この章で学ぶこと
14 世紀から 18 世紀にかけて、 ヨーロッパは 中世的な秩序から近代への大きな転換期 を迎えます。 イタリアで始まったルネサンスは人間中心の文化を広め、 宗教改革はキリスト教世界を大きく揺さぶりました。 同じ頃、 ヨーロッパ人は大航海時代を切り開き、 世界各地との接触が始まります。 さらに 17 〜 18 世紀には 絶対王政 と 科学革命 が発展し、 近代の礎が築かれました。
- ルネサンス — イタリアで花開いた古典復興運動
- 宗教改革 — ルターとカルヴァン、 カトリック改革
- 大航海時代 — コロンブス・マゼランと世界一周
- 絶対王政 — ルイ 14 世と主権国家の形成
- 科学革命 — ガリレイ・ニュートンと近代自然科学
大事: 中世が 「神を中心とする世界観」 だったのに対し、 近世は 「人間と自然をあらためて見つめ直す時代」 です。 単なる 「文化の開花」 ではなく、 政治・経済・思想・宗教の全領域で中世的枠組みが揺らぐ大転換期としてとらえましょう。
1. ルネサンス — 古典復興と人間中心主義
モナ・リザ (1503-19 年、 レオナルド・ダ・ヴィンチ作) — ルネサンス期の代表作。 「万能人」 ダ・ヴィンチの肖像画。 スフマート技法。
ルネサンスとは
ルネサンス (Renaissance、 「再生」 の意味) とは、 14 世紀イタリアの都市から始まり、 16 世紀にかけて西ヨーロッパ全体に広がった 古代ギリシャ・ローマの文化を復興しようとする運動 です。
中世の神学中心の文化に対して、 人間そのものの価値や個性 を重視する 「人文主義」 (ヒューマニズム) が思想的な柱となりました。
なぜイタリアか
- 古代ローマの遺産 が身近に残っていた
- 十字軍や東方貿易で富を蓄えた フィレンツェ・ヴェネツィア などの都市国家が発展
- メディチ家のような大商人が 芸術の保護者 (パトロン) として巨額の資金を投入
- ビザンツ帝国滅亡 (1453 年) 前後に、 ギリシア人学者 が多く西方へ亡命し、 古代ギリシア文献が流入
三大芸術家と万能人
| 人物 | 主な業績 |
|---|
| レオナルド・ダ・ヴィンチ | 「モナ・リザ」 「最後の晩餐」、 解剖学・機械設計等万能人 |
| ミケランジェロ | 「ダビデ像」、 システィナ礼拝堂 「天地創造」 「最後の審判」 |
| ラファエロ | 「アテネの学堂」、 聖母像連作 |
レオナルド・ダ・ヴィンチは絵画・彫刻・建築・科学・解剖学・工学など多分野に通じた 「万能人」 (ウオーモ・ウニヴェルサーレ) の典型として知られます。
文学と思想
- ダンテ 『神曲』 — 中世末期、 トスカナ語 (現代イタリア語の原型) で執筆
- ペトラルカ 『叙情詩集』 — 人文主義の先駆者
- ボッカチオ 『デカメロン』 — ペスト流行を背景にした物語
- エラスムス 『愚神礼賛』 — 教会や神学者を風刺、 北方ルネサンスを代表
- トマス・モア 『ユートピア』 — 理想社会を描く
北方ルネサンスと印刷術
15 世紀半ば、 ドイツの グーテンベルク が 活版印刷術 を改良・実用化し、 書籍が大量に安く作れるようになりました。 この結果、 古典文献や後の宗教改革の文書が急速に普及し、 知識が一部のエリートから広い層に開かれる 大きな転換点となりました。
ポイント: ルネサンスは 「中世から完全に切れた」 わけではなく、 キリスト教信仰の上に古典文化が重ねられた 性格を持ちます。 「神から人間へ」 という単純化は避け、 連続性と革新性の両面 でとらえましょう。
2. 宗教改革 — キリスト教世界の大転換
ルターの 95 か条の論題
1517 年、 ドイツの修道士 マルティン・ルター は、 ヴィッテンベルク大学の教会扉に 95 か条の論題 を掲げ、 教皇レオ 10 世が売り出した 贖宥状 (免罪符) を批判しました。 サン・ピエトロ大聖堂の改築資金集が直接のきっかけです。
ルターの主張の中心は、
- 聖書のみ (聖書中心主義) — 信仰の根拠は聖書だけ
- 信仰義認 — 善行や儀式ではなく、 信仰によってのみ救われる
- 万人司祭主義 — 信徒全員が神の前で平等、 特別な聖職階層は不要
ルターはドイツ語訳聖書を完成させ、 多くの人が自分の言葉で聖書を読めるようにしました。 これはドイツ語の統一にも大きく寄与しました。
カルヴァンと予定説
スイスでは ジャン・カルヴァン が改革を進め、 ジュネーヴを拠点に神政政治を行いました。 中心的な教は 予定説 で、 「誰が救われるかは神が既に決めている」 という厳格な教です。
カルヴァン派は 職業を神の召命とみなし、 勤勉と蓄財を肯定 しました。 この倫理が後の商工業の発展と結びついたと、 社会学者マックス・ヴェーバーは論じています (一の解釈)。
カルヴァン派は各国で異なる名称で広がりました。
| 国 | 呼称 |
|---|
| フランス | ユグノー |
| イギリス | ピューリタン (清教徒) |
| オランダ | ゴイセン |
| スコットランド | プレスビテリアン (長老派) |
英国国教会
イングランドでは ヘンリ 8 世 が自らの離婚問題をきっかけに、 1534 年首長法 (国王至上法) を発布し、 ローマ教皇から独立した 英国国教会 (イギリス国教会) を成立させました。 教義は一部プロテスタント化しましたが、 儀式等はカトリック的要素を残しました。
カトリック改革 (対抗宗教改革)
カトリック側も自己改革を進めました。
- トリエント公会議 (1545 〜 63) — 教義の再確認と規律強化
- イエズス会 — イグナティウス・ロヨラとフランシスコ・ザビエルらが設立、 海外伝道を推進
- 宗教裁判 (異端審問) と 禁書目録 — 統制の強化
大事: 宗教改革は 「カトリックが悪でプロテスタントが正義」 という単純な構図ではありません。 両派ともそれぞれの信仰と論理を持ち、 当時の政治・経済・社会と深く結び付いて いました。 中立的な視点で学びましょう。
宗教戦争
宗教改革は各地で流血を伴う争いを生みました。
- ユグノー戦争 (1562 〜 98、 フランス) — ナントの王令 (1598) でカルヴァン派に信仰の自由を認めて終結
- 三十年戦争 (1618 〜 48、 ドイツ) — ドイツを主戦場とした国際戦争、 ウェストファリア条約で主権国家体制が確立
ウェストファリア条約 (1648) は 「主権国家が互いに対等である」 という近代国際秩序の出発点とされます。
3. 大航海時代 — 世界の一体化へ
背景
15 世紀末、 ヨーロッパ諸国が海を越えて直接アジアやアメリカと結ばうとした動きを 大航海時代 と呼びます。 背景として、
- オスマン帝国の拡大で陸路の 東方貿易 が不安定化
- アジア産香辛料 (胡椒等) や絹への強い需要
- 羅針盤・キャラベル船など航海技術の進歩
- カトリック布教の熱意
ポルトガルとスペイン
| 国 | 主な探検家と業績 |
|---|
| ポルトガル | バルトロメウ・ディアス (喜望峰到達、 1488)、 ヴァスコ・ダ・ガマ (インドカリカット到達、 1498) |
| スペイン | コロンブス (西インド諸島到達、 1492)、 マゼラン一行 (世界一周、 1519 〜 22) |
コロンブスはイサベル女王の援助で出航し、 自ら 「インド」 と信じて西インド諸島 (カリブ海) に到達しましたが、 それが旧大陸とは別の 「アメリカ」 と認められたのはアメリゴ・ヴェスプッチの報告後です。
トルデシリャス条約と植民地化
1494 年、 教皇の仲介で トルデシリャス条約 が結ばれ、 ポルトガルとスペインが 「世界を二分」 しました。 ブラジルはポルトガル領、 それ以外の中南米はスペイン領となりました。
スペイン人コンキスタドール (征服者) は アステカ王国 (コルテスが滅ぼす、 1521) と インカ帝国 (ピサロが滅ぼす、 1533) を軍事・疫病で短期間に滅亡させました。
コロンブス交換と三角貿易
ヨーロッパ・アフリカ・アメリカ 3 大陸の間で、 動植物・病原体・人々が大きく交換されました。 これを コロンブス交換 といいます。
| 旧大陸 → 新大陸 | 新大陸 → 旧大陸 |
|---|
| 馬・牛・小麦・サトウキビ・天然痘 | ジャガイモ・トウモロコシ・トマト・カカオ・タバコ |
南北アメリカでは天然痘等旧大陸由来の病気が大流行し、 先住民人口が短期に数分の一になったと推計されています。
労働力不足を補うため、 ヨーロッパ商人はアフリカ西岸から 黒人奴隷 をカリブ・南北アメリカのプランテーションに送り、 砂糖・コーヒー・タバコ・綿花をヨーロッパに運びました。 この 大西洋三角貿易 で約 1200 〜 2000 万人のアフリカ人が強制的に連れ去られたと推定されています (人口動態史の大きな悲劇として記憶されています)。
大事: 「大航海時代」 はヨーロッパから見れば 「発見」 ですが、 アメリカ・アフリカ・アジアの人々から見れば 侵略・征服・奴隷化 の始まりでした。 どちらの視点から出来事を見るかで像が大きく変わることを忘れずに学びましょう。
価格革命と商業革命
南北アメリカから大量の銀がヨーロッパに流入し、 物価が数倍に高騰しました (価格革命)。 また、 取引の中心が 地中海 から 大西洋 に移り (商業革命)、 アントワープ・アムステルダム・ロンドンなど大西洋岸都市が繁栄しました。
4. 絶対王政と主権国家
絶対王政の特徴
16 〜 18 世紀のヨーロッパでは、 国王が強い中央集権を行う 絶対王政 が各国で成立しました。
ヴェルサイユ宮殿 — フランスの絶対王政を築いた ルイ 14 世 (太陽王) が建てた宮殿。 豪華な建築と庭園は王の権力を示した。
- 王権神授説 — 王の権力は神から直接与えられたとする思想
- 官僚制 と 常備軍 — 巨大化する国家機構を支える
- 重商主義 — 国家が貿易を統制し金銀蓄積を目指す
- 特許会社 — 東インド会社 (英・蘭) などの設立
各国の絶対君主
| 国 | 代表的君主 | 主な業績 |
|---|
| フランス | ルイ 14 世 (在位 1643 〜 1715) | 「太陽王」、 ヴェルサイユ宮殿建設、 ナントの王令廃止 |
| スペイン | フェリペ 2 世 | 太陽の沈まぬ帝国、 オランダ独立戦争で衰退 |
| プロイセン | フリードリヒ 2 世 | 啓蒙専制君主、 シレジア獲得 |
| オーストリア | マリア・テレジア・ヨーゼフ 2 世 | 啓蒙改革 |
| ロシア | ピョートル 1 世・エカチェリーナ 2 世 | 西欧化、 サンクトペテルブルク建設 |
ルイ 14 世は 「朕は国家なり」 (L'État, c'est moi) という言葉で知られ、 巨大なヴェルサイユ宮殿を建設し、 重商主義政策を進めましたが、 度重なる戦争とナントの王令廃止 (1685) によるユグノー (商工業の担い手) の国外流出が、 後の財政危機の遠因となりました。
イギリスの例外 — 議会制の道
イギリスでは ピューリタン革命 (1640 〜 60、 クロムウェルが国王を処刑) と 名誉革命 (1688 〜 89、 ジェームズ 2 世追放、 権利章典制定) を経て、 国王の権力を議会が制限する 立憲君主制 が成立しました。 これは大陸諸国の絶対王政と大きく異なる道です。
名誉革命後の権利章典 (1689) は、 国王が議会の同意なく法律を停止したり、 課税したりできないことを明文化しました。
ポイント: 同じ 17 世紀でも、 大陸 (絶対王政) とイギリス (議会主権) では進む方向が大きく異なりました。 この違いが 18 世紀末の市民革命の形をも規定します。
5. 17 〜 18 世紀の国際戦争とオランダ・イギリスの台頭
オランダの黄金時代
ネーデルラント (現在のオランダ・ベルギー) はスペイン領でしたが、 ウィレム 1 世の指導で独立戦争 (1568 〜 1609) を戦い、 1648 年ウェストファリア条約で正式に独立が認められました。 17 世紀のオランダは 世界商業の中心、 アムステルダムが国際金融センターとなり、 オランダ東インド会社がジャワ・台湾等を拠点として香辛料貿易を独占しました。
英仏の植民地抗争
18 世紀にはイギリスとフランスが北米・インドで覇権を争い、 七年戦争 (1756 〜 63) とその北米戦線 「フレンチ・インディアン戦争」 でイギリスが勝利、 北米 (カナダ) とインドの主導権を握りました。 この結果、 イギリスは 「太陽の沈まぬ帝国」 への道を歩み始めます。
6. 17 〜 18 世紀の文化 — 科学革命・啓蒙思想・バロック
科学革命
17 世紀は 科学革命 の世紀とも呼ばれ、 中世アリストテレス的自然観が大きく覆されました。
| 分野 | 学者 | 業績 |
|---|
| 天文 | コペルニクス | 地動説 (16 世紀中葉) |
| 天文 | ガリレオ・ガリレイ | 望遠鏡観測、 地動説支持で宗教裁判 |
| 天文 | ケプラー | 惑星運動の三法則 |
| 物理 | アイザック・ニュートン | 万有引力の法則、 『プリンキピア』 |
| 哲学 | フランシス・ベーコン | 帰納法、 経験論の父 |
| 哲学 | デカルト | 「我思う、 ゆえに我あり」、 演繹法、 合理主義 |
啓蒙思想
18 世紀フランスを中心に 啓蒙思想 が広がり、 理性と進歩を信じ、 古い権威や偏見を批判しました。
- ロック — 『市民政府二論』、 社会契約説・抵抗権
- モンテスキュー — 『法の精神』、 三権分立
- ヴォルテール — 思想の自由・寛容
- ルソー — 『社会契約論』、 人民主権
- ディドロ・ダランベール — 『百科全書』
これらの思想は後の アメリカ独立 や フランス革命 の理論的支柱となりました。
バロック・ロココ
絶対王政の時代を飾る芸術様式が発達しました。
- バロック — 力強さ・劇的表現。 ベラスケス・レンブラント・ベルニーニ
- ロココ — 優雅・繊細。 ヴァトー・フラゴナール
まとめ・安全配慮と学習のヒント
この章の要点
- ルネサンスは古典復興を通じた 人間中心主義 の運動
- 宗教改革はキリスト教をプロテスタントとカトリックに分け、 主権国家形成を促した
- 大航海時代で世界は一体化したが、 同時に 植民地化と奴隷貿易 が始まった
- 絶対王政と重商主義が大陸諸国で進み、 科学革命・啓蒙思想が近代の礎を築いた
中立的に学ぶための視点
宗教改革の学習では、 「カトリック」 「プロテスタント」 どちらかを一方的に称賛・批判しない ことが大切です。 どちらの教派も真摯な信仰と改革努力を持ち、 多くの学校・病院・社会福祉事業を生み出しました。 また、 同じプロテスタントでもルター派・カルヴァン派・英国国教会など多様であり、 「プロテスタント = ひとつの集団」 ではありません。
大航海時代を学ぶ時には、 ヨーロッパの視点だけでなく、 征服された側や奴隷化された人々の視点 にも立ち、 グローバル化の光と影の両面を考えましょう。
学習のヒント
- 「中世 ↔ 近世 ↔ 近代」 の連続と断絶を意識してとらえる
- 政治・経済・宗教・思想・芸術の横のつながりを整理する
- 地図で大西洋三角貿易・植民地の拡大を確認する
次の章では: 18 世紀後半から 19 世紀にかけて、 産業革命と市民革命が世界を大きく変える様子を学びます。
まとめ — 近世ヨーロッパを 3 行で
- ルネサンスが古典復興を通じた人間中心主義を広げ、 宗教改革がキリスト教をプロテスタントとカトリックに分け主権国家形成を促した
- 大航海時代で世界が一体化したが同時に植民地化と奴隷貿易という負の側面も始まった
- 絶対王政と重商主義が大陸で進み、 科学革命と啓蒙思想が後のアメリカ独立・フランス革命の理論的基盤を用意した