この章で学ぶこと
現代の 「人権」 や 「民主主義」 は、 初めから当たり前に存在していたわけではありません。 多くの人が命をかけて闘い、 長い年月を経て獲得されたものです。
- マグナ・カルタから世界人権宣言までの人権拡大の流れ
- ロック・モンテスキュー・ルソーの社会契約説
- 三権分立の思想と意義
- 「基本的人権」 と 「民主政治」 の関係を理解する
- 人権拡大の歴史から学ぶこと
ポイント: 人権の歴史は 「闘いと学びの歴史」 です。 過去の人々が何を問題とし、 どう解決したかを知ることは、 今の課題に向き合う手がかりになります。
1. なぜ 「人権」 という考えが生まれたか
中世ヨーロッパの社会は、 国王や貴族が絶対的な権力を持ち、 農民や都市住民はその支配下で生きるのが当然とされていました。
「王権神授説」 とその限界
16-17 世紀のヨーロッパでは、 「王の権力は神から与えられた。 王には誰も逆らえない」 という 「王権神授説」 が広まりました。
→ しかし、 王が恣意的に税を取り、 自由を奪う姿に、 民衆は次第に疑問を持ち始めました。
「人権」 という考え方
「人権」 とは、 「人が生まれながらに持つ、 侵してはならない権利」 です。 この考え方は、 ヨーロッパの思想家たちによって次のように整理されました。
| 特徴 | 説明 |
|---|
| 普遍性 | 国・人種・性別を問わずすべての人に認められる |
| 固有性 | 国家が与えるのではなく、 生まれつき持つ |
| 不可侵性 | 国でも個人でも侵してはならない |
| 永久性 | 一時的なものではなく、 永遠に続く |
2. 人権拡大の第一歩 — マグナ・カルタ
1215 年イギリス
マグナ・カルタ (大憲章) は、 1215 年にイギリスの国王ジョンが貴族たちの圧力に屈して署名した文書です。
| 項目 | 内容 |
|---|
| 時 | 1215 年 |
| 場所 | イギリス |
| 相手 | 国王ジョン (失敗が多く人気がなかった) |
| 要求 | 貴族の権利を守れ、 恣意的な課税をするな |
マグナ・カルタの意義
- 国王の権力を 「法」 で縛る 出発点となった
- 「法の下の平等」 「適正手続」 の萌芽
- まだ守られたのは貴族の権利だけで、 一般民衆は対象外
ポイント: マグナ・カルタはまだ 「人権宣言」 とは言えませんが、 「国王といえども法に従う」 という大原則を示し、 後の人権思想の土台となりました。
3. 社会契約説 — ロック・ホッブズ・ルソー
17-18 世紀のヨーロッパで、 「国家とはそもそも何か。 なぜ人は国家に従うのか」 を問い直した思想が 「社会契約説」 です。
三人の思想家の比較
| 思想家 | 著作 | 自然状態 | 社会契約の目的 | 理想の政治 |
|---|
| ホッブズ (英) | 『リバイアサン』 1651 | 「万人の万人に対する闘い」 | 自己保存 | 絶対君主制 (権力集中) |
| ロック (英) | 『統治二論』 1690 | 自由・平等な状態 (基本的に平和) | 生命・自由・財産の保護 | 間接民主制、 抵抗権 |
| ルソー (仏) | 『社会契約論』 1762 | 自由・平等 (理想的) | 一般意志の実現 | 直接民主制 |
ロックの 「抵抗権」
ロックは、 「政府が国民の権利を侵害した場合、 国民はその政府を変える権利がある」 と説きました。 これを 「抵抗権」 (革命権) と呼びます。
→ この思想は後の アメリカ独立宣言 に大きな影響を与えました。
ルソーの 「一般意志」
ルソーは、 「個人の私的な欲望の総和ではなく、 社会全体の共通利益を目指す意志」 を 「一般意志」 と呼び、 これに従うことが真の自由だと説きました。
→ この思想はフランス革命とその人権宣言に大きな影響を与えました。
4. モンテスキューの三権分立
フランスの思想家モンテスキュー (1689-1755) は、 著作 『法の精神』 (1748) で、 国家の権力を分けることの大切さを説きました。
「三権分立」 とは
| 権力 | 仕事 | 担当 | 日本での機関 |
|---|
| 立法権 | 法律をつくる | 議会 | 国会 |
| 行政権 | 法律を実行する | 政府 | 内閣 |
| 司法権 | 法律に基づき裁く | 裁判所 | 裁判所 |
なぜ三権を分けるのか
「権力を持つ者はその権力を濫用しがちである。 権力を止めるものは、 権力である」 (モンテスキュー)
- 一人・一機関に権力が集まると独裁になる
- 三権が互いに監視・抑制し合うことで自由が守られる
- 各権力が独立して機能することが大事
→ この思想は後の日本国憲法 (第 41-79 条) にも取り入れられています。
5. アメリカ独立宣言 (1776)
18世紀後半、 アメリカはイギリスの植民地でしたが、 重い税と自治の制限に反発し、 独立戦争を起こしました。
アメリカ独立宣言の中心文
「われわれは以下の事実を自明と信じる。 すべての人は平等に造られ、 創造主によって一定の奪うことのできない権利を与えられている。 その中には生命・自由・幸福追求の権利がある」 (1776 年 7 月 4 日)
独立宣言の意義
- 「全ての人は平等」 を明文化 した初めての文書の一つ
- ロックの自然権思想を国家建設の基礎に
- 幸福追求権 という概念は日本国憲法第 13 条にも継承された
注意: 「すべての人」 と言いながら、 当時は黒人奴隷・先住民・女性は対象外でした。 人権の思想はあっても、 現実の適用は長い闘いを必要としました。
6. フランス人権宣言 (1789)
1789年、 フランス革命が起こり、 国民議会は 「人と市民の権利宣言」 (フランス人権宣言) を採択しました。
フランス人権宣言(1789年)。フランス革命で採択され、自由・平等・国民主権をうたい、近代人権思想の出発点となった。
フランス人権宣言の主な条文
| 条 | 内容 |
|---|
| 第 1 条 | 「人は自由かつ権利において平等なものとして生まれ、 かつ生存する」 |
| 第 2 条 | 自然権 (自由・財産・安全・圧制への抵抗) の保障 |
| 第 3 条 | 主権は国民に属する (国民主権) |
| 第 16 条 | 権利の保障と権力分立がない社会には憲法がない |
フランス人権宣言の意義
- 「自由・平等・博愛」 の理念が後の世界に広がる
- 国民主権 の明文化
- 権力分立 を憲法の必須要件と規定
→ この宣言は後の世界中の憲法に大きな影響を与えました。
7. ワイマール憲法と社会権の登場
19世紀の人権は 「国家から干渉されない自由」 (= 自由権) が中心でした。 しかし産業革命が進むと、 「働きたくても仕事がない」 「病気でも医者に行けない」 という貧困が深刻になりました。
「社会権」 という新しい人権
「社会権」 とは、 「国が積極的に動いて、 人らしい生活を保障する権利」 です。
| 自由権 | 社会権 |
|---|
| 「国よ、 口出しするな」 | 「国よ、 助けてくれ」 |
| 18 世紀 〜 | 20 世紀 〜 |
| 例: 思想の自由・信教の自由 | 例: 生存権・教育を受ける権利・勤労権 |
ワイマール憲法 (1919)
第一次世界大戦後のドイツで制定された 「ワイマール憲法」 は、 世界で初めて 「人たるに値する生存」 を国が保障する と規定しました。
→ これが現代社会権の出発点となり、 日本国憲法第 25 条 「健康で文化的な最低限度の生活」 にも継承されました。
8. 世界人権宣言と国際人権規約
第二次世界大戦でのナチスドイツによるホロコースト (約 600 万人のユダヤ人虐殺) や、 各地の戦争被害への深刻な反省から、 国際社会は 「人権を世界共通の規範としよう」 と動きました。
世界人権宣言 (1948)
世界人権宣言は、 1948 年 12 月 10 日の国連総会で採択されました (12 月 10 日 = 国際人権日)。
| 項目 | 内容 |
|---|
| 前文 | 人類家族全員の固有の尊厳と権利の承認 |
| 第 1 条 | 「全ての人は自由かつ尊厳と権利とにおいて平等」 |
| 範囲 | 自由権・社会権・参政権など包括的 |
国際人権規約 (1966)
世界人権宣言は理念の宣言で法的拘束力が弱かったため、 1966 年に 「国際人権規約」 が採択され、 条約として批准国を拘束する強い効力を持つようになりました。
| 規約 | 略称 | 内容 |
|---|
| 社会権規約 | A 規約 | 生存権・教育権・勤労権など |
| 自由権規約 | B 規約 | 思想・表現・信教の自由など |
その他の人権条約
- 女子差別撤廃条約 (1979)
- 子どもの権利条約 (1989)
- 障害者権利条約 (2006)
→ 日本もこれらを批准し、 国内法の整備に取り組んでいます。
まとめチェック
- [ ]マグナ・カルタの年と意義を言える
- [ ]ロック・モンテスキュー・ルソーの思想の違いを整理できる
- [ ]三権分立の三つの権力と日本の機関を対応させられる
- [ ]自由権と社会権の違いを説明できる
- [ ]世界人権宣言がなぜ採択されたかを言える
安全配慮: 人権の歴史的限界と発展
- 人権の思想は一気に完成したわけではありません。 アメリカ独立宣言 (1776) もフランス人権宣言 (1789) も、 当時は女性・黒人奴隷・先住民を対象から外していました
- 女性参政権は長く認められず、 日本では1945年 (戦後) に初めて認められました。 世界的にはニュージーランド (1893) が最初、 スイスは何と 1971 年でした
- 今の 「当たり前」 が先人の闘いと学びの積み重ねで築かれてきたことを意識し、 今なお残る差別や不平等にも目を向けましょう
- 人権問題は国内だけでなく、 世界中にあります。 紛争地域の子ども、 難民、 強制労働など、 私たちが知るべき課題は多くあります
まとめ — 民主主義と人権の歴史を 3 行で
- 1215 年マグナ・カルタが王権を制限し、 ロック・モンテスキュー・ルソーの社会契約説が近代人権と三権分立の理論を提供
- 18 世紀アメリカ独立・フランス人権宣言で基本的人権と自由権が確立、 19-20 世紀に社会権へと拡大した
- 戦後 1948 年世界人権宣言と 1966 年国際人権規約で人権が国際化、 子ども・女性・障害者など個別条約も整備された