メインコンテンツへスキップ
‹ 教材一覧に戻る
世界史探究

中世ちゅうせいヨーロッパとイスラム世界せかい

最終確認日:

この章しょうで学まなぶこと

5 世紀せいき、 西にしローマ帝国ろーまていこくが滅ほろびた後のち、 ヨーロッパは 中世ちゅうせい と呼よばれる時代じだいに入はいりました。 同おなじころ、 西にしアジアでは 7 世紀せいきに イスラム教いすらむきょう が興おこり、 急速きゅうそくに広ひろがりました。 この章しょうでは 中世ちゅうせいヨーロッパとイスラム世界せかいの並行へいこうした発展はってんと、 両者りょうしゃの衝突しょうとつ・交流こうりゅう を学まなびます。

  • ゲルマン人げるまんじん 大だい移動いどうと フランク王国ふらんくおうこく
  • 封建制ほうけんせい と ローマ教会ローマきょうかい の関係かんけい
  • ビザンツ帝国びざんつていこく と東方とうほう正教せいきょう
  • イスラム教いすらむきょう の成立せいりつと ウマイヤ朝うまいやちょう・アッバース朝あっばーすちょう
  • 十字軍じゅうじぐん — 4 つの立場たちばから見みる
  • ルネサンスるねさんす 前夜ぜんやの文化ぶんか交流こうりゅう

大事だいじ: 中世ちゅうせいヨーロッパは 「暗黒あんこく時代じだい」 と古ふるく呼よばれましたが、 これはルネサンス期きの人々ひとびとが自分じぶんたちを際きわだたせるための呼よび方かたであり、 現在げんざいの研究けんきゅうでは 多様たような文化ぶんか・経済けいざい活動かつどう・知的ちてき探究たんきゅうが行おこなわれた時代じだい として再さい評価ひょうかされています。 また、 この時代じだいに イスラム世界せかいが知ちと経済けいざいの中心ちゅうしん であったことは押おさえるべき事実じじつです。

1. ゲルマン人じん大だい移動いどう

アヤソフィアの大聖堂
アヤソフィア (イスタンブール、 537 年ねん創建そうけん) — 東ひがしローマ帝国ろーまていこくユスティニアヌス帝ユスティニアヌスみかどが建立こんりゅうしたキリスト教きょう大だい聖堂せいどう。 1453 年ねんオスマン帝国ていこく征服せいふく後ごはモスクに。

大だい移動いどうの始はじまり

紀元きげん 4 世紀せいき、 中央ちゅうおうアジアの フン族フンぞく が西進せいしんし、 押おし出だされる形かたちで ゲルマン人げるまんじん 諸しょ部族ぶぞくがローマ帝国ろーまていこく領内りょうないに移動いどうを始はじめました。 これが ゲルマン人大移動げるまんじんだいいどう です。

主おもなゲルマン諸しょ部族ぶぞくと建たてた国家こっか:

部族ぶぞく場所ばしょ主おもな国家こっか
西ゴート族にしゴートぞくイベリア半島はんとう西にしゴート王国おうこく
東ゴート族ひがしゴートぞくイタリア東ひがしゴート王国おうこく
フランク族フランクぞくガリア (現げんフランス)フランク王国ふらんくおうこく
ヴァンダル族ヴァンダルぞく北きたアフリカヴァンダル王国おうこく
アングロ・サクソン族アングロ・サクソンぞくブリテン島とう七なな王国おうこく (ヘプターキー)

476 年ねん、 ゲルマン人じん傭兵ようへい隊長たいちょうオドアケルおどあけるが西にしローマ帝国ろーまていこくの最後さいごの皇帝こうていを廃はいし、 西にしローマは滅亡めつぼうしました。

大だい移動いどうの諸説しょせつ

「ゲルマン人じん大だい移動いどう」 という出来事できごと自体じたい、 近年きんねんでは 見方みかたが大おおきく変かわってきました。

  • 古ふるい見方みかた — 「野蛮やばんなゲルマン人じんが文明ぶんめい国こくローマを破壊はかいした」
  • 新あたらしい見方みかた — 「ゲルマン人じんは既すでにローマと長ながい接触せっしょくがあり、 多おおくはローマ軍ぐんで雇やとわれていた。 「破壊はかい」 ではなく、 ローマの制度せいどを引ひき継つぎつつ新あたらしい王国おうこくを作つくった」 という見方みかたが強つよまっている

ポイント: 「文明ぶんめい vs 野蛮やばん」 という対立たいりつ図式ずしきは 後世こうせいに作つくられた物語ものがたり であることが多おおく、 現実げんじつはもっと複雑ふくざつな 相互そうご作用さよう であったことを押おさえましょう。

2. フランク王国おうこくとカロリング朝あさ

メロヴィング朝あさ

ガリアに入はいったフランク族フランクぞくは 481 年ねん、 クローヴィスくろーゔぃす が統一とういつし、 メロヴィング朝メロヴィングちょう フランク王国ふらんくおうこくを建たてました。 クローヴィスは 496 年ねんに カトリック に改宗かいしゅうし、 ローマ教会きょうかいと結むすびつきました。 この改宗かいしゅうが後ごのフランク王国おうこくと教会きょうかいの強つよい結むすびつきの源みなもととなります。

カロリング朝あさの成立せいりつ

メロヴィング朝あさが衰おとろえ、 8 世紀せいきに宮きゅう宰 (王おうの補佐ほさ役やく) であった カール・マルテル が 732 年ねん、 トゥール・ポワティエ間の戦いトゥール・ポワティエかんのたたかい で進出しんしゅつしてきたイスラム軍ぐんを撃げき退たいしました。 その子こ ピピン (小ピピンしょうピピン) が 751 年ねんに王おうとなり、 カロリング朝カロリングちょう が始はじまりました。

カール大帝たいてい

ピピンの子こ カール大帝かーるだいてい (シャルルマーニュ、 位くらい 768 〜 814) は、 西にしヨーロッパの大だい部分ぶぶんを統一とういつしました。

業ぎょう績せき内容ないよう
領土りょうど拡大かくだいフランク・ガリア・イタリア北きた中部ちゅうぶ・ザクセン
カール戴冠カールたいかん800 年ねん、 教皇きょうこうレオ3世れおさんせいより 「ローマ皇帝こうてい」 戴冠たいかん
カロリング・ルネサンス古典こてんの写本しゃほん復興ふっこう、 学校がっこう設立せつりつ
行政ぎょうせい改革かいかく巡察使じゅんさつし派遣はけん、 通貨つうか・度量衡どりょうこう統一とういつ

カール戴冠カールたいかんは 「西にしヨーロッパ世界せかい」 の誕生たんじょう を示しめす出来事できごとと評価ひょうかされます。 ここで ゲルマン (フランク) + ローマ (古典こてん) + キリスト教きょう (教会きょうかい) の 3 要素ようそが結むすびつきました。

帝国ていこくの分裂ぶんれつ

カール大帝たいていの死後しご、 ヴェルダン条約ヴェルダンじょうやく (843 年ねん) と メルセン条約メルセンじょうやく (870 年ねん) で帝国ていこくは 3 分ぶんされ、 後ごの フランス・ドイツ・イタリア の原型げんけいとなりました。

3. 封建ほうけん制せいと中世ちゅうせい社会しゃかい

封建ほうけん制せいのしくみ

中世ちゅうせいヨーロッパでは、 王おうや諸侯しょこうが 土地とち (封土ほうど) と引ひき換かえに軍事ぐんじ奉仕ほうしを受うける 関係かんけいが広ひろく結むすばれました。 これを 封建制ほうけんせい (フューダリズム) と呼よびます。

階層かいそう役割やくわり
国王こくおう名目めいもく上じょうの最高さいこう主しゅ君くん
諸侯しょこう (公・伯・侯爵こう・はく・こうしゃく)国王こくおうの家臣かしん、 大だい領主りょうしゅ
騎士きし (ナイト)諸侯しょこうの家臣かしん、 軍事ぐんじ専門せんもん
聖職者せいしょくしゃ教会きょうかい・修道院しゅうどういんを担になう
農民のうみん (農奴のうど)領主りょうしゅの土地とちを耕たがやす、 移動いどうの自由じゆうなし

大事だいじ: 封建ほうけん制せいの主従しゅうじゅう関係かんけいは 「双務そうむ契約けいやく」 で、 主君しゅくんが義務ぎむを果はたさなければ家臣かしんは服従ふくじゅうを拒否きょひできました (「抵抗権ていこうけん」 の源流げんりゅうとされることも)。 また、 1 人ひとの家臣かしんが複数ふくすうの主君しゅくんに仕つかえる (多重契約たじゅうけいやく) こともあり、 日本にほんの封建ほうけん制せい (一所懸命いっしょけんめいの単一たんいつ主従しゅうじゅう関係かんけい) とは性格せいかくが異ことなりました。

荘園しょうえんと三さん圃制せい

中世ちゅうせいヨーロッパの農村のうそんは 荘園しょうえん (マナー) と呼よばれる単位たんいで運営うんえいされ、 領主りょうしゅの直営ちょくえい地ちと農民のうみんの保有ほゆう地ちが分わかれていました。 11 世紀せいきごろから、 耕地こうちを春耕しゅんこう地ち・秋あき耕地こうち・休耕きゅうこう地ちに分わける 三圃制さんぽせい (さんぽせい) が広ひろがり、 農業のうぎょう生産せいさんが大幅おおはばに増ふえました。

教会きょうかいの役割やくわり

ローマ教皇きょうこうを頂点ちょうてんとする ローマ・カトリック教会ローマ・カトリックきょうかい は、 中世ちゅうせいヨーロッパで政治せいじ・経済けいざい・文化ぶんかのあらゆる面めんを支配しはいしました。

  • 十分の一税じゅうぶんのいちぜい — 農民のうみんから収入しゅうにゅうの 1 / 10 を徴収ちょうしゅう
  • 修道院しゅうどういん — ベネディクトゥス修道しゅうどう会かいが 「祈いのれ、 働はたらけ」 の戒かい律りつで文化ぶんか・学問がくもんを守まもる
  • 教皇きょうこうと皇帝こうていの対立たいりつ — 聖職叙任権闘争せいしょくじょにんけんとうそう (11 〜 12 世紀せいき)、 カノッサの屈辱かのっさのくつじょく (1077 年ねん)

ポイント: カノッサの屈辱かのっさのくつじょくで神聖しんせいローマ皇帝こうていハインリヒ4世ハインリヒ4せいが雪ゆきの中なかで教皇きょうこうグレゴリウス7世グレゴリウス7せいに赦ゆるしを乞こうた出来事できごとは、 教皇きょうこう権けんが皇帝こうてい権けんを上回うわまわった象徴しょうちょうとされます。 1122 年ねんの ヴォルムス協約ヴォルムスきょうやく で一応いちおうの決けっ着ちゃくを見みましたが、 後ごまで対立たいりつは続つづきました。

4. ビザンツ帝国ていこく

東ひがしローマの継承けいしょう

西ローマ帝国にしろーまていこくが 476 年ねんに滅ほろんだ後のちも、 東ローマ帝国ひがしろーまていこく (ビザンツ帝国びざんつていこく) は 1453 年ねんまで約やく 1000 年ねん 続つづきました。 首都しゅとは コンスタンティノープルこんすたんてぃのーぷる (現げんイスタンブール)。

時期じき主おもな出来事できごと
6 世紀せいきユスティニアヌス大帝ユスティニアヌスたいてい が地中海ちちゅうかい再さい統一とういつを試こころみ、 ローマ法大全ローマほうたいぜん を編纂へんさん、 ハギア・ソフィア 聖堂せいどう建設けんせつ
7 〜 9 世紀せいきイスラムの拡大かくだいで領土りょうど縮小しゅくしょう、 聖像禁止令せいぞうきんしれい (イコノクラスム) で西方せいほう教会きょうかいと対立たいりつ
1054 年ねん東西とうざい教会きょうかいの分裂ぶんれつ — ローマ・カトリックと東方正教会とうほうせいきょうかい
1453 年ねんオスマン帝国おすまんていこく に滅ほろぼされる

東方とうほう正教会せいきょうかい

ビザンツ帝国ていこくの国教こっきょうとなった 東方正教会とうほうせいきょうかい (ギリシャ正教ギリシャせいきょう) は、 ロシア・ブルガリア・セルビア等とうスラヴ諸しょ民族みんぞくに広ひろまりました。 9 世紀せいきの キュリロス・メトディオス 兄弟きょうだいがスラヴ語ごで福音ふくいんを説とき、 キリル文字キリルもじ の元もとを作つくったことは重要じゅうようです。

大事だいじ: ヨーロッパ史しを 「西欧せいおう中心ちゅうしん」 で見みると、 ビザンツ帝国ていこくやスラヴ・ロシア圏けんが軽視けいしされがちです。 しかしこの一帯いったいは 古代こだいローマの直接的ちょくせつてき後継者こうけいしゃ で、 中世ちゅうせいを通つうじ高度こうどな文化ぶんかと経済けいざいを維持いじしました。 現代げんだいのロシア・ウクライナ・バルカン諸国しょこくの文化ぶんかを理解りかいするには欠かかせない視点してんです。

5. イスラム教いすらむきょうの成立せいりつと拡大かくだい

ムハンマドと啓示けいじ

7 世紀せいき初頭しょとう、 アラビア半島はんとう西部せいぶの商業しょうぎょう都市としメッカめっかの商人しょうにん ムハンマドむはんまど (570 ごろ 〜 632) が、 アッラーあっらー からの啓けい示じを受うけたと説とき、 イスラム教いすらむきょう を開ひらきました。

イスラム教いすらむきょうの中心ちゅうしん教義きょうぎ:

  • 一神教いっしんきょう — 神かみは唯一ゆいいつアッラーあっらーのみ (キリスト教きりすときょう・ユダヤ教きょうと同おなじ神かみ)
  • 六信ろくしん — 神かみ・天使てんし・啓けい典てん・預言よげん者しゃ・来世らいせ・天命てんめいの 6 つを信しんじる
  • 五行ごぎょう — 信仰告白しんこうこくはく・礼拝れいはい・喜捨きしゃ・断食だんじき・巡礼じゅんれい
  • クルアーンくるあーん (コーラン) — 神かみの言葉ことばを集あつめた聖典せいてん

ヒジュラと共同きょうどう体たい

622 年ねん、 メッカめっかでの迫害はくがいを逃のがれ、 ムハンマドと信徒しんとは メディナ に移住いじゅうしました。 これを ヒジュラひじゅら (聖遷せいせん) と呼よび、 イスラム暦れき元年がんねん としています。 ここで信仰しんこう共同きょうどう体たい ウンマ が成立せいりつし、 政治せいじと宗教しゅうきょうが一体いったい化かした国家こっかの原型げんけいとなりました。

ムハンマドは 632 年ねんに死去しきょしましたが、 その教おしえは 正統せいとうカリフ時代じだい (632 〜 661) に急速きゅうそくに広ひろがり、 シリア・エジプト・サーサーン朝サーサーンちょうペルシアを征服せいふくしました。

ウマイヤ朝あさとアッバース朝あさ

王朝おうちょう期間きかん都と特とく徴ちょう
ウマイヤ朝うまいやちょう661 〜 750ダマスクスアラブ民族みんぞく中心ちゅうしん、 領土りょうどを西にしはイベリア半島はんとうまで拡大かくだい
アッバース朝あっばーすちょう750 〜 1258バグダード民族みんぞくをこえたイスラム共同体イスラムきょうどうたい、 文化ぶんかが最盛さいせい

アッバース朝あっばーすちょうのバグダードは 9 〜 10 世紀せいきに世界せかい最大さいだい級きゅうの都市とし であり、 「知恵の館ちえのかん」 (ちえのやかた) (バイト・アル・ヒクマ) で ギリシャ・ペルシャ・インドの学問がくもん がアラビア語ごに翻訳ほんやくされました。 これが後ごにヨーロッパのルネサンスるねさんすにつながります。

イスラムの黄金おうごん時代じだい

分野ぶんや業ぎょう績せき
数学すうがくフワーリズミー が代数学だいすうがく (al-jabr) を確立かくりつ、 「アルゴリズム」 の語源ごげん
医学いがくイブン・スィーナーいぶん・すぃーなー (アヴィセンナ) の 「医学典範いがくてんぱん」
哲学てつがくイブン・ルシュド (アヴェロエス) がアリストテレスを注釈ちゅうしゃく
地理ちりイブン・バットゥータ が世界せかいを旅たびし 「大だい旅行りょこう記き」
歴史れきしイブン・ハルドゥーン が 「歴史序説れきしじょせつ」 で文明ぶんめい論ろんを展開てんかい

ポイント: 現代げんだいの数字すうじアラビア数字アラビアすうじ (1, 2, 3 ...) は 元々もともとインドで発明はつめいされ、 イスラム世界せかいを経由けいゆしてヨーロッパに伝つたわった ものです。 「アラビア数字すうじ」 と呼よばれるのはヨーロッパから見みた呼よび方かたで、 インド・イスラム双方そうほうの貢献こうけんを知しることが大切たいせつです。

6. 十字軍じゅうじぐん — 4 つの立場たちばから見みる

背景はいけいと経過けいか

1071 年ねん、 セルジューク朝セルジュークちょうトルコがビザンツ帝国ていこくを破やぶり、 エルサレムを含ふくむ聖地せいちを支配しはいしました。 ビザンツ皇帝こうていが西方せいほうに援助えんじょを求もとめ、 1095 年ねん、 教皇きょうこう ウルバヌス2世ウルバヌス2せい が クレルモン宗教会議クレルモンしゅうきょうかいぎ で 十字軍じゅうじぐん を提唱ていしょうしました。

回かい年ねん主おもな結果けっか
第だい 1 回かい1096 〜 1099エルサレム占領せんりょう、 エルサレム王国エルサレムおうこく建国けんこく
第だい 2 回かい1147 〜 1149失敗しっぱい
第だい 3 回かい1189 〜 1192サラディンにエルサレムを奪還だっかんされた後のち、 リチャード 1 世よ・フィリップ 2 世よ等とうが戦たたかうも奪還だっかんできず
第だい 4 回かい1202 〜 1204ヴェネツィアにそそのかされ 同おなじキリスト教きりすときょう国コンスタンティノープルこんすたんてぃのーぷるを略奪りゃくだつ
〜 第だい 7 回かい13 世紀せいき末まつまでいずれも失敗しっぱい

4 つの立場たちばから見みる

十字軍じゅうじぐんはヨーロッパ史し・西にしアジア史しの大だい事件じけんですが、 誰だれから見みるかで評価ひょうかが大おおきく異ことなります。

立場たちば評価ひょうか
西にしヨーロッパ側がわ「聖地せいち奪還だっかんの義戦ぎせん」 「教皇きょうこう権けんの高たかまり」
イスラム側がわ「フランク人じん (ヨーロッパ人じん) の侵略しんりゃく・略奪りゃくだつ」、 サラディンは救国きゅうこくの英雄えいゆう
ビザンツ側がわ「援軍えんぐんを頼たのんだら自分じぶんたちの都とを略奪りゃくだつされた」 (第だい 4 回かい)
ユダヤ教徒きょうと側がわ「途上とじょうでラインラントのユダヤ人じん共同きょうどう体たいが多数たすう虐殺ぎゃくさつされた災難さいなん」

大事だいじ: 教科書きょうかしょで 「十字軍じゅうじぐんは失敗しっぱいしたが、 東西とうざい文化ぶんか交流こうりゅうを促うながした」 と良よい面めんばかり強調きょうちょうされることがあります。 しかし 数すう万まん人にん規模きぼの虐殺ぎゃくさつ・略奪りゃくだつ・人身じんしん売買ばいばい が各地かくちで起おき、 その記憶きおくは今いまでも一部いちぶの地域ちいきで反はん西洋せいよう感情かんじょうの源泉げんせんとなっています。 多角たかく的てき視点してんを持もちましょう。

7. ルネサンス前夜ぜんや — 文化ぶんかの出会であい

12 世紀せいきルネサンス

12 世紀せいき、 ヨーロッパで 古典こてん古代こだいの復興ふっこう と呼よばれる知的ちてき活動かつどうが起おこりました。 これを 12世紀ルネサンス12せいきルネサンス と呼よびます。 その中心ちゅうしんは トレド (スペイン)、 シチリア島シチリアとう、 イタリア諸しょ都市としで、 ここで イスラム世界せかいからアラビア語ごに訳やくされていたギリシャ古典こてん がラテン語ごに再さい翻訳ほんやくされました。

翻訳ほんやくされた主おもな著作ちょさく元もとの著者ちょしゃ
「アルマゲスト」プトレマイオス
アリストテレス全集ぜんしゅうアリストテレスありすとてれす
「医学いがく典範てんぱん」イブン・スィーナーいぶん・すぃーなー
ユークリッド 「原論げんろん」エウクレイデス

大学だいがくの誕生たんじょう

12 〜 13 世紀せいき、 ヨーロッパ各地かくちに 大学だいがく が生うまれました。

大学だいがく国くに特とく徴ちょう
ボローニャ大学ボローニャだいがくイタリア法学ほうがく
パリ大学パリだいがくフランス神学しんがく
オックスフォード大学おっくすふぉーどだいがくイギリス神学しんがく・哲学てつがく
サレルノ大学サレルノだいがくイタリア医学いがく

ここで学まなばれた スコラ学スコラがく は、 アリストテレス哲学てつがくとキリスト教きょう神学しんがくの統合とうごうを目指めざし、 トマス・アクィナスとます・あくぃなす が 「神学しんがく大全たいぜん」 で集大成しゅうたいせいしました。

商業しょうぎょうの復活ふっかつと都市としの自治じち

11 世紀せいき以降いこう、 商業しょうぎょうが復活ふっかつし、 北イタリアきたいたりあの ヴェネツィア・ジェノヴァ・フィレンツェ、 北きたドイツの ハンザ同盟ハンザどうめい 諸しょ都市としが力ちからをつけました。 「都市としの空気くうきは自由じゆうにする」 と言いわれ、 都市としに 1 年ねんと 1 日ひ住すめば農奴のうどから自由じゆう民みんになれる慣習かんしゅうも生うまれました。

ポイント: この経済けいざい・文化ぶんかの蓄積ちくせきが、 14 世紀せいき以降いこうの ルネサンスるねさんす を準備じゅんびしました。 「ルネサンスはヨーロッパ独自どくじの偉業いぎょう」 とされがちですが、 実際じっさいには イスラム・ビザンツ・ユダヤ・東西とうざい交易こうえきの蓄積ちくせき の上うえに成なり立たったことを押おさえましょう。

8. 安全あんぜん・倫理りんり配慮はいりょとまとめ

宗教しゅうきょう中立ちゅうりつの記述きじゅつ

  • キリスト教きりすときょう・イスラム教いすらむきょう・ユダヤ教ゆだやきょうは同おなじ一神教いっしんきょう系けいの兄弟きょうだい宗教しゅうきょう で、 同おなじ神かみを信しんじ、 共通きょうつうの預言よげん者しゃ (アブラハム・モーセ等とう) を認みとめています
  • 「十字軍じゅうじぐん = 正義せいぎの戦たたかい」 「イスラム教いすらむきょう = 過激かげき」 等とうの ステレオタイプは厳禁げんきん です
  • 各かく宗教しゅうきょうの内部ないぶには 多様たような流派りゅうは があり、 一言ひとことで評価ひょうかできません (シーア派シーアは・スンナ派すんなは・スーフィー、 カトリック・正教せいきょう・コプト教コプトきょう等)
  • 現代げんだいの中東ちゅうとう紛争ふんそう・テロ・移民いみん問題もんだいを学まなぶときは、 歴史れきし的てき経緯けいいと複数ふくすうの当事者とうじしゃの立場たちば を押おさえること

十字軍じゅうじぐん — 多た視点してんで見みる訓練くんれん課題かだい

十字軍じゅうじぐんは 多た視点してんで歴史れきしを見みる訓練くんれん に最適さいてきなテーマです。 教科書きょうかしょだけでなく、 イスラム側がわの史料しりょう (イブン・アル・アスィールの年代ねんだい記き等とう) や ユダヤ側がわの記録きろく にも目めを向むけ、 「同おなじ出来事できごとがどう異ことなって描えがかれるか」 を考えかんがえてみましょう。

解釈かいしゃくが諸説しょせつあることを認みとめる

  • 「中世ちゅうせい = 暗黒あんこく時代じだい」 説せつ — ルネサンス期きの自己じこ主張しゅちょうで、 現在げんざいでは否定ひてい的てき
  • 「封建ほうけん制せい」 の定義ていぎ — 学者がくしゃにより大おおきく異ことなり、 そもそも 「フューダリズムという単一たんいつの制度せいどはなかった」 と主張しゅちょうする研究けんきゅう者しゃもいます
  • 十字軍じゅうじぐんの動機どうき — 信仰しんこう説せつ、 経済けいざい説せつ、 人口じんこう圧説せつ、 教皇きょうこう権けん拡大かくだい説せつ等とう

この章しょうのポイント

  • ゲルマン大だい移動いどう — 「破壊はかい」 ではなく 「移行いこう」 と見みる新あたらしい視点してん
  • フランク王国おうこく — ゲルマン + ローマ + キリスト教きょうの統合とうごう
  • 封建ほうけん制せい — 双務そうむ契約けいやく・荘園しょうえん・三さん圃制せい
  • ビザンツ — 1000 年ねん続つづいた東ひがしローマの後継こうけい、 東方とうほう正教せいきょうとキリル文字もじ
  • イスラム — 7 世紀せいき成立せいりつからアッバース朝あさ黄金おうごん時代じだいへ
  • 十字軍じゅうじぐん — 4 つの立場たちばから多角たかく的てきに
  • ルネサンス前夜ぜんや — イスラム経由けいゆの古典こてん復興ふっこう、 大学だいがくと都市としの自立じりつ

次つぎの章しょう (Ch5) へ

次じ章しょうでは 中世ちゅうせい東ひがしアジア を学まなびます。 隋ずい・唐とう・宋そう・元もと・明めい・清きよしと続つづく中国ちゅうごく王朝おうちょう、 ユーラシアを統合とうごうした モンゴル帝国もんごるていこく、 朝鮮半島ちょうせんはんとう・日本にほん・ベトナムとの交流こうりゅうまで、 東ひがしアジアならではの 冊さつ封ふう体制たいせい や 科挙かきょ 等とうの仕組しくみを通とおして、 ヨーロッパ・イスラムとは異ことなる 「もう 1 つの中世ちゅうせい」 を見みていきます。

まとめ — 中世ちゅうせいヨーロッパとイスラム世界せかいを 3 行くだりで

  • ゲルマン大だい移動いどう後ごフランク王国ふらんくおうこくが成立せいりつ、 封建制ほうけんせいと荘園しょうえんが社会しゃかいを支ささえ、 ローマ教会ローマきょうかいと王権おうけんがカノッサの屈辱かのっさのくつじょくなどで競きそう
  • ビザンツ帝国びざんつていこくが東方とうほう正教せいきょうとキリル文字もじとともに 1000 年ねん続つづき、 7 世紀せいきムハンマドむはんまどのイスラム教いすらむきょうがウマイヤ朝うまいやちょう・アッバース朝あっばーすちょうで黄金おうごん期きを迎むかえる
  • 十字軍じゅうじぐんは信仰しんこう・経済けいざい・人口じんこう・教皇きょうこう権けん等とう諸説しょせつあり多た視点してんで学まなぶべき課題かだい、 イスラム経由けいゆの古典こてん復興ふっこうがルネサンス前夜ぜんやを用意よういする
この教材きょうざいは役やくに立たちましたか?
学がく習しゅうロードマップ(10件けん)
  1. 1世界せかい史しへの扉とびら (時代じだい区分くぶん・史料しりょう・諸しょ地域ちいき)
  2. 2古代こだいオリエント・ギリシャ・ローマ
  3. 3古代こだいインド・中国ちゅうごく・東南とうなんアジア
  4. 4中世ちゅうせいヨーロッパとイスラム世界せかい
  5. 5中世ちゅうせい東ひがしアジア (隋ずい唐とう宋そう元明もとあき清きよし・モンゴル)
  6. 6近世きんせいヨーロッパ (ルネサンス・宗教しゅうきょう改革かいかく・大だい航海こうかい・絶対ぜったい王政おうせい)
  7. 7産業革命さんぎょうかくめいと市民しみん革命かくめい (英えい・米べい・仏ふつとナポレオン)
  8. 8帝国ていこく主義しゅぎと第だい一いち次じ世界せかい大戦たいせん (列強れっきょうの拡大かくだいと大戦たいせん・ロシア革命かくめい)
  9. 9第だい二に次じ世界せかい大戦たいせんと冷戦れいせん (恐慌きょうこうから脱だつ植民しょくみん地ち化かまで)
  10. 10現代げんだい世界せかい (1990 年代ねんだい以降いこうのグローバル化かと地球ちきゅう的てき課題かだい)