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歴史

旧きゅう石器せっき・縄文じょうもん・弥生やよい (文明ぶんめいのあけぼの)

最終確認日:

この章しょうで学まなぶこと

第だい 2 章しょうでは、 日本ほん列れっ島とうに人ひとが住すみ始はじめてから、 「くに」 と呼よべるまとまりが生うまれるまでの流ながれを学まなびます。 同おなじ頃ころ、 大たい陸りくでは 4大文明よんだいぶんめい が栄さかえ、 やがて日本ほんともつながっていきます。

  • 約数やくすう万まん年ねん前まえ 〜 1 万まん年ねん前まえの 旧石せき器き時じ代だい (大おお型がた動どう物ぶつの狩しゅ猟りょう)
  • 約やく 1 万まん 5 千せん年ねん前まえ 〜 紀き元げん前 5 〜 4 世せい紀きの 縄文時代じょうもんじだい (縄文土器じょうもんどき・三内丸山遺跡さんないまるやまいせき)
  • 紀き元げん前 5 〜 4 世せい紀き 〜 紀き元げん後 3 世せい紀きの 弥生時代やよいじだい (稲作いなさく・弥生土器やよいどき・卑弥呼ひみこ)
  • 同おなじ頃ころの世せ界かい: 4大文明よんだいぶんめい (メソポタミア文明めそぽたみあぶんめい・エジプト文明えじぷとぶんめい・インダス文明いんだすぶんめい・中国文明ちゅうごくぶんめい)
  • 邪馬台国やまたいこくと魏志倭人伝ぎしわじんでん (位い置ちに諸しょ説せつ)

大事だいじ: この時じ代だいは 「石せっ器き (道どう具ぐ) の進しん化か」 「食しょく料りょうの取とり方かた (狩しゅ猟りょう → 稲作いなさく)」 「むらからくにへ」 という 3 つの大おおきな変へん化かで区く別べつされます。 文も字じ史し料りょうが残のこらない時じ代だいなので、 遺い跡せき・遺い物ぶつ が重じゅう要ような1次史料いちじしりょうとなります。

1. 旧石器時代きゅうせっきじだい (打だ製せい石器せっきと大型おおがた動物どうぶつ)

日本にほん列島れっとうに人ひとが住すみはじめる

日本にほん列れっ島とうに人ひとが住すみはじめたのは 約数やくすう万まん年ねん前ぜん とされています (古ふるい遺い跡せきで約やく 3 〜 4 万まん年ねん前まえ)。 当とう時じは 氷ひょう河が期 で、 海かい面めんが今いまより 100 メートル以い上じょう低ひくく、 日本ほん列れっ島とうは大たい陸りくと陸続りくつづきでした。 ナウマンゾウやオオツノジカなどの 大おお型がた動どう物ぶつ が大たい陸りくから渡わたってき、 それを追おって人ひとも渡わたってきたと考えかんがえられています。

打だ製せい石器せっきと狩しゅ猟りょう採しゅ集しゅう

旧石せき器き時じ代だいの人ひとは、 石いしを打うち欠かいてつくる 打製石器だせいせっき を使つかいました。

道どう具ぐ用よう途と
槍やり (尖とがった石いしを木きの棒ぼうに付つける)大おお型がた動どう物ぶつの狩しゅり
石斧おの木きを切きる
石刃じん切きる・削けずる

人々ひとびとは 狩しゅ猟りょう・採しゅ集しゅう・漁ぎょ労ろう で生せい活かつし、 食しょく料りょうを求もとめて移い動どうする暮くらしでした。

ポイント: 1946 年ねん、 群ぐん馬ま県の 岩宿遺跡いわじゅくいせき を相あい沢ざわ忠ただ洋ひろが発はっ見けんし (1949 年ねんに明治大学めいじだいがくが発掘はっくつ調査ちょうさで学術がくじゅつ的てきに確認かくにん)、 日本ほんにも旧石せき器き時じ代だいがあったことが確かく認にんされました。 それまで 「日本ほんに旧石せき器き時じ代だいはない」 と考えかんがえられていた学がく説せつが大おおきく変かわりました。

2. 縄文じょうもん時代じだい (1 万まん 5 千せん年ねん前まえ 〜 紀元前きげんぜん数すう世紀せいき)

縄文じょうもん土器どきと定住ていじゅう生活せいかつ

約やく 1 万まん 5 千せん年ねん前まえ、 氷ひょう河が期が終おわり、 気き温おんが上じょう昇しょうします。 海かい面めんが上あがり、 日本ほん列れっ島とうが大たい陸りくと切きり離はなされました。 この頃ころから 縄文土器じょうもんどき (じょうもんどき、 表ひょう面めんに縄なわの模も様ようがある) がつくられます。 土ど器きの登とう場じょうで、 食しょく物もつを煮にたり保ほ存ぞんしたりできるようになりました。

炎のような装飾の縄文土器(火焔型土器)
縄文じょうもん土器どき(火焔かえん型がた土器どき)。表面ひょうめんに縄なわの模様もようがつけられ、煮炊にたきや保存ほぞんに使つかわれた。
特とく徴ちょう内ない容よう
道ぐ磨製石器みがくせいせっき (磨まき上あげた石せっ器き)・骨角器ほねかくき・縄文土器じょうもんどき
住じゅう竪穴住居たてあなじゅうきょ で定てい住じゅう
食しょくクリ・どんぐり・サケ・貝かい・シカ・イノシシ
信しん仰こう土偶どぐう (どぐう、 女じょ性せいをかたどったと考えかんがえられる)、 アニミズムあにみずむ

三さん内ない丸山まるやま遺跡いせき

青あお森もり県けんの 三内丸山遺跡さんないまるやまいせき は、 約やく 5 9 0 0 〜 4 2 0 0 年ねん前まえの大だい規き模ぼな縄文じょうもんむらの跡あとです。 大型おおがたの高たか床ゆか建たて物ものや、 数すう百ひゃく軒けんの竪穴住居たてあなじゅうきょの跡あとが見みつかっており、 縄文じょうもんの人々ひとびとが 想そう像ぞう以い上じょうに大おおきな集しゅう落らくを営いとなんでいた ことがわかりました。

大事だいじ: 昔むかしは 「縄文じょうもんは原げん始し的で貧まずしい」 と思おもわれていましたが、 三内丸山遺跡さんないまるやまいせきなどの発はっ見けんで 「豊ゆたかで計けい画かく的な暮くらし」 が明あきらかになりました。 このように 新あたらしい史し料りょうの発はっ見けん で歴し史し像ぞうが大おおきく書かき換かわることがあります。

縄文じょうもんの交易こうえき

縄文じょうもんの人ひとは遠えん隔かく地ちと交こう易えきも行おこなっていました。 例れい: 北ほっ海かい道どう産さんの 黒曜石こくようせき (こくようせき、 鋭するどい石せっ器きの材ざい料りょう) が本ほん州しゅうの各かく地ちで見みつかっています。

3. 弥生やよい時代じだい (稲作いなさくとむらとくに)

稲作いなさくの伝来でんらい

紀き元げん前 5 〜 4 世せい紀きごろ、 朝鮮ちょうせん半はん島とう経けい由ゆで日本ほんに 稲作いなさく (水稲耕作すいとうこうさく) が伝つたわりました。 これで食しょく料りょうの安てい定てい供きょう給きゅうが可か能のうとなり、 人じん口こうが増ふえました。 同どう時じに 金きん属ぞく器き (青銅器せいどうき・鉄器てっき) も伝つたわりました。

特とく徴ちょう内ない容よう
土ど器き弥生土器やよいどき (薄うす手でで高こう温おん焼やき、 赤あか褐かっ色しょく)
食しょく糧りょう稲作いなさく (水すい田でん)、 米こめを主食しゅしょく化か
道ぐ木製農具もくせいのうぐ (鋤すき・鍬くわ)、 石包丁いしほうちょう、 やがて鉄製農具てつせいのうぐ
祭さい具ぐ銅鐸どうたく、 銅剣どうけん、 銅矛どうほこ
住じゅう竪穴住居たてあなじゅうきょと 高床倉庫たかゆかそうこ (米まいを保ほ管かん)

むらからくにへ

稲作いなさくが始はじまると、 水みずと土地とちをめぐる争あらそい が起おこります。 強つよいむらが弱よわいむらをまとめ、 やがて くに が生うまれます。 くにには 王おう や 有力者ゆうりょくしゃ が現あらわれ、 身分みぶんの差さが生うまれました。

ポイント: 縄文じょうもんと弥生やよいの大おおきなちがいは 身分みぶんの差さ です。 縄文じょうもんの墓はかは副ふく葬そう品ひんが少すくなく平びょう等どう的ですが、 弥生やよいの墓はか (例れい: 甕棺墓かめかんぼかめかんぼ) には副ふく葬そう品ひんの多た寡かで身しん分ぶんの差さが見みえます。

弥生やよいの主おもな遺跡いせき

遺い跡せき場しょ特とく徴ちょう
登呂遺跡とろいせき静しず岡おか水すい田でんと竪穴住居たてあなじゅうきょの跡あと
吉野ヶ里遺跡よしのがりいせき佐さ賀が大型おおがた環かん濠ごう (堀ほりで囲かこまれた) むら

4. 邪馬台国やまたいこくと卑弥呼ひみこ

魏ぎ志こころざし倭やまと人伝ひとづてが伝つたえる倭やまと

紀き元げん後 3 世せい紀き、 中ちゅう国ごくの歴し史し書しょ 「魏志倭人伝ぎしわじんでん」 (ぎしわじんでん) に、 日本ほん (当とう時じは 倭わ わと呼よばれた) の様よう子すが書かかれています。 その中なかで 「邪馬台国やまたいこく」 (やまたいこく) という 30 ほどの 「くに」 をまとめた大おおきな国くにと、 その女王じょおう 「卑弥呼ひみこ」 (ひみこ) が紹しょう介かいされています。

項こう目もく内ない容よう
国名こくめい邪馬台国やまたいこく
女王じょおう卑弥呼ひみこ (呪術じゅじゅつで国くにを治おさめた)
年代ねんだい3 世せい紀き
朝ちょう貢こう239 年ねん、 卑弥呼ひみこが魏ぎ (中ちゅう国ごく) に使し者しゃを送おくり、 「親魏倭王しんぎわおう」 の称しょう号ごうと銅どう鏡きょうを受うけ取とる

邪馬台国やまたいこくの場所ばしょ — 諸説しょせつあり

邪馬台国やまたいこくの場しょがどこか は、 江え戸ど時じ代だいから議ぎ論ろんが続つづいていて、 今いまでも 決けっ着ちゃくがついていません。 主おもな説せつはつぎの 2 つです。

説せつ主おもな根こん拠きょ
九きゅう州しゅう説せつ「魏志倭人伝ぎしわじんでん」 の里数りすう (距きょ離り) 記き述じゅつをそのまま読よむと九きゅう州しゅうに着つく
近きん畿き説大だい規模きぼな古墳こふん (例れい: 箸はし墓はか古こ墳ふん) が近きん畿きに集中しゅうちゅう

大事だいじ: このように 同おなじ史し料りょう (魏ぎ志し倭わ人じん伝でん) を読よんでも解かい釈しゃくが分わかれる ことが歴史れきしでは多おおくあります。 「どちらかが正せい解かい」 ではなく、 「新あたらしい発はっ見けんがあれば結けつ論ろんが変かわるかもしれない」 と考えかんがえておくことが大切たいせつです。

5. 同おなじ頃ころの世界せかい — 4 大だい文明ぶんめい

弥生時代やよいじだいよりさらに古ふるい時じ代だい、 紀き元げん前 4 0 0 0 〜 1 5 0 0 年ねんごろに、 大河たいがの流りゅう域いきで 4大文明よんだいぶんめい が生うまれました。

文ぶん明めい河か川せん地ち域いき特とく徴ちょう
メソポタミア文明めそぽたみあぶんめいチグリス・ユーフラテス川がわ今いまのイラク付ふ近きん楔形文字くさびがたもじ・ハンムラビ法典はんむらびほうてん
エジプト文明えじぷとぶんめいナイル川がわ今いまのエジプト象形文字しょうけいもじ (ヒエログリフひえろぐりふ)・ピラミッドぴらみっど
インダス文明いんだすぶんめいインダス川がわ今いまのパキスタン・インドモヘンジョダロ・計画都市けいかくとし・インダス文字いんだすもじ (未み解かい読どく)
中国文明ちゅうごくぶんめい黄こう河が今いまの中ちゅう国ごく甲骨文字こうこつもじ・殷いん・周しゅう

文字もじの発明はつめい

4 大だい文明ぶんめいに共きょう通つうするのは 文字もじの発はつ明めい です。 文字もじがあることで、 法ほう律りつ・契けい約やく・歴れき史記しき述じゅつが可か能のうとなり、 「歴史時代れきしじだい」 (= 文字もじ史し料りょうのある時じ代だい) が始はじまります。

ポイント: 一ひと方かた日本にほんの縄文じょうもん・弥生時代やよいじだいには 文字もじがほぼありません。 だから 「先史時代せんしじだい」 (文字もじのない時じ代だい) と呼よばれ、 遺い物ぶつ・遺い跡せきが主おもな史し料りょうとなります。 中ちゅう国ごくの 「魏志倭人伝ぎしわじんでん」 のような外がい国こく文字もじ史し料りょうが重じゅう要ような補ほ助じょとなります。

中国ちゅうごく文明ぶんめいと日本にほん

中国文明ちゅうごくぶんめい (殷いん・周しゅう・秦はた・漢かん) は、 朝鮮ちょうせん半はん島とうを経由けいゆして日本にほんに大おおきな影えい響きょうを与あたえました。 例れい: 稲作いなさく・青銅器せいどうき・鉄器てっき・漢字かんじ (後ごに飛鳥あすか時代じだい)。

6. ふりかえり

この章しょうで学まなんだことをふりかえりましょう。

  • [ ]旧石せき器き時じ代だいの 打製石器だせいせっき と大おお型がた動どう物ぶつ狩しゅ猟りょうを説明せつめいできる
  • [ ]縄文時代じょうもんじだいの 縄文土器じょうもんどき・竪穴住居たてあなじゅうきょ・三内丸山遺跡さんないまるやまいせき・土偶どぐう を説明せつめいできる
  • [ ]弥生時代やよいじだいの 稲作いなさく・弥生土器やよいどき・銅鐸どうたく・高床倉庫たかゆかそうこ・吉野ヶ里遺跡よしのがりいせき を説明せつめいできる
  • 魏志倭人伝ぎしわじんでん が伝つたえる 卑弥呼ひみこと邪馬台国やまたいこく を説明せつめいでき、 場所ばしょに 諸しょ説せつある ことを言いえる
  • [ ]世界せかいの 4大文明よんだいぶんめい (メソポタミアめそぽたみあ・エジプト・インダス・中国ちゅうごく) とその文字もじを言いえる
  • 縄文じょうもんから弥生やよい への変化へんかで 「むらからくに」 「身分みぶんの差さの発生はっせい」 が起おこったことを説明せつめいできる

この章しょうの安全あんぜん配はい慮りょ (遺い跡せきマナー)

歴史れきしを学まなぶために遺跡いせきや博物館はくぶつかんを見学けんがくするときは、 つぎのマナーを必かならず守まもりましょう。

  • 遺い跡せきの中なかの物ものを持もち帰かえることは厳きん禁きん — 土ど器きのかけら、 石いし 1 つでも、 持もち帰かえると 文化財保護法ぶんかざいほごほう違い反はん になる場ばあ合あいがあります
  • 立たち入いり 禁きん止し区く域いきに入はいらない — ロープや看かん板ばんを必かならず守まもる
  • 発はっ掘くつの跡あとを踏ふみ荒あらさない — 遺い構こうが壊こわれる
  • 写真しゃしん撮さつ影えいが禁きん止しの場しょ所しょ では必かならず守まもる (特殊とくしゅな史し料りょうは光ひかりで痛いたむ)
  • 不ふ思し議な物ものを拾ひろったら、 持もち帰かえらずに 博物館はくぶつかんや自じ治ち体たい教きょう育いく委い員いん会かい に連れん絡らくする
  • 博物館はくぶつかんでの観察かんさつは 触ふれずに目めで見みる が基き本ほん。 スケッチやメモは OK な場ばあ合あいが多おおい

次じの章しょう: 第だい 3 章しょうでは、 くにが統一とういつされ、 大和朝廷やまとちょうてい から 律令国家りつりょうこっか へと進すすむ 古墳こふん・飛鳥あすか・奈良なら の 3 時代じだいを学まなびます。

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