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世界史探究

古代こだいインド・中国ちゅうごく東南とうなんアジア

最終確認日:

このしょうまなぶこと

オリエント・地中海ちちゅうかい並行へいこうして、 アジアの大陸たいりくでも高度こうど文明ぶんめいそだちました。 このしょうでは みなみアジア・ひがしアジア・東南とうなんアジア古代こだいまなびます。

  • インダス文明いんだすぶんめい とそのヴェーダゔぇーだ時代じだい
  • 仏教ぶっきょうヒンドゥー教ひんどぅーきょう成立せいりつカーストかーすと 制度せいど
  • 中国ちゅうごく古代こだい王朝おうちょう (いんしゅう春秋戦国しゅんじゅうせんごくしんかん)
  • シルクロードしるくろーど とユーラシアの交易こうえきネットワーク
  • 東南アジアとうなんあじあしょ国家こっか (扶みなみ・チャンパー・みなと国家こっか)

大事だいじ: このしょうあつか地域ちいき現在げんざいでも世界せかい人口じんこう半分はんぶん以上いじょうらす 文明ぶんめいけんです。 しかし 19 世紀せいき以降いこう、 「アジアはていたいしていた」 という西洋中心史観せいようちゅうしんしかんめられてきました。 実際じっさいには 18 世紀せいきまで世界せかい経済けいざい中心ちゅうしんはアジア であり、 多様たよう思想しそう技術ぎじゅつ芸術げいじゅつまれたことをさえましょう。

1. インダス文明ぶんめい

都市とし計画けいかく文明ぶんめい

紀元前きげんぜん 2600 〜 まえ 1900 ねんごろ、 インダス川いんだすがわ流域りゅういき (現在げんざいのパキスタン・北西ほくせいインド) に インダス文明いんだすぶんめいさかえました。 代表だいひょうてき都市としモヘンジョ・ダロもへんじょ・だろハラッパー です。

とくちょう内容ないよう
整然せいぜんとした都市とし計画けいかく道路どうろ直角ちょっかく交差こうさ上下水道じょうげすいどう完備かんび
インダス文字いんだすもじやく 400 たね記号きごう解読かいどく
いんしょうステアタイトせいうしかみ々の
だい浴場よくじょうモヘンジョ・ダロの中心ちゅうしん施設しせつ

インダス文明ぶんめい王宮おうきゅう神殿しんでん確認かくにんされず強大きょうだい王権おうけんこんせきうすてん特徴とくちょうです。 また、 武器ぶきすくなく、 比較的ひかくてき平和へいわ社会しゃかい であったと推測すいそくされます。

衰退すいたいなぞ

紀元前きげんぜん 1900 ねんごろから、 インダス文明ぶんめい衰退すいたいしました。 原因げんいんには 諸説しょせつ あります。

  • 気候きこう変動へんどう雨量うりょう減少げんしょうかわりゅう変化へんか
  • 環境かんきょう破壊はかいな灌がいによる塩害えんがい
  • 民族みんぞく移動いどうアーリヤ人あーりやじん進入しんにゅう (ふるせつ現在げんざいでは慎重しんちょうあつかわれる)

ポイント:アーリヤ人あーりやじんがインダスをほろぼした」 というせつは、 19 世紀せいきのヨーロッパでとなえられ、 ナチスなちすの 「アーリア人種じんしゅ思想しそう にも利用りようされました。 現在げんざいでは考古学こうこがくてき証拠しょうことぼしく、 否定ひていてき見方みかたつよまっています。 ふる学説がくせつがどのように政治せいじ利用りようされたかをることも大切たいせつです。

2. ヴェーダ時代じだい宗教しゅうきょう

アーリヤじんとヴェーダ

紀元前きげんぜん 1500 ねんごろから、 中央ちゅうおうアジアから アーリヤ人あーりやじん (インド・ヨーロッパ語族インド・ヨーロッパごぞく) がインド北西ほくせい移動いどうしてきたと考えかんがえられています (これも近年きんねん議論ぎろんちゅう)。 かれらは ヴェーダゔぇーだばれる聖典せいてんのこしました。

ヴェーダめい内容ないよう
リグ・ヴェーダ最古さいこかみ々への賛歌さんか
サーマ・ヴェーダえい唱歌しょうか
ヤジュル・ヴェーダ祭式さいしき言葉ことば
アタルヴァ・ヴェーダじゅもん

ヴェーダゔぇーだ基礎きそとする宗教しゅうきょうバラモン教ばらもんきょうび、 ヒンドゥー教ひんどぅーきょう源流げんりゅうとなります。

カースト制度せいど形成けいせい

アーリヤ人あーりやじん社会しゃかいを 4 つの ヴァルナゔぁるな (身分みぶん) にけました。

ヴァルナ役割やくわり
バラモン司祭しさい、 ヴェーダをまな祭式さいしきつかさど
クシャトリヤ王族おうぞく武人ぶじん統治とうち戦闘せんとう
ヴァイシャ平民へいみんみのりまきしょう
シュードラ隷属れいぞくみん上位じょうい 3 階級かいきゅうつかえる

この 4 区分くぶんのち細分さいぶんし、 さらに ジャーティばれる職業しょくぎょう集団しゅうだんむすびつき、 ヨーロッパじんが 「カーストかーすと」 と複雑ふくざつ身分みぶん制度せいどとなりました。

大事だいじ: インドの カースト制度かーすとせいど は 1950 ねんのインド憲法けんぽう法的ほうてきには廃止はいし されていますが、 社会しゃかい慣習かんしゅうとしていまのこり、 ダリット (不可触民ふかしょくみん、 ヴァルナのそとかれた人々ひとびと) への差別さべつ問題もんだいになっています。 インド政府せいふ公務員こうむいん大学だいがく入学にゅうがくでの 留保制度りゅうほせいど (アファーマティブ・アクション) でせいはかっています。 現在げんざい進行しんこうけい課題かだいであることをさえましょう。

3. 仏教ぶっきょうとヒンドゥーきょう成立せいりつ

仏教ぶっきょう成立せいりつ

紀元前きげんぜん 5 世紀せいきごろ、 きたインドのシャカぞく王子おうじ ゴータマ・シッダールタ (釈迦しゃか) が、 くるしみからの解脱げだつもとめて出家しゅっけし、 さとりをひらいて ブッダぶっだ (目覚めた者めざめたもの) となりました。 かれおしえが 仏教ぶっきょう です。

仏教ぶっきょう中心ちゅうしん思想しそう:

  • 四諦したい (したい) — しゅうめつみちの 4 つの真理しんり
  • 八正道はっしょうどうめっする 8 つのただしいみち
  • 輪廻りんね (りんね) からの 解脱げだつ (げだつ)
  • 縁起えんぎ — すべては原因げんいん結果けっかでつながる

仏教ぶっきょうカーストを否定ひてい し、 すべてのひと平等びょうどうすくわれるといたため、 商人しょうにん下位かい階級かいきゅうれられました。

マウリヤあさとアショーカおう

紀元前きげんぜん 4 世紀せいきマウリヤ朝まうりやちょう成立せいりつし、 だい 3 だい アショーカ王あしょーかおう (まえ 268 ごろ 〜 まえ 232 ごろ) のときにインドほぼ全域ぜんいき統一とういつしました。 アショーカおう戦争せんそう悲惨ひさん反省はんせいして仏教ぶっきょうに帰きえ、 「ダルマ」 (ほう)) による統治とうちき、 各地かくち石柱碑せきちゅうひ仏教ぶっきょうひろめました。 仏教ぶっきょうはこのおう国境こっきょうをこえひろがりました。

グプタあさとヒンドゥーきょう

4 〜 6 世紀せいきグプタ朝ぐぷたちょう では、 サンスクリット文学サンスクリットぶんがく (マハーバーラタ・ラーマーヤナとう) が完成かんせいし、 数学すうがくゼロの概念がいねん確立かくりつしました。

この時期じきバラモン教ばらもんきょう各地かくち民間みんかん信仰しんこうみ、 ヒンドゥー教ひんどぅーきょう形成けいせいされました。 ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァの 三神一体さんしんいったい中心ちゅうしんです。

ヒンドゥーきょう興隆こうりゅうとともに、 仏教ぶっきょうはインドでは衰退すいたいし、 わりに東南とうなんアジア・ひがしアジアにひろがりました。

仏教ぶっきょうの 2 だい系統けいとう

系統けいとうひろがりとくちょう
上座部仏教じょうざぶぶっきょう (テーラヴァーダ)スリランカ・東南とうなんアジア個人こじん修行しゅぎょう重視じゅうし
大乗仏教だいじょうぶっきょう (マハーヤーナ)中央ちゅうおうアジア・中国ちゅうごく朝鮮ちょうせん日本にほんおおくのひとすく菩薩ぼさつ (ぼさつ) 信仰しんこう

ポイント:上座かみざ」 「大乗だいじょう」 という区分くぶん大乗だいじょう仏教ぶっきょうがわがつけた名称めいしょう で、 「自分じぶんたちのほうおおくをすくおおきなもの」 というニュアンスをふくみます。 上座かみざがわからればかたよりのあるかたであることをっておきましょう。

4. 古代こだい中国ちゅうごくいんしゅう春秋しゅんじゅう戦国せんごく

黄河こうが長江ちょうこう文明ぶんめい

中国ちゅうごく文明ぶんめいながらく 黄河文明こうがぶんめい中心ちゅうしんとされてきましたが、 近年きんねんはっくつ長江文明ちょうこうぶんめい (河姆渡かぼと遺跡いせきとう) もならふるさをつことがかり、 「黄河こうがのみ起源きげんせつ修正しゅうせいされています。

いん (しょう) と甲骨文字こうこつもじ

紀元前きげんぜん 17 世紀せいきごろ 〜 まえ 11 世紀せいきいん (しょう) は、 黄河こうが中流ちゅうりゅういき大都市だいとし殷墟いんきょ中心ちゅうしんとする王朝おうちょうで、 甲骨文字こうこつもじもちうらないにより政治せいじおこないました。 青銅器せいどうき文化ぶんか高度こうど発達はったつしました。

しゅう封建ほうけんせい

紀元前きげんぜん 11 世紀せいきしゅういんたおし、 封建制ほうけんせい (宗法制しゅうほうせい) で一族いちぞく功臣こうしん各地かくちほうじ、 「天命てんめい」 (てんめい) 思想しそう統治とうち正当せいとうしました。 「てんとくのあるおうえらぶ」 という思想しそうは、 中国ちゅうごく王朝おうちょう交替こうたいろんてき根拠こんきょとなりました。

春秋しゅんじゅう戦国せんごく諸子百家しょしひゃっか

紀元前きげんぜん 770 ねんしゅう東遷とうせんしてちからうしない、 諸侯しょこうあらそ春秋戦国しゅんじゅうせんごく 時代じだい突入とつにゅうしました。 この混乱こんらんなかで、 おおくの思想家しそうか (諸子百家しょしひゃっか) があらわれました。

学派がくは代表だいひょう中心ちゅうしん思想しそう
儒家じゅか孔子こうし孟子もうし荀子じゅんしじんれい徳治とくじ
道家どうか老子ろうし荘子そうし無為自然むいしぜん
法家ほうか韓非子かんぴし商鞅しょうおうきびしい法律ほうりつ統治とうち (法治ほうち)
墨家ぼっか墨子ぼくし兼愛けんあい非攻ひこう
兵家へいか孫子そんし戦略せんりゃくろん
陰陽家いんようか鄒衍すうえん陰陽いんようこうせつ

大事だいじ: 儒家じゅかはその 2000 ねん以上いじょうにわたり中国ちゅうごく朝鮮ちょうせん日本にほん・ベトナムの思想しそう中心ちゅうしんとなり、 「儒教文化圏じゅきょうぶんかけん」 という概念がいねんみました。 しかし 「アジア = 儒教じゅきょう = 上下じょうげ関係かんけい重視じゅうし」 と単純たんじゅんすることはあやまりです。 実際じっさいには道家どうか仏教ぶっきょう民間みんかん信仰しんこうじゅうそうてき信仰しんこうされ、 地域ちいき時代じだいおおきく性格せいかくことなります。

5. はたかん帝国ていこく

はた統一とういつ

紀元前きげんぜん 221 ねんしん王政おうせい (せい) が中国ちゅうごく統一とういつし、 みずか始皇帝しこうてい (皇帝こうていという称号しょうごう起源きげん) と名乗なのりました。 始皇帝しこうてい法家ほうか 思想しそうもとづき強力きょうりょく中央ちゅうおう集権しゅうけんすすめました。

政策せいさく内容ないよう
郡県制ぐんけんせい全国ぜんこくを 36 ぐんけ、 中央ちゅうおうから官吏かんり派遣はけん
文字もじ度量衡どりょうこう全国ぜんこく統一とういつ商業しょうぎょう行政ぎょうせい効率こうりつ
万里の長城ばんりのちょうじょう北方ほっぽう匈奴きょうど防備ぼうび
焚書坑儒ふんしょこうじゅ儒家じゅかとう思想しそうだんあつ
整列した多数の兵士の陶製像。秦の始皇帝陵の兵馬俑
しん始皇帝しこうていはかまも兵馬俑へいばようやく 8000 からだ兵士へいしうま陶製とうせいぞうがならぶ。中国ちゅうごく統一とういつした始皇帝しこうてい強大きょうだい権力けんりょくおも労役ろうえき物語ものがたりる。

しかしきびしい統治とうちおも労役ろうえきみん不満ふまんたかまり、 始皇帝しこうてい紀元前きげんぜん 209 ねんきた 陳勝・呉広の乱ちんしょう・ごこうのらん をきっかけに、 紀元前きげんぜん 206 ねんはたほろびました。 統一とういつからわずか 15 ねんでした。

かん — 400 ねんだい帝国ていこく

紀元前きげんぜん 202 ねん劉邦りゅうほう (高祖こうそ) が かん建国けんこくやく 400 ねんつづだい帝国ていこくとなり、 「かん民族みんぞく」 「漢字かんじとうがここからています。

時期じき代表だいひょうてき皇帝こうてい事績じせき
前漢ぜんかん (まえ 202 〜 8)武帝ぶてい領土りょうど拡大かくだい儒教じゅきょう国教こっきょうシルクロードしるくろーど開拓かいたく
しん (8 〜 23)王莽おうもう (おうもう) が一時いちじさんだつ
かん (25 〜 220)光武帝こうぶてい再興さいこうかみ発明はつめい (蔡倫さいりん)、 「漢委奴国王印かんのわのなのこくおういん」 を授与じゅよ

武帝ぶていとシルクロード

かん武帝ぶてい (まえ 141 〜 まえ 87) は 匈奴きょうど対抗たいこうするため、 西域せいいき張騫ちょうけん (ちょうけん) を派遣はけんしました。 これをきっかけに シルクロードしるくろーど (絹の道きぬのみち) がひらかれ、 中国ちゅうごくきぬかみ西にしへ、 西方せいほうのガラス・宝石ほうせき宗教しゅうきょう (仏教ぶっきょうとう) がひがしながれるようになりました。

シルクロードには 3 つの主要しゅようルートがありました。

  • オアシスのみち (陸路りくろ) — 砂漠さばくのオアシスをつなぐ
  • 草原そうげんみち (きたルート) — 遊牧民ゆうぼくみん利用りよう
  • うみみち (南海なんかいルート) — インドようとお海上かいじょう交易こうえき

ポイント: シルクロードしるくろーどモノだけでなく、 思想しそう宗教しゅうきょう技術ぎじゅつ病原びょうげんたいはこびました。 仏教ぶっきょうがインドから中国ちゅうごく朝鮮ちょうせん日本にほんつたわったのもこのみちです。 また、 ペストぺすと様々さまざま感染かんせんしょう拡大かくだいにも関与かんよしていた可能かのうせい指摘してきされています。

6. 東南とうなんアジアの古代こだい国家こっか

うみりく交差点こうさてん

東南アジアとうなんあじあインドと中国ちゅうごくをつなぐうみりく交差点こうさてん で、 ふるくから独自どくじ国家こっか文化ぶんかそだてました。 おも古代こだい国家こっかていきましょう。

国家こっか時期じき場所ばしょとくちょう
扶南ふなん (ふなん)1 〜 7 世紀せいきメコンがわ下流かりゅう (げんカンボジア・ベトナム)みなと国家こっか、 インド・ローマと交易こうえき
チャンパー2 世紀せいき 〜 17 世紀せいきげんベトナム中部ちゅうぶチャムじん、 ヒンドゥーきょう
シュリーヴィジャヤ7 〜 14 世紀せいきスマトラとう海上かいじょう交易こうえき帝国ていこく大乗だいじょう仏教ぶっきょう
クメール帝国くめーるていこく (アンコール朝アンコールちょう)9 〜 15 世紀せいきカンボジアアンコール・ワットあんこーる・わっと建設けんせつ

インド文化ぶんか影響えいきょう

東南とうなんアジアのおおくの国家こっかインド文化ぶんか (ヒンドゥー教ひんどぅーきょう仏教ぶっきょう・サンスクリット文字もじ) を受容じゅようし、 独自どくじかたち発展はってんさせました。 これを インド化インドか (Indianization) とびます。 ただし 「インド文化ぶんか一方いっぽうてきしつけられた」 のではなく、 東南とうなんアジアがわ主体しゅたいてきえらってれた てん重要じゅうようです。

中国ちゅうごく文化ぶんか影響えいきょうつよいのは ベトナム (漢字かんじ儒教じゅきょう科挙かきょ受容じゅよう) で、 地域ちいき性格せいかくことなります。

大事だいじ:東南とうなんアジア = 中国ちゅうごく・インドの影響えいきょう文化ぶんか形成けいせいされた受動じゅどうてき地域ちいき」 というふる見方みかたあやまりです。 現在げんざい研究けんきゅうでは、 東南とうなんアジア独自どくじ海上かいじょう交易こうえきネットワーク がインド・中国ちゅうごく文化ぶんか取捨選択しゅしゃせんたくし、 またアラブ・ペルシア・にはヨーロッパとも接続せつぞくする 能動のうどうてき中心ちゅうしん であったことが強調きょうちょうされています。

7. ユーラシアをつなぐ古代こだい

東西とうざいむすんだ帝国ていこくぐん

紀元きげん前後ぜんごのユーラシア大陸たいりくでは、 どう時期じきに 4 つのだい帝国ていこく並立へいりつしていました。

地域ちいき帝国ていこく
西にし地中海ちちゅうかいローマ帝国ろーまていこく
西にしアジアパルティア (のちサーサーン朝サーサーンちょう)
みなみアジアクシャーナ朝くしゃーなちょう
ひがしアジアかん

これらの帝国ていこくすきを、 ソグド人ソグドじんアラム人アラムじん とう商業しょうぎょう民族みんぞく移動いどうし、 シルクロードを実際じっさいにないました。

仏教ぶっきょう伝播でんぱ

紀元きげん 1 世紀せいきごろ、 クシャーナ朝くしゃーなちょう (代表だいひょうてきカニシカ王かにしかおう) で ガンダーラ美術がんだーらびじゅつまれ、 ヘレニズムの影響えいきょうけた写実しゃじつてき仏像ぶつぞうつくられはじめました。 仏教ぶっきょうとその美術びじゅつはシルクロードをつうじ、 中国ちゅうごく (1 世紀せいきごろ伝来でんらい)、 朝鮮ちょうせん (4 世紀せいき)、 日本にほん (6 世紀せいき) につたわりました。

ポイント: 仏像ぶつぞう」 は仏教ぶっきょう成立せいりつ当初とうしょからあったわけではない ことは意外いがいられていません。 当初とうしょほとけぞうにすることはきんじられ、 法輪ほうりん足跡あしあと菩提樹ぼだいじゅとうのシンボルで表現ひょうげんされました。 ヘレニズムの影響えいきょう人間にんげん姿すがたほとけあらわすようになったのは 画期的かっきてき でした。

8. 安全あんぜん倫理りんり配慮はいりょとまとめ

文化ぶんか理解りかい偏見へんけん回避かいひ

  • 「アジア = ていたいした」 「インド = カースト社会しゃかいおくれた」 とうふる見方みかた厳禁げんきん です
  • 18 世紀せいきまで 世界せかい経済けいざい中心ちゅうしん中国ちゅうごく・インド であり、 ヨーロッパは周辺しゅうへんでした
  • 儒教じゅきょう仏教ぶっきょうヒンドゥー教ひんどぅーきょうそれぞれになが歴史れきし多様たよう流派りゅうはがあり、 一言ひとこと評価ひょうかできません
  • 現代げんだい中国ちゅうごく・インド・東南とうなんアジア諸国しょこくはそれぞれ民族みんぞく国家こっかで、 「中国人ちゅうごくじんはみな ○ ○」 「インドじんはみな ○ ○」 というステレオタイプはけましょう

宗教しゅうきょうへの偏見へんけんける

  • カースト制度かーすとせいどを 「インド文化ぶんか全体ぜんたい否定ひてい」 につなげない — インドにはカースト撤廃てっぱいもとめる内部ないぶからのつよ運動うんどうがあり、 おおくの思想家しそうか (仏陀ぶつだ・カビール・ガンディーがんでぃー・アンベードカル) がいどんできました
  • ヒンドゥー教ひんどぅーきょう仏教ぶっきょうジャイナ教ジャイナきょうシク教シクきょうイスラム教いすらむきょうはそれぞれインド社会しゃかい構成こうせいする おおきな宗教しゅうきょうで、 ヒンドゥーきょうだけがインドを代表だいひょうするわけではありません

諸説しょせつあることをみとめる

  • アーリヤ人あーりやじん移動いどう — 19 世紀せいきせつ言語げんご学説がくせつ、 D N A 解析かいせきせつとう現在げんざい議論ぎろんつづいています
  • インダス文明いんだすぶんめい衰退すいたい原因げんいん気候きこう変動へんどうせつ有力ゆうりょくですが、 確定かくていはしていません
  • シルクロードしるくろーどという名前なまえ — この用語ようご自体じたいが 19 世紀せいきドイツの地理ちり学者がくしゃリヒトホーフェンが命名めいめいしたもので、 当時とうじ人々ひとびとはそうんでいませんでした

このしょうのポイント

  • インダス都市とし計画けいかく平和へいわ社会しゃかい文字もじ解読かいどく
  • ヴェーダ・カースト — バラモンきょうからヒンドゥーきょうへのなが
  • 仏教ぶっきょう — カースト否定ひていからはじまり、 アジア全域ぜんいき
  • 中国ちゅうごくいんしゅうから諸子百家しょしひゃっか、 そしてはたかん統一とういつ帝国ていこく
  • 東南とうなんアジア — インド・中国ちゅうごく文化ぶんか主体しゅたいてきれた海域かいいき国家こっかぐん
  • シルクロード — モノ・にん思想しそううユーラシアの大動脈だいどうみゃく

つぎしょう (Ch4) へ

しょうでは 中世ちゅうせいヨーロッパとイスラム世界せかいまなびます。 フランク王国ふらんくおうこくから封建制ほうけんせいローマ教会ローマきょうかい王権おうけん関係かんけい、 7 世紀せいき西にしアジアでおこったイスラム教いすらむきょう拡大かくだい、 そして両者りょうしゃ衝突しょうとつ交流こうりゅうした十字軍じゅうじぐんルネサンスるねさんす前夜ぜんやまでをたどります。

まとめ — 古代こだいインド・中国ちゅうごく東南とうなんアジアを 3 くだり

  • インダス文明いんだすぶんめいからヴェーダゔぇーだバラモン教ばらもんきょうカーストかーすとヒンドゥー教ひんどぅーきょう成立せいりつしゃかひらいた仏教ぶっきょうアショーカ王あしょーかおうひろめる
  • 中国ちゅうごくではいんしゅうから諸子百家しょしひゃっか始皇帝しこうていはた統一とういつかんだい帝国ていこく成立せいりつ統治とうち制度せいどととの
  • シルクロードしるくろーどがユーラシアの交易こうえき宗教しゅうきょう技術ぎじゅつをつなぎ、 東南とうなんアジアはインドと中国ちゅうごく影響えいきょう主体しゅたいてきれた海域かいいき国家こっか形成けいせい
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がくしゅうロードマップ(10けん
  1. 1世界せかいへのとびら (時代じだい区分くぶん史料しりょうしょ地域ちいき)
  2. 2古代こだいオリエント・ギリシャ・ローマ
  3. 3古代こだいインド・中国ちゅうごく東南とうなんアジア
  4. 4中世ちゅうせいヨーロッパとイスラム世界せかい
  5. 5中世ちゅうせいひがしアジア (ずいとうそう元明もとあききよし・モンゴル)
  6. 6近世きんせいヨーロッパ (ルネサンス・宗教しゅうきょう改革かいかくだい航海こうかい絶対ぜったい王政おうせい)
  7. 7産業革命さんぎょうかくめい市民しみん革命かくめい (えいべいふつとナポレオン)
  8. 8帝国ていこく主義しゅぎだいいち世界せかい大戦たいせん (列強れっきょう拡大かくだい大戦たいせん・ロシア革命かくめい)
  9. 9だい世界せかい大戦たいせん冷戦れいせん (恐慌きょうこうからだつ植民しょくみんまで)
  10. 10現代げんだい世界せかい (1990 年代ねんだい以降いこうのグローバル地球ちきゅうてき課題かだい)