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世界史探究

近世きんせいヨーロッパ (ルネサンス・宗教しゅうきょう改革かいかく・大だい航海こうかい・絶対ぜったい王政おうせい)

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この章しょうで学まなぶこと

14 世せい紀きから 18 世せい紀きにかけて、 ヨーロッパは 中ちゅう世せい的な秩ちつ序じょから近きん代だいへの大おおきな転てん換かん期 を迎むかえます。 イタリアで始はじまったルネサンスるねさんすは人にん間げん中心ちゅうしんの文ぶん化かを広ひろめ、 宗教改革しゅうきょうかいかくはキリスト教きりすときょう世せ界かいを大おおきく揺ゆさぶりました。 同おなじ頃ころ、 ヨーロッパ人じんは大航海時代だいこうかいじだいを切きり開ひらき、 世せ界かい各かく地ちとの接せっ触しょくが始はじまります。 さらに 17 〜 18 世せい紀きには 絶対王政ぜったいおうせい と 科学革命かがくかくめい が発はっ展てんし、 近きん代だいの礎いしずえが築きずかれました。

  • ルネサンスるねさんす — イタリアで花開ひらいた古こ典てん復ふっ興こう運うん動どう
  • 宗教改革しゅうきょうかいかく — ルターるたーとカルヴァンかるゔぁん、 カトリック改かい革かく
  • 大航海時代だいこうかいじだい — コロンブスころんぶす・マゼランと世せ界かい一いっ周しゅう
  • 絶対王政ぜったいおうせい — ルイ 14 世ルイじゅうよんせいと主しゅ権けん国こっ家かの形けい成せい
  • 科学革命かがくかくめい — ガリレイ・ニュートンと近きん代だい自し然ぜん科か学がく

大事だいじ: 中ちゅう世せいが 「神かみを中心ちゅうしんとする世せ界かい観かん」 だったのに対たいし、 近きん世せいは 「人にん間げんと自し然ぜんをあらためて見みつめ直なおす時じ代だい」 です。 単たんなる 「文化ぶんかの開かい花か」 ではなく、 政治せいじ・経けい済ざい・思し想そう・宗しゅう教きょうの全ぜん領りょう域いきで中ちゅう世せい的枠組わくみが揺ゆらぐ大だい転てん換かん期きとしてとらえましょう。

1. ルネサンス — 古典こてん復興ふっこうと人間にんげん中心ちゅうしん主義しゅぎ

モナ・リザの肖像画
モナ・リザ (1503-19 年ねん、 レオナルド・ダ・ヴィンチれおなるど・だ・ゔぃんち作) — ルネサンスるねさんす期の代表だいひょう作さく。 「万能人ばんのうじん」 ダ・ヴィンチの肖像しょうぞう画が。 スフマート技法ぎほう。

ルネサンスとは

ルネサンスるねさんす (Renaissance、 「再さい生せい」 の意い味み) とは、 14 世せい紀きイタリアの都と市しから始はじまり、 16 世せい紀きにかけて西にしヨーロッパ全ぜん体たいに広ひろがった 古こ代だいギリシャ・ローマの文ぶん化かを復ふっ興こうしようとする運うん動どう です。

中ちゅう世せいの神しん学がく中心ちゅうしんの文ぶん化かに対たいして、 人にん間げんそのものの価か値ちや個こ性せい を重じゅう視しする 「人文主義じんぶんしゅぎ」 (ヒューマニズムひゅーまにずむ) が思し想そう的てきな柱はしらとなりました。

なぜイタリアか

  • 古こ代だいローマの遺い産さん が身近みぢかに残のこっていた
  • 十字軍じゅうじぐんや東方貿易とうほうぼうえきで富とみを蓄たくわえた フィレンツェ・ヴェネツィア などの都と市し国こっ家かが発はっ展てん
  • メディチ家メディチかのような大だい商しょう人にんが 芸げい術じゅつの保ほ護ご者 (パトロン) として巨きょ額がくの資し金きんを投とう入にゅう
  • ビザンツ帝てい国こく滅めつ亡ぼう (1453 年ねん) 前後ぜんごに、 ギリシア人じん学がく者しゃ が多おおく西方ぽうへ亡ぼう命めいし、 古こ代だいギリシア文ぶん献けんが流りゅう入にゅう

三さん大だい芸術げいじゅつ家かと万能ばんのう人じん

人じん物ぶつ主おもな業ぎょう績せき
レオナルド・ダ・ヴィンチれおなるど・だ・ゔぃんち「モナ・リザ」 「最後さいごの晩ばん餐さん」、 解かい剖ぼう学・機き械かい設せっ計けい等万能のう人じん
ミケランジェロ「ダビデ像ぞう」、 システィナ礼れい拝はい堂どう 「天てん地ち創そう造ぞう」 「最さい後ごの審しん判ぱん」
ラファエロ「アテネの学がく堂どう」、 聖せい母ぼ像連作さく

レオナルド・ダ・ヴィンチれおなるど・だ・ゔぃんちは絵かい画が・彫ちょう刻こく・建けん築ちく・科か学がく・解かい剖ぼう学・工こう学がくなど多た分ぶん野やに通つうじた 「万能人ばんのうじん」 (ウオーモ・ウニヴェルサーレ) の典てん型けいとして知しられます。

文学ぶんがくと思想しそう

  • ダンテ 『神かみ曲きょく』 — 中ちゅう世せい末まっ期き、 トスカナ語ご (現代げんだいイタリア語ごの原げん型けい) で執しっ筆ぴつ
  • ペトラルカ 『叙じょ情じょう詩し集しゅう』 — 人文主義じんぶんしゅぎの先せん駆く者
  • ボッカチオ 『デカメロン』 — ペスト流りゅう行こうを背はい景けいにした物語ものがたり
  • エラスムス 『愚ぐ神しん礼らい賛さん』 — 教きょう会かいや神しん学がく者しゃを風ふう刺し、 北ほっ方ぽうルネサンスを代だい表ひょう
  • トマス・モア 『ユートピア』 — 理り想そう社しゃ会かいを描えがく

北方ほっぽうルネサンスと印刷いんさつ術じゅつ

15 世せい紀き半なかば、 ドイツの グーテンベルク が 活版印刷術かっぱんいんさつじゅつ を改かい良りょう・実じつ用よう化かし、 書しょ籍せきが大たい量りょうに安やすく作つくれるようになりました。 この結けっ果か、 古こ典てん文ぶん献けんや後ごの宗しゅう教きょう改かい革かくの文ぶん書しょが急きゅう速そくに普ふ及きゅうし、 知ち識しきが一いち部ぶのエリートから広ひろい層そうに開ひらかれる 大おおきな転てん換かん点となりました。

ポイント: ルネサンスは 「中ちゅう世せいから完かん全ぜんに切きれた」 わけではなく、 キリスト教きりすときょう信しん仰こうの上うえに古こ典てん文ぶん化かが重かさねられた 性せい格かくを持もちます。 「神かみから人にん間げんへ」 という単たん純じゅん化かは避さけ、 連れん続ぞく性せいと革かく新しん性せいの両りょう面めん でとらえましょう。

2. 宗教しゅうきょう改革かいかく — キリスト教きょう世界せかいの大だい転換てんかん

ルターの 95 か条じょうの論題ろんだい

1517 年ねん、 ドイツの修しゅう道どう士し マルティン・ルターまるてぃん・るたー は、 ヴィッテンベルク大だい学がくの教きょう会かい扉とびらに 95 か条の論題95 かじょうのろんだい を掲かかげ、 教きょう皇こうレオ 10 世よが売うり出だした 贖宥状しょくゆうじょう (免罪符めんざいふ) を批ひ判はんしました。 サン・ピエトロ大たい聖せい堂どうの改かい築ちく資し金きん集めが直ちょく接せつのきっかけです。

ルターるたーの主しゅ張ちょうの中心ちゅうしんは、

  • 聖書のみせいしょのみ (聖書中心主義せいしょちゅうしんしゅぎ) — 信しん仰こうの根こん拠きょは聖せい書しょだけ
  • 信仰義認しんこうぎにん — 善ぜん行こうや儀ぎ式しきではなく、 信しん仰こうによってのみ救すくわれる
  • 万人司祭主義まんにんしさいしゅぎ — 信しん徒と全ぜん員いんが神かみの前まえで平等びょう、 特とく別べつな聖せい職しょく階かい層そうは不ふ要よう

ルターはドイツ語かたり訳やく聖せい書しょを完かん成せいさせ、 多おおくの人ひとが自じ分ぶんの言こと葉ばで聖せい書しょを読よめるようにしました。 これはドイツ語ごの統とう一いつにも大おおきく寄き与よしました。

カルヴァンと予定よてい説せつ

スイスでは ジャン・カルヴァン が改かい革かくを進すすめ、 ジュネーヴを拠きょ点てんに神しん政せい政治せいじを行おこないました。 中心ちゅうしん的てきな教えは 予定説よていせつ で、 「誰だれが救すくわれるかは神かみが既すでに決きめている」 という厳げん格かくな教えです。

カルヴァン派はは 職しょく業ぎょうを神かみの召めし命とみなし、 勤きん勉べんと蓄ちく財ざいを肯こう定てい しました。 この倫りん理りが後ごの商しょう工こう業ぎょうの発はっ展てんと結むすびついたと、 社しゃ会かい学がく者しゃマックス・ヴェーバーは論ろんじています (一つの解かい釈しゃく)。

カルヴァン派はは各かっ国こくで異ことなる名めい称しょうで広ひろがりました。

国くに呼こ称しょう
フランスユグノー
イギリスピューリタン (清せい教きょう徒と)
オランダゴイセン
スコットランドプレスビテリアン (長ちょう老ろう派は)

英国えいこく国教こっきょう会かい

イングランドでは ヘンリ 8 世ヘンリはっせい が自みずからの離り婚こん問もん題だいをきっかけに、 1534 年ねん首長法しゅちょうほう (国こく王おう至し上じょう法ほう) を発ほっ布し、 ローマ教きょう皇こうから独どく立りつした 英国国教会えいこくこっきょうかい (イギリス国教会イギリスこっきょうかい) を成せい立りつさせました。 教きょう義ぎは一いち部ぶプロテスタント化かしましたが、 儀ぎ式しき等とうはカトリック的てき要よう素そを残のこしました。

カトリック改革かいかく (対抗たいこう宗教しゅうきょう改革かいかく)

カトリック側がわも自己じこ改かい革かくを進すすめました。

  • トリエント公会議トリエントこうかいぎ (1545 〜 63) — 教きょう義ぎの再さい確かく認にんと規き律りつ強きょう化か
  • イエズス会いえずすかい — イグナティウス・ロヨラいぐなてぃうす・ろよらとフランシスコ・ザビエルふらんしすこ・ざびえるらが設せつ立りつ、 海かい外がい伝でん道どうを推すい進しん
  • 宗教裁判しゅうきょうさいばん (異端審問いたんしんもん) と 禁書目録きんしょもくろく — 統とう制せいの強きょう化か

大事だいじ: 宗しゅう教きょう改かい革かくは 「カトリックが悪あくでプロテスタントが正義せいぎ」 という単たん純じゅんな構こう図ずではありません。 両りょう派はともそれぞれの信しん仰こうと論ろん理りを持もち、 当とう時じの政治せいじ・経けい済ざい・社しゃ会かいと深ふかく結むすび付ついて いました。 中ちゅう立りつ的な視し点てんで学まなびましょう。

宗教しゅうきょう戦争せんそう

宗しゅう教きょう改かく革は各かく地ちで流りゅう血けつを伴ともなう争あらそいを生うみました。

  • ユグノー戦争ユグノーせんそう (1562 〜 98、 フランス) — ナントの王令なんとのおうれい (1598) でカルヴァン派はに信しん仰こうの自じ由ゆうを認みとめて終しゅう結けつ
  • 三十年戦争さんじゅうねんせんそう (1618 〜 48、 ドイツ) — ドイツを主しゅ戦せん場じょうとした国こく際さい戦せん争そう、 ウェストファリア条約うぇすとふぁりあじょうやくで主しゅ権けん国こっ家いえ体たい制せいが確かく立りつ

ウェストファリア条約うぇすとふぁりあじょうやく (1648) は 「主しゅ権けん国こっ家かが互たがいに対たい等とうである」 という近きん代だい国こく際さい秩ちつ序じょの出しゅっ発ぱつ点とされます。

3. 大だい航海こうかい時代じだい — 世界せかいの一体化いったいかへ

背景はいけい

15 世せい紀き末のまつ、 ヨーロッパ諸しょ国こくが海うみを越こえて直ちょく接せつアジアやアメリカと結むすばうとした動うごきを 大航海時代だいこうかいじだい と呼よびます。 背はい景けいとして、

  • オスマン帝てい国こくの拡かく大だいで陸りく路ろの 東方貿易とうほうぼうえき が不ふ安あん定じょう化か
  • アジア産さん香辛料こうしんりょう (胡こ椒しょう等) や絹きぬへの強つよい需じゅ要よう
  • 羅針盤らしんばん・キャラベル船キャラベルせんなど航こう海かい技ぎ術じゅつの進しん歩ぽ
  • カトリック布ふ教きょうの熱ねつ意い

ポルトガルとスペイン

国くに主おもな探たん検けん家かと業ぎょう績せき
ポルトガルバルトロメウ・ディアス (喜き望ぼう峰到とう達たつ、 1488)、 ヴァスコ・ダ・ガマ (インドカリカット到とう達たつ、 1498)
スペインコロンブスころんぶす (西せいインド諸しょ島とう到とう達たつ、 1492)、 マゼラン一いっ行こう (世せ界かい一いっ周しゅう、 1519 〜 22)

コロンブスころんぶすはイサベル女じょ王おうの援えん助じょで出しゅっ航こうし、 自みずから 「インド」 と信しんじて西にしインド諸しょ島とう (カリブ海かい) に到とう達たっしましたが、 それが旧きゅう大たい陸りくとは別べつの 「アメリカ」 と認みとめられたのはアメリゴ・ヴェスプッチの報ほう告つげ後ごです。

トルデシリャス条約じょうやくと植民しょくみん地ち化か

1494 年ねん、 教きょう皇こうの仲ちゅう介かいで トルデシリャス条約とるでしりゃすじょうやく が結むすばれ、 ポルトガルとスペインが 「世せ界かいを二分にぶん」 しました。 ブラジルはポルトガル領りょう、 それ以い外がいの中ちゅう南なん米べいはスペイン領りょうとなりました。

スペイン人じんコンキスタドール (征せい服ふく者しゃ) は アステカ王国あすてかおうこく (コルテスが滅めっぼす、 1521) と インカ帝国いんかていこく (ピサロが滅めっぼす、 1533) を軍ぐん事じ・疫えき病で短たん期き間かんに滅めっ亡させました。

コロンブス交換こうかんと三角さんかく貿易ぼうえき

ヨーロッパ・アフリカ・アメリカ 3 大たい陸りくの間まで、 動どう植しょく物ぶつ・病びょう原げん体・人じん々が大おおきく交こう換かんされました。 これを コロンブス交換ころんぶすこうかん といいます。

旧きゅう大たい陸りく → 新しん大たい陸りく新しん大たい陸りく → 旧きゅう大たい陸りく
馬うま・牛うし・小しょう麦・サトウキビ・天てん然ねん痘とうジャガイモ・トウモロコシ・トマト・カカオ・タバコ

南なん北ぼくアメリカでは天てん然ねん痘とう等とう旧きゅう大たい陸りく由ゆ来らいの病びょう気きが大だい流りゅう行こうし、 先せん住じゅう民みん人じん口こうが短たん期きに数すう分ふんの一いちになったと推すい計けいされています。

労ろう働どう力ちから不ふ足そくを補おぎなうため、 ヨーロッパ商しょう人にんはアフリカ西せい岸がんから 黒人奴隷こくじんどれい をカリブ・南なん北ぼくアメリカのプランテーションに送おくり、 砂さ糖とう・コーヒー・タバコ・綿めん花かをヨーロッパに運はこびました。 この 大西洋三角貿易たいせいようさんかくぼうえき で約やく 1200 〜 2000 万まん人にんのアフリカ人じんが強きょう制せい的てきに連つれ去さられたと推すい定ていされています (人じん口くち動どう態たい史しの大おおきな悲ひ劇げきとして記き憶おくされています)。

大事だいじ: 「大だい航こう海かい時じ代だい」 はヨーロッパから見みれば 「発はっ見けん」 ですが、 アメリカ・アフリカ・アジアの人じん々から見みれば 侵しん略りゃく・征せい服ふく・奴ど隷れい化 の始はじまりでした。 どちらの視し点てんから出で来き事を見みるかで像ぞうが大おおきく変かわることを忘わすれずに学まなびましょう。

価格かかく革命かくめいと商業しょうぎょう革命かくめい

南なん北ぼくアメリカから大たい量りょうの銀ぎんがヨーロッパに流りゅう入にゅうし、 物ぶっ価かが数すう倍ばいに高とう騰とうしました (価格革命かかくかくめい)。 また、 取と引りひきの中心ちゅうしんが 地中海ちちゅうかい から 大西洋たいせいよう に移うつり (商業革命しょうぎょうかくめい)、 アントワープ・アムステルダム・ロンドンなど大西洋たいせいよう岸がん都と市しが繁はん栄えいしました。

4. 絶対ぜったい王政おうせいと主権しゅけん国家こっか

絶対ぜったい王政おうせいの特徴とくちょう

16 〜 18 世せい紀きのヨーロッパでは、 国こく王おうが強つよい中ちゅう央おう集しゅう権けんを行おこなう 絶対王政ぜったいおうせい が各かく国で成せい立りつしました。

フランスのヴェルサイユ宮殿の壮麗な外観
ヴェルサイユ宮殿ヴェルサイユきゅうでん — フランスの絶対ぜったい王政おうせいを築きずいた ルイ 14 世ルイじゅうよんせい (太陽王たいようおう) が建たてた宮殿きゅうでん。 豪華ごうかな建築けんちくと庭園ていえんは王おうの権力けんりょくを示しめした。
  • 王権神授説おうけんしんじゅせつ — 王おうの権けん力りょくは神かみから直ちょく接せつ与あたえられたとする思し想そう
  • 官僚制かんりょうせい と 常備軍じょうびぐん — 巨きょ大たい化かする国こっ家いえ機き構こうを支ささえる
  • 重商主義じゅうしょうしゅぎ — 国こっ家かが貿ぼう易えきを統とう制せいし金きん銀ぎん蓄ちく積せきを目もく指さす
  • 特許会社とっきょかいしゃ — 東インド会社ひがしいんどがいしゃ (英えい・蘭らん) などの設せつ立りつ

各国かっこくの絶対ぜったい君主くんしゅ

国くに代だい表ひょう的てき君くん主しゅ主おもな業ぎょう績せき
フランスルイ 14 世ルイじゅうよんせい (在位ざいい 1643 〜 1715)「太たい陽よう王」、 ヴェルサイユ宮きゅう殿しんがり建けん設せつ、 ナントの王令なんとのおうれい廃はい止し
スペインフェリペ 2 世フェリペにせい太たい陽ようの沈しずまぬ帝てい国こく、 オランダ独どく立たつ戦せん争そうで衰すい退たい
プロイセンフリードリヒ 2 世フリードリヒにせい啓けい蒙もう専せん制せい君くん主しゅ、 シレジア獲かく得とく
オーストリアマリア・テレジア・ヨーゼフ 2 世ヨーゼフにせい啓けい蒙もう改かい革かく
ロシアピョートル 1 世ピョートルいっせい・エカチェリーナ 2 世エカチェリーナにせい西せい欧おう化か、 サンクトペテルブルク建けん設せつ

ルイ 14 世ルイじゅうよんせいは 「朕ちんは国こっ家かなり」 (L'État, c'est moi) という言こと葉ばで知しられ、 巨きょ大だいなヴェルサイユ宮きゅう殿でんを建けん設せつし、 重じゅう商しょう主しゅ義ぎ政せい策さくを進すすめましたが、 度たび重かさなる戦せん争そうとナントの王令なんとのおうれい廃はい止し (1685) によるユグノー (商しょう工こう業ぎょうの担にない手しゅ) の国こく外そと流りゅう出しゅつが、 後ごの財ざい政せい危き機の遠えん因いんとなりました。

イギリスの例外れいがい — 議会ぎかい制せいの道みち

イギリスでは ピューリタン革命ピューリタンかくめい (1640 〜 60、 クロムウェルが国こく王おうを処しょ刑けい) と 名誉革命めいよかくめい (1688 〜 89、 ジェームズ 2 世ジェームズ 2 せい追つい放ほう、 権利章典けんりしょうてん制せい定てい) を経へて、 国こく王おうの権けん力りょくを議ぎ会かいが制せい限げんする 立憲君主制りっけんくんしゅせい が成せい立りつしました。 これは大たい陸りく諸しょ国こくの絶ぜっ対たい王おう政せいと大おおきく異ことなる道みちです。

名誉革命めいよかくめい後の権利章典けんりしょうてん (1689) は、 国こく王おうが議ぎ会かいの同どう意いなく法ほう律りつを停てい止よしたり、 課か税ぜいしたりできないことを明めい文化ぶんかしました。

ポイント: 同おなじ 17 世せい紀きでも、 大たい陸りく (絶ぜっ対たい王おう政せい) とイギリス (議ぎ会かい主しゅ権けん) では進すすむ方ほう向こうが大おおきく異ことなりました。 この違ちがいが 18 世せい紀き末のまつの市し民みん革かく命めいの形かたちをも規き定ていします。

5. 17 〜 18 世紀せいきの国際こくさい戦争せんそうとオランダ・イギリスの台頭たいとう

オランダの黄金おうごん時代じだい

ネーデルラント (現在げんざいのオランダ・ベルギー) はスペイン領りょうでしたが、 ウィレム 1 世ウィレムいっせいの指し導どうで独どく立たつ戦せん争そう (1568 〜 1609) を戦たたかい、 1648 年ウェストファリア条約うぇすとふぁりあじょうやくで正せい式しきに独どく立りつが認みとめられました。 17 世せい紀きのオランダは 世せ界かい商しょう業ぎょうの中心ちゅうしん、 アムステルダムが国こく際さい金きん融ゆうセンターとなり、 オランダ東インド会社オランダひがしインドかいしゃがジャワ・台たい湾わん等とうを拠きょ点てんとして香こう辛しん料貿ぼう易えきを独どく占せんしました。

英えい仏ふつの植民しょくみん地ち抗争こうそう

18 世せい紀きにはイギリスとフランスが北ほく米べい・インドで覇は権けんを争あらそい、 七年戦争ななねんせんそう (1756 〜 63) とその北ほく米べい戦せん線 「フレンチ・インディアン戦争フレンチ・インディアンせんそう」 でイギリスが勝しょう利り、 北ほく米べい (カナダ) とインドの主しゅ導どう権けんを握にぎりました。 この結けっ果か、 イギリスは 「太たい陽ようの沈しずまぬ帝てい国こく」 への道みちを歩あゆみ始はじめます。

6. 17 〜 18 世紀せいきの文化ぶんか — 科学かがく革命かくめい・啓蒙けいもう思想しそう・バロック

科学かがく革命かくめい

17 世せい紀きは 科学革命かがくかくめい の世せ紀いきとも呼よばれ、 中ちゅう世せいアリストテレス的自し然ぜん観が大おおきく覆くつがえされました。

分ぶん野や学がく者しゃ業ぎょう績せき
天てん文もんコペルニクスこぺるにくす地動説ちどうせつ (16 世紀せいき中ちゅう葉よう)
天てん文もんガリレオ・ガリレイ望ぼう遠えん鏡かがみ観かん測そく、 地ち動どう説せつ支し持じで宗しゅう教きょう裁さい判ばん
天てん文もんケプラーけぷらー惑わく星ほし運うん動どうの三さん法ほう則そく
物ぶつ理りアイザック・ニュートン万有引力ばんゆういんりょくの法ほう則そく、 『プリンキピア』
哲てつ学がくフランシス・ベーコン帰き納のう法、 経けい験けん論ろんの父ちち
哲てつ学がくデカルトでかると「我われ思おもう、 ゆえに我わがあり」、 演えん繹えき法ほう、 合ごう理り主しゅ義ぎ

啓蒙けいもう思想しそう

18 世せい紀きフランスを中心ちゅうしんに 啓蒙思想けいもうしそう が広ひろがり、 理り性せいと進しん歩ぽを信しんじ、 古ふるい権けん威いや偏へん見けんを批ひ判はんしました。

  • ロックろっく — 『市し民みん政せい府ふ二に論ろん』、 社会契約説しゃかいけいやくせつ・抵抗権ていこうけん
  • モンテスキューもんてすきゅー — 『法ほうの精せい神しん』、 三権分立さんけんぶんりつ
  • ヴォルテール — 思し想そうの自じ由ゆう・寛かん容よう
  • ルソーるそー — 『社しゃ会かい契けい約やく論ろん』、 人じん民みん主しゅ権けん
  • ディドロ・ダランベール — 『百ひゃっ科か全ぜん書しょ』

これらの思し想そうは後ごの アメリカ独立アメリカどくりつ や フランス革命ふらんすかくめい の理り論ろん的てき支し柱ちゅうとなりました。

バロック・ロココ

絶ぜっ対たい王おう政せいの時じ代だいを飾かざる芸げい術じゅつ様よう式しきが発はっ達たっしました。

  • バロック — 力りき強さ・劇げき的まと表ひょう現げん。 ベラスケス・レンブラント・ベルニーニ
  • ロココ — 優ゆう雅が・繊せん細さい。 ヴァトー・フラゴナール

まとめ・安全あんぜん配慮はいりょと学習がくしゅうのヒント

この章しょうの要よう点てん

  • ルネサンスるねさんすは古こ典てん復ふっ興こうを通つうじた 人にん間げん中心ちゅうしん主しゅ義ぎ の運うん動どう
  • 宗教改革しゅうきょうかいかくはキリスト教きりすときょうをプロテスタントとカトリックに分わけ、 主しゅ権けん国こっ家か形けい成せいを促うながした
  • 大航海時代だいこうかいじだいで世せ界かいは一いっ体からだ化かしたが、 同時どうじに 植しょく民みん地ち化かと奴ど隷れい貿ぼう易えき が始はじまった
  • 絶対王政ぜったいおうせいと重じゅう商しょう主しゅ義ぎが大たい陸りく諸しょ国こくで進すすみ、 科学革命かがくかくめい・啓蒙思想けいもうしそうが近きん代だいの礎いしずえを築きずいた

中立ちゅうりつ的てきに学まなぶための視点してん

宗しゅう教きょう改かく革の学がく習しゅうでは、 「カトリック」 「プロテスタント」 どちらかを一いち方ぽう的に称しょう賛さん・批ひ判はんしない ことが大切たいせつです。 どちらの教きょう派はも真しん摯しな信しん仰こうと改かい革かく努ど力りょくを持もち、 多おおくの学がく校・病びょう院いん・社しゃ会かい福ふく祉し事じ業ぎょうを生うみ出だしました。 また、 同おなじプロテスタントでもルターるたー派・カルヴァンかるゔぁん派・英国国教会えいこくこっきょうかいなど多様たようであり、 「プロテスタント = ひとつの集しゅう団だん」 ではありません。

大だい航こう海かい時じ代だいを学まなぶ時ときには、 ヨーロッパの視し点てんだけでなく、 征せい服ふくされた側がわや奴ど隷れい化された人じん々の視し点てん にも立たち、 グローバル化かの光ひかりと影かげの両りょう面めんを考えかんがえましょう。

学習がくしゅうのヒント

  • 「中ちゅう世せい ↔ 近きん世せい ↔ 近きん代だい」 の連れん続ぞくと断だん絶ぜつを意い識しきしてとらえる
  • 政治せいじ・経けい済ざい・宗しゅう教きょう・思し想そう・芸げい術じゅつの横よこのつながりを整せい理りする
  • 地ち図ずで大たい西せい洋よう三さん角かく貿ぼう易えき・植しょく民みん地ちの拡かく大だいを確かく認にんする

次じの章しょうでは: 18 世せい紀き後こう半はんから 19 世せい紀きにかけて、 産業革命さんぎょうかくめいと市民革命しみんかくめいが世せ界かいを大おおきく変かえる様よう子すを学まなびます。

まとめ — 近世きんせいヨーロッパを 3 行くだりで

  • ルネサンスるねさんすが古典こてん復興ふっこうを通つうじた人間にんげん中心ちゅうしん主義しゅぎを広ひろげ、 宗教改革しゅうきょうかいかくがキリスト教きりすときょうをプロテスタントとカトリックに分わけ主権しゅけん国家こっか形成けいせいを促うながした
  • 大航海時代だいこうかいじだいで世界せかいが一体いったい化かしたが同時どうじに植民しょくみん地ち化かと奴隷どれい貿易ぼうえきという負ふの側面そくめんも始はじまった
  • 絶対王政ぜったいおうせいと重じゅう商しょう主義しゅぎが大陸たいりくで進すすみ、 科学革命かがくかくめいと啓蒙思想けいもうしそうが後ごのアメリカ独立アメリカどくりつ・フランス革命ふらんすかくめいの理論りろん的てき基盤きばんを用意よういした
この教材きょうざいは役やくに立たちましたか?
学がく習しゅうロードマップ(10件けん)
  1. 1世界せかい史しへの扉とびら (時代じだい区分くぶん・史料しりょう・諸しょ地域ちいき)
  2. 2古代こだいオリエント・ギリシャ・ローマ
  3. 3古代こだいインド・中国ちゅうごく・東南とうなんアジア
  4. 4中世ちゅうせいヨーロッパとイスラム世界せかい
  5. 5中世ちゅうせい東ひがしアジア (隋ずい唐とう宋そう元明もとあき清きよし・モンゴル)
  6. 6近世きんせいヨーロッパ (ルネサンス・宗教しゅうきょう改革かいかく・大だい航海こうかい・絶対ぜったい王政おうせい)
  7. 7産業革命さんぎょうかくめいと市民しみん革命かくめい (英えい・米べい・仏ふつとナポレオン)
  8. 8帝国ていこく主義しゅぎと第だい一いち次じ世界せかい大戦たいせん (列強れっきょうの拡大かくだいと大戦たいせん・ロシア革命かくめい)
  9. 9第だい二に次じ世界せかい大戦たいせんと冷戦れいせん (恐慌きょうこうから脱だつ植民しょくみん地ち化かまで)
  10. 10現代げんだい世界せかい (1990 年代ねんだい以降いこうのグローバル化かと地球ちきゅう的てき課題かだい)