄白すぎたげんぱく・前野良沢まえのりょうたく解体かいたい新書しんしょ (1774 年ねん、 オランダ語ご訳やくの解剖かいぼう書しょを翻訳ほんやく)
天文てんもん・暦学れきがく高橋至時たかはしよしとき寛政かんせい暦れき
測量そくりょう伊能忠敬いのうただたか大だい日本にほん沿海えんかい輿地よち全ぜん図ず (1821 年ねん完成かんせい、 全国ぜんこくを実測じっそく)
オランダ通詞つうじ志筑忠雄しづきただお鎖国さこく論ろん、 暦象れきしょう新書しんしょ
辞書じしょ稲村三伯いなむらさんぱくハルマ和解わかい (蘭らん日び辞書じしょ)

幕末ばくまつには蘭学らんがく塾じゅくが各地かくちに開ひらかれ、 緒方洪庵おがたこうあんの適塾てきじゅく (大だい坂ざか) からは福沢諭吉ふくざわゆきち・大村益次郎おおむらますじろうらが、 シーボルトの鳴滝塾なるたきじゅくからは高野長英たかのちょうえいらが輩出はいしゅつしました。

しかし蛮社の獄ばんしゃのごく (1839 年ねん) で渡辺崋山わたなべかざん・高野たかの長英ちょうえいら開明かいめい派は蘭学らんがく者しゃが弾圧だんあつされるなど、 幕府ばくふの対応たいおうは揺ゆれました。

国学こくがく

日本にほんの古典こてんを研究けんきゅうし、 儒教じゅきょう・仏教ぶっきょう渡来とらい以前いぜんの日本にほん古来こらいの思想しそうを明あきらかにしようとする学問がくもんが国学こくがくです。

人物じんぶつ業績ぎょうせき
契沖けいちゅう万葉まんよう代だい匠たくみ記き (万葉集まんようしゅうの注釈ちゅうしゃく)
荷田春満かだのあずままろ国学こくがくの祖そ
賀茂真淵かものまぶち万葉まんよう考こう
本居宣長もとおりのりなが古事記伝こじきでん (1798 年ねん完成かんせい、 35 年ねんがかり)、 「もののあはれ」論ろん
平田篤胤ひらたあつたね復古ふっこ神道しんとう、 後ごの尊王そんのう攘夷じょうい思想しそうに影響えいきょう

国学こくがくは本来ほんらいは学問がくもんでしたが、 平田ひらた派は以降いこうは政治せいじ化かし、 幕末ばくまつの尊王そんのう思想しそうの一いち源流げんりゅうとなります。

儒学じゅがく

江戸えど幕府ばくふの正式せいしきな学問がくもんは朱子学しゅしがくでした (林羅山はやしらざん・林家はやしけ)。 これに対たいし、 陽明学ようめいがく (中江藤樹なかえとうじゅ・熊沢蕃山くまざわばんざん)、 古学こがく (山鹿素行やまがそこう・伊藤仁斎いとうじんさい・荻生徂徠おぎゅうそらい) など多様たような儒学じゅがくが発展はってんしました。

寺子屋てらこやと教育きょういく

庶民しょみんの子こどもは寺子屋てらこやで読よみ・書かき・算盤そろばん (そろばん) を学まなびました。 幕末ばくまつには全国ぜんこくに約やく 1.5 万まん校こうあったとされ、 男子だんしの識字しきじ率りつは 40-50 %、 都市としでは 80 % に達たっしたと推定すいていされます。 これは同どう時代じだいのヨーロッパを上回うわまわる水準すいじゅんです。

8. この章しょうのまとめと安全あんぜん配慮はいりょ

江戸えど時代じだいの特色とくしょく

  • 政治せいじ — 幕まく藩はん体制たいせい・参勤交代さんきんこうたい・身分みぶん制せい
  • 対外たいがい — 鎖国さこく (実態じったいは四よん口くち体制たいせい)
  • 経済けいざい — 商品しょうひん経済けいざいの発達はったつ、 三さん都と (江戸えど・大坂おおさか・京都きょうと) の繁栄はんえい、 全国ぜんこく市場しじょうの形成けいせい
  • 文化ぶんか — 元禄げんろく文化ぶんか (上方かみがた町人ちょうにん) → 化か政せい文化ぶんか (江戸えど町人ちょうにん)
  • 学問がくもん — 朱子学しゅしがく・蘭学らんがく・国学こくがくの発展はってん
  • 社会しゃかい変動へんどう — 三さん大改革だいかいかくも矛盾むじゅんを解決かいけつできず、 幕末ばくまつの動揺どうようへ

重要じゅうよう年号ねんごう

年ねん出来事できごと
1600関ヶ原せきがはらの戦たたかい
1603江戸えど幕府ばくふ成立せいりつ
1615大坂おおさか夏なつの陣じん、 武家ぶけ諸しょ法度はっと
1635参勤交代さんきんこうたい制度せいど化か
1637-38島原しまばらの乱らん
1641鎖国さこく完成かんせい (オランダ商館しょうかんを出島でじまに)
1716-45享保きょうほうの改革かいかく
1774解体かいたい新書しんしょ刊行かんこう
1787-93寛政かんせいの改革かいかく
1837大塩おおしお平八郎へいはちろうの乱らん
1841-43天保てんぽうの改革かいかく

安全あんぜん配慮はいりょ (文化財ぶんかざいを大切たいせつに)

江戸えど時代じだいの文化財ぶんかざいは、 全国ぜんこくの寺院じいん・神社じんじゃ・城しろ・町並みまちなみ・博物館はくぶつかんに多おおく残のこされています。 訪おとずれる際さいの心構こころがまえを確認かくにんしましょう。

  • 国宝こくほう・重要じゅうよう文化財ぶんかざいに触ふれない — 手垢てあかや皮脂ひしが劣化れっかを進すすめます
  • 撮影さつえいルールを守まもる — フラッシュは絵画かいが・染織せんしょく品ひんの色褪いろあせ原因げんいん。 三脚さんきゃく・自じ撮とり棒ぼう禁止きんしの場所ばしょも多おおい
  • 古ふるい建物たてものでは靴くつを脱ぬぐ — 床ゆかの傷きずを防ふせぐため。 城しろの天守てんしゅなども多おおくは脱ぬぎます
  • 書院造しょいんづくりの畳たたみ・襖ふすまに注意ちゅうい — 障子しょうじ・襖ふすまをぶつけて破やぶかないように
  • 歴史れきし的てき町並みまちなみ (重要じゅうよう伝統でんとう的てき建造けんぞう物ぶつ群ぐん保存ほぞん地区ちく) — 住民じゅうみんの生活せいかつの場ばでもあります。 大声おおごえ・無断むだん撮影さつえい (個人こじん宅たく)・ゴミ放置ほうちを避さける
  • 古文書こもんじょ・浮世絵うきよえの展示てんじ — 光ひかりに弱よわいため、 展示てんじ期間きかんが短みじかいことが多おおいです。 公開こうかい時期じきを事前じぜん確認かくにん

大事だいじ: 江戸えど時代じだいの文化財ぶんかざいは、 約やく 400 年間ねんかん、 多おおくの人ひとの手てによって守もり伝つたえられてきたものです。 太平洋戦争たいへいようせんそうの空襲くうしゅう、 関東大震災かんとうだいしんさい、 度重たびかさなる火災かさいを乗のり越こえて今いまに残のこっています。 「次つぎの 400 年ねんも残のこるように」という気持きもちで、 静しずかに鑑賞かんしょうしましょう。

古文書こもんじょや浮世絵うきよえを見みるときは、 描えがかれた人々ひとびとの暮くらし・思おもい・芸術げいじゅつへの情熱じょうねつに思おもいを馳 (は) せましょう。 文化財ぶんかざいを大切たいせつにする心こころは、 過去かこの人々ひとびとへの敬意けいいであり、 未来みらいの世代せだいへの贈おくり物ものでもあります。

まとめ — 江戸えど時代じだいを 3 行くだりで

  • 徳川家康とくがわいえやすが幕府ばくふを開ひらき幕藩体制ばくはんたいせいと士農工商しのうこうしょうの身分みぶん制せいを整ととのえ、 参勤交代さんきんこうたいで大名だいみょう統制とうせいを強化きょうかした
  • 島原・天草一揆しまばらあまくさいっき後に鎖国さこくが完成かんせいし長崎ながさき・対馬つしま・松前まつまえ・四口よんくちでのみ海外かいがいと交流こうりゅう、 国内こくないでは元禄文化げんろくぶんか・化政文化かせいぶんかが開花かいか
  • 享保の改革きょうほうのかいかく・寛政の改革かんせいのかいかく・天保の改革てんぽうのかいかくが行おこなわれたが、 国学こくがく・蘭学らんがくの発達はったつとともに体制たいせいが動揺どうようした
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学がく習しゅうロードマップ(10件けん)
  1. 1日本にほん史し探究たんきゅう入門にゅうもん (歴史れきし的てき思考しこうと史料しりょう)
  2. 2原始時代げんしじだい (旧きゅう石器せっき・縄文じょうもん・弥生やよい)
  3. 3古墳こふん・飛鳥あすか時代じだい (古代こだい国家こっかの成立せいりつ)
  4. 4奈良なら・平安へいあん時代じだい (律令りつりょう国家こっかの発展はってんと変容へんよう)
  5. 5鎌倉かまくら・室町むろまち時代じだい (中世ちゅうせい武家ぶけ政権せいけん)
  6. 6戦国せんごく・安土あづち桃山ももやま時代じだい (中世ちゅうせい末まつから近世きんせいへ)
  7. 7江戸えど時代じだい (近世きんせい社会しゃかいの確立かくりつ)
  8. 8幕末ばくまつ・明治維新めいじいしん (近代きんだい化かの出発しゅっぱつ、 1853-1889)
  9. 9明治めいじ後期こうき・大正たいしょう・昭和しょうわ前期ぜんき (帝国ていこく主義しゅぎと戦争せんそう、 1890-1945)
  10. 10戦後せんご日本にほん (現代げんだい、 1945- )