この章で学ぶこと
19 世紀末から 20 世紀 初頭にかけて、 ヨーロッパ・アメリカ・日本などの 列強 は、 軍事力と 経済力でアフリカやアジアを 分割支配しました。 この動きを 帝国主義 と呼びます。 列強の 対立はついに 1914 年 第一次世界大戦 へと 発展し、 4 年余 りの 総力戦で約 1700 万人が 死亡しました。 戦争末期には ロシア革命 が起こり、 世界初の 社 会 主義国ソビエト連邦 が 誕生しました。
- 帝国主義 — 第 2 次産業革命と 列強の 海外進出
- アフリカ分割・アジア分割 — 列強の 植 民地化
- 三国同盟・三国協商 — 国際対立構造
- 第一次世界大戦 — サラエボ事件 から 終戦まで
- ロシア革命 — レーニン と ソビエト連邦
- ベルサイユ条約 と 国際連盟
大事: 帝国主義と第一次世界大戦は、 ヨーロッパ 中心ではなく、 植 民地化された側 (アフリカ・アジアの 諸民族) や 戦場となった 各国の 兵士・市民 の 視点からも学ぶことが大切です。
1. 帝国主義の時代
第 2 次産業革命と独占資本
19 世紀 後半、 イギリスに加えて アメリカ・ドイツ・フランス・日本 で 工業化が進み、 鉄鋼・電力・化学・石油等重 化 学 工業が 発達しました。 これを 第 2 次産業革命 と呼びます。
- 鉄鋼: ベッセマー法で 大量生産
- 電力: エジソン (米)・シーメンス (独) ら
- 内 燃 機関: ガソリン 自 動車・飛行機 (ライト 兄弟、 1903)
- 通信: 電信 → 電話 (ベル) → 無線 (マルコーニ)
巨大な 設備投資が 必要となり、 銀行と結び付いた 金融資本 が 経済を 支配し、 トラスト・カルテルなどの 独占資本 が 形成されました。
帝国主義とは
帝国主義 (Imperialism) とは、 この 大 工業国が 原料供 給地・市場・投資先を求めて 海外を 軍事的・経済的に 支配する 政策 です。 経済学者 J.A. ホブソン や レーニン が 理論化しました (レーニン 『帝国主義論』 1917)。
帝国主義を推し進めた動機は 経済だけでなく、
- 白人優越主義 や 「文明の 使命」 という自己正 当化
- キリスト教布教
- 国民のナショナリズム をあおる 政治的動機
など多様でした。 しかしこれらの 思想は 植 民地の 人々を 「劣等とみなし」 支配を 正 当化する ためのものであり、 現在では 人種差別として厳しく 批判されています。
列強の海外進出競争
| 列強 | 主な 植 民地・支配地 |
|---|
| イギリス | インド・エジプト・スーダン・南アフリカ・ナイジェリア・マレーシア・ビルマ・オーストラリア・カナダ |
| フランス | アルジェリア・チュニジア・サハラ・西アフリカ・マダガスカル・インドシナ |
| ドイツ | トーゴ・カメルーン・南西アフリカ・東アフリカ・太平洋諸島 |
| ベルギー | コンゴ (国王レオポルド 2 世 の 私領 → 後に 国家領) |
| イタリア | リビア・エリトリア・ソマリア |
| アメリカ | フィリピン・グアム・プエルトリコ・ハワイ |
| 日本 | 台湾・朝 鮮・南樺太・南洋諸島 |
| ロシア | 中央アジア・シベリア・満州進出 |
2. アフリカ分割
ベルリン会議と 「アフリカ分割」
19 世紀末まで 「暗黒大陸」 と呼ばれてきたアフリカは、 ベルリン会議 (1884 〜 85、 ビスマルク が 主催) で 列強の 「分割ルール」 が決められました。 「先に 占領を 通告した国がその地を 領有できる」 等の 原則で、 わずか 30 年でアフリカ 大陸のほぼ 全域が 列強の 植 民地 となりました。 独立を保ったのは エチオピア と リベリア だけでした。
三大縦横政策
| 政策 | 国 | 内容 |
|---|
| 3C 政策 | イギリス | カイロ・ケープタウン・カルカッタを結ぶ |
| 3B 政策 | ドイツ | ベルリン・ビザンティウム (イスタンブル)・バグダードを結ぶ |
| 縦断政策 | フランス | 西アフリカ ↔ ジブチを 横断 |
イギリスとフランスはスーダンで ファショダ事件 (1898) を起こしましたが、 仏が 譲歩して 戦争を 回避しました。 イギリスとオランダ系ボーア人は 南アフリカ戦争 (1899 〜 1902) で戦い、 イギリスが 勝利しトランスバール・オレンジを 併合しました。
植民地支配の残虐性
アフリカでの 植 民地支配は、 多くの 場所で 残虐な 性格を持ちました。
- コンゴ自由国 (レオポルド 2 世 の 私領、 1885 〜 1908) — ゴム 採取ノルマ 達成失敗者への手切 り落とし等の 暴行で 数 百万人規模の 死者 が出たと 推計されています
- ヘレロ・ナマの虐殺 (1904 〜 08、 ドイツ領南西アフリカ) — ヘレロ人の約 8 割、 ナマ人の約半数が 死亡したとされ、 「20 世紀最初のジェノサイド」 と呼ばれる
これらの 出来事は、 帝国主義の 加 害性 を学ぶうえで 重要です。
3. アジアの植民地化
中国 — 列強の半植民地化
アヘン戦争 (1840 〜 42) と アロー戦争 (1856 〜 60) で清はイギリス・フランスに 敗北、 南京条約 で 香 港 割譲・5 港開港・治外法権 ・ 関税自主権喪失等の 不平等条約を 結 ばされました。
19 世紀末日清戦争 (1894 〜 95) で日本にも敗れ、 清は 「眠 れる 獅子」 から 「列強が切り取る 餌 食」 と化しました。 各国が 「勢力範囲」 を 設定し、 鉱山・鉄道利権を 獲得しました。
民衆の 反発から 1900 年 義和団事件 が起こりましたが、 8 か国連合軍 (北清事変) に 鎮圧され、 賠償金と北京駐兵を課されました。
1911 年孫文 らの 辛亥革命 で 中華民国 が 成立、 翌年清朝 が 滅亡しました。
インド — 英領化と民族運動
イギリスは 東インド会社 を通じてインド 支配を進め、 1857 〜 59 年 インド大反乱 (シパーヒーの反乱、 セポイの乱) を 鎮圧後、 1858 年東インド会社を 解散して 直接統治 に切り替え、 1877 年ヴィクトリア女王 をインド 皇帝とする インド帝国 を 成立させました。
インドでは 民族運動が 高 まり、 1885 年 インド国民会議 が 結成されました。 後に ガンディー の 非暴力・不服従運動 へとつながります。
東南アジアの分割
| 地域 | 支配国 |
|---|
| インドシナ (ベトナム・カンボジア・ラオス) | フランス |
| ビルマ (ミャンマー)・マレー 半島・ボルネオ 北部 | イギリス |
| インドネシア | オランダ |
| フィリピン | スペイン → (1898 米西戦争後) アメリカ |
| タイ (シャム) | 唯一独立を 維持 |
タイは 英仏緩衝地帯として 利用され、 国王ラーマ 5 世 (チュラロンコーン) の 巧 みな 外交で 独立を守りました。
ポイント: 「植 民地化 = 文明化」 ではありません。 インフラや教育制度が残った 一方で、 伝統産業の 破壊・搾 取・人種差別 が行われ、 独立後も 国境紛争・経済格差・民族対立等の 「植民地の負の遺産」 を残しました。
4. 国際対立の形成 — 三国同盟と三国協商
ビスマルク体制の崩壊
ドイツ 帝国ビスマルク はフランスを 孤立させるために三帝同盟・三国同盟・再保障条約等を 巧 みに結びました。 しかし 1890 年ヴィルヘルム 2 世 が 即位し、 ビスマルクを 罷免、 「新航路政策」 (積極的海外進出) に 転換しました。
二大陣営の形成
| 陣営 | 構成 |
|---|
| 三国同盟 | ドイツ・オーストリア・イタリア (1882) |
| 三国協商 | フランス・ロシア・イギリス (露仏同盟 1894 + 英仏協商 1904 + 英露協商 1907) |
特に バルカン 半島 では、 オスマン 帝国衰退で 諸民族が 独立を求め、 列強が 介入し 「ヨーロッパの火薬庫」 と呼ばれました。 1908 年オーストリアの ボスニア・ヘルツェゴビナ 併合、 1912 〜 13 年 バルカン戦争 で 緊張が 高 まりました。
5. 第一次世界大戦
サラエボ事件と開戦
1914 年 6 月 28 日、 オーストリア = ハンガリー 帝国皇太子フランツ・フェルディナント 夫妻が、 ボスニアの 首都サラエボでセルビア人青年に 暗殺されました (サラエボ事件)。 オーストリアがセルビアに 宣戦し、 同盟関係が 連鎖して 7 月末から 8 月にかけて 第一次世界大戦 が始まりました。
戦線と経過
| 戦線 | 経過 |
|---|
| 西部戦線 (仏北部) | 独軍がフランスへ 侵攻、 マルヌの戦い で仏が 阻止、 以後塹壕戦 となり 膠着 |
| 東部戦線 | 独露の戦い、 ロシア大量死傷者 |
| バルカン・中東 | オスマン 帝国が同盟国側で 参戦 |
| 海戦 | 英海軍と独海軍、 Uボート 潜水艦戦 |
総力戦と新兵器
第一次大戦は史上初の 総力戦 でした。 産業・科学・国民全体を 動員し、 女性が軍需 工場で働く姿が 一般化、 戦後女性参政権 拡大の一因となりました。
新兵器として、
- 毒 ガス・戦車・飛行機・機関銃・潜水艦
が 投入され、 戦死者が 急増しました。 軍人約 1000 万人、 民間人を含めると 約 1700 万人 が死亡したとされます。
アメリカ参戦と終戦
アメリカは 当初中立でしたが、 ドイツの 無制限潜水艦作戦 (ルシタニア号事件等) を機に 1917 年 4 月参戦しました。 同年ロシア 革命でロシアが 戦線離脱、 米軍大量投入で 連合国側が 優勢となり、 1918 年 11 月 11 日ドイツ 降伏で 終戦しました。
ベルサイユ体制と国際連盟
1919 年パリ講和会議 で ベルサイユ条約 が結ばれ、 ドイツは
- 海外植 民地喪失
- 領土削減 (アルザス・ロレーヌを仏へ)
- 軍備制限
- 巨額の 賠償金 (約 1320 億マルク)
- 戦争責任条項
が課されました。 この 過酷な 条件はドイツ国民に深い 屈 辱 と 経済困窮を与え、 後の ナチス 台頭の 土壌となりました。
アメリカ大統領ウィルソン が 提唱した 14 か条の平和原則 に 基 づき、 1920 年 国際連盟 が 設立されました。 しかしアメリカ上院が 加盟を否決、 ソ連・ドイツも 当初排除され、 強制力も弱く、 後の 戦争を防げませんでした。
また、 民族自決 の 原則が 提唱され、 ヨーロッパで チェコスロバキア・ポーランド・ハンガリー・ユーゴスラビア・フィンランド などが 独立しました。 しかしこの 原則は ヨーロッパには 適用されたがアジア・アフリカには 適用されなかった ことが、 各地の 民族運動の失望と 反発を生みました (3.1 独立運動・5.4 運動等)。
6. ロシア革命
二月革命 (三月革命)
ロシアは第一次大戦で大きな 損害を受け、 物資不足・パン 不足で 民衆の怒りが 爆発、 1917 年 3 月 (ロシア 旧暦 2 月) 二月革命 で ニコライ 2 世 が 退位しロマノフ 朝 が 滅亡、 臨時政府 が 成立しました。 しかし 戦争継続等で 民衆の 不満は残りました。
十月革命 (十一月革命) とソ連成立
1917 年 11 月 (ロシア 旧暦 10 月)、 ボリシェヴィキ (マルクス 主義の 急進派) を率いた レーニン が 十月革命 を 成功させ、 世界初の 社 会 主義政権 を 樹立しました。 「平和に関する 布告」 で 戦争終結を呼びかけ、 「土地に関する 布告」 で 地主の土地を 没収しました。
1918 年ドイツと ブレスト・リトフスク条約 を結んで 戦線離脱、 同年から反革命軍や 列強 (英仏米日) の 干渉戦争と戦い、 1922 年 ソビエト社会主義共和国連邦 (ソ連) が 成立しました。
レーニン 死後、 スターリン が 権力を握り、 1928 年から 5 か年計画 で重工業化・農業集団化を 強行しましたが、 富農 (クラーク) の 弾圧や大飢 饉 (ウクライナ等) で 数 百万人規模の 死者を出し、 1937 〜 38 年の 大粛清 で党内・軍内数十万人が 処刑されたと 推計されています。 これらのことは 社 会 主義体制下の 暴力性として 学習上重要です。
7. 戦間期アジア・中東の動き
中国の民族運動
中国では第一次大戦中の 二十一カ条の要求 (1915、 日本が中国に 利権を要求) やベルサイユ会議での 山東半島利権移譲 に 抗議して、 1919 年 5 月 4 日 5.4 運動 が起こり、 民族主義が 高 まりました。 中国国民党 (孫文 → 蒋介石) と 中国共産党 (1921 結成、 毛沢東 ら) が 対立・協力を繰り返します。
朝鮮の独立運動
日本統治下の 朝 鮮 では、 1919 年 3 月 1 日 3.1 独立運動 が起こり、 多数の 死傷者を出しながら 民族自決を 訴 えました。
インド・中東
インドでは ガンディー が 1919 年から 非暴力・不服従運動 (サティヤーグラハ) を開始、 イギリスからの 独立を 目指しました。
中東ではオスマン 帝国が 1922 年滅亡、 ムスタファ・ケマル が トルコ共和国 を 樹立 (1923) し、 政教分離や 文字改革等西 欧化を進めました。 イギリスとフランスは中東を 委任統治領 として分け、 サイクス・ピコ協定 や バルフォア宣言 (ユダヤ人国家建設支持) が後のパレスチナ 問題の種となりました。
まとめ・安全配慮と学習のヒント
この章の 要 点
- 帝国主義 は第 2 次産業革命の 産物であり、 列強が 世界を分割した
- アフリカ・アジアの 諸民族は 植 民地支配と 暴力 を受けた
- 第一次世界大戦 は史上初の 総力戦 で約 1700 万人が 死亡
- ロシア革命 で 世界初の 社会主義国ソ連 が 誕生
- ベルサイユ体制 と 国際連盟 は 平和維持を 目指したが 不完全だった
加害性を認識する視点
帝国主義を学ぶときは、 侵略した側 (列強) と 侵略された側 (アフリカ・アジアの 諸民族) の 両方から見ることが 不 可欠です。 コンゴ自由国 の 暴行や ヘレロ・ナマの虐殺、 アルメニア人虐殺 (オスマン 帝国末期、 第一次大戦中) 等、 植 民地支配と 戦争が多くの民族に与えた 苦痛 を 直視する 必要があります。
また、 日本も 朝 鮮・台湾を 植 民地化した 帝国主義国であり、 3.1 独立運動等への 弾圧とその 評価は 現在も 議論が続いています。 一 方的な 賛美や 全否定ではなく、 史料に 基 づいて 多角的に考える姿勢が大切です。
戦争の教訓を平和へ
第一次大戦は 「全ての 戦争を終わらせる 戦争」 とも呼ばれ、 国際連盟や 軍 縮会議等平和構築の動きを生みました。 しかし 結局防ぐことができず第二次大戦へと続きます。 「なぜ 平和を 維持できなかったのか」 を考えることは現代の 国際平和を守る 教訓となります。
学習のヒント
- 列強別に 植 民地を 地図にまとめ、 3C 政策・3B 政策を 確認
- 二大陣営 (三国同盟 vs 三国協商) の 形成を年表で追う
- ロシア 革命 (二月革命 → 十月革命) の流れを 整理
次の章では: 1929 年世界恐慌 から 第二次世界大戦、 戦後の 冷戦 と 脱 植 民地化 までを学びます。
まとめ — 帝国主義と第一次世界大戦を 3 行で
- 帝国主義 は第 2 次産業革命を背景に列強がアフリカ・アジアを分割し、 植民地支配と暴力を引き起こした
- 第一次世界大戦 は史上初の 総力戦 で約 1700 万人が犠牲、 戦後ベルサイユ体制 と 国際連盟 が不完全な平和を試みた
- ロシア革命 で世界初の 社会主義国ソ連 が誕生、 アジアでは 3.1 独立運動 や ガンディー の 非暴力・不服従運動 など民族自決が拡大