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世界史探究

古代こだいインド・中国ちゅうごく・東南とうなんアジア

最終確認日:

この章しょうで学まなぶこと

オリエント・地中海ちちゅうかいと並行へいこうして、 アジアの大陸たいりくでも高度こうどな文明ぶんめいが育そだちました。 この章しょうでは 南みなみアジア・東ひがしアジア・東南とうなんアジア の古代こだいを学まなびます。

  • インダス文明いんだすぶんめい とその後ごの ヴェーダゔぇーだ時代じだい
  • 仏教ぶっきょう・ヒンドゥー教ひんどぅーきょう の成立せいりつと カーストかーすと 制度せいど
  • 中国ちゅうごく の古代こだい王朝おうちょう (殷いん・周しゅう・春秋戦国しゅんじゅうせんごく・秦しん・漢かん)
  • シルクロードしるくろーど とユーラシアの交易こうえきネットワーク
  • 東南アジアとうなんあじあ の諸しょ国家こっか (扶南みなみ・チャンパー・港みなと市し国家こっか)

大事だいじ: この章しょうで扱あつかう地域ちいきは 現在げんざいでも世界せかい人口じんこうの半分はんぶん以上いじょうが暮くらす 文明ぶんめい圏けんです。 しかし 19 世紀せいき以降いこう、 「アジアは停てい滞たいしていた」 という西洋中心史観せいようちゅうしんしかんに押おし込こめられてきました。 実際じっさいには 18 世紀せいきまで世界せかい経済けいざいの中心ちゅうしんはアジア であり、 多様たような思想しそう・技術ぎじゅつ・芸術げいじゅつが生うまれたことを押おさえましょう。

1. インダス文明ぶんめい

都市とし計画けいかくの文明ぶんめい

紀元前きげんぜん 2600 〜 前まえ 1900 年ねんごろ、 インダス川いんだすがわ流域りゅういき (現在げんざいのパキスタン・北西ほくせいインド) に インダス文明いんだすぶんめい が栄さかえました。 代表だいひょう的てき都市としは モヘンジョ・ダロもへんじょ・だろ と ハラッパー です。

特とく徴ちょう内容ないよう
整然せいぜんとした都市とし計画けいかく道路どうろが直角ちょっかくに交差こうさ、 上下水道じょうげすいどう完備かんび
インダス文字いんだすもじ約やく 400 種たねの記号きごう、 未み解読かいどく
印いん章しょうステアタイト製せい、 牛うしや神かみ々の図ず
大だい浴場よくじょうモヘンジョ・ダロの中心ちゅうしん施設しせつ

インダス文明ぶんめいは 王宮おうきゅうや神殿しんでんが確認かくにんされず、 強大きょうだいな王権おうけんの痕こん跡せきが薄うすい点てんが特徴とくちょうです。 また、 武器ぶきも少すくなく、 比較的ひかくてき平和へいわな社会しゃかい であったと推測すいそくされます。

衰退すいたいの謎なぞ

紀元前きげんぜん 1900 年ねんごろから、 インダス文明ぶんめいは衰退すいたいしました。 原因げんいんには 諸説しょせつ あります。

  • 気候きこう変動へんどう — 雨量うりょうの減少げんしょう、 川かわの流りゅう路ろ変化へんか
  • 環境かんきょう破壊はかい — 過か度どな灌漑がいによる塩害えんがい
  • 民族みんぞく移動いどう — アーリヤ人あーりやじんの進入しんにゅう (古ふるい説せつ、 現在げんざいでは慎重しんちょうに扱あつかわれる)

ポイント: 「アーリヤ人あーりやじんがインダスを滅ほろぼした」 という説せつは、 19 世紀せいきのヨーロッパで唱となえられ、 後ごに ナチスなちすの 「アーリア人種じんしゅ」 思想しそう にも利用りようされました。 現在げんざいでは考古学こうこがく的てき証拠しょうこが乏とぼしく、 否定ひてい的てきな見方みかたが強つよまっています。 古ふるい学説がくせつがどのように政治せいじ利用りようされたかを知しることも大切たいせつです。

2. ヴェーダ時代じだいと宗教しゅうきょう

アーリヤ人じんとヴェーダ

紀元前きげんぜん 1500 年ねんごろから、 中央ちゅうおうアジアから アーリヤ人あーりやじん (インド・ヨーロッパ語族インド・ヨーロッパごぞく) がインド北西ほくせい部ぶに移動いどうしてきたと考えかんがえられています (これも近年きんねん議論ぎろん中ちゅう)。 彼かれらは ヴェーダゔぇーだ と呼よばれる聖典せいてんを残のこしました。

ヴェーダ名めい内容ないよう
リグ・ヴェーダ最古さいこ、 神かみ々への賛歌さんか
サーマ・ヴェーダ詠えい唱歌しょうか
ヤジュル・ヴェーダ祭式さいしきの言葉ことば
アタルヴァ・ヴェーダ呪じゅ文もん

ヴェーダゔぇーだを基礎きそとする宗教しゅうきょうを バラモン教ばらもんきょう と呼よび、 後ごのヒンドゥー教ひんどぅーきょうの源流げんりゅうとなります。

カースト制度せいどの形成けいせい

アーリヤ人あーりやじんは社会しゃかいを 4 つの ヴァルナゔぁるな (身分みぶん) に分わけました。

ヴァルナ役割やくわり
バラモン司祭しさい、 ヴェーダを学まなび祭式さいしきを司つかさどる
クシャトリヤ王族おうぞく・武人ぶじん、 統治とうちと戦闘せんとう
ヴァイシャ平民へいみん、 農みのり・牧まき・商しょう
シュードラ隷属れいぞく民みん、 上位じょうい 3 階級かいきゅうに仕つかえる

この 4 区分くぶんが後のちに細分さいぶん化かし、 さらに ジャーティ と呼よばれる職業しょくぎょう集団しゅうだんと結むすびつき、 ヨーロッパ人じんが 「カーストかーすと」 と呼よぶ複雑ふくざつな身分みぶん制度せいどとなりました。

大事だいじ: インドの カースト制度かーすとせいど は 1950 年ねんのインド憲法けんぽうで 法的ほうてきには廃止はいし されていますが、 社会しゃかい慣習かんしゅうとして今いまも残のこり、 ダリット (不可触民ふかしょくみん、 ヴァルナの外そとに置おかれた人々ひとびと) への差別さべつが問題もんだいになっています。 インド政府せいふは公務員こうむいん・大学だいがく入学にゅうがくでの 留保制度りゅうほせいど (アファーマティブ・アクション) で是ぜ正せいを図はかっています。 現在げんざい進行しんこう形けいの課題かだいであることを押おさえましょう。

3. 仏教ぶっきょうとヒンドゥー教きょうの成立せいりつ

仏教ぶっきょうの成立せいりつ

紀元前きげんぜん 5 世紀せいきごろ、 北きたインドのシャカ族ぞくの王子おうじ ゴータマ・シッダールタ (釈迦しゃか) が、 苦くるしみからの解脱げだつを求もとめて出家しゅっけし、 悟さとりを開ひらいて ブッダぶっだ (目覚めた者めざめたもの) となりました。 彼かれの教おしえが 仏教ぶっきょう です。

仏教ぶっきょうの中心ちゅうしん思想しそう:

  • 四諦したい (したい) — 苦く・集しゅう・滅めつ・道みちの 4 つの真理しんり
  • 八正道はっしょうどう — 苦くを滅めっする 8 つの正ただしい道みち
  • 輪廻りんね (りんね) からの 解脱げだつ (げだつ)
  • 縁起えんぎ — すべては原因げんいんと結果けっかでつながる

仏教ぶっきょうは カーストを否定ひてい し、 すべての人ひとが平等びょうどうに救すくわれると説といたため、 商人しょうにんや下位かい階級かいきゅうに受うけ入いれられました。

マウリヤ朝あさとアショーカ王おう

紀元前きげんぜん 4 世紀せいき、 マウリヤ朝まうりやちょう が成立せいりつし、 第だい 3 代だい アショーカ王あしょーかおう (前まえ 268 ごろ 〜 前まえ 232 ごろ) の時ときにインドほぼ全域ぜんいきを統一とういつしました。 アショーカ王おうは戦争せんそうの悲惨ひさんを反省はんせいして仏教ぶっきょうに帰依きえ、 「ダルマ」 (法ほう)) による統治とうちを説とき、 各地かくちに 石柱碑せきちゅうひ を建たて仏教ぶっきょうを広ひろめました。 仏教ぶっきょうはこの王おうの庇ひ護ごで国境こっきょうをこえ広ひろがりました。

グプタ朝あさとヒンドゥー教きょう

4 〜 6 世紀せいきの グプタ朝ぐぷたちょう では、 サンスクリット文学サンスクリットぶんがく (マハーバーラタ・ラーマーヤナ等とう) が完成かんせいし、 数学すうがくで ゼロの概念がいねん が確立かくりつしました。

この時期じき、 バラモン教ばらもんきょうが各地かくちの民間みんかん信仰しんこうを取とり込こみ、 ヒンドゥー教ひんどぅーきょう が形成けいせいされました。 ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァの 三神一体さんしんいったい が中心ちゅうしんです。

ヒンドゥー教きょうの興隆こうりゅうとともに、 仏教ぶっきょうはインドでは衰退すいたいし、 代かわりに東南とうなんアジア・東ひがしアジアに広ひろがりました。

仏教ぶっきょうの 2 大だい系統けいとう

系統けいとう広ひろがり特とく徴ちょう
上座部仏教じょうざぶぶっきょう (テーラヴァーダ)スリランカ・東南とうなんアジア個人こじんの修行しゅぎょうを重視じゅうし
大乗仏教だいじょうぶっきょう (マハーヤーナ)中央ちゅうおうアジア・中国ちゅうごく・朝鮮ちょうせん・日本にほん多おおくの人ひとを救すくう菩薩ぼさつ (ぼさつ) 信仰しんこう

ポイント: 「上座かみざ部ぶ」 「大乗だいじょう」 という区分くぶんは 大乗だいじょう仏教ぶっきょう側がわがつけた名称めいしょう で、 「自分じぶんたちの方ほうが多おおくを救すくう大おおきな乗のり物もの」 というニュアンスを含ふくみます。 上座かみざ部ぶ側がわから見みれば偏かたよりのある呼よび方かたであることを知しっておきましょう。

4. 古代こだい中国ちゅうごく — 殷いん・周しゅう・春秋しゅんじゅう戦国せんごく

黄河こうがと長江ちょうこうの文明ぶんめい

中国ちゅうごく文明ぶんめいは長ながらく 黄河文明こうがぶんめい が中心ちゅうしんとされてきましたが、 近年きんねんの発はっ掘くつで 長江文明ちょうこうぶんめい (河姆渡かぼと遺跡いせき等とう) も並ならぶ古ふるさを持もつことが分わかり、 「黄河こうがのみ起源きげん」 説せつは修正しゅうせいされています。

殷いん (商しょう) と甲骨文字こうこつもじ

紀元前きげんぜん 17 世紀せいきごろ 〜 前まえ 11 世紀せいきの 殷いん (商しょう) は、 黄河こうが中流ちゅうりゅう域いきの大都市だいとし殷墟いんきょを中心ちゅうしんとする王朝おうちょうで、 甲骨文字こうこつもじ を用もちい占うらないにより政治せいじを行おこないました。 青銅器せいどうき文化ぶんかが高度こうどに発達はったつしました。

周しゅうと封建ほうけん制せい

紀元前きげんぜん 11 世紀せいき、 周しゅう が殷いんを倒たおし、 封建制ほうけんせい (宗法制しゅうほうせい) で一族いちぞくと功臣こうしんを各地かくちに封ほうじ、 「天命てんめい」 (てんめい) 思想しそうで統治とうちを正当せいとう化かしました。 「天てんが徳とくのある王おうを選えらぶ」 という思想しそうは、 後ごの中国ちゅうごく王朝おうちょう交替こうたいの理り論ろん的てき根拠こんきょとなりました。

春秋しゅんじゅう戦国せんごくと諸子百家しょしひゃっか

紀元前きげんぜん 770 年ねん、 周しゅうが都とを東遷とうせんして力ちからを失うしない、 諸侯しょこうが争あらそう 春秋戦国しゅんじゅうせんごく 時代じだいに突入とつにゅうしました。 この混乱こんらんの中なかで、 多おおくの思想家しそうか (諸子百家しょしひゃっか) が現あらわれました。

学派がくは代表だいひょう中心ちゅうしん思想しそう
儒家じゅか孔子こうし・孟子もうし・荀子じゅんし仁じん・礼れい・徳治とくじ
道家どうか老子ろうし・荘子そうし無為自然むいしぜん
法家ほうか韓非子かんぴし・商鞅しょうおう厳きびしい法律ほうりつで統治とうち (法治ほうち)
墨家ぼっか墨子ぼくし兼愛けんあい・非攻ひこう
兵家へいか孫子そんし戦略せんりゃく論ろん
陰陽家いんようか鄒衍すうえん陰陽いんよう五ご行こう説せつ

大事だいじ: 儒家じゅかはその後ご 2000 年ねん以上いじょうにわたり中国ちゅうごく・朝鮮ちょうせん・日本にほん・ベトナムの思想しそうの中心ちゅうしんとなり、 「儒教文化圏じゅきょうぶんかけん」 という概念がいねんを生うみました。 しかし 「アジア = 儒教じゅきょう = 上下じょうげ関係かんけい重視じゅうし」 と単純たんじゅん化かすることは誤あやまりです。 実際じっさいには道家どうか・仏教ぶっきょう・民間みんかん信仰しんこうが重じゅう層そう的てきに信仰しんこうされ、 地域ちいきや時代じだいで大おおきく性格せいかくが異ことなります。

5. 秦はた・漢かん帝国ていこく

秦はたの統一とういつ

紀元前きげんぜん 221 年ねん、 秦しん の王政おうせい (せい) が中国ちゅうごくを統一とういつし、 自みずから 始皇帝しこうてい (皇帝こうていという称号しょうごうの起源きげん) と名乗なのりました。 始皇帝しこうていは 法家ほうか 思想しそうに基もとづき強力きょうりょくな中央ちゅうおう集権しゅうけんを進すすめました。

政策せいさく内容ないよう
郡県制ぐんけんせい全国ぜんこくを 36 郡ぐんに分わけ、 中央ちゅうおうから官吏かんりを派遣はけん
文字もじ・度量衡どりょうこう全国ぜんこくで統一とういつ、 商業しょうぎょうと行政ぎょうせいの効率こうりつ化か
万里の長城ばんりのちょうじょう北方ほっぽう匈奴きょうどの防備ぼうび
焚書坑儒ふんしょこうじゅ儒家じゅか等とうの思想しそうを弾だん圧あつ
整列した多数の兵士の陶製像。秦の始皇帝陵の兵馬俑
秦しんの始皇帝しこうていの墓はかを守まもる兵馬俑へいばよう。約やく 8000 体からだの兵士へいし・馬うまの陶製とうせいの像ぞうがならぶ。中国ちゅうごくを統一とういつした始皇帝しこうていの強大きょうだいな権力けんりょくと重おもい労役ろうえきを物語ものがたりる。

しかし厳きびしい統治とうちと重おもい労役ろうえきで民みんの不満ふまんが高たかまり、 始皇帝しこうてい死し後ご、 紀元前きげんぜん 209 年ねんに起おきた 陳勝・呉広の乱ちんしょう・ごこうのらん をきっかけに、 紀元前きげんぜん 206 年ねんに秦はたは滅ほろびました。 統一とういつからわずか 15 年ねんでした。

漢かん — 400 年ねんの大だい帝国ていこく

紀元前きげんぜん 202 年ねん、 劉邦りゅうほう (高祖こうそ) が 漢かん を建国けんこく。 約やく 400 年ねん続つづく大だい帝国ていこくとなり、 「漢かん民族みんぞく」 「漢字かんじ」 等とうの名ながここから来きています。

時期じき代表だいひょう的てき皇帝こうていと事績じせき
前漢ぜんかん (前まえ 202 〜 8)武帝ぶてい が領土りょうど拡大かくだい、 儒教じゅきょうを国教こっきょう化か、 シルクロードしるくろーど開拓かいたく
新しん (8 〜 23)王莽おうもう (おうもう) が一時いちじ簒さん奪だつ
後ご漢かん (25 〜 220)光武帝こうぶていが再興さいこう、 紙かみの発明はつめい (蔡倫さいりん)、 「漢委奴国王かんのわのなのこくおう印」 を倭わに授与じゅよ

武帝ぶていとシルクロード

漢かんの 武帝ぶてい (位い前まえ 141 〜 前まえ 87) は 匈奴きょうど に対抗たいこうするため、 西域せいいきに 張騫ちょうけん (ちょうけん) を派遣はけんしました。 これをきっかけに シルクロードしるくろーど (絹の道きぬのみち) が開ひらかれ、 中国ちゅうごくの絹きぬ・紙かみが西にしへ、 西方せいほうのガラス・宝石ほうせき・宗教しゅうきょう (仏教ぶっきょう等とう) が東ひがしへ流ながれるようになりました。

シルクロードには 3 つの主要しゅようルートがありました。

  • オアシスの道みち (陸路りくろ) — 砂漠さばくのオアシスをつなぐ
  • 草原そうげんの道みち (北きたルート) — 遊牧民ゆうぼくみんが利用りよう
  • 海うみの道みち (南海なんかいルート) — インド洋ようを通とおる海上かいじょう交易こうえき

ポイント: シルクロードしるくろーどは モノだけでなく、 思想しそう・宗教しゅうきょう・技術ぎじゅつ・病原びょうげん体たい も運はこびました。 仏教ぶっきょうがインドから中国ちゅうごく・朝鮮ちょうせん・日本にほんに伝つたわったのもこの道みちです。 また、 後ごのペストぺすとや様々さまざまな感染かんせん症しょうの拡大かくだいにも関与かんよしていた可能かのう性せいが指摘してきされています。

6. 東南とうなんアジアの古代こだい国家こっか

海うみと陸りくの交差点こうさてん

東南アジアとうなんあじあは インドと中国ちゅうごくをつなぐ海うみと陸りくの交差点こうさてん で、 古ふるくから独自どくじの国家こっかと文化ぶんかを育そだてました。 主おもな古代こだい国家こっかを見みていきましょう。

国家こっか時期じき場所ばしょ特とく徴ちょう
扶南ふなん (ふなん)1 〜 7 世紀せいきメコン川がわ下流かりゅう (現げんカンボジア・ベトナム)港みなと市し国家こっか、 インド・ローマと交易こうえき
チャンパー2 世紀せいき 〜 17 世紀せいき現げんベトナム中部ちゅうぶチャム人じん、 ヒンドゥー教きょう
シュリーヴィジャヤ7 〜 14 世紀せいきスマトラ島とう海上かいじょう交易こうえき帝国ていこく、 大乗だいじょう仏教ぶっきょう
クメール帝国くめーるていこく (アンコール朝アンコールちょう)9 〜 15 世紀せいきカンボジアアンコール・ワットあんこーる・わっと建設けんせつ

インド文化ぶんかの影響えいきょう

東南とうなんアジアの多おおくの国家こっかは インド文化ぶんか (ヒンドゥー教ひんどぅーきょう・仏教ぶっきょう・サンスクリット文字もじ) を受容じゅようし、 独自どくじの形かたちで発展はってんさせました。 これを インド化インドか (Indianization) と呼よびます。 ただし 「インド文化ぶんかが一方いっぽう的てきに押おしつけられた」 のではなく、 東南とうなんアジア側がわが主体しゅたい的てきに選えらび取とって取とり入いれた 点てんが重要じゅうようです。

中国ちゅうごく文化ぶんかの影響えいきょうが強つよいのは ベトナム (漢字かんじ・儒教じゅきょう・科挙かきょを受容じゅよう) で、 他た地域ちいきと性格せいかくが異ことなります。

大事だいじ: 「東南とうなんアジア = 中国ちゅうごく・インドの影響えいきょうで文化ぶんかが形成けいせいされた受動じゅどう的てき地域ちいき」 という古ふるい見方みかたは誤あやまりです。 現在げんざいの研究けんきゅうでは、 東南とうなんアジア独自どくじの海上かいじょう交易こうえきネットワーク がインド・中国ちゅうごく文化ぶんかを取捨選択しゅしゃせんたくし、 またアラブ・ペルシア・後ごにはヨーロッパとも接続せつぞくする 能動のうどう的てきな中心ちゅうしん であったことが強調きょうちょうされています。

7. ユーラシアをつなぐ古代こだい

東西とうざいを結むすんだ帝国ていこく群ぐん

紀元きげん前後ぜんごのユーラシア大陸たいりくでは、 同どう時期じきに 4 つの大だい帝国ていこく が並立へいりつしていました。

地域ちいき帝国ていこく
西にし — 地中海ちちゅうかいローマ帝国ろーまていこく
西にしアジアパルティア (のちサーサーン朝サーサーンちょう)
南みなみアジアクシャーナ朝くしゃーなちょう
東ひがしアジア漢かん

これらの帝国ていこくの隙すき間まを、 ソグド人ソグドじん・アラム人アラムじん 等とうの商業しょうぎょう民族みんぞくが移動いどうし、 シルクロードを実際じっさいに担にないました。

仏教ぶっきょうの伝播でんぱ

紀元きげん 1 世紀せいきごろ、 クシャーナ朝くしゃーなちょう (代表だいひょう的てき王カニシカ王かにしかおう) で ガンダーラ美術がんだーらびじゅつ が生うまれ、 ヘレニズムの影響えいきょうを受うけた写実しゃじつ的てきな 仏像ぶつぞう が作つくられ始はじめました。 仏教ぶっきょうとその美術びじゅつはシルクロードを通つうじ、 中国ちゅうごく (1 世紀せいきごろ伝来でんらい)、 朝鮮ちょうせん (4 世紀せいき)、 日本にほん (6 世紀せいき) に伝つたわりました。

ポイント: 「仏像ぶつぞう」 は仏教ぶっきょう成立せいりつ当初とうしょからあった訳わけではない ことは意外いがいと知しられていません。 当初とうしょは仏ほとけを像ぞうにすることは禁きんじられ、 法輪ほうりん・足跡あしあと・菩提樹ぼだいじゅ等とうのシンボルで表現ひょうげんされました。 ヘレニズムの影響えいきょうで人間にんげんの姿すがたで仏ほとけを表あらわすようになったのは 画期的かっきてき でした。

8. 安全あんぜん・倫理りんり配慮はいりょとまとめ

多た文化ぶんか理解りかいと偏見へんけん回避かいひ

  • 「アジア = 停てい滞たいした」 「インド = カースト社会しゃかいで遅おくれた」 等とうの古ふるい見方みかたは厳禁げんきん です
  • 18 世紀せいきまで 世界せかい経済けいざいの中心ちゅうしんは中国ちゅうごく・インド であり、 ヨーロッパは周辺しゅうへんでした
  • 儒教じゅきょう・仏教ぶっきょう・ヒンドゥー教ひんどぅーきょうそれぞれに長ながい歴史れきしと多様たような流派りゅうはがあり、 一言ひとことで評価ひょうかできません
  • 現代げんだいの中国ちゅうごく・インド・東南とうなんアジア諸国しょこくはそれぞれ多た民族みんぞく国家こっかで、 「中国人ちゅうごくじんはみな ○ ○」 「インド人じんはみな ○ ○」 というステレオタイプは避さけましょう

宗教しゅうきょうへの偏見へんけんを避さける

  • カースト制度かーすとせいどを 「インド文化ぶんか全体ぜんたいの否定ひてい」 につなげない — インドにはカースト撤廃てっぱいを求もとめる内部ないぶからの強つよい運動うんどうがあり、 多おおくの思想家しそうか (仏陀ぶつだ・カビール・ガンディーがんでぃー・アンベードカル) が挑いどんできました
  • ヒンドゥー教ひんどぅーきょう・仏教ぶっきょう・ジャイナ教ジャイナきょう・シク教シクきょう・イスラム教いすらむきょうはそれぞれインド社会しゃかいを構成こうせいする 大おおきな宗教しゅうきょうで、 ヒンドゥー教きょうだけがインドを代表だいひょうする訳わけではありません

諸説しょせつあることを認みとめる

  • アーリヤ人あーりやじんの移動いどう — 19 世紀せいき説せつ、 言語げんご学説がくせつ、 D N A 解析かいせき説せつ等とう、 現在げんざいも議論ぎろんが続つづいています
  • インダス文明いんだすぶんめいの衰退すいたい原因げんいん — 気候きこう変動へんどう説せつが有力ゆうりょくですが、 確定かくていはしていません
  • シルクロードしるくろーどという名前なまえ — この用語ようご自体じたいが 19 世紀せいきドイツの地理ちり学者がくしゃリヒトホーフェンが命名めいめいしたもので、 当時とうじの人々ひとびとはそう呼よんでいませんでした

この章しょうのポイント

  • インダス — 都市とし計画けいかくと平和へいわな社会しゃかい、 文字もじは未み解読かいどく
  • ヴェーダ・カースト — バラモン教きょうからヒンドゥー教きょうへの流ながれ
  • 仏教ぶっきょう — カースト否定ひていから始はじまり、 アジア全域ぜんいきへ
  • 中国ちゅうごく — 殷いん周しゅうから諸子百家しょしひゃっか、 そして秦はた漢かんの統一とういつ帝国ていこくへ
  • 東南とうなんアジア — インド・中国ちゅうごく文化ぶんかを主体しゅたい的てきに取とり入いれた海域かいいき国家こっか群ぐん
  • シルクロード — モノ・人にん・思想しそうが行いき交かうユーラシアの大動脈だいどうみゃく

次つぎの章しょう (Ch4) へ

次じ章しょうでは 中世ちゅうせいヨーロッパとイスラム世界せかい を学まなびます。 フランク王国ふらんくおうこくから封建制ほうけんせい、 ローマ教会ローマきょうかいと王権おうけんの関係かんけい、 7 世紀せいきに西にしアジアで興おこったイスラム教いすらむきょうの拡大かくだい、 そして両者りょうしゃが衝突しょうとつし交流こうりゅうした十字軍じゅうじぐんとルネサンスるねさんす前夜ぜんやまでをたどります。

まとめ — 古代こだいインド・中国ちゅうごく・東南とうなんアジアを 3 行くだりで

  • インダス文明いんだすぶんめいからヴェーダゔぇーだ・バラモン教ばらもんきょう・カーストかーすとを経へてヒンドゥー教ひんどぅーきょうが成立せいりつ、 釈しゃかが開ひらいた仏教ぶっきょうをアショーカ王あしょーかおうが広ひろめる
  • 中国ちゅうごくでは殷いん・周しゅうから諸子百家しょしひゃっかを経へて始皇帝しこうていの秦はた統一とういつと漢かんの大だい帝国ていこくが成立せいりつし統治とうち制度せいどが整ととのう
  • シルクロードしるくろーどがユーラシアの交易こうえき・宗教しゅうきょう・技術ぎじゅつをつなぎ、 東南とうなんアジアはインドと中国ちゅうごくの影響えいきょうを主体しゅたい的てきに取とり入いれた海域かいいき国家こっかを形成けいせい
この教材きょうざいは役やくに立たちましたか?
学がく習しゅうロードマップ(10件けん)
  1. 1世界せかい史しへの扉とびら (時代じだい区分くぶん・史料しりょう・諸しょ地域ちいき)
  2. 2古代こだいオリエント・ギリシャ・ローマ
  3. 3古代こだいインド・中国ちゅうごく・東南とうなんアジア
  4. 4中世ちゅうせいヨーロッパとイスラム世界せかい
  5. 5中世ちゅうせい東ひがしアジア (隋ずい唐とう宋そう元明もとあき清きよし・モンゴル)
  6. 6近世きんせいヨーロッパ (ルネサンス・宗教しゅうきょう改革かいかく・大だい航海こうかい・絶対ぜったい王政おうせい)
  7. 7産業革命さんぎょうかくめいと市民しみん革命かくめい (英えい・米べい・仏ふつとナポレオン)
  8. 8帝国ていこく主義しゅぎと第だい一いち次じ世界せかい大戦たいせん (列強れっきょうの拡大かくだいと大戦たいせん・ロシア革命かくめい)
  9. 9第だい二に次じ世界せかい大戦たいせんと冷戦れいせん (恐慌きょうこうから脱だつ植民しょくみん地ち化かまで)
  10. 10現代げんだい世界せかい (1990 年代ねんだい以降いこうのグローバル化かと地球ちきゅう的てき課題かだい)