用語集
ベルリン会議べるりんかいぎ
1884〜85 年に開かれたヨーロッパ諸国によるアフリカ分割の会議。緯線・経線に沿った直線的な国境が引かれ、現在の民族紛争の一因となった。
1884〜85 年に開かれたヨーロッパ諸国によるアフリカ分割の会議。緯線・経線に沿った直線的な国境が引かれ、現在の民族紛争の一因となった。
ベルリン会議は、1884〜85 年にヨーロッパ諸国が集まり、アフリカの植民地分割のルールを話し合った会議です。アフリカの人々の意思を無視して、列強が勝手に領土を分け合いました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時期 | 1884〜85 年 |
| 参加 | ヨーロッパ列強(アフリカ抜き) |
| 決めたこと | アフリカ分割の進め方 |
| 引いた国境 | 緯線・経線に沿った直線的な境界 |
民族の分布を無視して直線的に引かれた国境は、独立後もそのまま残りました。このため 1 つの民族が複数の国に分けられたり、対立する民族が同じ国にまとめられたりして、現在の民族紛争の一因になっています。
試験では 「アフリカの国境が直線的なのはなぜ?」→ベルリン会議で植民地として分割されたから、が定番。独立後の紛争との結びつきをおさえよう。
ベルリン会議 (ベルリン=コンゴ会議) は 1884〜85 年にドイツのベルリンで開かれ、ヨーロッパ列強がアフリカ分割の取り決めを行った国際会議。現地の民族や文化を無視して経線・緯線に沿った直線的な国境が引かれ、これが現在まで続くアフリカの紛争や国境問題の起源となった。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時期 | 1884〜85 年 |
| 内容 | 列強によるアフリカ植民地分割のルール化 |
| 問題点 | 民族分布を無視した直線的な国境 |
| 影響 | 独立後も民族対立・難民・紛争の一因に |
たとえばアフリカの地図に直線の国境が多いのは、この会議以降に列強が机上で線を引いた名残である。
試験では 「アフリカの直線国境・民族対立の歴史的背景」として問われる。植民地支配と現代の課題 (アフリカ連合) を結びつけて理解する。