メインコンテンツへスキップ
‹ 教材一覧に戻る
歴史

室町むろまち・戦国せんごく (中世ちゅうせいから近世きんせいへ)

最終確認日:

この章しょうで学まなぶこと

第だい 5 章しょうでは、 鎌倉幕府かまくらばくふが 1185 年ねんから約やく 150 年ねん続つづき、 元寇げんこうのあとに後醍醐天皇ごだいごてんのうの建武の新政けんむのしんせいによって倒たおれたところまで学まなびました。

第だい 6 章しょうでは、 1336 年ねんから 1573 年ねんまで続つづいた 室町幕府むろまちばくふ の時代じだいと、 その後半こうはんに展開てんかいした 戦国時代せんごくじだい を学まなびます。 室町むろまち時代じだいは、 文化ぶんかの面めんでは 北山文化きたやまぶんか (金閣きんかく) や 東山文化ひがしやまぶんか (銀閣ぎんかく) が花開はなひらき、 能のうや狂言きょうげん、 水墨画すいぼくがが生うまれた時代じだいです。 一方いっぽうで政治せいじは不安定ふあんていで、 1467 年ねんの 応仁の乱おうにんのらん をきっかけに下克上げこくじょうの世よとなり、 各地かくちで 戦国大名せんごくだいみょう が争あらそうようになります。

そして 1543 年ねんの 鉄砲伝来てっぽうでんらい と 1549 年ねんの キリスト教伝来きりすときょうでんらい によって、 ヨーロッパ文化ぶんかが日本にほんに入はいり、 戦国せんごく時代じだいの戦たたかい方かたも社会しゃかいも大おおきく変かわっていきました。

  • 室町幕府むろまちばくふ がなぜ 1336 年ねんに成立せいりつし、 南北朝なんぼくちょうの対立たいりつがどう終おわったかを理解りかいする
  • 足利義満あしかがよしみつ の業績ぎょうせき (勘合貿易かんごうぼうえき・金閣きんかく・北山文化きたやまぶんか) を整理せいりする
  • 応仁の乱おうにんのらん (1467-1477) が戦国時代せんごくじだいを生うんだしくみを学まなぶ
  • 戦国大名せんごくだいみょう と下克上げこくじょうの意味いみを理解りかいする
  • 1543 年ねん 鉄砲伝来てっぽうでんらい と 1549 年ねん キリスト教伝来きりすときょうでんらい が日本にほん社会しゃかいにあたえた影響えいきょうを考かんがえる

学習がくしゅうのポイント: 室町むろまち時代じだいは 「政治せいじはゆるやか、 文化ぶんかは豊ゆたか」 という独特どくとくの時代じだいです。 また、 ヨーロッパとの出会であい (鉄砲てっぽう・キリスト教きょう) は次つぎの章しょう (織田信長おだのぶなが・豊臣秀吉とよとみひでよし) への大事だいじな伏線ふくせんになります。

1. 建武けんむの新政しんせいから南北なんぼく朝あさへ

建武けんむの新政しんせいの失敗しっぱい

1333 年ねん、 後醍醐天皇ごだいごてんのうは足利尊氏あしかがたかうじや新田義貞にったよしさだらの協力きょうりょくで鎌倉幕府かまくらばくふを倒たおしました。 翌よく 1334 年ねん、 後醍醐天皇ごだいごてんのうは 建武の新政けんむのしんせい を始はじめます。 これは天皇てんのうが直接ちょくせつ政治せいじを行おこなう 「天皇親政てんのうしんせい」 を理想りそうとするものでした。

しかし、 建武けんむの新政しんせいは わずか 2 年ねんあまりで失敗しっぱい に終おわります。 理由りゆうは次つぎのとおりです。

失敗しっぱいの理由りゆうくわしく
武士ぶしの不満ふまん鎌倉かまくら幕府ばくふを倒たおした武士ぶしへの恩賞おんしょう (ほうび) が少すくなく、 公家くげ (貴族きぞく) を優遇ゆうぐうしすぎた
政治せいじの混乱こんらん制度せいどや決定けっていがしばしば変かわり、 訴訟そしょう (うったえ) の処理しょりが遅おくれた
天皇てんのうへの不信ふしん武士ぶしたちが 「武士ぶしの世よにもどしてほしい」 と望のぞむようになった

南北なんぼく朝あさの動乱どうらん

1336 年ねん、 足利尊氏あしかがたかうじは後醍醐天皇ごだいごてんのうに背そむいて京都きょうとを制圧せいあつし、 別べつの天皇てんのう (光明天皇こうみょうてんのう) を立たてました。 これを 北朝ほくちょう と言いいます。 一方いっぽう、 後醍醐天皇ごだいごてんのうは吉野よしの (奈良なら県けん) に逃のがれ、 自分じぶんが正統せいとうな天皇てんのうだと主張しゅちょうしました。 これを 南朝なんちょう と言いいます。

大事だいじ: 1336 年ねんから約やく 60 年間ねんかん、 日本にほんに天皇てんのうが 2 人ひといる 南北朝時代なんぼくちょうじだい が続つづきました。 各地かくちで武士ぶしが南朝なんちょう側がわ・北朝ほくちょう側がわに分わかれて争あらそい、 全国ぜんこくが戦乱せんらんに巻まき込こまれました。

南北なんぼく朝あさの動乱どうらんは、 1392 年ねんに足利義満あしかがよしみつが南朝なんちょうの天皇てんのうを北朝ほくちょうに統一とういつ することで終おわります。 約やく 60 年ねんも続つづいた長ながい争あらそいでした。

2. 室町むろまち幕府ばくふのしくみと足利あしかが義満よしみつ

室町むろまち幕府ばくふの成立せいりつ

1338 年ねん、 足利尊氏あしかがたかうじは北朝ほくちょうの天皇てんのうから征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任命にんめいされ、 京都きょうとに幕府ばくふを開ひらきました。 これが 室町幕府むろまちばくふ です。 のちに 3 代将だいしょう軍ぐん足利義満あしかがよしみつが京都きょうとの室町むろまちという場所ばしょに花の御所はなのごしょを建たてたことから、 「室町幕府むろまちばくふ」 と呼よばれるようになりました。

室町むろまち幕府ばくふのしくみ

室町むろまち幕府ばくふの組織そしきは鎌倉かまくら幕府ばくふを引ひき継つぎつつ、 違ちがう点てんもあります。

役職やくしょくはたらき
管領かんれい将軍しょうぐんを補佐ほさする。 鎌倉かまくら幕府ばくふの執権しっけんにあたる。 細川氏ほそかわし・斯波氏しばし・畠山氏はたけやましの 3 家いえ (三管領さんかんりょう) が交代こうたいで務つとめた
侍所さむらいどころ京都きょうとの警備けいびと御家人ごけにんの統制とうせい
政所まんどころ財政ざいせいと一般いっぱん政務せいむ
守護しゅご各国かっこくに置おかれ、 軍事ぐんじ・警察けいさつを担当たんとう。 のちに守護大名しゅごだいみょうへ成長せいちょう
地頭じとう荘園しょうえんの管理かんり (鎌倉かまくら時代じだいと同おなじ)

守護しゅご大名だいみょうの成長せいちょう

鎌倉かまくら時代じだいの守護しゅごは警察けいさつ的てきな役割やくわりでしたが、 室町むろまち時代じだいには 国こくの半分はんぶんの年貢ねんぐを取とる権限けんげん (半済はんぜいの権けん) を得えて、 国くにを実質じっしつ的てきに支配しはいする 守護大名しゅごだいみょう に成長せいちょうします。 この変化へんかが、 のちの戦国大名せんごくだいみょうの出発しゅっぱつ点てんになりました。

足利あしかが義満よしみつの業績ぎょうせき

室町むろまち幕府ばくふの最盛さいせい期きを築きずいたのは 3 代将だいしょう軍ぐん 足利義満あしかがよしみつ (1358-1408) です。 義満よしみつは次つぎのような業績ぎょうせきを残のこしました。

  • 南北朝なんぼくちょうの統一とういつ (1392) — 60 年ねん続つづいた天皇てんのう分裂ぶんれつを終おわらせた
  • 勘合貿易かんごうぼうえき (日明ひあがり貿易ぼうえき) を始はじめる — 1404 年ねんから、 明みんの皇帝こうていから日本にほん国王こくおうに任命にんめいされ、 公式こうしきの貿易ぼうえきを開始かいし
  • 北山きたやま文化ぶんか を生うむ — 京都きょうと北山きたやまに金閣きんかく (鹿苑寺ろくおんじ) を建たてた
  • 太政大臣だじょうだいじん に就任しゅうにん — 武士ぶしで初はじめて朝廷ちょうていの最高さいこう位いに就ついた

大事だいじ: 勘合貿易かんごうぼうえきでは 「勘合かんごう」 という割わり札さつを使つかい、 倭寇わこう (日本人にっぽんじんを含ふくむ海賊かいぞく) と区別くべつしました。 日本にほんは銅どう・硫黄いおう・刀剣とうけんなどを輸出ゆしゅつし、 銅銭どうせん (明あか銭せん)・生糸きいと・絹織物きぬおりものなどを輸入ゆにゅうしました。

3. 応仁おうにんの乱らんと戦国せんごく時代じだいの始はじまり

応仁おうにんの乱らん (1467-1477)

足利義満あしかがよしみつのあとも幕府ばくふは続つづきましたが、 8 代将だいしょう軍ぐん 足利義政あしかがよしまさ (1436-1490) のときに大おおきな乱らんが起おこります。 1467 年ねん、 将軍家しょうぐんけのあとつぎ争あらそい (義政よしまさの弟おとうと義視よしみと子この義尚よしひさ) と、 管領かんれい細川氏ほそかわし・山名氏やまなしの対立たいりつが結むすびつき、 応仁の乱おうにんのらん が始はじまりました。

戦たたかいは京都きょうとを中心ちゅうしんに 11 年間ねんかん続つづき、 京都きょうとの街まちは焼やけ野原のはらになりました。 戦国せんごく時代じだいの始はじまりとも言いわれる出来事できごとです。

応仁おうにんの乱らんの影響えいきょうくわしく
京都きょうとの荒廃こうはい「応仁おうにんの乱らんの前まえ」 と 「後ご」 で京都きょうとの文化ぶんかが大おおきく変かわったと言いわれる
将軍しょうぐんの権威けんい失墜しっつい将軍しょうぐんは名前なまえだけの存在そんざいになり、 全国ぜんこくの支配しはいができなくなった
守護大名しゅごだいみょうの弱体じゃくたい化か京都きょうとで戦たたかっているうちに、 国元くにもとで家臣かしんに乗のっ取とられる者ものが続出ぞくしゅつ
下克上げこくじょうの風潮ふうちょう「下したの者ものが上うえの者ものを実力じつりょくで倒たおす」 という考かんがえ方かたが広ひろまる

戦国せんごく時代じだいの始はじまり

応仁おうにんの乱らんのあと、 全国ぜんこくの各地かくちで 戦国大名せんごくだいみょう が独立どくりつして領地りょうちを支配しはいし、 周まわりの大名だいみょうと争あらそうようになります。 これが 戦国時代せんごくじだい です。 教科書きょうかしょでは 1467 年ねん (応仁おうにんの乱らん) から 1573 年ねん (室町むろまち幕府ばくふ滅亡めつぼう) まで を戦国せんごく時代じだいと呼よぶことが多おおいです。

ポイント: 下克上げこくじょうとは、 家臣かしんが主君しゅくんを倒たおしたり、 守護しゅご代だい (守護しゅごの代理だいり) が守護しゅごを追おい出だしたりして、 実力じつりょくで上うえに立たつことです。 北条早雲ほうじょうそううん、 斎藤道三さいとうどうさんなどが下克上げこくじょうで大名だいみょうにのし上あがった代表だいひょう例れいです。

4. 戦国せんごく大名だいみょうと分ぶん国法こくほう

戦国せんごく大名だいみょうの支配しはい

戦国大名せんごくだいみょうは、 1 つの国くに (現在げんざいの県けんより少すこし小ちいさい単位たんい) を完全かんぜんに支配しはいし、 自分じぶんの家臣かしん団だんを城下町じょうかまちに集あつめ、 領内りょうないの経済けいざいも軍事ぐんじも自分じぶんで管理かんりしました。

代表だいひょう的てきな戦国せんごく大名だいみょうは次つぎのとおりです。

地方ちほう戦国せんごく大名だいみょう特徴とくちょう
関東かんとう北条氏ほうじょうし (小田原おだわら)関東かんとう一いち円えんを支配しはい、 100 年ねん続つづく
甲斐かい武田信玄たけだしんげん「風林火山ふうりんかざん」 の旗はたで知しられる名将めいしょう
越後えちご上杉謙信うえすぎけんしん武田たけだと川中島の戦いかわなかじまのたたかいで対決たいけつ
中国ちゅうごく毛利元就もうりもとなり「3 本ほんの矢や」 の教おしえで知しられる
九州きゅうしゅう島津氏しまつし薩摩さつま (鹿児島かごしま) を本拠ほんきょ
東海とうかい今川氏いまがわし・織田氏おだしのちの織田信長おだのぶながを生うむ

分ぶん国法こくほう

戦国せんごく大名だいみょうは自分じぶんの国くにを治おさめるために 分国法ぶんこくほう という独自どくじの法律ほうりつを作つくりました。 例れい:

  • 今川氏いまがわしの 今川仮名目録いまがわかなもくろく
  • 武田氏たけだしの 甲州法度之次第こうしゅうはっとのしだい
  • 伊達氏だてしの 塵芥集じんかいしゅう

これらの分ぶん国法こくほうには、 「家臣かしん同士どうしの争あらそいごとは大名だいみょうが裁さばく」 「無断むだんで他たの大名だいみょうと通つうじてはいけない」 などの厳きびしい規定きていが含ふくまれ、 大名だいみょうの力ちからの強つよさを示しめしています。

城下町じょうかまちの発展はってん

戦国せんごく大名だいみょうは山城やましろを改良かいりょうして 城下町じょうかまち を作つくり、 そこに家臣かしん・職人しょくにん・商人しょうにんを集あつめました。 これが現代げんだいの地方ちほう都市とし (金沢かなざわ・小田原おだわら・甲府こうふ・山口やまぐちなど) の起源きげんになっています。

大事だいじ: 戦国せんごく時代じだいは 「戦たたかいばかり」 ではなく、 各地かくちで 新田しんでん開発かいはつ・鉱山こうざん開発かいはつ・市場しじょうの整備せいび が進すすんだ時代じだいでもあります。 石見銀山いわみぎんざん (島根しまね県けん) のように、 世界せかいにも知しられる銀山ぎんざんが発展はってんしたのもこの時代じだいです。

5. 室町むろまち時代じだいの文化ぶんか (北山きたやま文化ぶんかと東山ひがしやま文化ぶんか)

室町むろまち時代じだいの文化ぶんかは、 公家くげの文化ぶんかと武士ぶしの文化ぶんかが融合ゆうごうし、 さらに禅宗ぜんしゅう (中国ちゅうごくから入はいった仏教ぶっきょう) の影響えいきょうを受うけた 点てんが特徴とくちょうです。 大おおきく分わけて 2 つの時期じきがあります。

北山きたやま文化ぶんか (3 代だい義満よしみつ)

北山きたやま文化ぶんか は、 14 世紀せいき末まつから 15 世紀せいき初はじめ、 足利義満あしかがよしみつの時代じだいの文化ぶんかです。 義満よしみつが京都きょうとの北山きたやまに建たてた 金閣きんかく (正式せいしき名めい: 鹿苑寺ろくおんじ) が代表だいひょうです。

金色にかがやく金閣(鹿苑寺)の建物と池
金閣きんかく(鹿苑寺ろくおんじ)。足利あしかが義満よしみつが北山きたやまに建たてた、公家くげ・武士ぶし・禅ぜんの文化ぶんかが融合ゆうごうした北山きたやま文化ぶんかの代表だいひょう。
項目こうもく内容ないよう
金閣きんかく1397 年ねん建立こんりゅう。 1 階かいは寝殿造しんでんづくり、 2 階かいは書院造しょいんづくり、 3 階かいは禅宗ぜんしゅう様さま。 公家くげ・武士ぶし・禅ぜんの融合ゆうごうを表あらわす
能のう観阿弥かんあみ・世阿弥ぜあみ親子おやこが大成たいせい。 仮面かめんをつけて演えんじる演劇えんげき
狂言きょうげん能のうの合間あいまに演えんじられる、 庶民しょみんの暮くらしを題材だいざいにした喜劇きげき
水墨画すいぼくが中国ちゅうごくから伝つたわり、 室町むろまち時代じだいに日本にほんでも盛さかんに

東山ひがしやま文化ぶんか (8 代だい義政よしまさ)

東山ひがしやま文化ぶんか は、 15 世紀せいき後半こうはん、 足利義政あしかがよしまさの時代じだいの文化ぶんかです。 義政よしまさが京都きょうとの東山ひがしやまに建たてた 銀閣ぎんかく (正式せいしき名めい: 慈照寺じしょうじ) が代表だいひょうです。 北山きたやま文化ぶんかと違ちがって、 落おち着ついた わび・さび を重おもんじる文化ぶんかになります。

項目こうもく内容ないよう
銀閣ぎんかく1489 年ねん建立こんりゅう。 銀箔ぎんぱくは実際じっさいには貼はられていない、 質素しっそなつくり
書院造しょいんづくり畳たたみ・床とこの間ま・障子しょうじ・ふすまを備そなえた建築けんちく様式ようしき。 現代げんだいの和室わしつの原型げんけい
水墨画すいぼくが (雪舟せっしゅう)明めいで学まなんだ雪舟せっしゅうが日本にほんの風景ふうけいを水墨すいぼく画がで表現ひょうげん
茶の湯ちゃのゆ村田珠光むらたじゅこうが始はじめたわび茶わびちゃが、 のちに千利休せんのりきゅうにつながる
生け花いけばな部屋へやに花はなを飾かざる作法さほうが定着ていちゃく

ポイント: 書院造しょいんづくりは 「現代げんだいの和室わしつの原型げんけい」 と言いわれます。 床とこの間ま・障子しょうじ・畳たたみ・違ちがい棚だなといった要素ようそは、 すべてこの時代じだいに確立かくりつしました。

庶民しょみん文化ぶんかの成長せいちょう

室町むろまち時代じだい後期こうきには、 御伽草子おとぎぞうし (一寸法師いっすんぼうし・浦島うらしま太郎たろうなどの絵入えいり物語ものがたり)、 連歌れんが (複数ふくすうの人ひとで和歌わかを作つくる)、 盆踊りぼんおどり など、 庶民しょみんが楽たのしむ文化ぶんかも発展はってんしました。

6. 鉄砲てっぽうとキリスト教きょうの伝来でんらい

大だい航海こうかい時代じだいの世界せかい

15 世紀せいき末まつから 16 世紀せいきにかけて、 ヨーロッパでは 大航海時代だいこうかいじだい が始はじまります。 ポルトガルとスペインが、 アジアの香辛料こうしんりょう (こしょうなど) や金銀きんぎんを求もとめて世界せかいに進出しんしゅつしました。

主おもな航海こうかい者しゃ業績ぎょうせき
コロンブスころんぶす1492 年ねん、 アメリカ大陸たいりく到達とうたつ (ヨーロッパ人じんとして初はつ)
バスコ・ダ・ガマ1498 年ねん、 アフリカ南端なんたんを回まわってインド到達とうたつ
マゼラン一行いっこう1519-1522 年ねん、 世界せかい一周いっしゅう航海こうかいに成功せいこう

このヨーロッパの動うごきの中なかで、 ポルトガル人じんが日本にほんにもやって来きます。

鉄砲てっぽう伝来でんらい (1543 年ねん)

1543 年ねん、 中国ちゅうごく船せんに乗のったポルトガル人じんが、 嵐あらしで 種子島たねがしま (鹿児島かごしま県けん) に漂着ひょうちゃくしました。 種子島たねがしまの領主りょうしゅ種子島時尭たねがしまときたかは、 ポルトガル人じんが持もっていた 鉄砲てっぽう (火縄銃ひなわじゅう) 2 挺ていを高額こうがくで買かい取とり、 家臣かしんに研究けんきゅうさせました。

鉄砲てっぽうが日本にほん社会しゃかいに与あたえた影響えいきょうくわしく
戦たたかい方かたの変化へんか騎馬きば戦せん中心ちゅうしんから鉄砲てっぽうを使つかった集団しゅうだん戦せんへ。 長篠の戦いながしののたたかい (1575) で織田信長おだのぶながが大量たいりょう使用しよう
城じょうのつくりの変化へんか山城やましろから、 石垣いしがきと天守てんしゅを備そなえた平城ひらじろ・平山城ひらやまじろへ
戦国せんごく大名だいみょうの力ちから関係かんけいの変化へんか鉄砲てっぽうを多おおく持もてる大名だいみょうが有利ゆうりに。 統一とういつの動うごきが加速かそく
国産こくさん化か堺さかい (大阪おおさか)・国友くにとも (滋賀しが) で鉄砲てっぽうが大量たいりょう生産せいさんされるように

キリスト教きょう伝来でんらい (1549 年ねん)

1549 年ねん、 スペイン出身しゅっしんのイエズス会いえずすかい宣教師せんきょうし フランシスコ・ザビエルふらんしすこ・ざびえる が鹿児島かごしまに上陸じょうりくしました。 これが日本にほんでの キリスト教伝来きりすときょうでんらい です。

ザビエルは山口やまぐち・京都きょうと・大分おおいたなどで布教ふきょうを行おこない、 約やく 2 年間ねんかん日本にほんに滞在たいざいしました。 その後ごも多おおくの宣教師せんきょうしが来日らいにちし、 キリスト教きょう信者しんじゃ (キリシタン) は急速きゅうそくに増ふえていきます。

キリスト教きょうを保護ほごした戦国せんごく大名だいみょう領地りょうち
大友宗麟おおともそうりん豊後ぶんご (大分おおいた)
大村純忠おおむらすみただ肥前ひぜん (長崎ながさき)。 日本にほん最初さいしょのキリシタン大名だいみょう
有馬晴信ありまはるのぶ肥前ひぜん (島原しまばら)

これらの キリシタン大名キリシタンだいみょう は、 1582 年ねんに少年しょうねん使節しせつ (天正遣欧少年使節てんしょうけんおうしょうねんしせつ) をローマ教皇きょうこうのもとに送おくりました。 ヨーロッパ人じんと日本人にっぽんじんの最初さいしょの本格ほんかく的てきな交流こうりゅうです。

南蛮なんばん貿易ぼうえき

ポルトガル人じん・スペイン人じんを、 当時とうじの日本人にっぽんじんは 「南蛮人なんばんじん」 と呼よびました。 彼かれらとの貿易ぼうえきを 南蛮貿易なんばんぼうえき と言いいます。

日本にほんの輸出ゆしゅつ品ひん日本にほんの輸入ゆにゅう品ひん
銀ぎん (石見いわみ銀山ぎんざんなど)鉄砲てっぽう・火薬かやく
刀剣とうけん生糸きいと・絹織物きぬおりもの (中国ちゅうごく産さん)
海産物かいさんぶつガラス製品ガラスせいひん・時計とけい
たばこ・カステラ・パン

大事だいじ: 「カステラ」 「パン」 「ボタン」 「カルタ」 などのカタカナ言葉ことばは、 この時代じだいにポルトガル語ごから入はいってきた言葉ことばが起源きげんです。

7. 室町むろまち・戦国せんごくのまとめと安全あんぜんへの配慮はいりょ

この章しょうのまとめ

出来事できごと年代ねんだい意味いみ
建武の新政けんむのしんせい1334後醍醐天皇ごだいごてんのうによる天皇てんのう親政しんせい (失敗しっぱい)
室町幕府むろまちばくふ成立せいりつ1336足利尊氏あしかがたかうじが京都きょうとに幕府ばくふを開ひらく
南北朝なんぼくちょうの統一とういつ1392足利義満あしかがよしみつが 60 年ねんの動乱どうらんを終おわらせる
勘合貿易かんごうぼうえき開始かいし1404日明ひあがりの公式こうしき貿易ぼうえき
応仁の乱おうにんのらん1467-1477戦国せんごく時代じだいの始はじまり
鉄砲伝来てっぽうでんらい1543種子島たねがしまにポルトガル人じんが漂着ひょうちゃく
キリスト教伝来きりすときょうでんらい1549ザビエルが鹿児島かごしまに上陸じょうりく
室町幕府むろまちばくふ滅亡めつぼう1573織田信長おだのぶながが足利義昭あしかがよしあきを追放ついほう

文化ぶんかのキーワード

  • 北山文化きたやまぶんか: 金閣きんかく・能のう (世阿弥ぜあみ)・水墨画すいぼくが
  • 東山文化ひがしやまぶんか: 銀閣ぎんかく・書院造しょいんづくり・わび茶わびちゃ・雪舟せっしゅう

城しろ・古戦場こせんじょうを訪おとずれる時ときの安全あんぜんとマナー

この時代じだいの遺跡いせきには、 全国ぜんこくの 山城やましろ跡あと・古戦場こせんじょう・寺院じいん などがあります。 訪おとずれる時ときは次つぎのことに注意ちゅういしましょう。

  • 山城やましろ跡あとは険けわしい山道さんどうが多おおい: 竹田城たけだじょう (兵庫ひょうご)・岐阜城ぎふじょう・小谷城おだにじょう (滋賀しが) などの山城やましろ跡あとは、 山登やまのぼりに近ちかい装備そうび (歩あるきやすい靴くつ・水みず・帽子ぼうし) が必要ひつようです。 雨あめの後のちは滑すべりやすく危険きけんなので避さけましょう
  • 古戦場こせんじょうの石碑せきひや慰霊いれい碑ひには敬意けいいを: 川中島かわなかじま・姉川あねがわ・長篠ながしのなどの古戦場こせんじょうには、 戦死せんし者しゃを弔とむらう碑いしぶみがあります。 触さわったり登のぼったりせず、 静しずかに見学けんがくしましょう
  • 寺院じいんの文化財ぶんかざいは撮影さつえい禁止きんしのことが多おおい: 金閣きんかく・銀閣ぎんかく・古ふるい襖ふすま絵えなどは、 フラッシュ撮影さつえいが禁止きんしされている場所ばしょが多おおいです。 案内あんない表示ひょうじを必かならず確認かくにんしましょう
  • 野生やせい動物どうぶつに注意ちゅうい: 山城やましろ跡あとでは、 イノシシ・サル・クマに出会であうことがあります。 鈴すずを持もつなど対策たいさくを
  • ゴミは必かならず持もち帰かえる: 文化財ぶんかざいを未来みらいに残のこすために、 一人ひとりひとりのマナーが大切たいせつです

大事だいじ: 室町むろまち・戦国せんごくの遺跡いせきや文化財ぶんかざいは、 ユネスコ世界遺産ユネスコせかいいさんに登録とうろくされているもの (古都京都の文化財こときょうとのぶんかざいなど) も多おおくあります。 マナーを守まもり、 「自分じぶんが文化財ぶんかざいを傷きずつけたら次つぎの世代せだいが見みられなくなる」 という意識いしきを持もって訪おとずれましょう。

次つぎの章しょうへ

第だい 7 章しょうでは、 織田信長おだのぶながと豊臣秀吉とよとみひでよしが戦国せんごくの世よを統一とういつし、 徳川家康とくがわいえやすが 江戸幕府えどばくふ を開ひらいて 260 年ねんの太平たいへいを築きずく時代じだいを学まなびます。 そして、 黒船くろふね来航らいこうから大政奉還たいせいほうかんまで、 江戸えど時代じだいの終おわりまでを見みていきます。

この教材きょうざいは役やくに立たちましたか?