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5 世紀、 西 ロ ー マ 帝国 が 滅 び た 後、 ヨ ー ロ ッ パ は 中世 と 呼 ば れ る 時代 に 入 り ま し た。 同 じ こ ろ、 西 ア ジ ア で は 7 世紀 に イスラム教 が 興 り、 急速 に 広 が り ま し た。 こ の 章 で は 中世 ヨ ー ロ ッ パ と イ ス ラ ム 世界 の 並行 し た 発展 と、 両者 の 衝突・交流 を 学 び ま す。
大事: 中世 ヨ ー ロ ッ パ は 「暗黒時代」 と 古 く 呼 ば れ ま し た が、 こ れ は ル ネ サ ン ス 期 の 人々 が 自分 た ち を 際だ た せ る た め の 呼 び 方 で あ り、 現在 の 研究 で は 多様 な 文化・経済活動・知的探究 が 行 わ れ た 時代 と し て 再評価 さ れ て い ま す。 ま た、 こ の 時代 に イ ス ラ ム 世界 が 知 と 経済 の 中心 で あ っ た こ と は 押 さ え る べ き 事実 で す。
紀元 4 世紀、 中央 ア ジ ア の フン族 が 西進 し、 押 し 出 さ れ る 形 で ゲルマン人 諸部族 が ロ ー マ 帝国領内 に 移動 を 始 め ま し た。 こ れ が ゲルマン人大移動 で す。
主 な ゲ ル マ ン 諸部族 と 建 て た 国家:
| 部族 | 場所 | 主 な 国家 |
|---|---|---|
| **[[西ゴート族 | にしゴートぞく]]** | イ ベ リ ア 半島 |
| **[[東ゴート族 | ひがしゴートぞく]]** | イ タ リ ア |
| **[[フランク族 | フランクぞく]]** | ガ リ ア (現 フ ラ ン ス) |
| **[[ヴァンダル族 | ヴァンダルぞく]]** | 北 ア フ リ カ |
| **[[アングロ・サクソン族 | アングロ・サクソンぞく]]** | ブ リ テ ン 島 |
476 年、 ゲ ル マ ン 人傭兵隊長オドアケル が 西 ロ ー マ 帝国 の 最後 の 皇帝 を 廃 し、 西 ロ ー マ は 滅亡 し ま し た。
「ゲ ル マ ン 人大移動」 と い う 出来事自体、 近年 で は 見方 が 大 き く 変 わ っ て き ま し た。
ポイント: 「文明 vs 野蛮」 と い う 対立図式 は 後世 に 作 ら れ た 物語 で あ る こ と が 多 く、 現実 は も っ と 複雑 な 相互作用 で あ っ た こ と を 押 さ え ま し ょ う。
ガ リ ア に 入 っ た フランク族 は 481 年、 クローヴィス が 統一 し、 メロヴィング朝 フランク王国 を 建 て ま し た。 ク ロ ー ヴ ィ ス は 496 年 に カトリック に 改宗 し、 ロ ー マ 教会 と 結 び つ き ま し た。 こ の 改宗 が 後 の フ ラ ン ク 王国 と 教会 の 強 い 結 び つ き の 源 と な り ま す。
メ ロ ヴ ィ ン グ 朝 が 衰 え、 8 世紀 に 宮宰 (王 の 補佐役) で あ っ た カール・マルテル が 732 年、 トゥール・ポワティエ間の戦い で 進出 し て き た イ ス ラ ム 軍 を 撃退 し ま し た。 そ の 子 ピピン (小ピピン) が 751 年 に 王 と な り、 カロリング朝 が 始 ま り ま し た。
ピ ピ ン の 子 カール大帝 (シャルルマーニュ、 位 768 〜 814) は、 西 ヨ ー ロ ッ パ の 大部分 を 統一 し ま し た。
| 業績 | 内容 |
|---|---|
| 領土拡大 | フ ラ ン ク・ガ リ ア・イ タ リ ア 北中部・ザ ク セ ン |
| **[[カール戴冠 | カールたいかん]]** |
| カロリング・ルネサンス | 古典 の 写本復興、 学校設立 |
| 行政改革 | [[巡察使 |
カール戴冠 は 「西 ヨ ー ロ ッ パ 世界」 の 誕生 を 示 す 出来事 と 評価 さ れ ま す。 こ こ で ゲ ル マ ン (フ ラ ン ク) + ロ ー マ (古典) + キ リ ス ト 教 (教会) の 3 要素 が 結 び つ き ま し た。
カ ー ル 大帝 の 死後、 ヴェルダン条約 (843 年) と メルセン条約 (870 年) で 帝国 は 3 分 さ れ、 後 の フ ラ ン ス・ド イ ツ・イ タ リ ア の 原型 と な り ま し た。
中世 ヨ ー ロ ッ パ で は、 王 や 諸侯 が 土地 (封土) と 引 き 換 え に 軍事奉仕 を 受 け る 関係 が 広 く 結 ば れ ま し た。 こ れ を 封建制 (フューダリズム) と 呼 び ま す。
| 階層 | 役割 |
|---|---|
| **[[国王 | こくおう]]** |
| **[[諸侯 | しょこう]]** ([[公・伯・侯爵 |
| **[[騎士 | きし]]** (ナイト) |
| **[[聖職者 | せいしょくしゃ]]** |
| **[[農民 | のうみん]]** ([[農奴 |
大事: 封建制 の 主従関係 は 「双務契約」 で、 主君 が 義務 を 果 た さ な け れ ば 家臣 は 服従 を 拒否 で き ま し た (「抵抗権」 の 源流 と さ れ る こ と も)。 ま た、 1 人 の 家臣 が 複数 の 主君 に 仕 え る (多重契約) こ と も あ り、 日本 の 封建制 (一所懸命 の 単一主従関係) と は 性格 が 異 な り ま し た。
中世 ヨ ー ロ ッ パ の 農村 は 荘園 (マナー) と 呼 ば れ る 単位 で 運営 さ れ、 領主 の 直営地 と 農民 の 保有地 が 分 か れ て い ま し た。 11 世紀 ご ろ か ら、 耕地 を 春耕地・秋耕地・休耕地 に 分 け る 三圃制 (さんぽせい) が 広 が り、 農業生産 が 大幅 に 増 え ま し た。
ロ ー マ 教皇 を 頂点 と す る ローマ・カトリック教会 は、 中世 ヨ ー ロ ッ パ で 政治・経済・文化 の あ ら ゆ る 面 を 支配 し ま し た。
ポイント: カノッサの屈辱 で 神聖 ロ ー マ 皇帝ハインリヒ4世 が 雪 の 中 で 教皇グレゴリウス7世 に 赦し を 乞う た 出来事 は、 教皇権 が 皇帝権 を 上回 っ た 象徴 と さ れ ま す。 1122 年 の ヴォルムス協約 で 一応 の 決着 を 見 ま し た が、 後 ま で 対立 は 続 き ま し た。
西ローマ帝国 が 476 年 に 滅 ん だ 後 も、 東ローマ帝国 (ビザンツ帝国) は 1453 年 ま で 約 1000 年 続 き ま し た。 首都 は コンスタンティノープル (現 イ ス タ ン ブ ー ル)。
| 時期 | 主 な 出来事 |
|---|---|
| 6 世紀 | **[[ユスティニアヌス大帝 |
| 7 〜 9 世紀 | イ ス ラ ム の 拡大 で 領土縮小、 **[[聖像禁止令 |
| 1054 年 | 東西教会 の 分裂 — ローマ・カトリック と [[東方正教会 |
| 1453 年 | **[[オスマン帝国 |
ビ ザ ン ツ 帝国 の 国教 と な っ た 東方正教会 (ギリシャ正教) は、 ロ シ ア・ブ ル ガ リ ア・セ ル ビ ア 等 ス ラ ヴ 諸民族 に 広 ま り ま し た。 9 世紀 の キュリロス・メトディオス 兄弟 が ス ラ ヴ 語 で 福音 を 説 き、 キリル文字 の 元 を 作 っ た こ と は 重要 で す。
大事: ヨ ー ロ ッ パ 史 を 「西欧中心」 で 見 る と、 ビ ザ ン ツ 帝国 や ス ラ ヴ・ロ シ ア 圏 が 軽視 さ れ が ち で す。 し か し こ の 一帯 は 古代 ロ ー マ の 直接的後継者 で、 中世 を 通 じ 高度 な 文化 と 経済 を 維持 し ま し た。 現代 の ロ シ ア・ウ ク ラ イ ナ・バ ル カ ン 諸国 の 文化 を 理解 す る に は 欠 か せ な い 視点 で す。
7 世紀初頭、 ア ラ ビ ア 半島西部 の 商業都市メッカ の 商人 ムハンマド (570 ご ろ 〜 632) が、 アッラー か ら の 啓示 を 受 け た と 説 き、 イスラム教 を 開 き ま し た。
イ ス ラ ム 教 の 中心教義:
622 年、 メッカ で の 迫害 を 逃れ、 ム ハ ン マ ド と 信徒 は メディナ に 移住 し ま し た。 こ れ を ヒジュラ (聖遷) と 呼 び、 イ ス ラ ム 暦元年 と し て い ま す。 こ こ で 信仰共同体 ウンマ が 成立 し、 政治 と 宗教 が 一体化 し た 国家 の 原型 と な り ま し た。
ム ハ ン マ ド は 632 年 に 死去 し ま し た が、 そ の 教 え は 正統 カ リ フ 時代 (632 〜 661) に 急速 に 広 が り、 シ リ ア・エ ジ プ ト・サーサーン朝ペルシア を 征服 し ま し た。
| 王朝 | 期間 | 都 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| **[[ウマイヤ朝 | ウマイヤあさ]]** | 661 〜 750 | ダ マ ス ク ス |
| **[[アッバース朝 | アッバースあさ]]** | 750 〜 1258 | バ グ ダ ー ド |
アッバース朝 の バ グ ダ ー ド は 9 〜 10 世紀 に 世界最大級 の 都市 で あ り、 「知恵の館」 (ちえのやかた) (バイト・アル・ヒクマ) で ギ リ シ ャ・ペ ル シ ャ・イ ン ド の 学問 が ア ラ ビ ア 語 に 翻訳 さ れ ま し た。 こ れ が 後 に ヨ ー ロ ッ パ の ルネサンス に つ な が り ま す。
| 分野 | 業績 |
|---|---|
| 数学 | フワーリズミー が [[代数学 |
| 医学 | イブン・スィーナー (アヴィセンナ) の 「[[医学典範 |
| 哲学 | イブン・ルシュド (アヴェロエス) が ア リ ス ト テ レ ス を 注釈 |
| 地理 | イブン・バットゥータ が 世界 を 旅 し 「大旅行記」 |
| 歴史 | イブン・ハルドゥーン が 「[[歴史序説 |
ポイント: 現代 の 数字アラビア数字 (1, 2, 3 ...) は 元々 イ ン ド で 発明 さ れ、 イ ス ラ ム 世界 を 経由 し て ヨ ー ロ ッ パ に 伝 わ っ た も の で す。 「ア ラ ビ ア 数字」 と 呼 ば れ る の は ヨ ー ロ ッ パ か ら 見 た 呼 び 方 で、 イ ン ド・イ ス ラ ム 双方 の 貢献 を 知 る こ と が 大切 で す。
1071 年、 セルジューク朝トルコ が ビ ザ ン ツ 帝国 を 破 り、 エルサレム を 含 む 聖地 を 支配 し ま し た。 ビ ザ ン ツ 皇帝 が 西方 に 援助 を 求 め、 1095 年、 教皇 ウルバヌス2世 が クレルモン宗教会議 で 十字軍 を 提唱 し ま し た。
| 回 | 年 | 主 な 結果 |
|---|---|---|
| 第 1 回 | 1096 〜 1099 | エ ル サ レ ム 占領、 [[エルサレム王国 |
| 第 2 回 | 1147 〜 1149 | 失敗 |
| 第 3 回 | 1189 〜 1192 | サラディン に エ ル サ レ ム を 奪還 さ れ た 後、 リ チ ャ ー ド 1 世・フ ィ リ ッ プ 2 世等 が 戦 う も 奪還 で き ず |
| 第 4 回 | 1202 〜 1204 | ヴ ェ ネ ツ ィ ア に そ そ の か さ れ 同 じ キ リ ス ト 教国コンスタンティノープル を 略奪 |
| 〜 第 7 回 | 13 世紀末 ま で | い ず れ も 失敗 |
十字軍 は ヨ ー ロ ッ パ 史・西 ア ジ ア 史 の 大事件 で す が、 誰 か ら 見 る か で 評価 が 大 き く 異 な り ま す。
| 立場 | 評価 |
|---|---|
| 西 ヨ ー ロ ッ パ 側 | 「[[聖地 |
| イ ス ラ ム 側 | 「フ ラ ン ク 人 (ヨ ー ロ ッ パ 人) の 侵略・略奪」、 サ ラ デ ィ ン は 救国 の 英雄 |
| ビ ザ ン ツ 側 | 「援軍 を 頼 ん だ ら 自分 た ち の 都 を 略奪 さ れ た」 (第 4 回) |
| ユ ダ ヤ 教徒側 | 「途上 で ラ イ ン ラ ン ト の ユ ダ ヤ 人共同体 が 多数虐殺 さ れ た 災難」 |
大事: 教科書 で 「十字軍 は 失敗 し た が、 東西文化交流 を 促 し た」 と 良 い 面 ば か り 強調 さ れ る こ と が あ り ま す。 し か し 数万人規模 の 虐殺・略奪・人身売買 が 各地 で 起 き、 そ の 記憶 は 今 で も 一部 の 地域 で 反西洋感情 の 源泉 と な っ て い ま す。 多角的視点 を 持 ち ま し ょ う。
12 世紀、 ヨ ー ロ ッ パ で 古典古代 の 復興 と 呼 ば れ る 知的活動 が 起 こ り ま し た。 こ れ を 12世紀ルネサンス と 呼 び ま す。 そ の 中心 は トレド (スペイン)、 シチリア島、 イ タ リ ア 諸都市 で、 こ こ で イ ス ラ ム 世界 か ら ア ラ ビ ア 語 に 訳 さ れ て い た ギ リ シ ャ 古典 が ラ テ ン 語 に 再翻訳 さ れ ま し た。
| 翻訳 さ れ た 主 な 著作 | 元 の 著者 |
|---|---|
| 「ア ル マ ゲ ス ト」 | プトレマイオス |
| ア リ ス ト テ レ ス 全集 | アリストテレス |
| 「医学典範」 | イブン・スィーナー |
| ユ ー ク リ ッ ド 「原論」 | エウクレイデス |
12 〜 13 世紀、 ヨ ー ロ ッ パ 各地 に 大学 が 生 ま れ ま し た。
| 大学 | 国 | 特徴 |
|---|---|---|
| **[[ボローニャ大学 | ボローニャだいがく]]** | イ タ リ ア |
| **[[パリ大学 | パリだいがく]]** | フ ラ ン ス |
| **[[オックスフォード大学 | おっくすふぉーどだいがく]]** | イ ギ リ ス |
| **[[サレルノ大学 | サレルノだいがく]]** | イ タ リ ア |
こ こ で 学 ば れ た スコラ学 は、 ア リ ス ト テ レ ス 哲学 と キ リ ス ト 教神学 の 統合 を 目指 し、 トマス・アクィナス が 「神学大全」 で 集大成 し ま し た。
11 世紀以降、 商業 が 復活 し、 北イタリア の ヴェネツィア・ジェノヴァ・フィレンツェ、 北 ド イ ツ の ハンザ同盟 諸都市 が 力 を つ け ま し た。 「都市 の 空気 は 自由 に す る」 と 言 わ れ、 都市 に 1 年 と 1 日住 め ば 農奴 か ら 自由民 に な れ る 慣習 も 生 ま れ ま し た。
ポイント: こ の 経済・文化 の 蓄積 が、 14 世紀以降 の ルネサンス を 準備 し ま し た。 「ル ネ サ ン ス は ヨ ー ロ ッ パ 独自 の 偉業」 と さ れ が ち で す が、 実際 に は イ ス ラ ム・ビ ザ ン ツ・ユ ダ ヤ・東西交易 の 蓄積 の 上 に 成 り 立 っ た こ と を 押 さ え ま し ょ う。
十字軍 は 多視点 で 歴史 を 見 る 訓練 に 最適 な テ ー マ で す。 教科書 だ け で な く、 イ ス ラ ム 側 の 史料 (イブン・アル・アスィール の 年代記等) や ユ ダ ヤ 側 の 記録 に も 目 を 向 け、 「同 じ 出来事 が ど う 異 な っ て 描 か れ る か」 を 考 え て み ま し ょ う。
次章 で は 中世東 ア ジ ア を 学 び ま す。 隋・唐・宋・元・明・清 と 続 く 中国王朝、 ユ ー ラ シ ア を 統合 し た モンゴル帝国、 朝鮮半島・日本・ベ ト ナ ム と の 交流 ま で、 東 ア ジ ア な ら で は の 冊封体制 や 科挙 等 の 仕組 み を 通 し て、 ヨ ー ロ ッ パ・イ ス ラ ム と は 異 な る 「も う 1 つ の 中世」 を 見 て い き ま す。