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世界史探究

帝国ていこく主義しゅぎと第だい一いち次じ世界せかい大戦たいせん (列強れっきょうの拡大かくだいと大戦たいせん・ロシア革命かくめい)

最終確認日:

この章しょうで学まなぶこと

19 世せい紀き末のまつから 20 世せい紀き初しょ頭とうにかけて、 ヨーロッパ・アメリカ・日本にほんなどの 列強れっきょう は、 軍ぐん事こと力りょくと経けい済すみ力りょくでアフリカやアジアを分ぶん割かつ支し配はいしました。 この動うごきを 帝国主義ていこくしゅぎ と呼よびます。 列れっ強きょうの対たい立りつはついに 1914 年ねん 第一次世界大戦だいいちじせかいたいせん へと発はっ展てんし、 4 年ねん余よりの総そう力戦りきせんで約やく 1700 万まん人にんが死し亡ぼうしました。 戦せん争そう末まっ期きには ロシア革命ろしあかくめい が起おこり、 世せ界さかい初はつの社しゃ会かい主しゅ義国よしくにソビエト連邦ソビエトれんぽうが誕たん生なしました。

  • 帝国主義ていこくしゅぎ — 第だい 2 次つぎ産業革命さんぎょうかくめいと列れっ強きょうの海かい外がい進しん出しゅつ
  • アフリカ分割あふりかぶんかつ・アジア分割あじあぶんかつ — 列れっ強きょうの植しょく民みん地ち化か
  • 三国同盟さんこくどうめい・三国協商さんこくきょうしょう — 国こく際さい対たい立りつ構こう造ぞう
  • 第一次世界大戦だいいちじせかいたいせん — サラエボ事件さらえぼじけんから終しゅう戦せんまで
  • ロシア革命ろしあかくめい — レーニンれーにんとソビエト連邦ソビエトれんぽう
  • ベルサイユ条約べるさいゆじょうやくと国際連盟こくさいれんめい

大事だいじ: 帝てい国こく主しゅ義ぎと第だい一いち次じ世せ界かい大たい戦せんは、 ヨーロッパ中心ちゅうしんではなく、 植しょく民みん地ち化かされた側がわ (アフリカ・アジアの諸しょ民族みんぞく) や 戦せん場じょうとなった各かっ国こくの兵へい士し・市民しみん の視し点てんからも学まなぶことが大切たいせつです。

1. 帝国ていこく主義しゅぎの時代じだい

第だい 2 次じ産業革命さんぎょうかくめいと独占どくせん資本しほん

19 世せい紀き後こう半はん、 イギリスに加くわえて アメリカ・ドイツ・フランス・日本にほん で工こう業ごう化かが進すすみ、 鉄てつ鋼・電でん力りょく・化か学がく・石せき油等重じゅう化か学がく工こう業ぎょうが発はっ達たっしました。 これを 第 2 次産業革命だい 2 じさんぎょうかくめい と呼よびます。

  • 鉄てつ鋼: ベッセマー法ほうで大たい量りょう生せい産さん
  • 電でん力りょく: エジソン (米まい)・シーメンス (独どく) ら
  • 内ない燃ねん機き関かん: ガソリン自じ動どう車しゃ・飛ひ行くだり機き (ライト兄きょう弟だい、 1903)
  • 通つう信しん: 電でん信しん → 電でん話わ (ベル) → 無む線せん (マルコーニ)

巨きょ大だいな設せつ備び投とう資しが必ひつ要ようとなり、 銀ぎん行こうと結むすび付ついた 金融資本きんゆうしほん が経けい済ざいを支し配はいし、 トラスト・カルテルなどの 独占資本どくせんしほん が形けい成なされました。

帝国ていこく主義しゅぎとは

帝国主義ていこくしゅぎ (Imperialism) とは、 この大だい工こう業ごう国こくが 原げん料りょう供きょう給きゅう地ち・市し場じょう・投とう資し先さきを求もとめて海かい外がいを軍ぐん事こと的てき・経けい済すみ的てきに支し配はいする政せい策さく です。 経けい済すみ学がく者しゃJ.A. ホブソンやレーニンれーにんが理り論ろん化かしました (レーニン 『帝てい国こく主しゅ義ぎ論ろん』 1917)。

帝てい国こく主しゅ義ぎを推おし進すすめた動機どうきは経けい済ざいだけでなく、

  • 白人優越主義はくじんゆうえつしゅぎ や 「文ぶん明めいの使し命めい」 という自己じこ正せい当とう化か
  • キリスト教きりすときょう布ふ教きょう
  • 国こく民みんのナショナリズム をあおる政せい治的動どう機き

など多様たようでした。 しかしこれらの思し想そうは 植しょく民みん地ちの人じん々を 「劣等れっとうとみなし」 支し配はいを正せい当とう化かする ためのものであり、 現在げんざいでは人じん種しゅ差さ別べつとして厳きびしく批ひ判はんされています。

列強れっきょうの海外かいがい進出しんしゅつ競争きょうそう

列れっ強きょう主おもな植しょく民みん地ち・支し配はい地ち
イギリスインド・エジプト・スーダン・南みなみアフリカ・ナイジェリア・マレーシア・ビルマ・オーストラリア・カナダ
フランスアルジェリア・チュニジア・サハラ・西にしアフリカ・マダガスカル・インドシナ
ドイツトーゴ・カメルーン・南西なんせいアフリカ・東ひがしアフリカ・太たい平洋諸しょ島とう
ベルギーコンゴ (国こく王おうレオポルド 2 世レオポルドにせいの私し領 → 後ごに国こっ家いえ領りょう)
イタリアリビア・エリトリア・ソマリア
アメリカフィリピン・グアム・プエルトリコ・ハワイ
日本にほん台たい湾わん・朝ちょう鮮せん・南樺から太ふと・南洋なんよう諸しょ島とう
ロシア中ちゅう央おうアジア・シベリア・満まん州しゅう進しん出しゅつ

2. アフリカ分割ぶんかつ

ベルリン会議かいぎと 「アフリカ分割ぶんかつ」

19 世せい紀き末のまつまで 「暗あん黒こく大たい陸りく」 と呼よばれてきたアフリカは、 ベルリン会議べるりんかいぎ (1884 〜 85、 ビスマルクびすまるくが主しゅ催さい) で列れっ強きょうの 「分ぶん割かつルール」 が決きめられました。 「先さきに占せん領りょうを通つう告こくした国こくがその地ちを領りょう有ゆうできる」 等とうの原げん則そくで、 わずか 30 年ねんでアフリカ大たい陸りくのほぼ全ぜん域いきが列れっ強きょうの植しょく民みん地ち となりました。 独どく立りつを保たもったのは エチオピア と リベリア だけでした。

三さん大だい縦横じゅうおう政策せいさく

政せい策さく国くに内ない容よう
3C 政策3C せいさくイギリスカイロ・ケープタウン・カルカッタを結むすぶ
3B 政策3B せいさくドイツベルリン・ビザンティウム (イスタンブル)・バグダードを結むすぶ
縦たて断だん政せい策さくフランス西にしアフリカ ↔ ジブチを横よこ断

イギリスとフランスはスーダンで ファショダ事件ファショダじけん (1898) を起おこしましたが、 仏ふつが譲じょう歩ほして戦せん争そうを回かい避ひしました。 イギリスとオランダ系けいボーア人じんは 南アフリカ戦争みなみあふりかせんそう (1899 〜 1902) で戦たたかい、 イギリスが勝しょう利りしトランスバール・オレンジを併へい合あわしました。

植民しょくみん地ち支配しはいの残虐ざんぎゃく性せい

アフリカでの植しょく民みん地ち支し配はいは、 多おおくの場ば所しょで残ざん虐ぎゃくな性せい格かくを持もちました。

  • コンゴ自由国こんごじゆうこく (レオポルド 2 世レオポルドにせいの私し領、 1885 〜 1908) — ゴム採さい取しゅノルマ達たっ成なる失敗しっぱい者しゃへの手切きり落おとし等とうの暴ぼう行こうで 数すう百ひゃく万人規き模ぼの死し者しゃ が出でたと推すい計けいされています
  • ヘレロ・ナマの虐殺へれろ・なまのぎゃくさつ (1904 〜 08、 ドイツ領りょう南西なんせいアフリカ) — ヘレロ人じんの約やく 8 割わり、 ナマ人じんの約やく半数はんすうが死し亡ぼうしたとされ、 「20 世せい紀き最初さいしょのジェノサイド」 と呼よばれる

これらの出で来らい事ことは、 帝てい国こく主しゅ義ぎの 加か害がい性せい を学まなぶうえで重じゅう要ようです。

3. アジアの植民しょくみん地ち化か

中国ちゅうごく — 列強れっきょうの半はん植民しょくみん地ち化か

アヘン戦争あへんせんそう (1840 〜 42) とアロー戦争アローせんそう (1856 〜 60) で清きよしはイギリス・フランスに敗はい北ぼく、 南京条約なんきんじょうやくで香ホン港コン割かっ譲・5 港開かい港こう・治ち外法そとのり権けん ・ 関かん税ぜい自じ主権しゅけん喪そう失しつ等とうの不ふ平等びょうどう条じょう約やくを結むすばされました。

19 世せい紀き末のまつ日清戦争にっしんせんそう (1894 〜 95) で日本にほんにも敗やぶれ、 清きよしは 「眠ねむれる獅し子」 から 「列れっ強きょうが切きり取とる餌え食じき」 と化かしました。 各かっ国こくが 「勢力範囲せいりょくはんい」 を設せっ定ていし、 鉱こう山ざん・鉄てつ道みち利り権けんを獲かく得とくしました。

民みん衆しゅうの反はん発ぱつから 1900 年ねん 義和団事件ぎわだんじけん が起おこりましたが、 8 か国こく連れん合ごう軍ぐん (北清事変ほくしんじへん) に鎮ちん圧おされ、 賠ばい償金しょうきんと北京ぺきん駐ちゅう兵へいを課かされました。

1911 年孫文そんぶんらの 辛亥革命しんがいかくめい で中華民国ちゅうかみんこくが成せい立りつ、 翌年よくねん清せい朝ちょうが滅めっ亡しました。

インド — 英えい領りょう化かと民族みんぞく運動うんどう

イギリスは東インド会社ひがしいんどがいしゃを通つうじてインド支し配はいを進すすめ、 1857 〜 59 年ねん インド大反乱いんどだいはんらん (シパーヒーの反乱シパーヒーのはんらん、 セポイの乱らん) を鎮ちん圧あつ後ご、 1858 年ねん東ひがしインド会社かいしゃを解かい散さんして 直ちょく接せつ統とう治ち に切きり替かえ、 1877 年ヴィクトリア女王ヴィクトリアじょおうをインド皇こう帝ていとする インド帝国インドていこく を成せい立りつさせました。

インドでは民みん族ぞく運うん動どうが高たかまり、 1885 年ねん インド国民会議インドこくみんかいぎ が結けっ成なされました。 後ごにガンディーがんでぃーの非暴力・不服従運動ひぼうりょく・ふふくじゅううんどうへとつながります。

東南とうなんアジアの分割ぶんかつ

地ち域いき支し配はい国こく
インドシナ (ベトナム・カンボジア・ラオス)フランス
ビルマ (ミャンマー)・マレー半はん島とう・ボルネオ北ほく部ぶイギリス
インドネシアオランダ
フィリピンスペイン → (1898 米べい西にし戦争せんそう後ご) アメリカ
タイ (シャム)唯ゆい一いち独どく立りつを維い持じ

タイは英えい仏ふつ緩かん衝しょう地たい帯として利り用ようされ、 国こく王おうラーマ 5 世ラーマごせい (チュラロンコーン) の巧こうみな外がい交こうで独どく立りつを守まもりました。

ポイント: 「植しょく民みん地ち化か = 文ぶん明めい化か」 ではありません。 インフラや教育きょういく制せい度どが残のこった一いっ方ぽうで、 伝でん統みつる産さん業ぎょうの破は壊かい・搾さく取しゅ・人じん種しゅ差さ別べつ が行おこなわれ、 独どく立りつ後ごも国こっ境きょう紛ふん争そう・経けい済すみ格かく差さ・民みん族ぞく対たい立たつ等とうの 「植民地の負の遺産しょくみんちのふのいさん」 を残のこしました。

4. 国際こくさい対立たいりつの形成けいせい — 三さん国こく同盟どうめいと三さん国こく協商きょうしょう

ビスマルク体制たいせいの崩壊ほうかい

ドイツ帝てい国こくビスマルクびすまるくはフランスを孤こ立りつさせるために三さん帝みかど同どう盟めい・三さん国くに同どう盟めい・再さい保障ほしょう条約じょうやく等とうを巧こうみに結むすびました。 しかし 1890 年ヴィルヘルム 2 世ヴィルヘルムにせいが即そく位いし、 ビスマルクを罷ひ免めん、 「新航路政策しんこうろせいさく」 (積せっ極的海かい外がい進しん出しゅつ) に転てん換かんしました。

二に大だい陣営じんえいの形成けいせい

陣じん営えい構こう成せい
三国同盟さんこくどうめいドイツ・オーストリア・イタリア (1882)
三国協商さんこくきょうしょうフランス・ロシア・イギリス (露ろ仏ふつ同どう盟めい 1894 + 英えい仏ふつ協きょう商しょう 1904 + 英えい露ろ協きょう商しょう 1907)

特とくに バルカン半はん島とう では、 オスマン帝てい国こく衰すい退たいで諸しょ民族みんぞくが独どく立りつを求もとめ、 列れっ強きょうが介かい入にゅうし 「ヨーロッパの火薬庫ヨーロッパのかやくこ」 と呼よばれました。 1908 年ねんオーストリアの ボスニア・ヘルツェゴビナ併へい合ごう、 1912 〜 13 年ねん バルカン戦争バルカンせんそう で緊きん張ちょうが高たかまりました。

5. 第だい一いち次じ世界せかい大戦たいせん

サラエボ事件じけんと開戦かいせん

1914 年ねん 6 月つき 28 日にち、 オーストリア = ハンガリー帝てい国こく皇こう太子たいしフランツ・フェルディナント夫ふ妻さいが、 ボスニアの首しゅ都とサラエボでセルビア人青せい年ねんに暗あん殺ころされました (サラエボ事件さらえぼじけん)。 オーストリアがセルビアに宣せん戦し、 同盟どうめい関かん係けいが連鎖れんさして 7 月末げつまつから 8 月つきにかけて 第一次世界大戦だいいちじせかいたいせん が始はじまりました。

戦線せんせんと経過けいか

戦せん線経けい過か
西せい部ぶ戦せん線 (仏北ほく部ぶ)独どく軍ぐんがフランスへ侵しん攻こう、 マルヌの戦いマルヌのたたかいで仏ふつが阻そ止し、 以後いご塹壕戦ざんごうせんとなり膠こう着ちゃく
東部とうぶ戦せん線独どく露ろの戦たたかい、 ロシア大量たいりょう死傷ししょう者しゃ
バルカン・中東ちゅうとうオスマン帝てい国こくが同盟どうめい国こく側がわで参さん戦せん
海戦かいせん英えい海軍かいぐんと独どく海軍かいぐん、 Uボート潜せん水みず艦かん戦せん

総そう力戦りきせんと新兵しんぺい器き

第だい一いち次じ大戦たいせんは史上しじょう初はつの 総力戦そうりょくせん でした。 産さん業ぎょう・科学かがく・国こく民みん全ぜん体たいを動どう員いんし、 女じょ性せいが軍ぐん需じゅ工こう場じょうで働はたらく姿すがたが一いっ般ぱん化か、 戦せん後こう女性参政権じょせいさんせいけん拡かく大だいの一因いちいんとなりました。

新しん兵器へいきとして、

  • 毒どくガス・戦せん車しゃ・飛ひ行くだり機き・機関きかん銃じゅう・潜せん水みず艦かん

が投とう入にゅうされ、 戦せん死者ししゃが急きゅう増ましました。 軍人ぐんじん約やく 1000 万まん人にん、 民みん間人はしひとを含ふくめると 約やく 1700 万まん人にん が死亡しぼうしたとされます。

アメリカ参戦さんせんと終戦しゅうせん

アメリカは当とう初しょ中ちゅう立りつでしたが、 ドイツの 無制限潜水艦作戦むせいげんせんすいかんさくせん (ルシタニア号事件ルシタニアごうじけん等) を機きに 1917 年ねん 4 月つき参さん戦せんしました。 同年どうねんロシア革かく命めいでロシアが戦せん線離り脱だつ、 米べい軍ぐん大量たいりょう投とう入にゅうで連れん合ごう国こく側がわが優ゆう勢せいとなり、 1918 年ねん 11 月つき 11 日にちドイツ降こう伏で終しゅう戦せんしました。

ベルサイユ体制たいせいと国際こくさい連盟れんめい

1919 年パリ講和会議ぱりこうわかいぎで ベルサイユ条約べるさいゆじょうやく が結むすばれ、 ドイツは

  • 海かい外がい植しょく民みん地ち喪そう失しつ
  • 領りょう土ど削さく減げん (アルザス・ロレーヌを仏ふつへ)
  • 軍備ぐんび制せい限げん
  • 巨きょ額がくの賠ばい償金しょうきん (約やく 1320 億おくマルク)
  • 戦せん争そう責せき任にん条項じょうこう

が課かされました。 この過か酷こくな条じょう件けんはドイツ国民こくみんに深ふかい屈くつ辱じょくと経けい済ざい困こん窮きゅうを与あたえ、 後ごのナチスなちす台たい頭とうの土ど壌じょうとなりました。

アメリカ大統領だいとうりょうウィルソンうぃるそんが提てい唱しょうした 14 か条の平和原則14 かじょうのへいわげんそく に基もとづき、 1920 年ねん 国際連盟こくさいれんめい が設せつ立りつされました。 しかしアメリカ上院じょういんが加か盟めいを否決ひけつ、 ソ連れん・ドイツも当とう初はつ排はい除じょされ、 強きょう制せい力りょくも弱よわく、 後ごの戦せん争そうを防ふせげませんでした。

また、 民族自決みんぞくじけつの原げん則そくが提てい唱しょうされ、 ヨーロッパで チェコスロバキア・ポーランド・ハンガリー・ユーゴスラビア・フィンランド などが独どく立りつしました。 しかしこの原げん則そくは ヨーロッパには適てき用ようされたがアジア・アフリカには適てき用ようされなかった ことが、 各かっ地の民みん族ぞく運うん動どうの失望しつぼうと反はん発ぱつを生うみました (3.1 独立運動3.1 どくりつうんどう・5.4 運動5.4 うんどう等)。

6. ロシア革命かくめい

二月にがつ革命かくめい (三月さんがつ革命かくめい)

ロシアは第だい一いち次じ大戦たいせんで大おおきな損そん害がいを受うけ、 物ぶっ資し不ふ足そく・パン不ふ足そくで民みん衆しゅうの怒いかりが爆ばく発はつ、 1917 年ねん 3 月つき (ロシア旧きゅう暦れき 2 月つき) 二月革命にがつかくめい でニコライ 2 世ニコライにせいが退たい位いしロマノフ朝ちょうが滅めっ亡、 臨時政府りんじせいふが成せい立りつしました。 しかし戦せん争そう継けい続ぞく等とうで民みん衆しゅうの不ふ満まんは残のこりました。

十月じゅうがつ革命かくめい (十一月じゅういちがつ革命かくめい) とソ連れん成立せいりつ

1917 年ねん 11 月つき (ロシア旧きゅう暦れき 10 月つき)、 ボリシェヴィキ (マルクスまるくす主しゅ義ぎの急きゅう進しん派は) を率ひきいた レーニンれーにん が 十月革命じゅうがつかくめい を成せい功こうさせ、 世せ界さかい初はつの 社しゃ会かい主しゅ義ぎ政せい権けん を樹じゅ立りつしました。 「平へい和わに関かんする布ふ告こく」 で戦せん争そう終しゅう結けつを呼よびかけ、 「土地とちに関かんする布ふ告こく」 で地じ主ぬしの土地とちを没ぼっ収しゅうしました。

1918 年ねんドイツとブレスト・リトフスク条約ブレスト・リトフスクじょうやくを結むすんで戦せん線離り脱だつ、 同年どうねんから反革かく命いのち軍ぐんや列れっ強きょう (英えい仏ふつ米べい日にち) の干かん渉わたる戦せん争そうと戦たたかい、 1922 年ねん ソビエト社会主義共和国連邦ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう (ソ連それん) が成せい立りつしました。

レーニン死し後ご、 スターリンすたーりんが権けん力りょくを握にぎり、 1928 年ねんから 5 か年計画5 かねんけいかく で重じゅう工こう業ごう化か・農業のうぎょう集しゅう団だん化かを強きょう行こうしましたが、 富ふ農のう (クラーク) の弾だん圧あつや大飢き饉きん (ウクライナ等とう) で数すう百ひゃく万人規き模ぼの死し者しゃを出だし、 1937 〜 38 年ねんの 大粛清だいしゅくせい で党内とうない・軍ぐん内ない数すう十じゅう万まん人にんが処しょ刑けいされたと推すい計けいされています。 これらのことは社しゃ会かい主しゅ義ぎ体たい制せい下かの暴ぼう力ちから性せいとして学がく習上重じゅう要ようです。

7. 戦せん間かん期きアジア・中東ちゅうとうの動うごき

中国ちゅうごくの民族みんぞく運動うんどう

中国ちゅうごくでは第だい一いち次じ大戦たいせん中ちゅうの 二十一カ条の要求にじゅういっかじょうのようきゅう (1915、 日本にほんが中国ちゅうごくに利り権けんを要求ようきゅう) やベルサイユ会議かいぎでの 山さん東ひがし半島はんとう利り権けん移い譲じょう に抗こう議ぎして、 1919 年ねん 5 月つき 4 日にち 5.4 運動5.4 うんどう が起おこり、 民みん族ぞく主しゅ義ぎが高たかまりました。 中国国民党ちゅうごくこくみんとう (孫文そんぶん → 蒋介石しょうかいせき) と中国共産党ちゅうごくきょうさんとう (1921 結成けっせい、 毛沢東もうたくとうら) が対たい立りつ・協きょう力りょくを繰くり返かえします。

朝鮮ちょうせんの独立どくりつ運動うんどう

日本にほん統とう治下ちかの朝ちょう鮮せんでは、 1919 年ねん 3 月つき 1 日にち 3.1 独立運動3.1 どくりつうんどう が起おこり、 多数たすうの死し傷者しょうしゃを出だしながら民みん族ぞく自じ決けつを訴うったえました。

インド・中東ちゅうとう

インドではガンディーがんでぃーが 1919 年ねんから 非暴力・不服従運動ひぼうりょく・ふふくじゅううんどう (サティヤーグラハ) を開始かいし、 イギリスからの独どく立りつを目め指さしました。

中東ちゅうとうではオスマン帝てい国こくが 1922 年滅めっ亡、 ムスタファ・ケマルが トルコ共和国トルコきょうわこく を樹じゅ立りつ (1923) し、 政せい教きょう分ぶん離りや文も字じ改かい革等西せい欧おう化かを進すすめました。 イギリスとフランスは中東ちゅうとうを 委任統治領いにんとうちりょう として分わけ、 サイクス・ピコ協定サイクス・ピコきょうていや バルフォア宣言バルフォアせんげん (ユダヤ人国こっ家いえ建けん設せつ支し持じ) が後ごのパレスチナ問もん題だいの種たねとなりました。

まとめ・安全あんぜん配慮はいりょと学習がくしゅうのヒント

この章しょうの要よう点てん

  • 帝国主義ていこくしゅぎは第だい 2 次つぎ産業革命さんぎょうかくめいの産さん物ぶつであり、 列れっ強きょうが世せ界かいを分割ぶんかつした
  • アフリカ・アジアの諸しょ民族みんぞくは 植しょく民みん地ち支し配はいと暴ぼう力りょく を受うけた
  • 第一次世界大戦だいいちじせかいたいせんは史上しじょう初はつの総力戦そうりょくせんで約やく 1700 万まん人にんが死し亡ぼう
  • ロシア革命ろしあかくめいで世せ界さかい初はつの社会主義しゃかいしゅぎ国ソ連それんが誕たん生じょう
  • ベルサイユ体制ベルサイユたいせいと国際連盟こくさいれんめいは平へい和わ維い持じを目め指さしたが不ふ完全かんぜんだった

加害かがい性せいを認識にんしきする視点してん

帝てい国こく主しゅ義ぎを学まなぶときは、 侵しん略りゃくした側がわ (列れっ強きょう) と 侵しん略りゃくされた側がわ (アフリカ・アジアの諸しょ民族みんぞく) の両りょう方ほうから見みることが不ふ可か欠けつです。 コンゴ自由国こんごじゆうこくの暴ぼう行こうやヘレロ・ナマの虐殺へれろ・なまのぎゃくさつ、 アルメニア人虐ぎゃく殺さつ (オスマン帝てい国末くにすえ期き、 第だい一いち次じ大戦たいせん中ちゅう) 等ひとし、 植しょく民みん地ち支し配はいと戦せん争そうが多おおくの民族みんぞくに与あたえた苦く痛つう を直ちょく視しする必ひつ要ようがあります。

また、 日本にほんも朝ちょう鮮せん・台たい湾わんを植しょく民みん地ち化かした帝てい国こく主しゅ義国よしくにであり、 3.1 独立運動3.1 どくりつうんどう等への弾だん圧あつとその評ひょう価かは現げん在ざいも議ぎ論ろんが続つづいています。 一いっ方ぽう的な賛さん美びや全ぜん否定ひていではなく、 史料しりょうに基もとづいて多た角かく的てきに考かんがえる姿勢しせいが大切たいせつです。

戦争せんそうの教訓きょうくんを平和へいわへ

第だい一いち次じ大戦たいせんは 「全すべての戦せん争そうを終おわらせる戦せん争そう」 とも呼よばれ、 国こく際さい連れん盟めいや軍ぐん縮しゅく会議かいぎ等とう平へい和わ構こう築ちくの動うごきを生うみました。 しかし結けっ局きょく防ふせぐことができず第だい二に次じ大戦たいせんへと続つづきます。 「なぜ平へい和わを維い持じできなかったのか」 を考かんがえることは現代げんだいの国こく際さい平へい和わを守まもる教きょう訓くんとなります。

学習がくしゅうのヒント

  • 列れっ強つよ別べつに植しょく民みん地ちを地ち図ずにまとめ、 3C 政せい策さく・3B 政せい策さくを確かく認にん
  • 二に大だい陣じん営えい (三さん国くに同どう盟めい vs 三さん国くに協きょう商しょう) の形けい成せいを年表ねんぴょうで追おう
  • ロシア革かく命めい (二月革命にがつかくめい → 十月革命じゅうがつかくめい) の流ながれを整せい理り

次じの章しょうでは: 1929 年世界恐慌せかいきょうこうから 第二次世界大戦だいにじせかいたいせん、 戦せん後ごの 冷戦れいせん と 脱だつ植しょく民みん地ち化か までを学まなびます。

まとめ — 帝国ていこく主義しゅぎと第だい一いち次じ世界せかい大戦たいせんを 3 行くだりで

  • 帝国主義ていこくしゅぎは第だい 2 次じ産業革命さんぎょうかくめいを背景はいけいに列強れっきょうがアフリカ・アジアを分割ぶんかつし、 植しょく民地みんち支配しはいと暴力ぼうりょくを引ひき起おこした
  • 第一次世界大戦だいいちじせかいたいせんは史上しじょう初はつの総力戦そうりょくせんで約やく 1700 万まん人にんが犠牲ぎせい、 戦後せんごベルサイユ体制ベルサイユたいせいと国際連盟こくさいれんめいが不完全ふかんぜんな平和へいわを試こころみた
  • ロシア革命ろしあかくめいで世界せかい初はつの社会主義しゃかいしゅぎ国ソ連それんが誕生たんじょう、 アジアでは3.1 独立運動3.1 どくりつうんどうやガンディーがんでぃーの非暴力・不服従運動ひぼうりょく・ふふくじゅううんどうなど民族みんぞく自決じけつが拡大かくだい
この教材きょうざいは役やくに立たちましたか?
学がく習しゅうロードマップ(10件けん)
  1. 1世界せかい史しへの扉とびら (時代じだい区分くぶん・史料しりょう・諸しょ地域ちいき)
  2. 2古代こだいオリエント・ギリシャ・ローマ
  3. 3古代こだいインド・中国ちゅうごく・東南とうなんアジア
  4. 4中世ちゅうせいヨーロッパとイスラム世界せかい
  5. 5中世ちゅうせい東ひがしアジア (隋ずい唐とう宋そう元明もとあき清きよし・モンゴル)
  6. 6近世きんせいヨーロッパ (ルネサンス・宗教しゅうきょう改革かいかく・大だい航海こうかい・絶対ぜったい王政おうせい)
  7. 7産業革命さんぎょうかくめいと市民しみん革命かくめい (英えい・米べい・仏ふつとナポレオン)
  8. 8帝国ていこく主義しゅぎと第だい一いち次じ世界せかい大戦たいせん (列強れっきょうの拡大かくだいと大戦たいせん・ロシア革命かくめい)
  9. 9第だい二に次じ世界せかい大戦たいせんと冷戦れいせん (恐慌きょうこうから脱だつ植民しょくみん地ち化かまで)
  10. 10現代げんだい世界せかい (1990 年代ねんだい以降いこうのグローバル化かと地球ちきゅう的てき課題かだい)