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歴史

古墳こふん・飛鳥あすか・奈良なら (古代こだい国家こっかの成立せいりつ)

最終確認日:

この章しょうで学まなぶこと

第だい 3 章しょうでは、 日本ほんの 国家こっかが形かたちを整ととのえる 過程かていを学まなびます。 大王おおきみ (おおきみ) を中心ちゅうしんとするまとまりから、 中国ちゅうごく風ふうの 律令国家りつりょうこっか へと発展はってんする約やく 4 0 0 年ねん (3 〜 8 世紀せいき) の流ながれです。

  • 古墳時代こふんじだい (3 〜 6 世紀せいき) — 大和朝廷やまとちょうてい の統一とういつ、 古墳こふん・埴輪はにわ・渡来人とらいじん
  • 飛鳥時代あすかじだい (6 世紀せいき末まつ 〜 7 1 0 年ねん) — 聖徳太子しょうとくたいし・冠位十二階かんいじゅうにかい・十七条憲法じゅうしちじょうけんぽう・遣隋使けんずいし
  • 大化の改新たいかのかいしん (6 4 5 年ねん) — 中大兄皇子なかのおおえのおうじ・中臣鎌足なかとみのかまたり・公地公民こうちこうみん
  • 大宝律令たいほうりつりょう (7 0 1 年ねん) と律令国家りつりょうこっかのしくみ
  • 奈良時代ならじだい (7 1 0 〜 7 9 4 年ねん) — 平城京へいじょうきょう・聖武天皇しょうむてんのう・大仏だいぶつ・正倉院しょうそういん・万葉集まんようしゅう
  • 墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほう (7 4 3 年ねん) と公地公民こうちこうみんのくずれ

大事だいじ: この時代じだいのキーワードは 「中ちゅう央おう集しゅう権けん」 と 「律令りつりょう」 です。 中国ちゅうごく (隋ずい・唐とう) の制度せいどを学まなび、 日本にほんの国くにのしくみを整ととのえていく大改革だいかいかくの時代じだいでした。

1. 古墳こふん時代じだいと大和やまと朝廷ちょうてい

現存する世界最古の木造建築
法隆寺ほうりゅうじ (奈良なら県けん斑鳩いかるが町まち) — 607 年聖徳太子しょうとくたいしが建立こんりゅうと伝つたえられる、 現存げんそんする世界せかい最古さいこの木造もくぞう建築けんちく。 ユネスコ世界せかい遺産いさん。

古墳こふんの出現しゅつげん

3 世紀せいき後半こうはん、 近畿きんき地方ちほうを中心ちゅうしんに 巨大きょだいな墓はか = 古墳こふん が作つくられ始はじめます。 代だい表ひょう的てきなものが大だい阪さか府の 大仙古墳だいせんこふん (だいせんこふん、 仁にん徳とく天てん皇のう陵りょう古墳こふんと伝つたえられる、 全長ぜんちょう約やく 4 8 6 メートル) です。

古墳こふんの形かたち例れい
前方後円墳ぜんぽうこうえんふん大仙だいせん古墳こふん (百舌鳥古墳群もずこふんぐん内ない)
円えん墳ふん・方墳ほうふん全国ぜんこく各地かくち

古墳こふんの周まわりには 埴輪はにわ (はにわ、 円筒えんとう形がた・人物じんぶつ・動物どうぶつ・家いえの形かたちの焼やき物もの) が並ならべられました。

古墳時代の人物埴輪(素焼きの土製品)
埴輪はにわ。古墳こふんの上うえや周まわりに並ならべられた素焼すやきの土ど製品せいひん。人物じんぶつ・動物どうぶつ・家いえなどの形かたちがある。

大和やまと朝廷ちょうていの成立せいりつ

近きん畿き地方ちほう (現在げんざいの奈な良ら・大阪おおさか付近ふきん) の豪ごう族ぞくたちがまとまり、 大和朝廷やまとちょうてい (やまとちょうてい、 またはヤマト政権せいけん) が生うまれました。 中心ちゅうしんとなる王おうを 大王おおきみ (おおきみ) と呼よび、 後ごに 天皇てんのう と呼よばれます。

制度せいど内容ないよう
氏姓制度しせいせいど豪ごう族ぞくを 氏し (うじ) と 姓せい (かばね) で区分くぶんして朝廷ちょうていに仕つかえさせる
領土りょうど5 世紀せいきごろには関東かんとうから九州きゅうしゅうまで影えい響きょう力

渡来とらい人じんの役割やくわり

朝鮮ちょうせん半島はんとうや中国ちゅうごくから移うつり住すんだ人々ひとびとを 渡来人とらいじん と言いいます。 渡来人とらいじんは多おおくの技術ぎじゅつ・文化ぶんかを日本にほんに伝つたえました。

  • 漢字かんじ (中国ちゅうごくの文字もじ)
  • 儒教じゅきょう (じゅきょう、 道徳どうとく思想しそう)
  • 仏教ぶっきょう (5 3 8 年ねんまたは 5 5 2 年ねんに公式こうしき伝来でんらい — 諸説しょせつあり)
  • 須す恵え器き (硬かたい土器どき)、 機はた織おり、 須恵すえ器き、 鉄てっ器き製造せいぞう

ポイント: 仏教ぶっきょう公式こうしき伝来でんらいの年ねんは、 「日本書紀にほんしょき」 では 5 5 2 年ねん、 「上宮じょうぐう聖徳せいとく法王ほうおう帝みかど説せつ」 では 5 3 8 年ねん とされ、 諸説しょせつあり ます。 どちらの説せつを取とるかは史料しりょう解釈かいしゃくによります。

2. 飛鳥あすか時代じだいと聖徳太子しょうとくたいし

聖徳太子しょうとくたいしの登場とうじょう

6 世紀せいき末まつ、 朝廷ちょうていでは蘇そ我が氏しと物もの部のべ氏しが仏教ぶっきょうの受じゅ容ようをめぐり対立たいりつし、 蘇我そが氏しが勝かちました。 5 9 3 年ねん、 推古天皇すいこてんのうが即位そくいし、 その摂せっ政しょうとして 聖徳太子しょうとくたいし (しょうとくたいし、 厩うまや戸ど皇おう子じ) が政治せいじを担にないます。

改革かいかく年ねん内容ないよう
冠位十二階かんいじゅうにかい6 0 3家柄いえがらでなく 才能さいのうと功績こうせき で役人やくにんを任命にんめい
十七条憲法じゅうしちじょうけんぽう6 0 4役人やくにんの心得こころえを 1 7 条じょうにまとめる (「和わを以もって貴たっとしとなす」)
遣隋使けんずいし6 0 7 ほか小野妹子おののいもこ を隋ずい (中国ちゅうごく) に派遣はけん、 対等たいとう外交がいこうを目指めざす

聖徳太子しょうとくたいしの実在じつざい性せい — 諸説しょせつ

近年きんねんの研究けんきゅうでは、 聖徳太子しょうとくたいし (厩うまや戸ど王おう) が実在じつざいの人物じんぶつであったことはほぼ確たしかですが、 「ひとりで数すう十じゅう人にんの話はなしを同時どうじに聞きけた」 等とうの伝説でんせつや、 法ほう隆りゅう寺てらを建たてたことなど、 後世こうせいに加くわえられた話はなしと史実しじつを 慎しん重ちょうに区別くべつ する必要ひつようがあります。

大事だいじ: 「聖徳太子しょうとくたいしが一いち人にんで全部ぜんぶやった」 と単純たんじゅん化かせず、 蘇そ我が氏しとの共同きょうどうの政治せいじであったこと、 後世こうせいの評価ひょうかが加くわわっていることをおさえましょう。

飛鳥あすか文化ぶんか

聖徳太子しょうとくたいしが建たてたと伝つたえられる 法隆寺ほうりゅうじ (ほうりゅうじ、 奈良なら県けん) は 現げん存そん世せ界かい最さい古この木もく造ぞう建けん築ちく とされ、 ユネスコ世界せかい遺産いさんです。 仏像ぶつぞうでは 釈迦三尊像しゃかさんぞんぞう などが有名ゆうめいです。

3. 大化たいかの改新かいしん

蘇我そが氏しの専横せんおう

聖徳太子しょうとくたいしの死後しご、 蘇そ我が氏し (蘇そ我が蝦夷えみし・蘇そ我が入いる鹿か) が朝廷ちょうていで大おおきな力ちからを持もちました。

645 年ねんの政変せいへん

6 4 5 年ねん、 中大兄皇子なかのおおえのおうじ (なかのおおえのおうじ、 後ごの天智天皇てんじてんのう) と 中臣鎌足なかとみのかまたり (なかとみのかまたり、 後ごの藤原鎌足ふじわらのかまたり) が蘇我入鹿そがのいるかを倒たおし、 政治せいじ改革かいかくを始はじめました。 これを 大化の改新たいかのかいしん と言いいます。 「大化たいか」 は日本にほんで最初さいしょの 元号げんごう です。

公地公民こうちこうみんの理念りねん

大化の改新たいかのかいしんで目指めざされた大おおきな理念りねんが 公地公民こうちこうみん です。 「土地とちと人民じんみんは すべて国こく (天皇てんのう) のもの」 とし、 豪ごう族ぞくの私有しゆうをやめさせようとしました。

原則げんそく内容ないよう
公地こうち土地とちは天皇てんのう (国こく) のもの
公民こうみん人民じんみんは天皇てんのう (国こく) のもの (豪族ごうぞくの私わたし民みんでない)

ポイント: 大化の改新たいかのかいしんは 「主役しゅやくが中大兄皇子なかのおおえのおうじか、 中臣鎌足なかとみのかまたりか、 それとも別べつの人物じんぶつか」 諸説しょせつ あり、 また 改革かいかくが一いち度どに完成かんせいしたわけではない (徐じょ々に数すう十じゅう年ねんかけて進すすんだ) というのが現在げんざいの一般いっぱん的てき理解りかいです。

4. 大宝たいほう律令りつりょうと律令りつりょう国家こっかのしくみ

大宝たいほう律令りつりょうの制定せいてい

7 0 1 年ねん、 文もん武む天てん皇のうのもとで 大宝律令たいほうりつりょう が完成かんせいしました。 「律りつ」 は 刑法けいほう、 「令れい」 は 行政ぎょうせい・民法みんぽう にあたるルールです。 中国ちゅうごく (唐とう) の律令りつりょうを手本てほんにしています。

律令りつりょう国家こっかのしくみ

律令国家りつりょうこっかとは、 法律ほうりつ (律令りつりょう) に基もとづいて中央ちゅうおう集権しゅうけんで動うごく国家こっかです。

機関きかん役割やくわり
二官にかん神祇官じんぎかん (じんぎかん、 神道しんとうを担になう) と 太政官だじょうかん (だじょうかん、 政治せいじを担になう)
八省はちしょう太政官だじょうかんの下したで 8 つの部門ぶもん (中務なかつかさ省しょう・式部しきぶ省しょう等とう) が行政ぎょうせい
地方ちほう全国ぜんこくを 国こく・郡ぐん・里さと に分わけ、 国司こくし (中央ちゅうおうから派遣はけん)・郡司ぐんじ (地方ちほう豪族ごうぞく) が治おさめる

班はん田た収おさむ授と租庸調そようちょう

律令国家りつりょうこっかの経済けいざいの基本きほんは 班田収授の法はんでんしゅうじゅのほう です。

  • 戸籍こせき に基もとづき、 6 歳とし以上いじょうの男女だんじょに 口分田くぶんでん (くぶんでん) を与あたえる
  • 死しぬと国くにに返かえす
  • 男子だんしは 2 段だん (約やく 2 4 アール)、 女子じょしはその 3 分ぶんの 2

人民じんみんが負担ふたんする税ぜいはつぎの通とおり。

税ぜい内容ないよう
租そ収穫しゅうかくの約やく 3 % の稲いね
庸よう (よう)都とでの労役ろうえき (もしくは布ぬの)
調ちょう各地かくちの特産とくさん物ぶつ
雑徭ぞうよう地方ちほうでの労役ろうえき
兵役へいえき男子だんしは兵士へいしとして動員どういん (一部いちぶは 防人さきもり さきもりとして九州きゅうしゅうへ)

大事だいじ: 税ぜいの中なかで最もっとも重おもかったのは 庸よう・調ちょう と言いわれ、 都とまでの 運搬うんぱん も自己じこ負担ふたんでした。 多おおくの農民のうみんが苦くるしみ、 やがて班田収授はんでんしゅうじゅが崩くずれる原因げんいんになります。

5. 奈良なら時代じだいと大仏だいぶつ

平城京へいじょうきょうの遷都せんと

7 1 0 年ねん、 元明天皇げんめいてんのうが都とを 平城京へいじょうきょう (へいじょうきょう、 現在げんざいの奈良なら市し) に移うつし、 奈良時代ならじだいが始はじまります。 平城京へいじょうきょうは唐とうの 長安ちょうあん を手本てほんにした大だい規模きぼな計画けいかく都市としで、 約やく 1 0 万まん人にんが暮くらしたとされます。

聖武天皇しょうむてんのうと大仏だいぶつ

奈良時代ならじだいの中なかごろ、 飢饉ききん・疫病やくびょう・反乱はんらんが相次あいつぎ、 国くにが不安定ふあんていになりました。 聖武天皇しょうむてんのう は 仏教ぶっきょうの力ちからで国くにを守まもる (鎮護国家ちんごこっかちんごこっか) と考えかんがえ、 7 4 1 年ねんに全国ぜんこくに 国分寺こくぶんじ・国分尼寺こくぶんにじ を建たて、 7 5 2 年ねんに 東大寺とうだいじ の 大仏だいぶつ (大仏だいぶつ開眼かいがん供養くよう) を行おこないました。

東大寺の大きな銅の大仏(盧舎那仏)
東大寺とうだいじの大仏だいぶつ。聖武天皇しょうむてんのうが仏教ぶっきょうの力ちからで国くにを守まもろうと造つくらせた。

遣唐使けんとうしと国際こくさい交流こうりゅう

奈良なら時代じだいには 遣唐使けんとうし がさかんで、 多おおくの僧そうや学者がくしゃが中国ちゅうごくに渡わたりました。 またインド・ペルシア経由けいゆの文物ぶんぶつも伝つたわり、 正倉院しょうそういん (しょうそういん) にはシルクロードを経由けいゆした宝物ほうもつが残のこっています。

文化財ぶんかざい内容ないよう
正倉院しょうそういん聖武天皇しょうむてんのうゆかりの宝物ほうもつ (ペルシア風ふうガラス器き等とう)
万葉集まんようしゅう現存げんそん最古さいこの歌集かしゅう、 約やく 4 5 0 0 首くび、 天皇てんのうから民衆みんしゅうまでの歌うた
古事記こじき・日本書紀にほんしょき最古さいこの歴史れきし書しょ
風土記ふどき各地かくちの地理ちり・風俗ふうぞくを記しるした報告ほうこく書しょ

ポイント: 万葉集まんようしゅう には 防人さきもり (さきもり、 北九州きたきゅうしゅうを守まもる兵士へいし) や農民のうみんの歌うたも含ふくまれています。 当時とうじの民衆みんしゅうの思おもいを知しる貴重きちょうな史料しりょうです。

6. 墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほうと公地公民こうちこうみんの崩くずれ

三さん世せい一身いっしん法ほうと墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほう

班田収授はんでんしゅうじゅがうまくいかなくなり、 田たが不足ふそくしたため、 朝廷ちょうていは開墾かいこんを奨励しょうれいします。

年ねん法律ほうりつ内容ないよう
7 2 3三世一身法さんぜいっしんほう開墾かいこんした土地とちを 3 代だい まで私有しゆう OK
7 4 3墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほう開墾かいこんした土地とちを 永久えいきゅうに 私有しゆう OK

荘園しょうえんの発生はっせい

墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほうにより、 貴族きぞくや寺社じしゃが大だい規模きぼな開墾かいこんを行おこない、 私有地しゆうち = 荘園しょうえん が各地かくちに生うまれました。 これで 公地公民こうちこうみん の原則げんそくは大おおきく崩くずれ、 やがて 平安時代へいあんじだい の荘園しょうえん制せいへとつながります。

大事だいじ: 墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほうは 「失敗しっぱいの法律ほうりつ」 ではなく、 「現実げんじつに合あわせた制度せいど変更へんこう」 とも評価ひょうかできます。 一方いっぽうで結果けっか的てきに律令国家りつりょうこっかの経済けいざい基盤きばんを弱よわめたことは確たしかで、 歴史れきしでは 因果関係いんがかんけい が一いち本道ほんどうでないことを学まなぶよい例れいです。

7. ふりかえり

この章しょうで学まなんだことをふりかえりましょう。

  • [ ]古墳時代こふんじだいの 大和朝廷やまとちょうてい・古墳こふん (前方後円墳ぜんぽうこうえんふん)・埴輪はにわ・渡来人とらいじん を説明せつめいできる
  • [ ]聖徳太子しょうとくたいしの 冠位十二階かんいじゅうにかい・十七条憲法じゅうしちじょうけんぽう・遣隋使けんずいし を説明せつめいでき、 「実在じつざいの詳細しょうさいに諸説しょせつあり」 と言いえる
  • 大化の改新たいかのかいしん (6 4 5 年ねん、 中大兄皇子なかのおおえのおうじと中臣鎌足なかとみのかまたり) と 公地公民こうちこうみん の理念りねんを説明せつめいできる
  • 大宝律令たいほうりつりょう (7 0 1 年ねん) と律令国家りつりょうこっかのしくみ (二官にかん八省はちしょう・国司こくし・班田収授はんでんしゅうじゅ・租そ庸よう調ちょう) を説明せつめいできる
  • 平城京へいじょうきょう・聖武天皇しょうむてんのう・大仏だいぶつ・正倉院しょうそういん・万葉集まんようしゅう を説明せつめいできる
  • 墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほう (7 4 3 年ねん) で 荘園しょうえん が生うまれ、 公地公民こうちこうみんが崩くずれた流ながれを言いえる

この章しょうの安全あんぜん配はい慮りょ (寺社じしゃマナー)

古墳こふん・寺院じいん・神社じんじゃ を見学けんがくするときは、 つぎのマナーを必かならず守まもりましょう。

  • 古墳こふんの上うえに登のぼらない — 多おおくの古墳こふん (特とくに天皇陵てんのうりょうとされるもの) は 宮内庁くないちょう が管理かんりし、 立たち入いり禁止きんしです
  • 写真しゃしん撮影さつえいが制限せいげんされる場所ばしょ — 仏像ぶつぞう・古文書こもんじょ・本堂ほんどう内部ないぶなどは 撮影さつえい禁止きんし が多おおい。 看板かんばんを必かならず確認かくにん
  • フラッシュ・三脚さんきゃく禁止きんし — 文化財ぶんかざいが光ひかりで痛いたむため
  • 静しずかに見学けんがく — 信仰しんこうの場ばであることを尊重そんちょう。 大声おおごえで騒さわがない
  • 賽銭さいせん・拝礼はいれい は自由じゆう。 強制きょうせいではないが、 最低限さいていげんの礼儀れいぎ (帽子ぼうしを取とる、 食べ物たべものを持もち込こまない) を
  • 遺構いこうを持もち帰かえらない — 第だい 2 章しょうと同様どうよう、 文化財保護法ぶんかざいほごほう違反いはんになります

次じの章しょう: 第だい 4 章しょうでは、 平安京へいあんきょう遷都せんとから始はじまる 平安時代へいあんじだい (約やく 4 0 0 年ねん) を学まなびます。 摂せっ関かん政治せいじ・国風文化こくふうぶんか・武士の登場ぶしのとうじょう・院政いんせい・平氏へいし政権せいけんと、 大おおきな変化へんかのある時代じだいです。

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